わたしの黒騎士様

エピソード5

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 【4】

 朝になった。
 結局、レオンは部屋を訪ねてこなかった。
 彼はシェリーを選んだんだ。
 現実を思い知り、気がつけば、涙をこぼしていた。

「キャロル、起きてる?」

 ノックの音と共に、シェリーが呼びかけてくる。
 体が強張った。
 返事もできずに自分の体を抱きしめた。

「入るわよ?」

 気遣うような声をかけて、シェリーが部屋に入ってくる。
 会いたくないのに。
 決定的な言葉を聞いて、冷静でいられる自信はなかった。
 それでも、このまま逃げるわけにはいかない。

「おはよう、シェリー」

 無理やりひねり出した声は掠れていた。
 ベッドから出て、洗面器に水を汲み、顔を洗う。
 わたしが服を着替えている間、シェリーは黙って傍にいた。
 彼女は俯いて、暗い表情をしていた。

「レオンはもう起きたの?」

 自分から彼の名を出した。
 シェリーは顔を上げて、首を振った。

「あの人はもういないわ。夜が明ける前に出て行ってもらったの。今頃は王都に向かっていると思うわ」

 思いがけない返事に驚いた。
 帰ったって、どういうこと?
 わたしの表情で疑問を察したのか、シェリーは泣きだしそうな顔をしてすがりついてきた。

「昨夜、寝つけなくて庭に出ていたら、あの人が来たの。キャロルの恋人で、いずれ義理の兄となる人だからと気を許して話し相手になっていたわ。でも、キャロルに気づいて手を振ったら、あなたすぐに部屋に入ってしまったでしょう? 誤解を解かなくちゃって彼に言ったら、わたしの方を好きになった、キャロルとは別れるなんて言い出したのよ」

 想像通りの光景が脳裏に浮かび、声を失う。
 シェリーは語調をきつくして、わたしに強く抱きついた。

「なんて酷い人。わたしは怒って彼を追い出したの。二度とこの街に帰ってこないって、キャロルの前に現れないって約束させた。あんな男のことなんて忘れてしまいなさい。わたしだけはキャロルを裏切らないわ。これで騎士を目指す必要もなくなった。キャロルはこの家でわたしと暮らすの。いつまでも、一緒にいましょうね」

 シェリーの声は慈しみに溢れていて、わたしへの愛情は疑いようのないものだった。
 だけど、頭のどこかで否定する声も聞こえてくる。
 シェリーの話がどうしても真実だとは思えない。
 レオンがわたしを裏切るなんてあり得ない事だ。
 彼と築いてきた絆は、一晩で切れてしまうような脆いものじゃない。

 瞼を閉じて、帰ってきてからのことを思い出す。
 母から聞いた話。
 シェリーを恐れる使用人達。
 そして、シェリーの命令で、母から預かった手紙を捨てていたと打ち明けたセバスチャンのこと。

 目を開けて、シェリーを体から引き離すと、肩に手を置き、正面から向き合った。

「シェリー、嘘をつかないで。わたしを裏切らないのなら、全てを話して。あなたに何があったの? レオンはどこに行ったの?」

 わたしの問いに、シェリーの顔色が変わる。

「何を言っているの、嘘なんかついてないわ。キャロルはわたしより、あの人を信じるの? 今も昔も彼はキャロルを利用しようとしていただけよ。領主の娘を手懐けておけば、自分達の役に立つものね。街の人達だって同じよ、親切そうな顔をしていても心の中は打算だらけ。お父様やお母様だって、家のことしか考えてない。本当にキャロルを愛しているのはわたしだけなの」

 シェリーからは余裕が消え、矢継ぎ早に喋り続ける。
 信じがたいことに、彼女の口からこぼれるのは、周囲の人間への不信に満ちた言葉ばかりだ。
 シェリーへの疑惑が確信に変わる。
 それと同時に、何とか彼女を救いたいと思った。
 わたしはシェリーの言葉を否定し、首を横に振った。

「それは違う。わたしは生まれてから、あの孤独だと思っていた日々の中でさえ、多くの人の愛情に包まれていた。今、ここに帰ってきてそれがわかった。シェリーの方こそわからないの? わたし達は愛されているのよ。お父様とお母様だって……」
「騙されちゃだめよ、キャロル!」

 わたしの声を遮って、シェリーが叫んだ。

「キャロルは優しすぎるのよ。だから、みんな利用しようとする。わたし達の周りにいるのは、目に見えるものにしか価値を見出せない愚か者ばかりよ。わたしの容姿を褒めて、能力を評価する者がいても、それだけよ。わたしが不器量で無能であれば、誰も近寄ってさえこなかったでしょうよ。無条件でわたしを愛してくれたのは、キャロルだけ。物心ついた時からずっと、わたしにはあなたしかいなかったのに、みんなが邪魔をして引き離した。他の人間なんていらない。わたしの傍にはキャロルだけがいればいいのよ」

