わたしの黒騎士様

エピソード5

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 【3】

 入浴を済ませて、服を着替える。
 普段着用の青のワンピースを着て、鏡の前で髪を梳かす。
 短い髪が気になるけど、しょうがない。
 身支度を終えた頃に、ドアがノックされた。
 応えると、お母様が入ってきた。

「シェリーは交易の件で外出したわ。これでやっとゆっくり話せるわね」

 お母様はため息をつき、鏡台の側に置いてあった椅子に座った。

「ねえ、キャロル。どうして騎士団に入ろうなんて思ったの? この家での生活にどんな不満があったの? 教えてちょうだい」

 不満と言ってもいいんだろうか。
 わたしは自信が持てなかった。
 どんなに頑張ってもシェリーには勝てない。
 それなら、この家を継ぐのは彼女の方がいいと思ったのだ。
 みんなだって、それを望んでいたんじゃないの?

「わたしには無理です。お父様の跡を継ぐのはシェリーの方が相応しい。騎士団に入ったのは、剣が唯一、人から認めてもらえたものだからです。わたしは幼い頃からシェリーと比べられてつらかった。お父様やお母様だって、何もできないわたしに失望していたでしょう? 本当はシェリーを跡継ぎにしたかったんでしょう?」

 今まで口にしたこともなかった本音を打ち明けていた。
 過去の孤独が脳裏に甦り、涙が滲んできた。

「キャロライン。あなたはそんな風に自分を追い詰めていたのね」

 お母様が立ち上がる気配がした。
 わたしの横に立つと、両腕で包み込んでくれた。

「確かにシェリーは聡明で優秀な子でした。みんながあなた達を比べてしまうのも無理はなかった。でも、だからこそ、お父様はあなたに厳しかったのよ。シェリーに負けないほどの器量と素養を身につけさせないと、あなたの将来が不安だからと言ってね。失望なんてしたことはありません。ただ、あなたが心配だったのよ」

 母の言葉は衝撃だった。
 わたしは思い違いをしていたんだ。
 褒めてもらえないことばかりを気にして、父がわたしに作法や勉学の修練を続けさせた意味を考えもしなかった。
 本当に失望していたのなら、もっと自由にさせていただろう。
 どうして気がつかなかったの。
 わたしはずっと愛されていたのに。

「始めに雇った家庭教師達が、指導の楽なシェリーばかりに構っていたことも知らなかった。お父様も甘い顔を見せまいと頑張っていらしたから余計にすれ違ってしまったのね。あなたがやる気をなくして街に行っていたことがわかって、新しく雇った家庭教師には、シェリーと比べることはなく正当な評価をするようにと指示したけど遅かった。どんなに褒められても、あなたは満足できなくなってしまった」

 どうしてもシェリーを基準に考えてしまい、妥協できなくなったのだ。
 シェリーの影に囚われて、自分自身を見失ってしまいそうだった。

「キャロルも私達の自慢の娘よ。社交の場で、あなたに勝る素養を備えた女性は稀だわ。キャロルは我が家の長女として、どこに出しても恥ずかしくない立派な子よ」
「お母様!」

 感情が溢れ出して、お母様にすがりついていた。
 ずっと欲しかった言葉をもらえた。
 両親に自分の存在を認めて欲しかった。
 今、母からの言葉を聞いて、心の奥にしまっていた重荷が一つ落ちていく。
 お母様はわたしを抱いて、頭を撫でてくれた。

「キャロルが真っ直ぐな良い子に育ったのは、街の人達のおかげね。二人も娘を儲けたくせに、子育ては人任せにして母親失格だわ。だから、シェリーにも嫌われてしまったのね」

 悲しそうに俯く母を見ていられなかった。

「そんなことない! わたしはお母様のこと愛している。シェリーだってそうよ。あの子がお母様を嫌うなんてあり得ないことだわ」

 懸命に否定すると、お母様は首を横に振った。

「シェリーは変わってしまったの。あなたが出て行ってから……、いいえ、もしかしたら昔からそうだったのかもしれない。あの子が人々に向ける微笑みには心がない。あなた以外の人間は、あの子にとって何の価値もないのよ」

 お母様の話を聞いても、信じることができなかった。
 あの優しいシェリーが?
 誰にでも優しく、微笑みかける天使のような子が、誰も愛していない。
 例外はわたしだけなんて、そんなことがあるのだろうか?

