わたしの黒騎士様

エピソード6・オスカー編

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 【1】

 月明かりの差し込む薄暗い部屋で、オレとナタリーは肌を重ねた。
 隣の部屋ではガキ共が、気持ちいいぐらいに熟睡して寝息を立てている。
 起きているのは、オレ達だけだ。

「……ん…、あぅ……、んっ」

 オレの下で、ナタリーが喘ぐ。
 隣に聞こえないように声を殺してやがるのが癪で、わざと激しく腰を動かして突いてやった。

「あっ、あぁんっ」

 堪らず声を上げて、彼女はオレにしがみついてきた。
 背中に痕が残るほど爪が食い込む。
 だが、この痛みさえ、オレには快感だった。

「オ、オスカー、やめて……、もう……」

 ナタリーが乱れた呼吸の下から、擦れた声で許しを乞うた。
 もちろん、そんな願いは聞いてやらない。

「何をやめろって? オレはまだ満足してないんだ。もっと楽しませろよ」

 囁くついでに耳朶を噛んで息を吹きかけた。
 手は豊かに実った胸を捕らえて、揉み解す。
 硬くなった尖りを指先で引っ掻いてやると、ぴくんと素直な反応が返ってきた。
 オレを受け入れている場所が、心地良いぐらいのキツさで締まっていく。

「……や…、あっ、ああっ」

 熱を持って赤くなった肌に汗が滲む。
 もうじき三十路に手が届く年になっても、ナタリーの美しさは衰えることがない。
 女として、まだまだこれから熟していく時だってのに、こいつの頭の中はガキを養うことしかない。
 オレだって、彼女にとっては守るべき子供に過ぎない。
 出会った頃から、何一つ変わらない距離。
 家族なんて曖昧な言葉で関係を表現されるたびに、オレは腹を立てている。




 情事が終わると、ナタリーは起き出して、慣れた様子で身繕いを始めた。
 体を起こして、ベッドの上でその様子を眺める。
 彼女は汗と体液で汚れた体を拭き、夜着を着直した。それが終わるとこちらを振り返り、オレの体も拭こうとする。

「やめろ、自分でやる」

 口を尖らせて払いのけると、彼女は一瞬顔を歪めて、ぎこちなく微笑んだ。

「ごめんなさい、子供達の様子を見てくるわ……」

 ナタリーは逃げるように、隣の部屋に行ってしまった。
 舌打ちして、裸のままベッドに横になる。
 いつもこうだ。
 嫌なら嫌だと言えばいい。
 そうすればオレも諦めがつくってのに、あいつは絶対にオレを拒むことはない。
 特別な誰かを持たずに、金のために抱かれるなら、それがオレでもいいだろう。
 そう思って始めた関係だったのに、オレは後悔している。




 オレがナタリーと出会ったのは、多分十ぐらいの時だ。
 彼女は十五で、黒い服を着ていたことだけ、はっきりと覚えている。

 オレの年齢が推定なのは、自分の素性や生年月日を覚えていないからだ。
 気がついた時には、一人で生きていた。
 人のいない森や山を住処とし、腹が空けば木の実を採って食べ、自然に流れる小川から水を飲み、魚を取り、時には動物を狩って飢えを満たした。
 得物はどこかで拾ったナイフ一本。
 草木を利用し、土を掘って罠を張り、捕らえた獣が動けなくなったところを刺し殺す。
 殺生をすることに、罪悪感はなかった。
 人が当然持ち合わせているはずの道徳を伴う高尚な感情を持たないオレは、そこらに生きている野性の獣達と何の違いもなかった。

 人のいる街に下りて、食べ物や衣服を奪うこともあった。
 泥棒と叫びながら、棒を振り上げて追いかけてくる者もいたが、狩りで鍛えたオレの足に敵うものはなく、いつも逃げ切った。
 オレを警戒する人間が増え、隙がなくなれば、別の場所に移動する。
 そんな生活を何年も続けていた。
 頭の中は、食い物と眠る場所の確保のことだけ。
 自分の存在理由を疑うこともなく、本能が命じるままに行動し、オレは日々を生きていた。