 シェリーの訴えを聞いて、胸が痛くなった。
 誰からも好かれ、必要とされている存在だと思っていた彼女に、こんな葛藤があったなんて知らなかった。
 わたしは一番近くにいたのに、自分だけが除け者だと思い込んでいた。
 孤独を味わっていたのは、シェリーも同じだったんだ。

「シェリー、そんなこと言わないで。みんながみんなそうじゃない。表面的なものだけじゃなく、ちゃんとシェリー自身を見て愛してくれる人もいるはずだよ」
「そんな人いないもの。キャロルに捨てられたら、わたしはどうしたらいいの? 愛してるって言ってくれたじゃない。わたしの傍にいてよ、一人ぼっちにしないで!」

 シェリーは取り乱し、泣き喚いた。
 わたしは抱きしめながら、言葉を探した。
 何を言えば、シェリーはわかってくれるんだろう?

 彼女が一番欲しがっているもの。
 それはわたしの心からの愛情だ。

「ねえ、シェリー。わたしはあなたを愛している。誰よりも、あなたを大切に思っている。傍にいたいのも本当よ。だけど、あなたがわたしを支えとするように、わたしはレオンを支えにしてきた。あなたがわたしを愛してくれるように、わたしは彼を愛している。比べることなんてできない。それはどれだけ離れていても変わらない。七年間、レオンと離れて生きてきたけど、気持ちは変わらなかった。シェリーのことも、離れていても愛している。信じて欲しいの、わたしのあなたへの愛は、揺らぐことのない永遠のものであることを」

 自分の気持ちを思いつくまま言葉にしていく。
 彼女の心に届くことを願いながら。

「シェリーは一人じゃない、わたしがいる。そして、閉じこもらないで周りに目を向けて。シェリーが幸せじゃないなら、わたしも幸せになれない。つらいことがあったら何でも打ち明けて。わたしとあなたは互いにたった一人の姉妹なんだから」
「キャロル、わたし……、ごめんなさい……」

 涙混じりに謝るシェリーの背中を撫でて慰めた。

「泣かないで。わたしはシェリーの笑顔が大好きなの。小さい頃は天使みたいだったけど、今は女神様みたいに綺麗になったね。シェリーはわたしの自慢の妹だよ」
「そんなことない。天使はキャロルの方よ。ずっとずっと昔から、あなたはわたしの光だった。わたしこそ、あなたと一緒に生まれてきたことを誇りに思っている」

 照れくさいけど、シェリーの言葉は本心からのものだ。
 誰が聞いているわけでもないし、嬉しく聞いておく。
 シェリーと顔を見合わせて笑いあった。

 小さな頃は、いつも彼女と一緒にいた。
 どこに行くにも手を繋いで、楽しいことも、悲しいことも、二人で分け合っていた。
 生まれた時から傍にいた、わたしの半身。
 大切な人に優劣はない。
 わたしにとってシェリーは、レオンと同じ、なくてはならない人だった。




 あれ?
 そういえば、レオンはどうしたんだろう?

「シェリー、レオンは?」

 わたしが問いかけるのと、部屋のドアが開いたのは同時だった。

「キャロル、ここにいるのか!」

 飛び込んできて、声を上げたのはレオンだった。
 なぜか彼はドロドロに汚れていた。
 昨日は綺麗だった礼装が、蜘蛛の巣や埃を被って薄汚れている。
 黒でも目立つ汚れなんて相当だ。
 顔にも疲労の色が見受けられ、まるで一晩中何かと格闘していたみたい。
 何があったんだろう?

 レオンはシェリーを視界に入れるなり、不快感を露骨に出して顔をしかめた。
 怯えたシェリーがわたしにすがりつく。

「シェリー殿、昨夜は面白い場所に案内してくれて感謝する。一晩中楽しめたよ」

 レオンが皮肉めいた口調でシェリーに声をかけた。
 わたしは彼の怒りを感じ取り、慌ててシェリーを背中に庇った。

「レ、レオン、シェリーを怒らないで。これには理由があったのよ、怒るならわたしを怒って。あなたが大変な目にあったのは、その格好を見ればわかる。気が済むなら、殴ってくれてもいいよ」

 シェリーがレオンに何をしたのかはわからない。
 でも、二人が争う姿は見たくなかった。

 レオンはわたしへと視線を戻して、困った顔で頭を掻いた。

「いや、殴るとか、そういうことはしないが……。ただな……」

 彼は言い淀み、わたしとシェリーを交互に見ている。
 わたしの背後にいたシェリーは、恐る恐る前に出ると、深く頭を下げて謝罪した。

「レオン殿、申し訳ありません。あなたを地下室に閉じ込めるだなんて、わたしはなんてことをしてしまったのかしら。キャロルを取られて悔しかったんです。どうぞ、お好きなように罰してください」
「レオン、シェリーを許してあげて!」

