わたしの黒騎士様

間違いだらけの恋愛指南

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 【2】

 カフェを出てからも、我々五人は道行くカップルの観察を続ける。

「あのバッグ可愛い! もうすぐ誕生日だし、あれが欲しいな。ね、いいでしょ?」
「わかっているさ。君のためなら何でも買ってあげる」

 すれ違ったカップルの会話が聞こえてくる。
 女性がバッグをねだり、男は鼻の下を伸ばして応じているようだ。
 そちらに視線を向けると、女性は恋人の腕に自分の腕を絡ませて、べったりくっついていた。
 あのように密着していて、歩き辛くないのだろうか?

「ふむふむ、あのように腕を絡ませて甘えるのだな」

 エミリア姫はマーカスを実験台……もとい相手に、カップルの女性側の会話や仕草をマネている。
 二人の身長差は約頭二つ分ほどだ。
 姫はマーカスの腕にぶら下がっており、駄々を捏ねて親にすがりついている子供を連想させた。
 なぜだ。
 同じことをしているはずなのに、なぜこうもらしくないのだ。

「あの鎧カッコイイ! わらわはあれが欲しいのじゃ。ね、いいでしょ?」
「御意」

 二人は武具屋に入ろうとしている。
 まてまて、デートで入る店ではないぞ。

「マーカス、違うのだ」

 お、姫が気づいたようだ。
 胸を撫で下ろして、デートに相応しい適当な店を目で探す私の耳に会話の続きが聞こえた。

「返事はそうではないのだ。さっきの男と同じように言うのだ」

 違うのはそっちか。
 マーカスは無表情で姫を見返し、こくりと頷く。

「君のためなら何でも買おう」
「うむ、上出来じゃ」

 得心した様子の姫はマーカスを伴って店内へと入っていく。
 それまで傍観していたヴィンセント王子がくすくす笑い出した。

「エミリアもマーカスも楽しそうだね。連れて来た甲斐があったというものだ」
「これできちんとした経験になっているのか、甚だ疑問ではありますが……」

 あのやり取りを含めて今日の出来事が創作の糧になるのかどうか、真剣に疑問に思う。
 殿下は私の肩を叩いて「深く考えるな」と言われた。

「恋愛ってね、頭で考えるものじゃないよ。恋をした時の胸の高鳴りは自然にわいてくるものなんだ。それが物語の中でも同じだと私は思うね。エミリアはもう恋を知っている。ただ自覚がないだけなんだ」
「まあ、ヴィンセント様、素敵なお考えですわ。そうですよね、物語の中の恋だって心が伴っていれば本物ですわ。ヴァイオレット=キャンベルの物語……、いえ、世に溢れる多くの恋愛小説が少女達に与える胸のときめきは決してまやかしなどではありませんわ」

 フローリー女史は遠くを見る眼差しで宙を見つめた。
 自らの少女時代を思い出しているのか?
 この人も、初恋は物語の王子だったのかもしれない。
 少々思考が理解できないお人ではあるが、少女達に夢を届ける編集者の姿勢としては、今の言葉は評価に値すると尊敬の念を抱いた。




 しばらく待っていると、姫とマーカスが店内から出てきた。
 さすがに鎧は買わなかったらしく、姫が手に持っていたのは護身用の懐剣だった。
 姫はそれを持って殿下に駆け寄ってきた。

「兄上、見てくだされ! マーカスに買ってもらったのです!」
「うん、立派なものだ。良かったね。ちゃんとお礼は言ったのかい?」

 優しい笑みを浮かべて、殿下は妹君の頭を撫でた。

「はい。今日の記念として、これは肌身離さず持っておきます」

 姫はいたく感激しておられたのか、そう言って宝物のように剣を抱えた。
 妹君の様子を見て、殿下は複雑そうに微笑を歪めてマーカスをちらりと見やった。

 殿下の表情に憂いが混ざっていることに気づいて不思議に思った。
 どうしたんだろう?
 殿下は何を案じておられるのだ?




 ヴィンセント様は姫に視線を戻すと、肩に手を乗せて笑いかけた。

「日暮れまで、まだ時間がある。次のお手本を探さないとね。その前に飲み物でも買ってこようか、エミリアとレジーナさんはここで待っていて」

 殿下は私とマーカスを伴って、露店に足を向けた。
 新鮮な果実を絞って作られたジュースが売られており、どれにしようかと悩んでいると、背後から姫の怒鳴り声が聞こえた。

