誓い  〜前編〜

         翠 はるか


 「あ、頼久さん。橘が咲いてますよ」
 頼久と共に、清涼寺に来ていたあかねは、彼の好きな橘を見つけて、嬉しそうに笑いながら、彼を振り返った。
 だが、すぐにその笑顔は消え、代わりに怪訝そうな表情が浮かぶ。
 「……頼久さん? おーい、頼久さーん!」
 あかねが強く呼びかけると、ぼんやりとした表情で宙を見ていた頼久は、はっと我に返り、慌ててあかねを振り返った。
 「……はいっ、何でしょう、神子殿?」
 「……いえ、橘の花が咲いていたから」
 「あ、ああ…、そうですね。もう夏ですから」
 あかねが首を傾げる。
 「どうかしたんですか? 何だか、最近ぼんやりしてることが多いですけど……」
 尋ねると、頼久は表情を改めて頭を振った。
 「何でもありません。声をかけられたのに気付かず、申し訳ありませんでした」
 「それは構わないんですけど」
 あかねはもう一度首を傾げ、やがて諦めたように歩き出した。
 実際、最近の頼久はおかしい。ここ一週間で、先ほどのようなことが二、三度あった。そして、その度に「何でもありません」と答えるのだ。
 どうしたのかな……。
 あかねは考え込んだが、そうしてみたところで答えが出るはずもない。
 二人して黙り込んだまま、やがて境内の奥にたどりついた。
 「えーと……、それじゃ、この辺りで力の具現化をしましょうか」
 「そうですね、それでは……」
 言いかけて、頼久ははっとした表情で、空を振り仰いだ。
 「頼久さん? どうし……」
 「神子殿。私の後ろにお下がりください!」
 「なに……」
 問いかけて、あかねははっとした。頼久の視線の先に、小さくどす黒いもやが渦巻いていた。ぐるぐると、辺りの空間を喰いつくすように広がっていく。
 「あれは……」
 まぎれもなく、怨霊の気配。
 「復活したのですね。神子殿、戦闘のご準備を」
 「はいっ」

 あかねを背後にかばい、刀を抜きながら、頼久は眉をきつく寄せた。
 うかつだった。ここの怨霊を祓ったのは、かなり前。その後、度々訪れていたので、封印しそこねていた。
 出方をうかがっている間にも、怨霊がだんだん形作られていく。
 ここの怨霊は、京にばらまかれた怨霊の中でも一、二の強さを持つ。加えて、頼久の苦手な金属性。他の八葉もいない。
 状況は、あまりに不利だ。
 だが、頼久は表面上は平然と、あかねを振り返った。
 「神子殿、参ります。予想外の戦闘ですが、御身は必ずお守りいたしますので」
 何よりも、彼女に不安を抱かせてはならない。
 「はい」
 その言葉に励まされ、あかねは力強く頷いて、怨霊に厳しい視線を向けた。

 戦況は、思った通り苦しかった。
 だが、頼久は全ての術を習得していたし、あかねの五行の力もかなり強くなっていた。
 術を駆使し、徐々に怨霊を弱らせていく。
 これなら、なんとかなるだろう。
 「頼久さん、もう少しですよ!」
 「はい。ここの怨霊を封じてしまえば、めぼしい怨霊はあらかた……」
 頼久の言葉が途切れる。怨霊が、最後の反撃とばかりに、通常の数倍もの瘴気を放ってきた。
 「神子殿っ!」
 頼久が、瘴気の向けられた先を素早く察知して、あかねを抱えるように、その場から飛びすさる。
 だが、完全にはよけきれず、頼久の腕を黒い気が掠めていった。
 鮮血が辺りに飛び散る。
 「頼久さん!」
 あかねが叫ぶ。だが、体勢を立て直した頼久は何事も無かったように、普段と変わらぬ口調で言った。
 「大丈夫です、神子殿。それより、さあ封印を」
 「で…、でも……」
 「相手はかなり弱っています。今なら、大丈夫です」
 「……は、はい」
 あかねは胸の前で手を組み、身の内の五行の力を高めていった。
 口馴れた封呪を唱える。
 龍神の光に包まれ、怨霊が苦しげにうめく。
 ――――やがて、一枚の札がはたり、と音を立てて地面に落ちる。だが、あかねはそれには目もくれず、彼のもとへと走っていった。