 ある大きな街、後に知る王都の貧民街で、オレはついに捕らえられた。
 すばしっこいオレに手を焼いた街の連中が、捕獲用の罠を仕掛けていたんだ。
 左の足首に獣を捕らえる楔の罠が食い込んでいる。
 大量の血が噴き出し、苦痛に呻く。

「やっと捕まえたぞ、この小僧! 懲らしめてやる!」
「ガキだからって遠慮することはねぇ! やっちまえ!」

 倒れこんだ体に木の棒や足による殴打の波が容赦なく襲いかかってきた。
 貧困によるストレスも暴行をエスカレートさせた原因だったのだろう。誰も彼もが血走った目をして、オレを罵り、腕や足を振り上げた。
 頭を庇い、うずくまった。
 出血でぼやける視界の中、見えるのはオレを打つ人間達の脚だけだ。
 次第に意識が薄れていく。
 それでも痛いというだけで、何の感情も湧いてこなかった。

 動かなくなったオレに興味が失せたのか、少しずつ気配が減っていき、ついには誰もいなくなって静かになった。
 今まで食うために狩ってきた獲物が死んでいく様を思い出した。
 オレもそうなるんだと、ぼんやり考えた。

 また足音が近づいてきた。
 誰かが止めを刺しにきたんだ。
 腫れて重くなった瞼を微かに開けると、黒い服を着た女がオレを見下ろしていた。
 彼女は泣いていた。
 流れ出た涙は、オレの頬へと落ちてきた。

「ねえ、大丈夫? しっかりして」

 彼女はオレの頬を触って、何かを呟いた。
 呼びかけているんだとわかった。
 罵声でも、追い立てる声でもない。
 聞いたことのない言葉だった。

 触られても嫌だとは思わなかった。
 手の平の温かさが気持ちよくて、笑みがこぼれた。
 この時オレは、初めて人に触れたんだ。




 オレはナタリーに助けられて、孤児院に迎え入れられた。
 瀕死の重傷だったらしいが、医者も驚く回復力で二ヵ月後には全快していた。
 恐らく体力が常人よりも多くあったせいだろう。

 親がいないという条件は同じでも、野生児だったオレは特殊な存在だったらしく、始めはなかなか打ち解けることができなかった。
 幼児並みに言葉が足りず、周囲の子供と衝突や諍いは絶えなかったが、ナタリーはオレを責めることなく、根気よく人の生活に馴染むまで見守ってくれた。
 おかげでオレは、半年ほどで同年代の子供と同じほどの常識を身につけることができた。

 オスカーという名前も、ナタリーがつけてくれた。
 彼女はオレに読み書きを教え、ある程度の文字が読めるようになると図書館に連れて行った。
 多くの書物が集う図書館は、まさに知識の宝庫だ。
 大量の蔵書を前にした途端、好奇心がオレを支配し、毎日通って手当たり次第に本を読み耽り、数学を解いたり、図鑑の絵を眺めたりして過ごした。

 夜になり、成果をナタリーに報告すると、一緒に喜んで頭を撫でてくれた。

「頑張ったね、オスカー」

 彼女の微笑み、手の温もりを、オレは好んだ。
 知識が増えることも面白かったが、ナタリーの存在の方が何倍も興味深い。
 透き通った温かい瞳に見つめられると、どれだけ機嫌が悪くても、心が落ち着きを取り戻していく。
 人間の顔の見分けが付くようになり、彼女が綺麗な部類に入る顔立ちだと気がついた。
 美しさがわかるようになったのは、かなりの進歩だろう。