「お父様のお耳には入れていませんが、シェリーが使用人への態度を変えたのは、あなたがいなくなってすぐのことでした」

 お母様の話はさらに衝撃をもたらした。
 わたしが家出をしたすぐ後に、若い侍女が一人、暇乞いをしていなくなった。

 彼女はシェリーの専属で、美しく優秀で淑やかな主人を崇拝していた。
 分け隔てなく全ての人に優しく接するシェリーは使用人達からも愛されており、皆、表立っては口にしないまでも、わたしよりも彼女に跡を継いでもらいたがっている者は多くいた。
 侍女は誰もが自分と同じ気持ちであるのだと疑ってはいなかった。
 平凡で無能な長女がいなくなり、これで主人が日の目を見られると有頂天で同僚と話していた。
 そこにシェリーが通りかかった。
 シェリーは会話を耳に入れるなり、侍女を怒鳴りつけ、解雇を言い渡した。
 猶予も何も与えずに、他の使用人に命じて彼女の私物を全て外に投げ出し、文字通り叩き出したのだ。

「シェリーは私に彼女は自分から暇乞いを願い出たと言ったのだけど、追い出されたと侍女本人が泣きついてきたの。その場にいた使用人達に、シェリーが何を言ったのかを尋ねても、口を噤んでしまい、それ以上のことはわからずじまい。お父様はシェリーの言うことなら無条件で信じてしまわれるから、その件はうやむやになってしまったけど、使用人達はシェリーを恐れている。私が問いただそうとしても、シェリーはまともに向き合ってはくれないの。あの子の心を開くことができるのは、もうキャロルだけなのよ」

 途方に暮れた表情で、お母様は俯き、わたしの手を握り締めた。
 王都で母からの手紙を受け取ってから感じていた違和感の正体が朧気にわかってきた。
 シェリーに起こった変化の理由を突き止めないといけない。
 それがわかれば、全てはっきりする。
 このままにはしておけない。
 両親のためにも、シェリーのためにも。




 お父様とは夕食の席で顔を合わせた。
 叱られるかと思ったけど、お父様は何も言わずに席に着いた。
 食卓にシェリーと並んで座り、両親と向かい合う。
 わたしの正面にはお父様がいて、顔色を窺ってみたけど、怒っているのかどうかもわからなかった。

 料理が運ばれてくるのを黙って見つめていると、お父様が口を開いた。

「キャロライン、王都での生活はどうだ?」
「え、あ、はいっ。その……」

 いきなり問われて、うまく答えられずにうろたえてしまった。
 お父様はじっとわたしを見つめている。

「元気でいるのなら良い」

 答えを待たず、お父様は会話を打ち切った。
 お母様に視線を向けると苦笑している。
 そっけない態度だけど、心の中は違うのかな。
 お母様の話では、お父様はわたしに甘い顔を見せないように、わざと厳しく接していたという。
 領主の立場や、跡継ぎの教育のため、常に私的な感情を押さえているのだ。

 今の短い問いかけにも、多くの秘めた言葉が隠されているのだろう。
 黙ってわたしを迎えてくれたお父様。
 言葉はなくても、その事実だけで、わたしは父の愛情を信じることができた。




 夕食の席では、主にお母様とシェリーが話し、わたしは相槌を打ち、質問に答えていた。

「まあ、副団長殿に御本をお借りしたの。よくしていただいているのね」
「ええ、それにね。寮の隣の部屋にいる子達と友達になって……」

 お母様はわたしの近況を引き出すように、さりげなく会話を進めている。
 お父様の知りたいことを聞かせるためだ。

 騎士団のみんなのことをたくさん話したけど、レオンのことだけは当たり障りのない範囲で話した。
 それでもやっぱり贔屓が入る。
 馬上槍試合でのレオンの勇姿について語りだすと、声にも自然に熱がこもった。
 この街の出身ということもあって、父も母も彼には特に興味を示した。

