わたしの黒騎士様

エピソード5・シェリー編

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 【1】

 物心がついた時、わたしの傍にいたのは、かわいい天使だった。
 キャロラインという名の、わたしの双子の姉だ。

 双子といっても、姿は似ていない。
 わたしは母似で色の白い面長の顔をしており、キャロライン――キャロルは父に似た顔立ちで、血色のいい赤みの差した肌に、柔らかい頬が特徴の可愛らしい子だった。
 丸くて温かい光を宿した青い瞳にわたしを映し、いつも笑いかけてくれていた。
 それだけで幸せな気持ちになれる。
 笑顔が絶えなかった幼い日々。
 その幸福は、いつの間にか湧いて出てきたくだらない存在によって、徐々に奪われていった。

「まあ、なんて愛らしい。こんな美しいお子様には初めてお会いしましたわ」

 見知らぬ大人がわたしを見て微笑んだ。
 無知なわたしは微笑み返した。
 好意的な感情が素直に嬉しかったのだ。

「すごいですな。このお年で、ここまで覚えが早いなんて、感服しましたぞ」

 父の連れてきた壮年の男が目を丸くして驚嘆した。
 教えられたことは、すぐに理解でき、一度でできた。
 数を読み、言葉を紡ぎ、文字を書く。
 絵を描いてもお辞儀をしても、動く度に心地のいい賛辞の声に包まれた。

 確かに気持ちは良かったけど、別になくても困らない。
 わたしの好きなものは、一つしかない。
 いつも傍らに居て微笑みかけてくれる、可愛い半身がいれば満足だった。

 ある日、隣にいたはずの気配がなくなったことに気がついた。
 キャロルがどこにもいない。
 うるさく喋る大人達を適当にあしらって捜しに走る。
 キャロルは一人で子供部屋にいた。
 黙って積み木を組んで遊んでいる。

「キャロル」

 声をかけたら振り向いてくれたけど、表情は暗くて不安になった。

「お客様はもう帰られたの?」
「え? うん……」

 キャロルの問いに頷いた。
 彼女は視線を積み木に戻した後、再びこちらを向き、笑顔で手招きしてわたしを呼んだ。

「おいで、シェリー。一緒に遊ぼう」
「うん!」

 わたしはできるだけキャロルの傍にいた。
 興味のないことでも、キャロルと一緒だと、どんな些細なことだって楽しかった。

 そして、そのうち気づき始めた。
 客の大人がやってきて、わたしに話しかけ始めると、いつの間にかキャロルがいなくなることに。
 嬉しかった褒め言葉も、次第に煩わしいものに変わっていく。
 そんなものいらない。
 大切なキャロルとの時間を邪魔されることに苛立った。

 だけど、表面的には愛想良く振る舞う。
 わたしは自分で言うのもなんだが、聡くて打算的な子供だ。
 何をすれば、自分のどんな行いが、後で有利に働くのか心得ている。
 大人に悪い印象を与えても、何の得にもならないから、わたしは笑顔の仮面をつけることを覚えた。




 家庭教師が雇われて、本格的な教育が始まると、わたしとキャロルの差は明らかな形で現れた。

「キャロライン様、そこは違いますよ。シェリー様を見習ってください」

 キャロルが注意を受けるたびに、わたしが引き合いに出される。
 キャロルは従順に頷いてやり直すのに、教師はなかなか認めない。
 その度に、わたしの心に教師への嫌悪の感情が積み重なっていく。

 お辞儀の角度なんて、少しぐらい深くても浅くても誰も気づかない。
 計算ごとき、間違えたら何度でもやり直して正解を導けばいい。
 過去に起きた世界中の歴史や偉人のことなんて、全部覚えている人なんているわけない。
 キャロルは頑張っているのに、大人達は努力を見ずに結果ばかり求める。
 無力なわたしは、傍で見ていることしかできなかった。