 彼女がいるから、毎日帰った。
 以前のように、自然に戻って獣のような生活を送る気にはなれなかった。
 ナタリーがオレを人間に変えてしまったんだ。




 孤児院で暮らし始めて二年が過ぎた。
 朝になると、オレや仲間の孤児達は弁当を持って仕事に行く。
 仕事といっても大したものじゃない。
 商店や民家で仕事や掃除を手伝い、小銭を稼ぐ程度だ。
 昼飯を食ったら、オレは図書館に行く。
 飽きることなく本を読んで、黒板で字の練習をしたりして過ごした。ノートは貴重品なので、大事なことだけ書き込むようにしている。
 黒板は、昔ナタリーが使っていたものをもらった。
 チョークは稼いだ駄賃で買う。
 生活費は教会に寄せられる寄付金でまかなっているので、これらの金はオレ達が自由に使っていいのだ。

 日が暮れると帰っていく。
 孤児院に戻ると、ナタリーが夕食を用意して待っていて迎えてくれる。
 充実した毎日だった。
 だが、オレは知ってしまった。
 この生活が、ナタリーの犠牲によって成り立っていたことに。




 昼食を食べて図書館に行こうとして、黒板を忘れてきたことに気がついた。
 取りに戻るか。
 その日、オレは初めて昼間の教会に帰った。

 教会の前に馬車が止まっていた。
 金持ちが乗る豪華な二頭立ての馬車だ。
 礼拝か懺悔にきているんだろう。
 寄付金をくれる大事な客だから、邪魔しちゃいけない。

 オレはそっと礼拝堂の前を通り、裏の孤児院に行こうとした。

「……ううっ……、ふ……ぅ……うん……」

 くぐもったうめき声が聞こえてきて、足を止めて耳を済ませた。

 ナタリー?
 確かにそれは彼女の声だった。

 苦しげな声は礼拝堂の中から聞こえてくる。
 人の気配は二つ。
 男の声も聞こえてくる。
 気持ちの悪い笑い声と、荒い息遣い。

 窓から中を覗く。
 人々が祈りを捧げる祭壇の前で二つの影が折り重なって動いていた。
 裸の男がこっちに背中を向けて腰を動かしている。

「あ、うぅっ! ……あうっ!」

 ナタリーの声は男の下から聞こえた。
 男の体を挟むように、細くてしなやかな女の足が見えている。

「良い顔だ。かわいいよ、ナタリー。楽しませてくれたお礼に、今月も寄付金を弾んであげよう。それにね、私のお友達も紹介してあげようと思うんだ。みんなお金持ちだからね。頑張れば、たくさんお金をくれるよ」

 汚らしいダミ声で、男がナタリーに囁いているのが聞こえた。
 ナタリーが苦痛に呻いているのも構わず、男は一方的に喋りながら、彼女の上で腰を振っていた。

 オレは声を出すことも忘れて、その光景を見ていた。
 足が自然に動き、視界に色が戻った時には、礼拝堂の影でぼうっと立っていた。

 ようやくあの中で何が行われていたのか理解した。
 ナタリーはオレ達を養うために金持ちに体を売っていた。
 寄付金は善意のものではなくて、体を売った報酬だ。
 何も知らず、オレはずっとその金で生きていた。
 吐き気がしてきた。
 食い物なんてどんな方法で手に入れようが、口に入れば同じはずだと思っていたのに、どうしても嫌悪感が抑えきれなかった。




 しばらくすると礼拝堂から男が出てきて、馬車が走り去った。
 オレは入り口に向かい、礼拝堂の扉を開けた。
 中にいたナタリーが怯えた顔で振り返った。
 彼女はまだ裸で、体には男の体液がこびりついていた。

「オ、オスカー、どうしたの?」

 ナタリーは脱ぎ捨てた衣服を身に寄せて、笑顔を作った。
 嘘っぱちの笑顔。
 体は動揺で震えている。
 オレは外に出て、桶に水を汲んで戻った。
 体を拭くタオルも一緒に用意して。