 頼久さん……。
 あかねはその夜、寝所で一人ため息をついていた。
 とりあえず横になってはいたものの、まったく眠気は襲ってこない。
 ――――頼久の傷。彼は大したことないと言っていた。力の具現化も続けられるという彼を一喝して、急いで邸に帰ってきたのだが。
 その後のことは、武士団の人に任せてしまったので知らない。あまり、ひどい怪我ではないといいが。
 あかねは目を伏せた。
 あの時、頼久はためらわず自分と怨霊の間に入ってきた。
 今までは守られていることを感じて嬉しかったその行為が、今は胸が痛くなるくらいの切なさをもたらすものに変わっている。
 彼が傷つく、ということが主な理由ではあるが、もうひとつ、大きな理由がある。
 彼が自分を守るのは、自分が龍神の神子だから。
 いや、そのためだけではないと、彼は言ってくれた。神子が私だから、と。
 でも、気付いてしまった。初めから分かっていた事だけど、改めて実感してしまった。
 もうすぐ自分は龍神の神子ではなくなる。
 ここにいる理由がなくなってしまう。
 あかねは、ぎゅっと両手を握り締めた。
 あんなに待ち望んでいた帰還の時が、今は怖い。
 頼久の側にいる理由が無くなるその時が怖い。

 ふう。

 あかねはもう一度ため息をついて、そっと立ち上がった。
 ずっと寝転んだまま考え事をしていたので、頭が痛くなってしまった。少し夜風にでもあたって、頭を冷やそう。
 袿を軽く肩に引っ掛けて、あかねは部屋の外に出た。もう季節は夏だが、夜の空気はそれなりに冷たい。
 うーん………。
 軽くのびをしながら、見るともなしに庭に視線を巡らせたあかねは、ある一点を見て、身体を固まらせた。
 あ、あれって……!
 「頼久さん!」
 気付いた時には叫んでいた。怪我をしているはずの頼久が、いつものように庭先で警護をしていたのだ。
 「神子殿。まだ、お休みではなかったのですか」
 あかねの声に、頼久が驚いたように振り返る。
 「何してるんですか、頼久さん。そんな所で!」
 更に大きな声で呼びかけると、頼久が、微笑みながら近づいてくる。
 「いつものように警護を。神子殿は安心してお休みください。明日もやるべきことが、たくさんあるのですから」
 「何、言ってるんですか!? 頼久さん、怪我してるんですよ、安静にしてないと!」
 「ああ、これくらいかすり傷です。多少、大げさに出血しましたが、傷自体は大した事ありません。大丈夫ですよ」
 「本当ですか? でも、怪我したばかりなんですから、今夜くらい、誰かに代わってもらって……」
 「いいえ、神子殿」
 頼久が微笑を消して、きっぱりとした口調で言った。
 「あなたを守る役目は私のものです。他の誰にも任せるつもりはありません」
 「頼久さん……」
 頼久の真摯な眼差しと言葉に、あかねは二の句が告げなくなった。
 だが、頼久にこのまま警護を続けさせるなんて出来ない。本人は大した事ないと言っているが、あまり当てにはならない。彼が、自分にひどい怪我だなんて言うわけがないのだ。
 だが、部屋に戻るように言ってもきかないだろう。例え、一度は戻っても、自分が眠ればまた、警護を続けるんだろう。
 あかねは逡巡し、はっと顔を上げた。
 「それじゃ、頼久さん。どうせなら、私の部屋に来て、警護してくれませんか?」
 「え?」
 あかねの思いがけない提案に、頼久は戸惑った表情になる。
 「ちょうど寝付けなくて、困ってたんです。少しの間、話し相手になってくれませんか?」
 「話し相手…ですか? それは構いませんが……」
 「良かった。それじゃ、早く上がってきてください。私、部屋の明かりつけてきますから」
 そう言って、あかねは足早に自分の部屋へと入っていった。頼久は、まだかすかに戸惑いつつも、庭から簀子(すのこ)へと上がっていく。
 そっと、あかねの部屋に入ると、あかねは紙燭に火を入れ、円座を二つ並べて、その片方に座って待っていた。
 「頼久さん、どうぞ。座ってください」
 「はい」
 勧められるまま、頼久ももう一つの円座の上に腰を降ろす。
 「寒くはないですか?」
 「いえ、私は。神子殿こそ……」
 言いかけて、頼久は言葉を途切れさせた。当然といえば当然だが、今のあかねは、単衣の上に簡単に袿を何枚か羽織っているだけの格好だ。今更ながら、それに気付いて、頼久は咄嗟に視線をそらした。
 「私は平気です。……どうかしました?」
 「いえ、何でもありません。…あの、寝付けないとのことですが、どこかおかげんでも悪いのでは……?」
 元凶は目の前のあなたです、とあかねは内心呟いたが、もちろん口には出さない。
 「そんなんじゃないですよ。ちょっと眠りそこねちゃっただけです」
 「それならよろしいのですが。もし、ご気分が悪いようなら、すぐにおっしゃってください」
 頼久の気遣う言葉に、あかねは苦みの混じった笑みを浮かべた。
 「……頼久さんは、本当に忠義な人ですよね」
 「それが私のなすべきことですから」
 迷いなく語る頼久の口調が、今は突き刺さるように痛い。あかねは思わず顔を伏せた。
 「そうですね。頼久さんはちゃんと務めを果たしてる。私は……、ダメだな。今日だって、うっかりして不意打ちにあって、頼久さんに怪我させちゃった」
 「神子殿、それは……!」
 頼久が驚いたように、はっと顔を上げる。
 「その上、夜の警護までさせちゃって」
 「それは違います。……申し訳ありません、神子殿」
 不意に、頼久の口調が沈む。
 「どうして、頼久さんが謝るんですか?」
 「私の落ち度のせいで、神子殿に無用の心配をおかけしてしまいました。申し訳ありません」
 「そんな……。頼久さんの落ち度なんかじゃありません。あれは、私をかばって……」
 「違うのです、神子殿」
 頼久の口調が、ますます苦しげなものに変わる。
 「……頼久さん?」
 「あの時、普段の私ならば、あれくらいの攻撃はかわせたのです。このように怪我を負うことも、ましてや神子殿に心配をおかけすることもなかった」
 「普段なら、って……。どこか、具合でも悪かったんですか?」
 「いいえ……」
 それだけ呟くように言って、頼久は口を閉じてしまった。あかねが重ねて聞く。
 「じゃあ、どうして?」
 「それは……」
 「……あ、いえ、言いたくないんだったら……」
 「いえ。神子殿に心配をかけてしまっている以上、お話ししなければならないでしょう」
 頼久が居住まいを正す。
 「あの時、私が敵の攻撃をかわしきれなかったのは、他に気をとられ、集中力を欠いていたからです」
 「集中力……ですか?」
 「はい。……この間の物忌みの日、あなたは私にお聞きになりましたね。八葉としての務めを終えたら、どうするのかと」
 「ええ。お父さんの後を継ぐって言ってましたよね」
 「はい。それが当たり前の事だと思っていました。……ですが、私は大事なことを忘れていました。私が八葉としての務めを終えるときは、同時に、あなたが神子としての務めを終える時なのだという事を」
 頼久が、膝の上にのせていた手をぎゅっと握りしめた。
 「務めを果たせば、あなたは元いた世界へ戻られる。あの後、その事に気付き……、私はどうすればよいのか分からなくなりました。
 今の私は、あなたという主を戴き、あなたのために力を尽くすことができる。その事に、私はとても満足しています。けれど……、あなたが帰られてしまったら、私の前からいなくなってしまったら……、その後、どうすればよいのか……」
 「頼久さん……」
 頼久の言葉を聞いているうちに、あかねの胸はどきどきと高鳴ってきた。くいいるように彼を見つめるあかねの視線に気付くと、頼久は、恥じ入ったように顔を伏せた。
 「情けないことを言いました。初めから、あなたがいつか元の世界へ戻られるという事は分かっていたはずなのに……。その事を思うと、心が乱れて仕方ないのです」
 あかねは、切ないものが喉元にこみあげてくるのを感じた。
 同じ……風に思ってた? 頼久さんも、私と離れたくないって、そう思ってくれてたの? 臣下として…じゃなくて。
 切なさと嬉しさに、あかねの胸がぎゅっと締めつけられる。何か言いたいのに言葉が出なくて、あかねは代わりに頼久の手の上に、自分のそれを重ねた。
 頼久が驚いたように顔を上げる。
 「神子殿?」
 「頼久さん……、私……」
 そのまま、ぽすんと頼久の肩に顔を埋める。
 「……私、嬉しいです」
 ようやくそれだけを言って、あかねは頼久に頭を預けたまま、目を閉じた。
 戸惑ったのは、頼久のほうである。
 ごく近くにあかねの顔がある。それだけでも平常心が揺らぐというのに、加えて、今の彼女の言葉。
 「神子殿、嬉しいとはどういう……?」
 そう尋ねると、あかねはゆっくりと身を起こした。
 「だから、頼久さんが私と同じ気持ちだって分かったから。だから、嬉しいって言ったんです。私、確かに元の世界に帰りたくて、今まで頑張ってきました。でも、そしたら、もう頼久さんには会えないのかなって……、そんなの嫌だって……。頼久さんのこと、好きだから」
 「…………!」
 頼久の頬に、さっと朱が走る。
 「私……、頼久さんが好きです。神子じゃなくなっても、その後も、ずっと頼久さんと一緒にいたい。そんな事ができるのかどうか分からないけど……、私は、そう思ってるんです」
 「……私は、戦う事しか知らない男です。それでも、側にいてくださると言うのですか? ……私などをまことに……」
 「頼久さんだから、いいんですよ。私、今まで、頼久さんがきっと守ってくれるって信じてたから、戦えたんですよ?」
 「ありがとうございます。そのように言っていただけるとは……」
 頼久は、晴れやかな微笑みを浮かべながら言った。
 叶うはずないと思っていた想い。このような事がなければ、口にするつもりもなかった願い。それが、突然、出口を得たのだ。
 「お礼なんて……。私は、自分の気持ちを口にしただけです」
 「……神子殿」