「噂通りの素晴らしい男だな。元は我が領民の一人とはいえ、今は一級騎士。敬意を持って歓待せねばなるまい。明日、挨拶に来られるなら、それなりの準備をさせよう。セバスチャン頼むぞ」

 お父様は控えていたセバスチャンに命じて、明日の晩餐の手配をさせた。

「かしこまりました」

 お辞儀をして、セバスチャンが部屋を出て行く。
 そうだ。
 お母様の手紙のこと、セバスチャンに聞かなくちゃ。




 食事を終えると、セバスチャンを探した。
 広間にいた彼は、集めた使用人達に明日のための指示を出している。
 話が終わり、他の使用人達が出て行くのを待って、話しかけた。

「セバスチャン、聞きたいことがあるの」
「私がお答えできることでしたら、何なりと」

 慇懃に頭を下げるセバスチャン。
 わたしは単刀直入に切り出した。

「お母様の手紙のことよ。郵便事故なんて嘘でしょう? どこにやったの?」

 セバスチャンはぎょっとして、わたしから目を逸らした。

「あ、あの、それはですね……」

 あからさまに挙動不審になった彼は、扉を開けて廊下の様子を窺うと、室内に戻り、しっかりと扉を閉めた。
 そして床に身を投げ出し、教会で懺悔でもするみたいに、手を組んでわたしを見上げた。

「お許しください、お嬢様。私も本心から行ったことではないのです。ですが、どうしてもあの方には逆らえず……」
「ちょ、ちょっと、何のこと? 逆らえないって誰に?」

 セバスチャンの前にしゃがみこみ、落ち着かせようとその手を掴む。
 彼はぶるぶる震えている。
 怖がっているんだ。

「私がもらしたことは誰にも言わないでください。奥様から預かった他の手紙は出さずに全て処分しました。命令されたんです、シェリー様に」

 彼の口から出た黒幕の名が、すぐには信じられなかった。
 シェリーが手紙を捨てさせた?
 どうして、そんなことを。

「王都に届いたあの手紙だけは、出すようにとおっしゃられました。私にはあの方の考えがわかりません。ただ、恐ろしいのです。逆らえば何らかの方法で必ず抹殺されてしまうでしょう。キャロライン様さえお傍にいてくだされば、あの方はお鎮まりくださいます。どうか、我らのためにも騎士団へは戻らず、この屋敷に留まってくださいませ」

 セバスチャンはひどく怯えていた。
 お母様が勘付いたシェリーの豹変を、彼は直接見たんだ。

「落ち着いて、大丈夫よ。今聞いたことは誰にも言わない。あなたに害が及ぶことはないわ。ううん、わたしがさせない」
「ああ、お嬢様! あなたはこの屋敷の救世主! いや、未来を灯す光です。どうか我らをお助けください」

 ……シェリーはどうしてしまったんだろう。
 ここまで恐れられるなんて、ただごとじゃない。

 セバスチャンが冷静さを取り戻すまで待って、わたしは広間を出た。
 シェリーと話をするべきだろうけど、正面から聞いて、はぐらかされれば終わりだ。
 レオンにも相談してみよう。
 いい考えが浮かぶかもしれない。




 シェリーの件は置いておき、当面の問題。
 レオンを家族に紹介する、大イベントがやってきた。

 翌日、屋敷を訪ねて来たレオンを、お父様は好意的な態度で出迎えた。

「よく来てくださった。キャロラインが世話になっていることもあるが、貴殿は我が国の英雄だ。賓客としてもてなしをさせていただく。遠慮なく滞在してくだされ」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、失礼いたします」

 レオンは王都で仕立ててきた、上質の絹で作られた黒の礼服にマントを着ている。剣はもちろん装備している。騎士の命だものね。
 でも、制服ではないのだから、黒に統一しなくてもいいのに。
 他の色だと落ち着かないのかな。

「屋敷の案内はキャロラインに任せる。わかっているだろうが、懇意にしている相手とはいえ、彼はお客様だ。失礼のないようにな」
「はい、お父様」

 今日は淑女らしく、おしとやかに振る舞う。
 短い髪はどうしようもないけど、服は白地のドレスにした。
 レオンの横に立つと、彼は「似合っている」と小声で言ってくれた。
 些細なことだけど、嬉しくて頬を染めた。