 同じペースで課題がこなせないからと、わたしとキャロルは別々に教育を受けることになった。
 不満だったけど、キャロルも頑張っているからと諭されて納得した。

 日が経つにつれて、キャロルの顔から笑顔が消えていく。
 わたしは必死に励ました。
 夜に彼女を誘って特訓もした。
 だけど、両親も教師達も、キャロルにわたし以上の完璧さを要求したのだ。
 家を継ぐ長女だから、妥協は許されない。
 彼らの言い分はこうだった。
 そんな大人の都合なんて知らない。
 キャロルを苦しめる存在への憎悪を育てながら、それでもわたしは黙って従っていた。




 やがて迎えた社交界デビューの日。
 わたしの隣にキャロルはいなかった。
 作法の修得が十分ではないからと、彼女は家でお留守番。
 両親の後ろで愛想笑いをしつつも、心の中ではつまらなくてふて腐れていた。

 会場を見渡すと、わたしと同じぐらいの年の子が大勢いた。
 ずっと小さい子だっている。
 立食形式のテーブルにしがみついて、大きな口を開けてお菓子にかぶりついている子や、大声でジュースをねだって親を困らせている子までいる。
 礼儀作法なんて別次元の話だ。
 キャロルならお菓子一つ食べるにしても、淑やかにおいしそうに食べられる。

 ダンスを踊っている少女もいるけど、さっきからパートナーの足を踏みまくっている。
 ケンカになるのも時間の問題かもね。
 あっちの数人で固まっている子達は、お目当ての男の子に色目を使って押し合いへし合い。
 飢えた空気がひしひしと感じられてみっともない。
 この場にいる同年代の少女達の立ち居振る舞いをざっと見てみたけど、どこにキャロルより勝る女の子がいるって言うの。
 可愛いわたしのキャロルがこの場にいれば、あんな連中、霞んで見える。
 お父様はどうしてキャロルを認めてあげないんだろう。
 わたしのことなんかどうでもいい。
 キャロルが輝いていれば、わたしは幸せになれるのに。




 久しぶりにキャロルの笑顔を見ることができた。
 夕食後のひととき、わたしが部屋に誘うと、キャロルは喜んでついてきた。
 紅茶を入れて、刺繍をしながら他愛のない会話を楽しむ。

「キャロル、お勉強は順調?」

 わたしが問うと、キャロルは「それなりに」と濁して微笑んだ。

「前みたいに一緒に勉強したいわ。一人で黙々と課題をこなすなんてつまらない」
「ごめんね、シェリー。わたしはだめなの、追いつけない」

 諦めきった声で呟くと、キャロルはにっこり笑った。

「でもね、もういいの。わたしは自分のできることを頑張るんだ。だから、シェリーも頑張って」

 意味がわからなかったけど、元気になってくれたんだと安堵した。
 キャロルの身に何が起こっていたのか、わたしはまだ知らなかった。




 珍しく、作法を教えている家庭教師が急な私用で休んだ。
 空いた時間ができたので、キャロルの様子を見に行くことにする。
 今頃は数学の勉強をしているはずだ。
 少しなら教えてあげられるかもしれない。

 勉強部屋を覗くと、キャロルがいない。
 教師の姿もなかった。
 どこに行ったのかと不思議に思って、屋敷の中を捜し歩いた。

 数学の教師は別室にいて、語学を教えている同僚とおしゃべりをしていた。
 この二人は若い男女で、何やら色事で盛り上がっているらしいとは気づいていた
 そんなこと、わたしにはどうでもいいことだが。

 ドアの影からこっそり覗いて聞き耳を立てた。
 耳障りな女の甲高い声が聞こえてくる。

「あのお嬢様、今日もお出かけ? まあ、その分こっちは楽ができるけどね。元々覚えの悪い子だったし、報告も適当にしておけば問題ないわ」
「シェリー様は優秀で助かるしな。実際、あの子に教えることなんて何もない、課題を作って置いておけば勝手に覚えてくれる。給料は申し分ないし、お互い良い仕事を見つけたな」

 たったそれだけのやりとりで、わたしには全てがわかった。
 全員で口裏を合わせて手を抜いていたわけね。

 その場を離れて部屋に戻った。
 すぐにお父様に言いつけに行こうと考えたが、思い直した。

 キャロルはどこに行ったんだろう?
 毎日、外で何をしているの?

