わたしの黒騎士様

エピソード6・オスカー編

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 【2】

 男は武器屋に入り、鋼の頑丈そうな剣を一本買った。

「はい」

 渡されたそれはずしりと重みがあり、刃こぼれのする古いナイフとは比べ物にならないほど研ぎ澄まされた刃に凄然としたものを感じた。

「それを自在に振れるようになるのが課題かな。私も暇ではないので、付き合うのは二週間だけだ。その代わり、手加減なしで仕込むから覚悟するように」
「仕込む?」
「戦い方を教えてあげるんだよ」

 オレの問いかけに、男は笑顔で答えた。
 穏やかな笑みの奥に湛えられた強い光を見て、逆らうことなく頷いていた。

 男の名はアドルフ=クラウザー。
 当時、白騎士団最強を誇った一級騎士。
 そして、現在の騎士団長だ。

 彼は宣言通り、二週間でオレに剣の基本を叩き込んだ。
 指導は実戦形式で容赦なし。
 貧民街の外れの空き地で、毎日体が動かなくなるまで打ち合った。

 おかげで、地下闘技場での初陣は、オレの完全勝利で飾ることができた。
 一級騎士の洗練された力強い剣技に比べれば、闘技場に集まるゴロツキの戦い方は力任せの雑なもの。
 野生で鍛えた俊敏さと、叩き込まれた剣技の前では、どんな相手の動きも鈍く感じられた。

 試合が終わり、大金を手にしたオレに、アドルフ=クラウザーは微笑みかけた。

「君には戦いの才能がある。それはこんなところで使い切るには惜しい力だ。十六才になったら騎士団に入りなさい。我が国の騎士団は二つあってね。どちらでもいいけど、白を希望してくれると嬉しいかな」

 買い与えた剣は、大事な人を守るためにだけ使えとあの人は言った。
 今から思えば、団長は自分のできることで、オレ達を助けようとしてくれたんだろう。
 オレがナタリーに群がっていた男達を追い払ってから、本物の善意の寄付金をくれる慈善家が増えたのは、あの人の尽力であったことを後で知った。




 そうやって得た金を、オレはナタリーに押し付けた。
 ところが彼女は受け取ろうとしなかった。
 オレが傷つくことを恐れて、闘技場で戦うことをやめろと言ったのだ。

 子供のオレが勝てたのは、普通に考えれば奇跡に近いことだ。
 ナタリーの不安もわかる。
 だが、勝ち続ければ、わかってくれる。
 そう考えて、オレは闘技場で戦い続けた。

 試合に勝ち残り、賞金を持って帰るたびに、ナタリーはオレを説得した。
 最後にはオレを自分の部屋に呼び、すがりついて諌めた。

「オスカー、お願いだから危ないことはやめて。私のことは気にしないで。どんな男の人に抱かれたって、あなたがケガをしたり、死ぬことの方がよっぽど耐えられない!」

 オレはショックを受けていた。
 これでナタリーを解放できると信じていたのに、彼女はあくまで自分を犠牲にするのだと言い張ったのだ。
 礼拝堂で見たあの光景が甦った。
 ナタリーが男に組み敷かれる姿を、オレに黙って見ていろって?
 素知らぬ顔で、あいつらが与えた金で、オレに生きていけっていうのか。

「冗談じゃねぇ!」

 オレはナタリーを突き飛ばした。
 彼女はよろめいて、背後にあったベッドに倒れこんだ。
 スカートの裾が乱れて、白い足が剥き出しになり、心臓が音を立てた。
 無意識に唾が湧き、喉が動く。

「……だったら、オレがあんたを買う。オレは自分のために戦うんだ。それなら文句ねぇだろ? あんたのためじゃないんだ、オレは本当は、ずっと……」

 あんたが欲しかったんだ。
 出会った時から、ずっと。
 初めてオレに触れて温めてくれた人が、心の底から愛しかった。

 震える手で、彼女の腕を掴んだ。
 焦がれた肌の感触に、頭が痺れた。
 震えは止まった。
 やることは一つしか浮かばない。

 あの男がやっていたように、体の下にナタリーを組み敷いた。
 彼女の体を隠す、邪魔な衣服を力任せに剥ぎ取る。
 柔らかい曲線を描いた肢体。
 母性の象徴である乳房は大きく、吸い寄せられるように触った。

