わたしの黒騎士様

エピソード5

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 【1】

 あれは、わたしとレオンが出会って半年後のことだ。
 屋敷を抜け出して広場に行き、みんなと遊んで剣の稽古をして、日が暮れる頃に帰っていった。
 こっそり裏口から屋敷に入って部屋に戻り、本を開いて読んでいたフリをしていると、珍しく誰かがやってきた。コンコンと遠慮がちにドアがノックされる。
 今まで家庭教師達は朝に課題を出した後は、わたしの様子を見ることなく帰宅していたのに、どうした気まぐれだろう。

「はい」

 在室の意味で返事をすると、ドアが開いた。
 入ってきたのは教師ではなく、お母様だった。
 深刻そうな顔をして、お母様は部屋に入ってきた。

「キャロライン。あなた、今までどこに行っていたの?」

 母がわたしを愛称のキャロルではなくキャロラインと呼ぶのは、真面目な話をする時だけだ。
 屋敷を抜け出していたことを母に知られたことがわかり、身を硬くして俯いた。

「お父様は怒っていらっしゃるわ。先生方は今日付けで解雇されてしまった。あなた、毎日屋敷を抜け出して、街に遊びに行っているそうね?」

 お母様は怒っているわけではなかった。
 悲しそうな目をして、わたしの瞳を覗き込んでくる。
 無意識に膝の上で手を握った。
 また失望させてしまった。
 不出来な上に不真面目な、どうしようもない娘だと、お母様は思ったかもしれない。

「とにかくいらっしゃい。お父様は、街の子供達があなたを唆したのだと怒っておられてね。広場を閉鎖するとまで言い出されたのよ」

 びっくりして立ち上がった。
 広場を閉鎖?
 街の人達がたくさん集まって交流しているあの場所を潰すの?

「だめよ、だめ! みんなは関係ない! わたしが勝手に通っていただけなのに!」
「キャロライン!」

 急に大声を出したわたしに、お母様が驚いて声を上げた。
 わたしは母を押しのけて廊下に走り出た。
 父の書斎を目指して、長い廊下を駆け抜けた。

「お父様!」

 書斎の扉を開けると、お父様はいた。
 机に書類を積んで仕事をしているところだった。

「キャロライン、無作法だぞ。作法の修練をさぼって遊んでばかりおるから、いつまで経っても淑女に相応しい物腰が身につかんのだ」

 お父様は不機嫌さを隠そうともせずに、わたしを厳しい目で見据えた。
 その視線の冷たさに震えが走り、一歩後ろに下がった。
 父は椅子から立ち上がり、わたしの前まで歩いてきた。
 見下ろされると、威圧感でさらに恐怖が増し、身が竦んだ。

「お前を唆したのは剣の練習をしている子供達だそうだな。子供ゆえに鞭で打つぐらいで済ませておくが、親にはもっと厳しい罰を与えねば。我が領地から一家揃って追い出すことも考えている。広場も閉鎖するつもりだ。まったく恩を仇で返すようなマネをしおって、これでヤツらも少しは懲りるだろう」

 父の口から出たひどい言葉に目の前が真っ暗になった。
 わたしに笑いかけ、親切にしてくれた街の人達になんてことをするんだろう。
 気がつけば、お父様に向かって怒鳴り声を上げていた。

「お父様に何がわかるの! 街の人達は悪くない! みんなはわたしのわがままを聞いてくれただけよ! 屋敷を抜け出して遊びに行ったのは自分の意思なの、罰を与えられるべきなのはわたしだけのはずだわ! それにわたし達が豊かな暮らしができるのは、領民が働いて税を納めてくれるからでしょう? 上に立つ者は、下にいる者に感謝の気持ちを忘れてはいけない、そう言ったのはお父様じゃない! それなのに、みんなの憩いの場所を取り上げるの? 領民の笑顔を消しても平気なの!?」

 叫び終え、父を睨んだ。
 たとえお父様であろうとも、わたしの大切な人達に手を出すというのなら許さない。
 何もできない無力な子供であるはずのわたしだが、この時だけは、父と対等に渡り合うつもりで向かい合っていた。