 わたしはシェリーの前に立って、レオンに懇願した。
 レオンは何か言おうと、口を動かしかけたけど、思い直したのか黙ってしまった。
 わたしを見つめ、ため息をつく。

「もういい。今回のことはキャロルに免じて水に流そう」
「ありがとう、レオン!」

 レオンが許してくれてホッとした。
 抱きつきたかったけど、汚れがすごくてためらってしまった。

「すぐにお風呂と着替えの用意をしてくるからね。その後、みんなで朝食を食べましょう」

 急いで侍女を呼びに走り、レオンを浴室に連れていった。
 幸い両親はまだ就寝中で、騒ぎに気づかれることはなかった。




 我が家の浴室は広く、大理石を使った豪華な装飾が自慢だ。
 浴槽にはお湯がたっぷり入れてある。
 体を洗うのに必要なお湯も別にあり、こちらは大きな桶に用意されていた。

 わたしは侍女のお仕着せを着て、レオンと一緒に入った。
 腰掛に座ったレオンの後ろにまわり、石鹸を泡立て、洗う準備をする。

「すごく汚れちゃったね。すぐに綺麗にするからね」

 髪も洗って、湯で流す。
 シェリーのせいで、大変な目にあったみたいだし、ここはわたしが謝罪の意味でも尽くしておかなければ。

 お湯が服に染みて、張り付いてくる。
 これじゃ、最初から脱いで入った方が良かったかも。

「なあ、キャロル」

 おとなしく洗われていたレオンが、戸惑い気味に声を発した。

「ん? 何?」
「その、な……。もういいから、お前は出ろ。後は一人でできる」

 彼は俯いて、こちらを見ないまま、そんなことを言う。

「どうして? 最後までやるよ。途中でやめたらお詫びにならないじゃない」

 構わず、ごしごし背中を擦るべく手を動かしていると、レオンは顔を上げて、わたしを振り返った。

「後悔するぞ?」
「しない」

 ムキになって答える。
 その途端、レオンが濡れた手で、わたしを抱き寄せた。

「きゃあ、何?」

 声を上げた口をキスで塞がれた。
 服がびしょ濡れになり、スカートが足にぴったりとくっついてきて気持ち悪かった。

「ん……、はぁん……、んんっ……」

 裸の彼にしがみつき、押し当てられる唇の感触に酔う。
 レオンはわたしを膝の上に座らせて、服に手をかけた。
 侍女のお仕着せは、紺のワンピースになっていて、腰で巻く白い前掛けのエプロンがついている。
 胸元のボタンが外されて、彼の手が肌に直に触れた。

「いやぁ、だめ……」
「もう遅い、我慢の限界だ」

 後悔するぞって、こういうことだったのね。

 唇から首筋へと彼は舌を這わせて、口付けを繰り返す。
 胸が撫で回されて、指の腹を使って乳首に軽い刺激が与えられる。

「あっ、ああっ」

 濡れたスカートが腰までたくし上げられて、下着を脱がされた。
 無防備になった割れ目を、レオンは指で撫でた。
 下から上へと快感が背筋を駆け抜けていく。

「んああんっ」

 喘ぐ口が、彼のキスでまた塞がれた。
 レオンの首に腕をまわして抱きつき、夢中でキスに応えた。
 胸や秘所に与えられる愛撫に翻弄されて、じんわりと体の奥から愛液が滲みだしてくる。
 愛液で濡れてぬるぬるに滑り始めた指が、秘裂を探って刺激を送り込む。

「や……、レオン……。イっちゃうよぉ……」

 腰をひくつかせて泣きついた。

「……そうだな、早めに終わらせないとマズいしな。オレも終わりにさせてもらう」

 荒い息を吐いて、レオンはわたしを自分の上に跨がせた。
 昂った彼の欲望の上に腰を下ろされ、体の奥を貫かれた。

「ああっ」

 腰はしっかりと掴まれて逃げられない。
 むき出しにされた肌をレオンが舐めてきて、下からとは別の快感が全身を蕩けさせる。

 わたし、すごい格好してる。
 胸や秘所だけを中途半端に晒している半裸の姿の方が、裸よりいやらしく思えてくる。
 もしかして、レオンがさっき出て行くように言ったのは、濡れたわたしに欲情したから?