 気になったので様子を見ることにした。
 使用人の若い男に事情を話して、翌日キャロルが外出したら尾行するように頼んだ。

 男は言いつけ通りにキャロルを尾行し、夕方になってから報告にやってきた。
 キャロルは広場で少年達に混ざって剣の稽古をしていたそうだ。
 その知らせを聞いて、天地がひっくりかえるほどの衝撃を受けた。

「でも、ですね。なんていうか、いい顔をなさっておいででね。キャロライン様は楽しそうでしたよ。お嬢様があれほど屈託なく笑っておられるのを見たのは初めてですよ」

 男は穏やかな顔で言った。
 そっとしておくようにとでも言いたげにわたしを見つめ、頭を下げて持ち場に戻っていった。




 さらに翌日、わたしは仮病を使い、部屋で休んでいた。
 キャロルが出かけた頃合を見計らって、わたしも屋敷を抜け出して追いかけていく。
 街の風景に溶け込めるように、白いワンピースを着て、鍔の広い帽子を被って顔を隠す。
 これなら、一目でわたしがシェリーだとバレることはないだろう。

 出かける前にお父様の部屋に行き、家庭教師達の怠慢ぶりを報告しておいた。
 お父様はとても怒っていたから、帰ってくる頃には全員解雇されているはずだ。
 キャロルの行き先は、昨日の報告でわかっている。
 彼女は広場に行く前に、一軒の民家に立ち寄っていたそうだ。
 靴屋の看板が上がっている、古い家だ。

 物陰から靴屋の様子を窺っていると、中から男の子が出てきた。
 年は十五、六ぐらいで、わたしよりずっと年上だ。
 愛想は悪く、黙っている顔は怖い感じ。
 木刀を腰に下げて、見るからに野蛮な荒事を好みそうなタイプだ。
 キャロルはこの家に入っていった。
 もしや、この男に脅されて、無理やり何かをやらされているのではないか?
 だとしたら、許さない。

 しばらくして家の戸が再び開き、キャロルが出てきた。

「レオン、支度できたよ」

 男に声をかけているキャロルの装いはすっかり変わっていた。
 朝着ていたはずのドレスが男物の服に変わり、綺麗な髪は頭の天辺で結われていた。
 勇ましく、それでいて気品を失っていないのは、キャロルの素の魅力のなせるわざ。
 わたしのキャロルは、どんな格好をしていても、激しくかわいいわ。
 うっとりとキャロルの凛々しい男装に見入った。

「おばさん、ありがとう!」

 家の中から出てきた中年の女性に、キャロルがお礼を言っている。
 あの服はこの家で借りたようだ。
 女性がキャロルに微笑みかけた。

「どういたしまして。気をつけて、行ってきてくださいな。レオン、あんたがお勧めしたんだから、お嬢様がお怪我をなさらないように、責任持ってしっかりお守りするんだよ!」

 彼女の口ぶりだと、やはりこの男がキャロルを唆しているに違いない。
 剣の稽古ですって?
 なんて野蛮で危ないことを、キャロルにやらせているの。

 腹を立てながら、歩き出した二人の後を追う。
 次の瞬間、信じられない光景を目にした。

 キャロルの手を男が握りしめたのだ。
 誰に断って、わたしのキャロルの愛らしい手に触れているの!
 このロリコン男め!

