13

 悠司は怒り狂っていた。
 目の前に全裸で淫らなポーズをして美少女が何十人といて彼を誘っているのに、体が思うように動かないのだ。彼は自由にならない体にいらだち、頭をかきむしりながら、そこだ、もっと足を広げろ! 胸を揉め! などと声を上げるが、彼女らにその声は届いていないようだ。
 自由にならない肉欲がこれほどたちの悪いものだとは思わなかった。
 体があれば、一発抜けば落ち着く。だが今は、それをする体がないにも関わらず、性欲だけがどんどん増進してゆく。
 もし体が自由になれば、手当たり次第犯してまわるだろう。いや、もしかすると誰から手を付けていいかどうかで迷ってしまい、機を逃してしまうかもしれない。だが、何もできない現状よりはよっぽどいい。
 仕方なく悠司は目をつぶろうとするが、耳をふさげないので淫らな声を聞かないようにすることができず、しばらくするとどうしてもがまんができなくなって、また女たちを見てしまう。
 そんな彼をあざ笑うように、少女達は淫らなポーズで誘惑する。
 来て。私を犯して。
 突っ込んで。出して。ぐちゃぐちゃにして。
 欲求不満で架空の脳とペニスの血管が破裂しそうになった、悠司の声にならない叫びだけが、誰も聞く者のいない空間で響き渡る。
 誰か――助けてくれ。
 俺をこの牢獄から救い出してくれ!
 そして声に応えるかのように、自由にならない悠司を後から抱きかかえる気配がした。体が暖かくなるような、やさしい温もりが彼を包む。
 悠司は目を閉じ、胎児のように体を丸めて膝を抱えた。母親の胎内にいるような安心感で、ささくれだった心がどんどん癒されてゆくようだった。
 その誰かが悠司の手足を伸ばし、背中から手を回して抱きしめた。髪の毛が体にまとわりつき、ふわふわの毛布のように柔らかな感触が彼をなごませる。
(安心して。私が一緒だから……)
 誰が自分を抱いているのだろう? 全身が湯に浸かったような暖かさに包まれ、快感は止めども尽きずあふれ続けるようだ。まるで堪えに堪えたあげくの果てに射精をしたような、とてつもない快感が腰から吹き上げてきた。
 悠司はまるで少女のように喘いだ。
 気持ちがいい。まるで女性になってペニスで貫かれているような、いや、それ以上の……。
 女性になって?
 彼の脳裏に疑問符がよぎるが、圧倒的な快感の渦によってたちまちのうちに押し流されてしまう。
(悠司さん。私、悠司さんが好き。あなたと、一緒になりたい)
 もう声も出ない。爆発的な歓喜が悠司を覆い尽くす。
 壊れてしまう。
 焼ききれてしまう!
 そんな恐怖も、光の粒になってしまうような、肉の交わりでは考えられない純粋な愉悦の前には、ちっぽけなものでしかない。感情と記憶と思考が、まるで渦のように二人の体の周りを飛び交い、混じりあってゆく。
 普通では有り得ない360度、全方位の視界が広がる。
 無限の光の宇宙に浮かんでいるようだった。
 悠司は自分を貫き、自分が貫いている相手の顔を見たような気がした。
 その顔は――亜美だった。
 思考さえも吹き飛ばす光のビッグバンがおきて、二人は原子にまで分解されるような凄まじい快感の嵐の中に引きずりこまれた……。