 身支度を整えているナタリーを黙って見つめた。
 彼女も諦めたのか、隠そうともしない。
 服を着て、髪を手櫛で直すと、祭壇の前に跪いて祈りを捧げた。
 彼女は「今日も子供達が元気で過ごしていることを感謝します」と口にした。
 オレは無性に腹が立って仕方がなかった。
 あんな男に穢されて、なぜ感謝ができるんだ。

「神様なんていない。オレ達が生きようが死のうが助けてなんてくれない。祈るだけ無駄だ」

 腹立ちを言葉に乗せて吐き捨てた。
 だが、ナタリーは首を振り、オレに微笑みかけた。

「それは違うわ。確かに助けてはくれないけど、見守っていてくださるの。それに両親を亡くした私に多くの家族を与えてくださった。そのことを感謝して心の支えにして生きているの」

 そのオレ達のせいで、あんな目に遭っているのにか?
 オレには彼女が理解できなかった。

「オレ達がいなければ、もっと楽に生きられたはずだ。何が家族だ! あんたに甘えるしか能のない、役立たずの荷物ばっかりじゃねぇか!」
「オスカー!」

 滅多に声を荒げないナタリーが大声を上げた。
 勢いを削がれて黙り込んだオレを、彼女は抱きしめた。

「そんな風に言ってはだめ。役立たずな人間なんてどこにもいません。あなたは私の大事な家族なの。傍に居てくれるだけで、私の役に立っているのよ」
「嘘だ、そんなの嘘だ!」

 ナタリーを振りほどいて、オレは外に駆け出した。
 無我夢中で走るオレの頭の中は怒りでいっぱいだった。
 ナタリーを犯した男達に、オレ達を養うためにそれを受け入れるナタリーに、そして何も知らずに暢気に生を貪っていたオレ自身に対してだ。




 貧民街には闇組織の連中が運営する地下闘技場がある。
 腕自慢の男達が生死を賭けるデスマッチに、毎日大量の金が飛び交う。
 試合に勝てば何百万もの金が手に入る。
 オレの知る限り、大金を稼ぐ方法はこれしかない。
 得物はナイフ一本だが、迷うことなく受付に向かった。

「冗談じゃねぇよ、坊主」

 受付係の男はオレを見るなり、鼻で笑い飛ばした。

「チビがこんなナイフ一本で出たら、瞬殺間違いなし。逆に客も冷めちまうぜ。子供が嬲り殺されるのを見るのは、さすがのオレ達でも気分が悪い。さあ、帰った、帰った」

 男はオレを追い返そうとした。
 だが、引き下がるわけにはいかない。
 食い下がろうとしたオレの襟を、背後から誰かが掴んだ。

「やめておきなさい。その人の言う通り、君が出ても戦うまでに殺されてしまうだろう」

 静かだが威圧感の伴う声が、オレの動きを止めた。
 襟が後ろに引っ張られ、男が前に回りこんで顔を覗き込んできた。
 貧民街では珍しい、温厚そうな男だった。
 この街に似合いの薄汚いマントを羽織っているが、腰には立派な剣を差している。

「放せよ、あんたには関係ないだろう。オレには金がいる。ちょっとじゃない。教会と孤児院を丸ごと養える金がいるんだ」

 オレの言葉を聞いて、男の顔色が変わった。
 温和な表情が消えて、険しくなる。

「どうしてだい? 貧民街の教会と孤児院は、多くの資産家が多額の寄付をしているはずだ。君が稼ぐ必要はない」
「何が寄付だ! それとも世間じゃ、見返りのいる金をそう呼ぶのか!」

 怒りを見せて問い返すと、男は黙った。
 オレの目を見つめ、掴んでいた襟を放した。

「戦うにしても準備が必要だ。お金を得る前に命を落としてしまうよ。ついてきなさい、悪いようにはしない」

 信じるか信じないか。
 それは賭けだろう。
 だが、男の言う通り、このまま試合に出たところで勝てないかもしれない。
 癪だが、ついていって何か得るものがあるなら無駄じゃない。
 オレは前を歩く男の背中を追いかけた。

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