 今すぐ飛び出していって、あの男の頬を叩き、キャロルを奪い返したい衝動にかられたが、それはまずい。
 わたしの仮面を今ここで脱ぐわけにはいかない。
 ギリギリ歯を鳴らして耐え忍び、こそこそ後をついていく。

 キャロルは時々隣を歩く男を見上げ、花が咲いたようなかわいい笑顔を向けていた。
 どうしてそんなに楽しそうなの?
 悲しくなって胸が痛くなる。
 それと同時に男への憎悪も強く燃え盛った。

 二人が広場にたどり着くと、子供達が呼びかけてくる。
 キャロルを愛称で当たり前のように呼び、キャロルもそれに応えて駆け寄っていく。
 泣きたくなった。
 一人ぼっちにされてしまったような孤独に襲われ、立ち竦む。
 その時、男がこちらに気づいた。
 目があった途端、わたしは広場から駆け出した。
 泣き顔なんて見せるものか。

 走っていると、足音が追いかけてくる。
 なぜか、男はわたしを追いかけてきた。
 やみくもに走るうち、路地の行き止まりに出くわす。
 仕方なく立ち止まり、息を切らせて振り返ると、同じく息を切らせたあの男がそこにいた。

 わたしは男を睨みつけ、帽子を取った。
 それで、わたしが誰なのかわかったようだ。
 男は忙しく口を動かした。

「キャロルを迎えに来たのか? それならもう少し待ってくれ。日が暮れるまでには必ず帰らせる」

 わたしが黙っていると、男はさらにまくし立ててきた。

「さっきのキャロルを見ただろう? ここに来るまで、笑うことも忘れていたんだ。あいつにはオレ達が必要なんだ」

 必要?
 キャロルの笑顔は、彼らによって引き出されたもの。
 じゃあ、わたしの存在は、キャロルにとって必要ではないとでも言うの?
 そんなはずない。
 昔はわたしを見て、笑いかけてくれたもの。
 邪魔をしたのは誰?
 わたしから、キャロルの笑顔を奪ったのは誰よ。

「……どうしてなの?」

 問いかけは、目の前の男に対してではない。
 過去に、わたしとキャロルの間に割り込んできた人間全てに対するものだ。

「どうして、みんな邪魔をするの。わたし達のこと、放っておいてくれればいいのに。わたしはこんなこと望んでなかった。みんな嫌い、こんな街、消えてしまえばいいんだわ!」

 誰も彼もがわたしとキャロルを引き離す。
 どうして放っておいてくれないの?
 キャロル以外の全ての人間が憎い。
 わたし達だけを残して、みんな消えてしまえばいいのに。

 怒りと嫉妬を言葉に代えて吐き出し、喚き散らした。
 本性を出すこともためらわなかった。

 そうよ、消してしまえばいい。
 わたしがほんのちょっと口を動かせば、あの家庭教師達のように、目の前の忌々しい男も消すことができる。

「あの人達もいなくなった。あなた達もよ。わたしとキャロルを引き離すものは全部消すの!」

 叫んで、男の脇をすり抜けた。
 追ってはこない。

 走って屋敷まで戻り、すぐにお父様のところに行った。
 キャロルは悪くない。悪いのは、広場にいた子供達だと吹き込むために。

「お父様、キャロルは街の子供達に誘われたみたいなの。剣の稽古なんて危ないことをして、いつかきっとケガをしてしまう」

 わたしはあくまでキャロルを心配する心優しい妹を演じる。
 子供達のことも、特に悪く言ったわけではない。

 お父様は威厳があるように見えて、娘にはとても甘くて単純だ。
 わたしの言葉を過大に解釈して、怒りの矛先を街の子供達に向けた。

「なんということだ。私の大事な娘を唆すとは! 子供とはいえ許さん、どんな罰を与えてくれよう!」

 内心ほくそ笑み、部屋を出る。
 入れ替わりにセバスチャンが呼ばれ、お母様も入っていった。

 お父様は広場を閉鎖すると大声で宣言し、お母様の諌めも耳に入っていない。
 これでいい。
 キャロルは悲しむかもしれないけど、わたしが慰めてあげるもの。しばらくすれば、子供達のことなんか忘れてしまう。
 邪魔者はみんな消えたから、これで昔のように二人で過ごせるわ。

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