 家のお風呂で、こんなこと。
 声が漏れたら、誰か入ってきてしまうかも。

「んん……っ!」

 声をこぼさないように、きつく口を閉じる。
 こぼれる吐息に色がつく。
 高まっていく体は絶頂を迎え、彼を締め付けていく。

「ぁん……、あああっ!」
「キャロル……、あ……、くぅ……っ!」

 レオンが呻いて、わたしの体から自身を抜き、熱いものを放った。
 同時に果てたわたしは、また彼の膝の上に下ろされた。
 背中に腕がまわされて、抱きしめられる。
 心臓の音、聞こえるぐらい、彼の胸に顔をくっつけて、呼吸を整える。

「濡れちゃった……」

 服は色んなものでびしょ濡れだ。
 ここで脱いで、洗ってごまかすしかないよね。

「今度はオレが洗ってやる。服、脱いでみろ」

 レオンはわたしの耳朶を甘く噛んで、囁いた。
 終わらせたんじゃなかったの?
 すでに用を成していない服を脱ぎ、裸になったわたしの体を、レオンは洗うという名目で再び触り始めた。
 当然、それだけで済まなかったのは言うまでもなかった。




 浴場で戯れた後、何食わぬ顔をして支度を済ませ、食堂に行った。
 全員揃っての朝食の後、わたしとレオンは両親を前にして、交際の報告をした。
 母から話を聞いていたのか、父は冷静に話を聞き終え、レオンを書斎に呼んだ。
 二人だけで話したいそうだ。

「話って何かな?」

 不安になって呟くと、お母様が微笑んだ。

「お父様はね、キャロルのことがとても心配なの。レオン殿にくれぐれもよろしくと、あなたのことを頼むおつもりなのでしょう」

 そんな素振りは少しも見せないけど、わたしが家出をしたことで、お父様は落ち込んでいたそうだ。
 弱気になって軽いものだったとはいえ、病を患うほど、心身ともに疲弊していたのだと聞いて驚いた。

「今すぐに戻ってくるようにとは言いません。お父様が現役の間は自由にしていいのよ。でも、時がくれば戻ってきてね。私達はあなたの帰りを待っているわ」
「はい、お母様」

 しばらく会えなくなるからと、甘えて抱きしめてもらった。
 後でお父様にも甘えておこう。
 大人になる前の、今だけの特権。
 わたしを覆っていた孤独の影は、家族の確かな愛情を知った今、もう跡形もなく消え去っていた。




 辻馬車での長い旅が終わりに近づく。
 街道の先に、大きな街が見えてきた。
 城の形もはっきりわかる。
 休暇を終えたわたし達は、王都へと帰ってきた。

「まあ、あれが王都なのね。とっても大きい」

 わたしの隣で、シェリーが驚きの声を上げた。
 はしゃいでいる彼女が可愛らしくて、わたしの頬も緩む。
 わたし達は二人掛けの座席に並んで座っている。

「着いたら街を案内してあげる。お勧めのお店もたくさんあるの」
「約束よ。お休みの日は一緒に遊びに行きましょうね」

 シェリーは喜んで抱きついてきた。

 どうしてシェリーまで一緒にいるのかというと、交易の支店を王都に出すことにしたからだ。
 前々から準備をしていたそうで、店舗に住居の屋敷も確保済み。
 王都は交易の中心地でもあり、支店を出す計画は始めからあったそうだ。
 シェリーは見聞を広めるためにも、王都に行きたいと父に願い出て、許しをもらった。
 わたしが一緒というのも、許可が出た理由の一つだろう。

「屋敷は騎士団の敷地に近いの。いつでも来てね、待ってるからね」
「うん、必ず行くよ」

 指切りして約束を交わすと、シェリーは後ろを振り向いた。
 後ろの席にはレオンと、お父様からシェリーのお目付け役を命じられたセバスチャンが座っている。
 セバスチャンは貴重品を入れたカバンを大事にそうに抱えて居眠りをしていた。
 窓側の席にいたレオンは、つまらなさそうに外を眺めている。
 彼はわたし達が振り向いた気配を感じて、こちらを向いた。
 シェリーがにっこり笑顔を向ける。

「レオン殿も、ぜひいらしてくださいね」
「そうだな、キャロルと一緒に行かせてもらう」

 シェリーの誘いに、レオンは微笑して答えた。
 でも、声に違和感がある。
 引きつっているというか、怒っているような含みを感じた。

 まだ、わだかまりが残っているのかな。
 うちの地下室って見たことないけど、どんな所だったんだろう?
 レオンの心変わりを心配する必要がないとわかった今は、シェリーとも仲良くして欲しい。
 二人とも、わたしの大事な人だから。

 シェリーが王都に来てくれて、わたしの周囲はさらに賑やかになった。
 王都での生活も楽しみが増えた。
 今回の帰郷は、わたしに想像以上の収穫を与えて、幕を閉じたのだった。


 END

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