***********************************

 彼女はベッドの中で目が覚めた。
(私は……誰だったっけ?)
 しばらく悩んで、奇妙な事に気がついた。
 昨日まであった心の中に二人が共生しているという感覚が、きれいさっぱり消え去っていたのだ。
 少女は戸惑った。
 これは一体どういうことなのか。昨日まであった悠司の人格はどこへ行ってしまったのだろうか。
 そこまで考えて彼女は、自分が悠司という存在を自然に捉らえていることに気づいた。
 上半身を起こすと、羽毛布団から乳房が顔を覗かせた。
 昨晩、義兄と愛を交わした広い大きなベッド。
 シャワーを浴びて汗と体液を拭い落としたものの、まだベッドには彼の匂いの残滓が色濃く残っている。
 整髪料と、汗の匂い。
 亜美の中の女の部分が、キュンと悲鳴を上げる。男の部分が、微かな嫌悪感を亜美に与える。だが、それさえもが今の彼女は甘美な悦楽へとすり替えてしまう。顔がたちまち熱くなってゆくのを感じる。
(そうだ。悠司さんは私と一緒になったんだ……)
 男として自覚している明確な人格が消えたのは、雄一郎に会ってからだ。
 いや、消えたというのは正しくない。
 自分は確かに瀬野木亜美なのだが、男から変ってしまったという記憶がある。その一方で、亜美としての記憶もきちんと残している。つまり、二人分の記憶が混在しているというわけだ。
 今は亜美でも悠司でもない、第三の人格とでも言えばいいのだろうか、その新しい人格が彼女を支配している。一昨日は二色がはっきりと分かれていたのが、昨日にはマーブル状に。そして今では、完全に溶け合って新しい色になったようだ。1足す1で2ではなく、5にも10にも思える。狭い部屋から青空の下へと飛び出たような、空恐ろしいほどの解放感がある。
 亜美はベットサイドにきちんとたたんで置いてあった淡いピンクのパジャマをはおり、ショーツもはかずそのままパジャマのズボンをはいて、足長のベッドから降りた。サイドボードには、予備の眼鏡の横に並んで、いつもの眼鏡が置いてある。きっと雄一郎が探しておいてくれたのだろう。
 眼鏡をかけて改めて部屋を見渡してみると、実に殺風景な部屋の様子が目に入る。書棚や勉強机など、女の子らしさはほとんど感じられない。女の子の部屋には定番の人形や小物が見当たらないのだ。まるでどこかのショールームのような整った部屋だ。
 さすがにウォークインクローゼットに行けば無数の服が女性らしさを表わしている。だが、それさえもどこかよそよそしさ……まるでテレビドラマのセットのような冷たい雰囲気が漂う。
「寒い……」
 空調が十分に効いていて裸でも寒くなどないのに、亜美はまるで寒さから逃れるかのように身をすくめて自分の体を抱きしめた。
 呟いた言葉が、彼女の内心を表わしていた。
 とてつもない空虚感が彼女をつつんでいる。どうして今までそれに気付かなかったのか不思議なほど、絶望的な大きさだった。
 心地好い空調が室内を満たしているのに、亜美は両腕を交差させて自分を抱きしめながら、歯をがちがちと鳴らして、自分の内から込み上げてくる身を凍らせる寒さに震えていた。
 鼻の奥がつん、ときな臭くなったかと思うと、次から次へと、顔を伝って涙がこぼれ落ちた。
「寒いよぉ……先生、寒いよぉ……」
 思わず口をついて出た言葉に、亜美は自分で驚いた。
 今、自分は誰を求めたのだろう。
 義兄の雄一郎だろうか。それとも『自分』のこと、つまり悠司のことなのだろうか?
 自分が呟いた言葉に亜美自身が戸惑っていると、ノックの音が部屋に響いた。部屋の外から若い女性の声がする。
「亜美様。クリーニングした制服をお持ちしました」
「どうぞ」
 震える声を押さえて、どうにか亜美は答えることができた。
「失礼します」
 挨拶と共に、濃紺色のメイド服を着た浦鋪(うらしき)かおりが入ってきた。この別館を専門に担当している人で、高校を卒業してすぐにこの家で勤め始めて4年目になる。姉の観夜に年が近く、亜美もそれなりに気を許せる人だ。
 彼女はちらりと亜美の方を見たが、泣いている様子に気づきもしないというように、クローゼットへと向かった。
(やっぱり雇われ人だものね……)
 さみしいが、彼女もプロだ。雇われている家の事情には深入りしないのが鉄則である。
 確かに誰かに自分の今の気持ちを知って欲しかったが、彼女にそれを話すのは適当ではない。
 では一体、誰に話せばいいのだろう?
 他人の存在を痛いほど感じ、亜美は早く出ていってくれないかと願いつつ、心の中でかおりに向かって救難信号を送り続けていた。