 初めて反旗を翻したわたしに、お父様はあ然としていた。
 声を出すことも忘れ、わたしを見つめている。

 長い沈黙が続き、冷静になってくると青くなった。
 父が本気になれば、わたしの意志など関係ない。
 ここは低姿勢で怒りを解こうとするべきだったかもしれない。

「あ、あの、お父様……」

 手遅れかもしれないが、顔色を窺いつつ声をかける。
 お父様はハッとして、バツが悪そうに咳払いをすると、わたしから目を逸らした。

「あ、ああ、その……、私も熱くなり過ぎた。お前の言う通りだ、街の者への処罰はやめておこう。お前がそこまで言うのだから、子供達にも悪気はなかったのだな」

 急に態度を変えた父を、不思議に思って首を傾げる。
 だが、再びわたしの方を向いたお父様は、険しい表情をしていた。

「だがな、お前が課題を放り出して屋敷を抜け出していたことは許されるべきことではない。それはわかるな?」
「はい……」

 項垂れて返事をすると、お父様はわたしの肩に手を置いた。

「とは言っても、お前ばかりを責めるわけにもいくまい。家庭教師達にも問題があったのだ。あの給料泥棒どもめ、いい加減な報告ばかりしおって!」

 お父様は教師達を罵り、しゃがみこんでわたしと目線を合わせた。
 掴んだ肩を引き寄せて、こんこんと諭す口調で話し続ける。

「明日からは、きちんとした教師がくる。真面目に課題をこなして、我が家を継ぐに相応しい器量と知識を身につけるんだ。お前は長女だ、そのことを自覚してくれ。剣の稽古などするより、学ばねばならないことはたくさんある」

 返事ができなかった。
 ここで頷けば、もう広場にはいけない。
 レオン達に会えなくなる。
 また、あの孤独を味わうことになってしまう。

「嫌です」

 わたしの返事に、父は眉をひそめた。
 言葉が返ってくる前に、口を動かして訴えた。

「広場はわたしにとっても憩いの場です。それにたくさんの人と交流して、領民達の生活や、彼らの持つ温かさを知りました。お言いつけに従い、与えられる課題はきちんとこなします。無理は言いません、夕方のほんの少しの時間だけ、広場に行くことを許してください」

 頭を下げて、夢中でお願いした。
 父は黙って聞いてたが、やがて肩から手を離し、わたしの頭を撫でた。

「考えてみれば、お前に何かをねだられるのは久しぶりだな。よかろう、一日の課題を終えたら、日が暮れるまでは自由にしていい。剣の稽古も型を覚える程度ならしても良い。ただし、ケガのないようにな」

 許可を得て、嬉しくなった。
 思わず飛びつき、首にしがみついて抱きつく。

「お父様、ありがとう!」

 その時の父がどんな顔をしていたのかはわからない。
 広場にいけることが嬉しくて、舞い上がっていたのだから。

 上機嫌で部屋に戻ると、シェリーがやってきた。
 シェリーは不安そうな顔をして、お父様と何を話していたのかと問いかけてきた。
 わたしは父とのやりとりを話し、レオン達のことも打ち明けた。今まで内緒にしていたことが多すぎたせいか、シェリーは表情を暗くして俯いた。

「キャロルはわたしより街の子供達の方が好きなの?」

 目に涙を浮かべてシェリーは言った。
 わたしは驚いて、彼女を抱きしめた。

「そんなことないよ、わたしはシェリーが大好き。誰とも比べたりなんかしない。シェリーはわたしのたった一人の妹よ」
「キャロル、本当に? わたしを嫌っているわけじゃないのね?」

 シェリーはわたしに抱きついて、何度もその問いを繰り返した。
 すがりついてくる彼女が愛おしかった。
 シェリーを妬む醜い心を恥ずかしく思う。

「心配させてごめんね、シェリー。世界で一番あなたが好きだよ」
「わたしもよ、キャロル。愛しているわ」

 シェリーに伝えた言葉は本心から出たものだ。
 誰からも愛される天使のような女の子。
 一緒にこの世に生まれたことを呪ったこともあったけど、それでもやっぱりわたしはシェリーが好きだった。




 翌日から、新しい教師達がやってきた。
 彼らはお父様から厳しく言われていたのか、きちんと授業を行い、わたしも真面目に頑張った。
 その後すぐに、レオンは騎士団に入るために街を出てしまったけど、わたしは広場に通うことをやめなかった。

 淑女として身につけるべき礼儀作法の修練も、領主の跡継ぎとしての勉強も、それなりに順調に進んでいた。適度な注意と褒め言葉をもらい、無難に課題をこなしていく。
 だけど、いくら合格点をもらっても心が納得することはなかった。
 わたしの基準と目標はシェリーだ。
 彼女と比べては密かに落ち込み、どう足掻いても、追いつくことなどできないのだと諦めの気持ちを強くした。その度に思うのは、わたしを認めてくれたレオンのこと。彼を追って騎士団に入りたいという願望は、日増しに強くなっていった。

 一日の課題が終わると、広場に向かう。
 広場に着くと、レオンが残してくれた約束を信じて、騎士を目指して剣の稽古や体力作りに勤しんだ。
 騎士団に入るつもりであることは、誰にも言わなかった。
 言えば、止められるのがわかっていたからだ。
 しかし、十五になっても剣の稽古を熱心に続けるわたしに、父は何か勘付いたのだろう。王都への旅の資金にと用意していたわたしの貯蓄は、全て父の管理下に置かれた。だが、それは想定済み。まだわたしにはお金を作る手段が残されていた。




 ある夜、旅支度を終えたわたしは、自室の窓を開けた。
 ロープを下ろし、窓枠から身を乗り出す。

「キャロル!」

 シェリーが、わたしを呼び止めた。
 部屋の中を振り返ると、開いたドアの向こうにシェリーが立っていて、真っ青な顔色をしてこちらを見ていた。

「何をしているの? 行ってはだめよ、この家にはあなたが必要なのよ!」
「この家にはシェリーがいるから大丈夫。誤解しないで、あなたのこともお父様やお母様のことも愛している。でも、わたしの居場所はここじゃない」

 彼女の返事を聞かないまま、ロープを伝って地面に下り、闇夜の中へと駆け出した。




 旅に必要な物は、あらかじめ揃えてレオンの家に預けておいたので、それを受け取りに立ち寄る。
 旅支度をして訪ねて来たわたしを、おばさんは心配顔で出迎えた。

「本当に行くんですね。少ないけどこれを受け取ってください。王都行きの馬車に乗れるだけのお金です。馬車に乗れば、道中の危険も少なくなります。くれぐれもお気をつけて。王都は人が多い分、性質の悪い人間も大勢居ます。悪い輩に騙されないように注意するんですよ」

 お金が詰まった皮袋を渡された。
 親身になって忠告をくれるおばさんに、わたしは抱きついた。
 レオンがいなくなってからも、服を借りにくるわたしを嫌がりもせずに迎えてくれた。
 たくさんお世話になった。
 その上、こんなにまで良くしてもらって涙が出そうなほど嬉しかった。

「ありがとう、おばさん。このご恩は忘れません。いつか必ず、お返しにきます」
「もう、水臭い。私はね、レオンがあなたを家に連れてきた時から決めてましたよ。何があっても味方でいてあげようってね。何年の付き合いですか、あなたはもう私の娘みたいなものですよ」

 おばさんはお弁当と飲み水の入った水筒、それと入団が決まるまでお世話になる家への紹介状を持たせてくれた。
 そこはおばさんの親戚が王都で経営している宿屋で、仕事のお手伝いをする代わりに、試験から入団式の日まで生活の面倒をみてくれるということだった。

「うちのバカ息子に会ったら、一度家に帰ってこいって言ってやってくださいよ。家業を継がずに外に出るなら、一人前になるまで帰ってくるなと言っておいたら、本当に帰郷どころか、手紙一つ寄越さないんだから。誰に似たのか、融通の利かない子でねぇ」

 おばさんは笑ってレオンへの伝言をわたしに託した。
 街を出てからのレオンの消息は、王都にいる親戚からの手紙と、風の便りに聞こえてくる噂だけが頼り。
 騎士団で最高階級の称号である一級騎士に昇進し、数々の御前試合で強敵と渡り合い、無敗を誇っていると活躍だけしかわからない。
 華やかな王都での生活に慣れ、故郷のことなど忘れてしまったのだろうか。
 変わってしまったかもしれない彼のことを思い、一抹の不安を覚えながらも、わたしは旅に出た。




 朝日が昇る前に隣の領地に入り、王都行きの馬車に乗った。
 旅人を乗せる辻馬車の客車は広く、二人掛けの席が中央の通路を挟んで複数並ぶ大きなものだ。
 隙を見せないように、荷物を膝にしっかり抱え込み、席に座った。

 五日ほどの旅路で王都に着き、人の多さと喧騒にびっくりした。
 王都は四方を高い城壁で囲まれた城塞都市だ。
 都市の中心部に王の居城を始め、施政を担う建物が集中しており、通りごとに同じ系統の建物が配置され、整然と区画整理がされていた。

 まず、髪を売りに店に入った。
 手入れを怠らなかった長い金の髪は高値で売れたので、予定通り、入団試験の費用に当てることができた。
 その後は、紹介状の地図を頼りに宿屋を訪ねた。
 ここでレオンに会えるかもしれないと期待を膨らませたけど、仕事が忙しくて数ヶ月に一度ぐらいしか来ないらしい。最近来たばかりなので、当分はこないだろうということだった。

 入団試験が終わり、合格通知が来てから、入団式の日まで二週間近くの猶予があった。
 レオンは合格が決まってから一度帰ってきてたけど、わたしは家出同然に飛び出してきたから帰れない。
 宿屋で入団式の日が来るまで日を過ごしたが、お世話になっている間に、レオンが訪ねてくることはなかった。




 そして、現在。
 わたしは黒騎士団の従騎士となり、レオンの傍で生活している。
 レオンと恋人同士になったことは、故郷のおばさんにも手紙で知らせた。もちろん半分はレオンにも書かせた。筆不精だった彼は、母の言葉をこれ幸いに、面倒臭がって手紙を書かなかったそうだ。
 おばさんからはすぐに返事が来た。
 わたしには励ましと気遣いを含んだ優しい言葉を綴り、レオンには不義理を詰る辛辣な文面。
 相変わらずだと、手紙を読んだレオンは苦笑いをしていた。

 おばさんとわたしは、その後も定期的に文通をしていた。
 こちらの様子を伝えるついでに、わたしも実家の様子を教えてくれるように頼んでいたのだ。
 様子と言っても、おばさんが知ることができるのは街で聞こえてくる噂程度だが、領地を視察する父の姿を見かけた、街の行事に母が顔を出したなど、些細なことだが書かれていた。
 だが、最近になって具合が悪いのか、お父様が公の場に出てこなくなったと最後の手紙には記されていた。

 その手紙と一緒に着いたのは、シェリーからの手紙と、初めて届いたお母様からの手紙だった。
 不吉な予感に襲われながら、母からの手紙の封を切る。
 文面は簡潔だった。
 前置きの挨拶文もそこそこに、父が病に倒れて臥せっている。至急、帰郷するようにと慌ただしい筆跡で書かれていた。
 そして、誰も怒ってはいないから、お願いだから一度戻って来て欲しいと母の言葉が添えられていた。
 わたしはこの手紙に違和感を抱いた。
 母は礼儀をわきまえた知的な女性だ。
 いくら家を飛び出した娘に対してであろうとも、こんな簡略化した手紙を書くとは思えない。
 まるで、何通も返事のこない手紙を書いてきたようではないだろうか?
 父の容態も気になるが、わたしは無性にそのことが気にかかった。
 最後にシェリーの手紙を読んだ。
 文面は母の手紙の補足であり、非常時の心細さを訴え、わたしの帰郷を願うものだ。
 どうするべきだろう。
 わたしは三通の手紙をレオンに見せて相談した。

 手紙を読んだレオンはすぐに帰郷しようと言った。

「この手紙だけでは容態がわからない。往復だけでも十日はかかる。かなりの長期休暇を取ることになるが、この手紙を見せれば許可は出るだろう。オレも一緒に行く」

 どうしてレオンまで来るの?
 きょとんとしているわたしに、レオンは笑いかけた。

「危篤ではないと思うが、良い機会だ。将来のことを考えるなら、そろそろ家族への挨拶が必要だろう? それに、オレも実家に顔を出さないといけないようだしな」

 将来のこと、家族への挨拶。
 ぽぉっと頬が熱くなった。
 真面目に考えてくれてたんだ。
 身と心を繋げて愛し合うだけで満足していたけど、当然その先がある。
 家庭を持って子供を持つことに憧れも持っている。
 レオンと作る新婚家庭を想像して、真っ赤になった。

「あ、あの……、本当に挨拶するの? お付き合いしてますって言うの?」
「当然それも言うが、この場合はお嬢様をくださいか? 故郷に帰れば、オレは一領民だが、心配はいらない。身分については、陛下からお前の家柄に吊り合うほどの爵位をいただいているからな」

 一級騎士になれば、まず男爵の位が授与される。
 そして活躍に応じて陛下より褒美としてさらに上の爵位が与えられることもある。レオンは諸外国の勇士との御前試合で何度も勝利し、伯爵の位まで授かっていた。我が家も伯爵家であり、彼の言う通り、身分で反対されることはない。他に反対される要素といえば財力だろうが、これも問題ない。彼は幾多の活躍で陛下より莫大な恩賞を賜わり、大金持ちだ。退団しても、爵位に相応しい領地を与えられるはず。
 後は家族が、彼の人柄を気に入ってくれるかどうかだけだ。

「うん、とにかくお父様の容態を見てからにしよう。大事な話だし、ゆっくり聞いてもらいたいからね」
「そうだな。焦る必要はない、反対されても根気よく説得しよう」

 団長が留守だったので、わたし達はグレン様に手紙を見せて、長期休暇の届を出した。
 身内の危篤かもしれないことと、レオンは今まで一度も里帰りをしていなかったこともあり、無事に二人一緒に休暇がとれた。

「こちらのことは気にしなくていい、気をつけて行ってくるんだよ。できれば、お土産を期待して待っている」

 休暇届を受理して、グレン様は快く送り出してくれた。
 その日の内に旅支度をして、翌日の早朝にわたしとレオンは故郷に向けて旅立った。

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