「オスカー、何をするの!? やめて!」

 驚いたナタリーが抵抗してきたが、構うことなく上に覆いかぶさった。
 手の平に余るほどの胸を揉み、硬くなった乳首を口に含んで吸う。
 夢中になって胸を味わっていると、髪を撫でている手に気がついた。
 抵抗をやめたナタリーが、悲しそうな目でオレを見ていた。
 心が壊れそうなほど痛む。
 間違いをを犯してしまったのだとわかっても、引き返すことができなかった。

「いいのよ、オスカー。わたしは平気だから、あなたの好きなように抱いて」

 ナタリーはオレを受け入れた。
 あの男達と同じように。
 そのことに気づき、悔しくて、ヤケクソになって叫んだ。

「オレが必要なだけ金を持ってくるから、誰とも寝るな! 金をくれるヤツなら、あんたは誰でもいいんだろう。だったら、オレだけにしろ! あんたが他の男に抱かれて得た金で生きていくなんて、オレは嫌だからな!」

 オレが叫ぶとナタリーは頷いた。

「わかったわ。あなたの言う通りにする。だから、泣かないで」

 オレは泣いていたらしい。
 涙を拭われて初めて気がついた。
 ナタリーは子供をあやすみたいにオレを抱いて、交わりの始めまで導いてくれた。

 それからのことはあまり覚えていない。
 本能に任せて突くばかりのオレとの交わりは、彼女には苦痛でしかなかったはずだ。
 生まれて初めて知った女の味は、甘くて苦くて、涙の味がした。




 瞬く間に十一年もの歳月が過ぎ、オレは白騎士団副団長なんていう、大層な肩書きを持つまでになった。
 ナタリーとの関係は相変わらずで進展なし。
 騎士団に入ってからは、さらにぎこちなくなった。
 オレは稼ぎの大半をナタリーに渡し、見返りだと建前をつけて抱く。

 オレ達の過去や事情を知らないガキ共は、早くくっつけとせっついてくるが、ナタリーはオレとの関係を半ば義務のようにこなしている。
 オレだって、朴念仁じゃない。
 そういった男女の機微も少しはわかるようになった。
 身近にバカップルがいやがると、さらに自分の置かれている状況が惨めに思えてくる。
 あの連中が黒騎士団で良かったとつくづく思う。




 外はいい天気だってのに、オレは執務室で書類の山に埋もれていた。
 ドアがノックされ、開いた扉から団長が顔を出す。

「オスカー、ちょっといいかな?」
「あー、はいはい。なんすか、団長」

 仕事するのも面倒くせぇ。
 オレの思考の優先順位は、ナタリー、知識の収集、その他という感じだ。
 いや、待て。
 ガキ共の世話は二番目に入れてやってもいいかもしれない。
 平和な日が続き、単調な書類作成の事務仕事が続くと、オレのやる気は下降の一途を辿る。

 やる気のなさが、態度にモロに出てしまい、団長は苦笑した。
 人の気配を探るような仕草で、ドアを閉め、室内に入ってくる。
 内緒話の態勢ってことは、事件の類か?

「最近、新しい組織が動いていることは知っているよね。明日、特別に有給休暇をあげるから 家に帰るついでに様子を見てきてくれないかな?」

 四年も地下闘技場で無敗を誇っていたオレは、貧民街を拠点に活動している闇組織に顔が利く。
 連中も騎士団と全面的に争う気はなく、こちらが提示したあるルールに従って商売をしていた。
 ルールは至極簡単。
 一般人に手を出さないことだ。
 そのルールを破ったヤツは遠慮なく捕らえる。
 事件を起こすのは、大体が流れ者か組織に属さない半端ものだから、組織の元締めは積極的に情報を提供してくれる。
 見返りに、こっちは縄張りを守ってやってるようなものか。
 持ちつ持たれつ、しかし、馴れ合いのない、おかしな関係だ。