******

 かおりは亜美の視線を、痛いほど背中に感じていた。
 いつもは空気のように自分をいないものとしているお嬢様が、今日に限っては自分の姿を追っているようだ。
 そういえば、泣いているようにも見えた。声もいつになく小さかったし、震えているような声だった。様子がおかしい。だが、自分はあくまでも使用人に過ぎず、そこまで踏み込むわけにはいかなかった。
 だが、初めてお嬢様を血肉の通った存在として認識できるようになった。
 なにしろこの家の人達は、どこか人間離れしているのだ。
 先祖代々の大金持ちだからなのかもしれないが、同じ人間だとは思えないほど無機質で、血が通っているとは信じられないほどだ。
 特にこのお嬢様……亜美は、作り物じみた雰囲気の少女だった。
 美人だし、スタイルも抜群だ。お茶、生け花、お琴、日本舞踊など芸事をなんでもこなすし、頭も相当にいいらしい。百人近くいる自分達使用人の名前はおろか、簡単なプロフィールや出身地、家族構成までもが頭に入っているようだった。支配者に生まれるべくして産まれた家の娘らしいといえばそうなのだが、あまりにもでき過ぎたという印象は拭いきれない。
 それに、使用人の間で密かに囁かれている噂がある。
「亜美様は色狂いだ」
 と。
 姉の観夜も彼女くらいの時は、そうだったという。
 夜な夜な、どこかにふらりと出かけては、翌朝帰ってくる。あまりにも何事もないような様子なので見過ごしそうになるが、着替えをしている彼女の背中に赤い発疹のような跡が幾つもあるのを見たことがある。
 あれは間違いなく、キスマークだ。
 夜遅くまで男とセックスをしていながら、平然と学校に通える体力と精神力には、ただ驚くしかない。自分とは違う世界の超人としか思えなかった。
 その彼女が、今は自分の動きを目で追っている。どんな心変わりがあったのだろうか……?

******

 今日は日曜日。
 毎週の茶道の個人指導と、人と会う約束が数件ある。だが何もする元気がなかった。
 亜美は生まれて初めて、さぼりを決め込むことを決意した。
「浦鋪さん……」
 てきぱきと用事を片付け終わり、退出しようとしたかおりを引き止めた。
「はい、なんでしょう?」
 彼女はくるりと体を亜美の方に向けて答えた。
「気分がすぐれないんです。今日の予定は全てキャンセルして下さい」
「キャンセルですね? 具合がよろしくないのでしたら、嵩村先生をお呼びしましょうか?」
 嵩村医師はこの家専従の医師だ。
「いいえ、結構です。朝食も、隣のサンルームに運んで下さい」
「かしこまりました」
 亜美の指示が一通り終わるのを確認し、かおりは一礼して部屋を出ていった。
 ベッドに倒れこみ羽布団に顔を埋めるようにして、亜美は大きなため息をついた。
 これで一日、一人きりになれる。
 義兄も朝早くには姉の下へ帰って行っただろう。頼りたいという気持ちが胸の奥からこみ上げるが、ぐっとそれを押さえつける。もう、義兄には抱かれないだろう。
 自分が強くなったのか、弱くなったのか亜美にはよくわからない。
 今では、セックスに溺れた原因がはっきりとわかる。
 さびしいからだ。
 体を触れ合わせているうちは、それを感じないですむ。快楽に溺れていれば、嫌なこともしばし忘れることができる。
 そんなことを考えているうちに、体にむず痒さがわき上がってきた。昨晩、全身を愛撫された快感の残り火が今になって再び燃え上がり始めたようだった。
 いけない。まだ朝食も摂っていないし、人が来るのに……。
 パジャマの前をはだけると、弾力のある豊かな乳房が見えた。
 やっぱり自分は女なんだという、さみしさがあった。男に戻りたいという欲求があるにも関らず、どこか現状を肯定してしまっている自分に腹が立った。
 これが自分のミスで怪我をしたとかであれば、一時は自分のうかつさに腹を立てても、傷は時間がたてば治る。
 だが、これは常軌を逸している。
 自分は男ですと主張して、誰がまともに取り合ってくれるだろうか。
 悠司は地方から出てきた上に、元から人づきあいも良くなく、最近は大学もろくに行っていないので、友人がほとんどいない。
 アパートの住人とは顔は合せたことはあっても、名前もあまり知らない。唯一知り合いと言えそうなネット仲間も、ハンドル名は知っているがほとんど面識はない。それに、そんな相手を信頼できるはずもない。それどころか反対に強請や脅迫をされかねない。
 誰に相談できるというのだろう?
 亜美は考え込みながら、肩からパジャマを滑り落とした。
 白い乳房に、幾つもの赤い痕(あと)が見える。
 昨日、繭美先輩や年下の男の子、そして義兄につけられた印だ。もうだいぶ薄くなっているが、まだ確認できるくらいには目立つ。
「いやだ……」
 いつの間にか胸をさすっていた手を止めて、亜美はベッドから降りた。
 裸足の足の裏を、毛足の長いやわらかなカーペットがやんわりと支え、くすぐったい感覚が彼女を責めたてる。股間がジンと痺れた。
 体中が敏感になってしまっているようだ。今の自分は、ちょっとした刺激でも性的快感になってしまうのを、亜美は自覚していた。
 ――見慣れた、見知らぬ体。
 矛盾した想いは、今の亜美の状態そのものだ。

[トップページ] [BACK] [NEXT]

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル