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 雄一郎は、決してハンサムとは言えない平凡な顔つきの男だ。有名人の誰に似ているとなると、大抵がお笑いタレントの誰某とか言われるのが関の山だ。だが、愛敬のある印象的な顔だといえるだろう。
 国立大学を卒業後、現在は瀬野木一族が運営する系列会社に入社して働いている。本家の娘を嫁に迎えたからには、ゆくゆくは社長も間違いないと周囲からは見られている。非常に優れた能力を持っているわけではないが、親しみやすく、人当たりのよい人柄は多くの人に好かれている。
「姉様(ねえさま)は元気ですか」
「ああ、元気に動きまわっているよ。僕の心配なんかそっちのけでね」
「ふふっ、姉様らしいですわ」
 お茶の用意をしている亜美の笑みに、雄一郎が驚きの表情を見せる。
「しばらく合わないうちに、ずいぶんと明るくなったね。……恋でもしたのかな?」
「男子三日会わずんば刮目して見よ、と言うでしょう? 女の子も、三日会わなければ変わるんですよ」
 恋という言葉に、亜美の胸に鋭い痛みが走る。今まで感じたことのない苦しい感情。
 これは――嫉妬だ。
 私は姉に、そして雄一郎さんに嫉妬している。悠司と一緒になった亜美は、今まで意識していなかった感情にも強く反応するようになっていた。
 それでも亜美は心の中に渦巻く負の感情をおくびにも出さず、メイドが用意してくれていたカップに紅茶を注いで差し出した。
「お義兄様は、今日はどうしてこちらにいらしたの?」
「今日は、瀬野木取締役に呼ばれてね」
「洵彌(じゅんや)兄様の御用なのね」
 この取締役とは、グループ企業をまとめるセノキインダストリーの役員のことで、亜美達きょうだいの一番上の兄だ。今年で28になるが未だ独身で、会社では玉の輿を狙う女子社員が、会社の外では瀬野木家と誼(よしみ)をつけようという取引相手が、水面下で激しい争いを続けているらしい。
「緊張するよ。なにしろ雲の上の人だからね」
「うふふ。でも、他人ではないでしょう? 家族なんですから、もっとおくつろぎになればいいのに」
「いや。瀬野木の家は凄すぎて、平凡な僕には気が休まらなくて。つい、汚したテーブルクロスの値段だとか、うっかり何か壊したら幾らくらいかかるんだろうとか考えちゃうんだ」
 何気なく手にしているカップが清朝の磁器で、目の玉が飛び出るような値段がするなんて雄一郎は知らない方がいい。もっとも、他のティーセットも英国製を中心にしたアンティークの陶器や磁器など、高価なものばかりなのだが。
「観夜にも頼まれていたんだよ。亜美ちゃんがどうしているかってね」
「あら。姉様に頼まれなければ、お出でになられなかったのですか?」
「そんなことないよ。かわいい……義妹(いもうと)だからね」
 雄一郎が少し言いよどんだ。
 無理もない。いくら彼女が求めたとはいえ、まだ中学生だった彼女の処女を破ったのは彼なのだ。しかも亜美が寄せる好意を知りながら、姉の観夜に惹かれ、彼女とも関係を持ってしまった。そして結婚……。
 怨んでいるだろうという思いが、彼を亜美から遠ざけさせた。ふたりきりで会うのは、何年振りだろうか。もしかすると、家庭教師を辞めてからはこれが初めてかもしれない。
「お義兄様ったら、お世辞がお上手」
 くすくすと笑う亜美を見ながら、雄一郎は救われる思いだった。常に心の片隅に残っていたしこりが解きほぐされてゆく。その一方で、亜美の中には暗い想いが膨れ上がり始めていた。
「今日のご予定は?」
 姉の近況などを尋ねた後、亜美はこう切り出した。
「ああ。取締役と――」
「おにいさん、でしょう?」
「いやあ、義兄(にい)さんだなんて気軽に言えないよ。まだ観夜と結婚したことを認めてくれていないんだから。お義母さんが助けてくれなかったら、絶対に結婚できなかったな」
「お父様なんか、一番に反対しましたものね」
「確かに」
 雄一郎は苦笑した。将来はほぼ約束されているようなものとはいえ、会社ではまだ係長に過ぎないし(それにしても相当なスピード出世ではあるのだが)、会社組織を通して親会社の社長と会うことなど、まずありえない。非公式の場でも彼を避けているようで、結婚式にすら出席しなかったという徹底ぶりだ。
「うん、その……お義兄さんとの会食に呼ばれているんだ。一応、スーツも着てきたし」
「お似合いですわよ」
「イギリスの何とかってメーカーの背広だっていうんだけどね。観夜に押し付けられたんだ。ちゃんとした服を着なさいってね。ちゃんとしているつもりなんだけれど……」
「兄様は服にうるさい方だから。唯一の趣味と言っていいかもしれませんわ」
 洵彌は仕事が趣味と陰口を叩かれるほどだが、瀬野木の後継者ともなれば無理もないだろう。彼の息抜きは、スーツを仕立てる時くらいのものだ。そのため彼は、百着以上のスーツを持っている。二百以上は確実だが、数えたことがないのでわからないのだ。
「お義兄様も瀬野木家のやり方に慣れていただかないと」
 だが、簡単に慣れるわけないと今の亜美にはわかる。悠司としての部分が、呆れるほど豪奢な内装に感覚が麻痺してしまうほどなのだから。
 最初に雄一郎が家庭教師に来た時は、言葉も出ないほど緊張していたくらいだった。その時と比べたら、相当落ち着いた方だろう。
「亜美ちゃんも一緒なんだろう?」
「いえ。私はここでとります。兄様に呼ばれていませんから」
 雄一郎が困ったような、不思議そうな複雑な表情をした。
「みんなで集まって食事をしないんだね」
「みんな、それぞれの生活がありますから」
「寂しいよね」
 雄一郎が苦笑した。
「僕が瀬野木の家に世話になりたくないのは、そういう理由もあるんだ。僕と観夜の子供には、そんな思いをさせたくない」
 ズキンと胸が痛む。
 望んでも、彼とは結ばれることはもう無い。姉が死ねば別だが、そんなことは考えたくもない。それに、二人の間には子供がいる。亜美が入る隙間など、どこにも無いのだ。
 亜美はつとめて明るく言った。
「食事が終わったら、お部屋にうかがってよろしいかしら?」
「ああ、歓迎するよ。観夜も亜美ちゃんがどうしているか、知りたがっているから。ゆっくり話を聞かせてもらうよ」
「では、久し振りに勉強も見ていただこうかしら」
 紅茶を飲み干した雄一郎は、そおっとカップをソーサーに戻し、笑いながら言った。
「でも、亜美ちゃんには先生がいるんだろう? それに、高校の教科なんてすぐには教えられないよ。僕も卒業してブランクがあるからね」
「早耳ですわね」
 何か、引っ掛かる。彼は誰からそのことを聞いたのだろう。姉だろうか。でもそうなると、なぜ姉は「存在しないはずの家庭教師」のことを「知っている」のだろうか?
 徐々に、混乱していた記憶の一部が解きほぐされてゆく。
 間違いない。亜美には家庭教師なんていなかった。自分が教えてもらっていた人は、目の前の彼だけ。それも中学一年の間のみだった。
 それともこの記憶は、亜美と悠司が一緒になってしまったショックで産み出された妄想なのだろうか。いや、そもそも都築悠司なんていう人間は本当に存在するのだろうか?
 わからない。
 一度ほどけたと思った記憶の糸は、再びこんがらがってしまった。
「亜美ちゃん、大丈夫?」
 雄一郎が心配そうに声をかけた。亜美は我に返って、曖昧に微笑んだ。
「はい、ご心配をお掛けしました。今日はクラブ活動があったものですから、少し疲れているんです」
「そうか。悪いことをしちゃったな」
「いえ、お義兄様に会えて嬉しかったです」
 胸が苦しくなる。切ない。
 雄一郎は時計を見て立ち上がった。
「そろそろ時間だ」
「それではまた、後程おじゃましますね」
「うん。楽しみにしてるよ」
 雄一郎の言葉には他意はないはずだが、亜美の心臓が跳ねた。続いて立ち上がろうとして、彼女は眉をひそめた。
「どうしたの?」
「い、いえ。なんでもありませんわ」
 雄一郎が部屋を出ていってから、亜美はそっとスカートをまくってショーツを見てみた。彼女の目に飛び込んできた光景は、さっきの感覚を裏付けるものだった。
 股間は、恥かしくなるほどぐっしょりと濡れきっていた。

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 時刻は夜十時を指していた。
 食事は既に済ませてある。食欲がなかったので軽食だけにしてもらい、風呂に入ることにした。
 丹念に体を洗いながら、亜美は自問する。
 何を期待しているのだろう。
 これは、義兄に抱かれるためにしていることではないと自分に言い聞かせながら、それが言い訳にすぎないのがわかっていた。夜中に男の部屋を訪れるということがどんな意味を持っているのか、わからない彼女ではない。
 でも、姉様の旦那様ですもの。妻の妹に手をかけるなんてことはしないはずだわ。
 それなのに乳首が固くなっている。胸をこするスポンジの動きは、愛撫といっていいほど丹念で執拗な動きで、まるで自慰をしているようだ。胸や首筋、そして下腹は特にていねいに洗っている。
 自分は男かもしれない。少なくとも男の心はある。それでも、彼の部屋に行くことをやめようとしない。むしろ、心臓が高鳴って待ち焦がれているというのが自分でもはっきりとわかる。
(悠司さん……私、本当にお義兄様の部屋に行ってもいいのでしょうか)
 亜美は悠司の心に問いかけるが、返事は返ってこない。
 不安と期待が彼女の心に渦巻いている。
 両手両足を広げてなお余りある浴槽に沈みこむようにして亜美は考えにふける。だが、考えはまとまらない。
 1時間ほどもかけて、ようやく亜美は風呂から上がった。
 体を拭き、下着を身に着けてから、迷ったあげく、一度は着けた下着を別の下着に変えた。いつものパジャマを着てから髪の毛をアップぎみにまとめて、結わえる。普段はしない化粧も薄くナチュラルに仕上げて、ローズレッドのルージュを引く。紙を唇の間に挟んで、軽く咥えた。
 少し派手かしら? とでも言うかのように、戸惑いながら鏡の向こうからこちらを見ているのは、紛れも無い美少女。自分自身だ。そんな自分に、なぜかときめいてしまう。
 自身を抱きしめるように、両手を胸の前でクロスさせて肩をつかむ。大きな胸が押されて、潰れる。化粧品の良い香りが鼻をくすぐる。
 心臓がどきどきしている。
 顔がほんのりと赤くなっているのは、風呂上がりのせいだけではないだろう。
 いつまでもこんなことをしていても仕方がない。亜美は気合いを入れるようにほっぺたを手の平で何回か軽く叩いてから、パジャマの上に白のガウンを羽織り、雄一郎が泊まっている建物の方へ歩いて行った。
 それぞれの建物は完全に外気と遮断された回廊で結ばれている。それも通路とは信じ難い幅で、悠司の部屋がすっぽりおさまってしまうほどだ。空調費だけでどれぐらいかかるんだろうかと、つい考えてしまう。今までこんな事なんか考えたことも無かったのに。
 時刻は夜十一時をまわっている。
 少し遅くなってしまったが、雄一郎は起きているだろうか。
 いろいろと考えているうちに、亜美は雄一郎が泊まっている部屋の前に到着してしまった。
 ためらいながら、ノックをする。
 返事はない。
「お義兄様……?」
「どうぞー」
 ノブを捻って扉を開ける。客用の部屋なので、トイレやバス施設も備えられている短い廊下を抜け、ソファーに沈みこむように横になっている雄一郎を見つけた。
 どうやらかなり酒が入っているようだ。
「大丈夫ですか?」
「これくらい、飲んだうちには、入らない、よっ……と」
 このわずかなやりとりだけでも、かなり酩酊しているのがわかる。
「洵彌兄様が、何かおっしゃったの?」
「……」
 無言が全てを物語っている。
 雄一郎は瓶を乱暴に傾けてグラスに注ぎ、一気に飲み干した。テーブルはおろか、床まで酒の染みが飛んでいる。まったくいつもの雄一郎らしくない。
「へっ……お上品にブランデーかよ。日本酒は無いのか」
「お望みでしたら持ってこさせますけど……もう、およしになったら? だいぶお酔いのようですし」
「そんな口のきき方はやめろ! ……あいつや、観夜と同じだ。俺を……俺をどこかで見下していやがるんだ」
 吐き捨てるように言ってから、また酒を注ぐ。震える手は、酔いだけが原因ではないのだろう。
「そんなことはありません。見下すだなんて、そんな!」
「お前は昔からそうだ。どんなに犯しても、お前の瞳が俺を射すくめる。どんなに恥ずかしいことをやらせても、お前は平気だ。俺は……俺は、お前を汚したかった」
 突然の告白だった。
 何もかもが、遠くにあるように感じる。雄一郎の声さえもが、小さく、どこか別の場所で話しているようだ。
 先生は、私を、嫌いだった……?
 今までの笑顔は、言葉は、嘘だったの?
 呆然と突っ立っている亜美の手を雄一郎がつかみ、手元に引き倒し、乱暴に唇を奪う。酒臭い匂いが鼻を突く。
 かあっと頭に血が昇った。恥ずかしさと、怒り。亜美と悠司の感情が一気に爆発し、悠司を押しのけた。
「やっぱりお前も、俺を、影で馬鹿にしているんだろう。軽蔑しているんだろう?」
「そんなことはないです。……お義兄様、なんでそんなことを」
「この期に及んで、”お義兄様”かよ」
 雄一郎は裏声で「おにいさま」と言って、息を吐いた。
「だったら証明してみろ」
「証明?」
「そうだ……俺と、セックスしろ」
「え……」
 亜美は手を胸の前で組み合わせて、一歩後に後退った。
「やっぱり、お家大事か。……そうだよな。なんで俺みたいなのと観夜が一緒になったんだ。ペット代わりか? 珍獣か? へへへっ。そりゃあ面白いな」
 自分の言ったことが面白いのか、雄一郎は壊れたレコードのように低い声で笑い続けた。
 雄一郎が何を兄に言われたのかはわからないが、恐らく、育ちのことなどをもってまわった言い回しで、ねちねちと痛ぶられたのだろう。席を立とうにも立てず、拷問のような時間だったに違いない。
 今の亜美にならわかる。彼にだってプライドはある。他人に踏み入られたくない領域があるのだ。それを亜美の兄は、平気で汚した。雄一郎が飲みつけない酒をあおるなんて、よっぽどのことがあったのだ。
 亜美はそっと酒瓶を彼の手の届かない所に置き、ひざまずいた。
「姉様にしかられますから」
「あいつのことは言うな!」
 跳ね起きて雄一郎が叫ぶ。叫んだ拍子に酔いが一気に回ったのか、上半身がぐらりと崩れる。亜美は慌てて彼を抱きとめた。
 酒と、男の匂いが亜美の牝(メス)の部分を刺激する。
 ジン……と体が熱くなった。
 亜美は雄一郎をソファーに座らせ直すと、立ち上がって、小声で言った。
「これで、信じてくれるんですね?」
 声が震えているのが自分でもわかる。
 亜美は黒いパジャマのボタンを、ゆっくりと外してゆく。
 雄一郎の手がさらけ出された亜美のお腹に触れた。
 手が止まった。
 触れられるのが怖い。
 亜美は軽く身をよじって抵抗した。
「いや……やめて、お義兄様」
「こんな夜中に来るだなんて、お前も期待していたんだろう?」
 亜美の体が電気ショックを与えられたかのように、跳ねた。
 そうだ。自分は義兄に犯されるのを望んでいたのだ。頼んでも抱いてはくれない。ならば、今だけでも肌を合わせたい。
 いや――犯されたい。
 今まで感じたことのない感情が亜美を揺り動かす。
「抵抗しろよ……抵抗してみろ!」
 雄一郎は亜美を引き寄せ、パジャマの残りのボタンを一気に引き千切った。

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