 夕食まで何事もなく過ごす。
 シェリーは外出していたのか、昼間は姿を見かけなかった。
 夕食の席に現れた彼女はいつも通りで、レオンにも愛想よく微笑みかけ、会話にも混じって談笑した。
 まだ数日は滞在する予定だし、今は何も言わない方がいいよね。
 レオンへの相談も、明日のお父様への報告が終わってからにしよう。
 わたしは、そう心に言い聞かせて黙っていた。
 無意識に先延ばしにしたがっていたのかもしれない。




 共に晩餐を楽しんだ後、わたしはレオンを一階の客用寝室に案内した。

「今夜はここで休んでね。交際のことは、明日お父様に報告しよう」
「ああ。オレとしてはすぐに終わらせたかったが、物事には順序があるからな。今夜のうちに、覚悟を決めておく」

 レオンは緊張しているみたい。
 今日のお父様は彼にとっては領主だったけど、明日会うのは恋人の父親なんだ。
 どんな反応が返ってくるかわからないだけに、不安なんだろう。
 それはわたしもだけど。

「じゃあ、もう行くね。おやすみなさい」

 家人の手前、今夜は別の部屋で寝る。
 レオンは部屋を出て行こうとしたわたしを抱き寄せて、唇にキスを落とした。

「おやすみ」

 甘い声で囁かれる。
 名残惜しいけど、ゆっくり離れた。
 レオンの瞳をじっと見つめる。

「どうした?」
「ううん、何でもない」

 わたし達の想いが揺らぐことはない。
 彼はわたしを愛している。
 シェリーと会っても、気持ちが変わった様子はない。
 不安に思う必要はないんだ。




 明日のことを考えると寝付けなくて、起き出してテラスに出た。
 真下に見える庭園は月明かりに照らされて、花々は昼間とは違う装いで美しく咲いていた。
 ぼんやり見下ろしていると、庭で何かが動いていた。
 人影であることに気づき、目を凝らす。

 人影は二つ。
 男女のようだ。

 女性はシェリーで、白のナイトドレスを着て、同系色のショールを羽織っている。
 髪は下ろしてあり、月の淡い光に映えて、普段よりも美しさが増して見えた。
 彼女の後ろを歩いている男性はシルエットしかわからない。
 背が高く、筋肉質な体格だ。
 マントを着けていることから、男性の方は夜着を着ていないことがわかった。
 誰だろう?
 やがて、月が動き、光の位置が変わる。
 息を呑んだ。
 どうして彼があそこにいるの?
 見間違いじゃない。
 シェリーと一緒に庭を歩いていたのは、レオンだった。

 シェリーは楽しそうに、笑顔で彼に話しかけている。
 レオンの表情はわからないけど、恐らく好意的な微笑を浮かべているのだろう。
 向かい合って立つ二人は、お似合いだった。

 この国の英雄と称えられる騎士と、聡明で美しい完璧な乙女。
 物語の主人公にぴったりな彼らの間に、わたしが入り込む余地はない。
 心にぐるぐると黒い感情が渦巻く。
 絶望と諦め、狂おしいほどの嫉妬の感情。
 汚いわたしの心。
 こんな感情を持つ自分が嫌だ。
 自分の存在そのものを消したくなる。

 ふいにシェリーがこちらを見上げた。
 視線が絡み合い、彼女はわたしに微笑みかけ、手を振った。
 気づいたレオンもこちらを振り仰ぐ。
 彼の顔がこちらを向く前に、部屋の中に逃げ込んだ。
 ベッドに飛び込み、掛け布を頭から被る。
 怖い。
 この後に何が起こるのか想像して、恐怖で心が凍りつく。

 レオンはシェリーを選んだの?
 あれだけ愛していると言ってくれたのに。

 わたしを照らしてくれた温かい光。
 他には何もいらないの。
 望むものは彼だけなのに。
 神様は、シェリーを使って、わたしから全てを取り上げてしまうんだろうか。

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