 お互いに見つめ合っていると、油がきれかかったのか、紙燭の炎が激しく揺れた。
 頼久が、はっとした顔になる。
 「……油が少なくなったようですね」
 「あ、ほんとだ。明日、足しておいてもらおっと」
 「ええ。……あ、あの、それでは、神子殿。もう夜もかなり更けて参りましたので、私はこれで失礼させていただきます」
 我に返って、急に落ち着かなくなった頼久が、退出の意を示す。
 「えっ? 行っちゃうんですか?」
 「はい。そろそろ、神子殿もお休みになられたほうがよろしいですし」
 「でも……。もう少しだけ、一緒にいてくれませんか?」
 あかねが、既に立ち上がりかけている頼久の着物をつかんで、引き止める。
 まだ、離れたくなかった。想いが一緒だと、やっと分かったのに。今は、一分でも一秒でも長く、彼といたい。
 「ですが……」
 「どうせ、まだ眠れそうにないですし。お願いします、頼久さん」
 「ですが、あの……。あまり遅くまで、未婚の女性の部屋にいるのは、良くありませんし……」
 はい?
 思いがけない頼久の言葉に、あかねは一瞬ぽかんとする。だが、すぐにその意味を理解した。
 この時代は、夜、男が女のもとへ通うと、結婚したものとみなされる。遅くまで部屋にいて、誤解されてはいけないと思っているのだろう。
 でも……。
 「……夫婦だったら、一緒にいても構わないんですよね」
 「え?」
 「だったら、妻にしてください」
 決意をこめた口調で、あかねは告げた。
 「今夜、私を頼久さんの妻にしてください」
 「なっ…、何を……っ!」
 頼久の顔が、先ほどよりも、数倍赤くなる。
 「何を言われるのですっ。どういう意味か、お分かりに――――」
 「分かってます!」
 うろたえる頼久の言葉を遮るように、あかねが叫ぶ。
 「……分かってます、けど。今夜は、ずっと頼久さんと一緒にいたいんです。ううん、今夜だけじゃなくて、明日もあさっても……、ダメですか?」
 懇願するような眼差しで、じっと頼久を見つめる。
 「神子……殿……」
 頼久の心臓が、早鐘を打つ。何よりも愛しいと、誰よりも守りたいと思っている少女に、そう言われたのだ。鎮めなければと思う側から、鼓動の速度は上がっていく。
 「頼久さん……」
 しばらくして、あかねが、そっと目を閉じた。その仕草に誘い込まれるように、頼久は、彼女の口唇に自分の口唇を重ね合わせた。
 触れ合った部分から、彼女の体温が伝わってくる。それにあおられるように、頼久はあかねを強く抱きしめた。
 思っていたよりも華奢な身体つきに、一瞬、触れてはいけないものに触れた気がした。だが、溢れ出した心は、もう止まらなかった。
 「神子殿……」
 呟きとともに、口唇を彼女の額や頬にも落とす。そして、彼女の背と膝の下に両手を差し入れ、抱き上げると、寝室へと入っていった。

 


長くなってきたんで、分けました(^^;。

 

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