「彼らの活動は人身売買の仲介が主だけど、麻薬の取引も行っているらしい。情報は入ってくるんだが、どれも尻尾ばかりで黒幕の正体が掴めない。どうも、敵は闇に潜んでいるわけではなく、堂々とお日様の下で暮らしているんじゃないかと私は睨んでいるわけだ」

 団長は自分の見解を話しながら、書類を差し出した。
 ここ数年の間に王都に入り居を構えた資産家のリスト。
 疑わしき要因を持つ容疑者達だ。

「目を通しておいてね。何かの役に立つと思うから」
「へーい」
「返事は、はい。今は執務中だよ?」

 偉そうにオレの口調を注意して、団長はニヤりと笑った。

「最近、事務仕事が忙しくて帰ってなかっただろう? 私が少し引き受けてあげるから、ゆっくりしておいでよ。君の奥さんと子供達によろしく」
「あいつらはオレの嫁でもガキでもねぇよ。嫌味かそれ」

 不機嫌に睨んでやると、団長は笑顔を崩すことなく手を振った。

「とんでもない、君が彼らの柱だと言っただけだよ。その言葉を聞く限り、ナタリーさんはまだその気になってくれないみたいだね。オスカーは掘り出しものの好物件だと思うんだけどなぁ。愛妻家で家庭第一、浮気なんか絶対にしないと私が保証してあげよう。その人を寄せ付けないワイルドな風貌と乱暴な口調をなんとかすれば、お嬢さん方に受けも良くなって、お婿さんにしたい騎士様ナンバーワンに輝くのに」

 ちなみに、現在一位はアーサーだそうだ。
 あいつ、外面はいいからな。
 どいつもこいつも騙されてやがる。
 アレを旦那に持った日には、浮気三昧で妻がノイローゼになるぞ。
 てか、どこでそんな統計が発表されてるんだ?

 団長と話していると、話題が妙な方向に変わっていく。
 そろそろ切り上げた方がいいな。

「無駄話なら聞かねぇよ。頼まれごとの方は、きっちりやるから心配するな」
「よろしく頼むよ」

 団長は書類の束を幾つか手に持ち、頑張ってーと気の抜けた声援を残して立ち去った。
 うちの騎士団長様は、掴みどころのない変人だ。
 あれでも一応恩人ではあるから、尊敬はしているけどな。
 有事の時と、それ以外の時の落差が激しすぎるだろ。
 騎士団に入るまで、密かに抱いていたオレの憧れの気持ちを返せ。




 闇組織の連中と接触を図るのだから、どうしても真夜中の行動となる。
 夜遅くに出かけ、貧民街近くの奥まった場所で営業をしている酒場を訪ねた。
 ここは裏社会の連中が商談や接待に使うことで知られているヤバイ店だ。
 オレは顔が知られているので、入り口で番をしていた男は、何も言わずに扉を開けた。

 上手い具合に、店には闇組織の顔役が一人来ていた。
 そいつに都合のつく他の顔役を集めてもらい、話を聞くことができた。
 
「こっちには挨拶もなしだ。まるで獲物を掠め取るハイエナみたいに、ちょろちょろ動いてやがるんだ。売ってるヤクも粗悪品で、無駄に中毒性が高い代物だ。値段も半値近くに引き下げてやがるから、客がそっちに流れている。裏に免疫のない一般の客まで相手にしているそうだ。このままだと裏も表も関係なく、王都全体に広まっちまうぞ」
「借金で首が回らなくなった人間が最近になって何人も消えている。連中が夜逃げの仲介を装って攫ってるって話だ。この王都で売り物の人間を都合よく確保するルートを密かに開拓しているって噂もあるぜ」

 顔役達も、その新顔の組織には腹を立てていた。
 縄張りを荒らされたこともあるのだが、連中のやり方は度を越していて、こいつらの商売の妨げにもなっていたのだ。

「ヤクの売人を締め上げて、アジトの場所を吐かせた。こっちで片をつけてもいいかと思ったんだが、アジトに出入りしているのは下っ端ばかりで、肝心の黒幕がいやがらねぇんだ。頭を潰さないと意味がねぇからな」

 アジトの場所を聞き、地図に印しをつけた。
 黒幕は貧民街にはいない。
 団長の推理は当たっているようだ。

「アジトには見張りを置いて、しばらく泳がせておく。黒幕についても手がかりがまったくないわけでもない。この件は騎士団の管轄だ、後は任せてもらう」
「おう。頼むぜ、オスカー」

 これだけではまだ何もわからないが、他の情報と合わせれば見えてくるものもあるはずだ。
 地図を畳んで上着の内ポケットに放り込む。
 まだ夜明けまで、時間があるな。

 酒に口をつけると、カウンターの傍でこちらを遠巻きに見ていた女達が近寄ってきた。
 こちらの話が終わるのを待ち構えていたんだろう。
 酌を商売にしているだけあって、化粧の濃い派手な女ばかりだ。
 胸元や足を見せ付ける、露出の多いドレスを着て、顔役達にしなだれかかる。
 顔役のおっさん連中は、鼻の下を伸ばして女を抱き寄せ、金貨や札束を振りまいていた。
 オレの傍らにも女が立ち、肩に手を置いてきた。

「お兄さん、若いのにすごいのね。こんな偉い人達と同じテーブルでお酒を飲んでいるなんて」

 営業用の猫なで声で囁いてきたのは新人らしき若い女だった。
 化粧で大人っぽく装っているが、素肌の状態から見て、まだ十代なんだろう。

 女の声を聞きつけた顔役の一人が、酔っ払った勢いで上機嫌に話し始めた。

「そいつはすげぇヤツだぜ。なんせ、たった十二で地下闘技場の頂点に立ったんだからな。今、思い出しても興奮するぜ。あの時、多くの客が相手の大男の勝利を確信してそっちに賭けたが、オレはお前さんに全財産を賭けて、莫大な金を儲けた。さらにそれを元手にこの世界でのし上がったんだからな。オスカーに出会わなければ、オレは今でもこの街の隅っこで惨めに生きていたのかもしれねぇぜ」

 一人が喋りだすと、他のヤツも乗ってくる。
 オレでさえ覚えていない試合の内容を熱を込めて語り合い、身振り手振りで再現まで始めやがった。
 この連中は、あの闘技場の常連ばかりだったのだ。

「オスカーを倒そうと挑戦者もひっきりなしに現れて、あの頃が一番盛り上がってたな。ガキの外見に騙されて、オレなら勝てると息巻いて来たヤツがあっけなく倒されていくのを見るのは痛快だったぜ。オスカーの名と偉業は、オレらの間じゃ伝説になっている」
「なあ、騎士団なんかやめて、また復帰しないか?」

 最後はいつも、この流れになる。
 オレにはもう闘技場で戦う理由がなかった。
 一級騎士となった今、金には不自由していない。
 面倒ごとを嫌うオレが副団長になったのも、管理職手当てがつくと聞いたからだ。

「今さら復帰しても、オレはあの頃のガキじゃねぇ。勝ったところで面白みも半減するだろ。伝説は伝説のままにしておく方が夢があっていいと思うぜ」
「そうかぁ? オレはもう一度、お前さんの勇姿を見てみたいがな」

 残念がっている男の声は無視して席を立った。

「何かわかったら連絡をくれ。捜査に貢献してくれれば、こっちもそれなりの見返りは用意する」

 店主に代金を渡して外に出ると、さっきの女がついてきた。

「ねぇ、一晩どう? 夜も遅いし、今から家に帰るのも面倒でしょう?」

 女は慣れた動きで、オレの腕に自分の腕を絡ませた。
 流し目で、近くの宿に入ろうと促してくる。
 腕に押し付けられている柔らかい感触、匂い立つ女の香りを嗅げば、飢えた男なら迷わず飛びついていくだろう。
 だが、オレは欲しいとは思わなかった。
 どんなに渇こうとも、他では満たされることはない。
 オレが欲しいのは、たった一人の女だけだった。

「生憎、金持ってねぇんだ。悪いな」

 軽い動作で腕を払うと、意外にあっさり離れた。
 断られるとは思っていなかったのだろうか、女は呆然としたマヌケな顔で突っ立っていた。
 笑う気も起きず、面倒なことになる前に、オレはその場を立ち去った。

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