その涯を知らず ―― 葉月(4) ――
翠 はるか
晴れ渡った空の下。神泉苑の水流は陽光を反射して、きらきらと輝いていた。 その一角。泰明と藤姫が一時的に塞いでいた次元の穴を再び開いた。深い穴の向こうには、懐かしいあの古井戸が見える。 その次元の穴を前に、あかねと天真、詩紋は立っていた。それを送るのは、藤姫とただ一人を除いた元八葉の面々。互いに複雑な顔で、けれど、全てを吹っ切ろうとする意志を込めた眼差しで見つめ合っている。 「神子様、天真殿、詩紋殿、本当にありがとうございました」 藤姫が別れの前に改めて感謝の言葉を述べる。本当はもっと言いたい事もあるが、それのみにとどめる。京を救ってくれてありがとう、平和をありがとう、そんな言葉は天真にとって嫌味にしかならないだろう。 あかねも察したように、優しく微笑んだ。 「うん、こちらこそありがとう。元気でね、藤姫。みんなも」 「はい。どうか息災で」 藤姫も微笑み、それを合図にしたように、他の八葉もあかねや詩紋に声をかけた。天真はただ一人黙っていたが、鷹通があかねに挨拶を終えて少し後ろに下がると、その彼のほうに歩み寄っていった。 「鷹通」 声をかけると、鷹通は少し目を見開き、すぐに優しく微笑む。 「はい」 「…世話になったな」 天真がぼそりと呟く。短い言葉だったが、その言葉に鷹通は嬉しくなった。 「とんでもありません」 そんな彼の顔をしばらく見遣った後、天真は視線を伏し目がちにして再び口を開く。 「俺さ、ずっとあいつの書き置きのこと考えてた」 「…ええ」 「あいつ、忘れてくれって書いてた。本当にそれがあいつの望みだったんなら…、俺はあいつを助けてやれなかったから、せめて最後の望みくらい叶えたい」 鷹通が訝しげに眉を寄せる。天真は顔を上げて、彼をしっかりと見据えた。 「だから、俺、蘭のこと忘れるよ」 「天真殿……」 「…それで、悪いけど、ひとつ頼まれてくれないか」 目を見開く鷹通をよそに、天真は制服のポケットから何かを取り出した。それを鷹通の前に差し出す。 それは、天真がいつも胸にかけていた首飾りだった。 「これ、蘭と対で作った物なんだ。これを友雅に渡してくれないか? できれば、蘭と同じ場所に埋めて欲しいと伝えてくれ」 鷹通は差し出されたそれを、複雑な眼差しで見つめる。 これを彼女の塚に埋めて欲しいという事は、妹への思いごと葬るという事なのだろうか。 承諾していいものかどうか迷いながら、とりあえず鷹通は言葉を返す。 「しかし、友雅殿は承知しないかもしれませんよ」 「…それでもいい。俺はもう持っていたくないんだ」 「………」 鷹通はその言葉に更に迷った。それを承諾するのは、天真のために良い事だろうか。なんだか蘭が可哀想な気もする。だが、忘れるななど残酷な事も言えない。 …今はただ、時間が彼の心を癒すのを待つしかない。 「分かりました」 鷹通は頷いて、その首飾りを受け取った。天真がほっとしたように肩の力を抜く。 「面倒ばっかかけてすまねえな」 「いえ、誰かのお役に立てる事は、私の喜びですから」 「…相変わらず、真面目一直線だな」 天真はそう言って、ちょっとだけ笑った。自嘲混じりのものだったが、それでも久し振りに見る彼の笑顔だ。いつか、それが曇りないものに変わる事を切に願う。 「…お元気で」 万感を込めて別離の言葉を述べると、天真は手を上げながら、次元の穴のほうへ向かって行った。 「ああ、あんたもな」 ―――しばし後、晴天にきらりと光を残して次元の穴は閉じた。
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読了ありがとうございましたv。
ちと後味悪いかもしれませんが、この話、かなり思い入れがあります。
幸いにも、何か感じて頂けたら、掲示板かメールフォームで
感想くださると嬉しいです(^^。(02.4.7up)
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