「暇ではないと言っておろうが! こちらがおとなしくしているうちに立ち去れ! さもなくば、痛い目を見るぞ!」

 振り返ると、数人の男達が姫と女史を取り囲んでいた。
 始めは軽い調子で遊びの誘いをかけてきた様子だったが、あまりにしつこいので姫が我慢の限界に達したらしい。

「かわいい顔して、威勢のいいお嬢ちゃんだなぁ。いいから一緒に行こうぜ。あ、そっちのおばさんには用はないから」

 おばさんと呼ばれたフローリー女史の瞳が鋭く細められる。
 禁句を言ったな。
 それだけは言ってはいけなかったのに。

「誰がおばさんですって!? この礼儀知らずの小僧どもがっ!」

 女史は無礼な発言をした男の胸ぐらを掴み、頬を目がけて右手をものすごい勢いで振り下ろし、戻す勢いでもう片方の頬も打った。
 一往復では終わらず、さらに何往復もの平手を両頬にくらい、無残に顔を腫れ上がらせた犠牲者は、止めに道を舗装している石畳の上に投げ倒された。
 殺気を漲らせた女史の瞳が、メガネのレンズの向こうでキラリと光る。
 気圧されて怯んだ男達だが、相手が女性であることに気を取り直して凄み始めた。

「よくもやったな!」
「この落とし前はつけさせてもらうぜ!」

 一人減った男達は、怒声を上げて因縁をつけている。
 まずいな、助けに入らねば。

 私が動くより一歩早く、マーカスが彼らに近づいていた。
 女史に殴りかかろうとしていた男の腕を掴み、簡単にねじって相手の背中の上で捻り上げた。

「い、いて! いてててっ!」
「な、何だお前、いきなり!」

 痛みに呻く仲間を助けようにも、飛び掛ることもできずに男達はうろたえていた。
 マーカスの無表情は威圧感を伴い、相手の恐怖心を煽るのに一役かっている。
 無感動な瞳で見据えられては、己に待ち受ける未来を予想するのは不可能で、底知れぬ不安をも与えるのだ。

「乱暴は許さん。去れ」

 マーカスは捕らえた男を解放し、警告を発した。
 このまま逃げるだろうかと思ったが、変なプライドが働いたのか、男達は怒りの矛先をマーカスに向けた。

「ここまでコケにされて黙って帰れるか! こっちの方が数は多いんだ、絶対に勝てる!」

 私服を着ているせいか、我々が誰だかわかっていないようだ。
 わかっていたなら、こんな無謀なマネはしなかったはずだ。
 一般人が一級騎士にケンカを売るなんてバカなマネは。

 気勢を上げてマーカスに殴りかかった男達は、体に触れることさえできずに投げ飛ばされたり、手刀による当て身をくらって路上に転がっていく。
 一分とかからずに全員が気を失い、地に倒れ伏していた。

「何の騒ぎだ!」
「そこで何をしている!」

 騒ぎを聞きつけて、街を巡回していた騎士団員が走ってくるのが見えた。
 彼らは私に気がつくと驚いて足を止めた。

「グレン様じゃないですか。何があったんです?」

 都合よく黒騎士団の者だったので、私が事情を説明した。
 そうそう、殿下と姫のお忍びのことも口止めしておかないと。




 駆けつけてきた騎士団員に気絶している男達を引き渡し、騒ぎの原因を説明して、ついでにお忍びのことは他言しないようにと頼んでおいた。
 騎士達が男達を連行して行き、集まってきた野次馬も解散して一息つく。
 落ち着いた途端、エミリア姫とフローリー女史が羨望の眼差しでマーカスを見つめた。

「すごかったのだ、マーカス! 胸がドキドキしたぞ! ヒロインを助けるヒーローみたいだったのじゃ!」
「私もですわ! あれは、まさしく物語の一場面そのもの! エミリア様、この興奮を忘れない内にメモを取らねばなりません、早く早く!」

 創作のアイデアが出たのか、姫と女史は顔を寄せ合ってメモ帳に文字を書き込んでいた。
 きゃあきゃあ黄色い声を上げて、二人は盛り上がっている。
 マーカスは彼女達を無表情で見つめていたが、何となく照れているような気がした。

「あのエネルギーがベストセラーを生み出すのかな。我が妹の才気と情熱には敬意を抱かずにはいられない」

 ヴィンセント様が感嘆の吐息をもらす。
 今日一番の収穫となった体験をメモに書き残し、我々の恋愛体験を目的をとした観察ツアーはさらに続いた。




 太陽が沈みかけた頃、我々は王宮に戻るべく帰路を歩んでいた。
 フローリー女史とは現地解散ということで、途中で別れた。
 彼女は別れ際に殿下と握手し、サインをもらっていた。
 きっと今夜は興奮でなかなか寝付けないことであろう。

 私と殿下の数歩前で、エミリア姫とマーカスが腕を組んで歩いている。
 姫がマーカスの腕に抱きついているのは変わらないが、一日も経過するとそれなりの雰囲気が漂いだした。
 少なくとも、もう親子には見えない。

「今日は楽しかったのだ。たまには王女だということを忘れて遊ぶのも気分転換になるのう」

 小説のための取材じゃなかったのか。
 デートの真似事をしている間に目的がすり替わっていたようだが、細かいことを突っ込むのは野暮というものだ。

 目を輝かせて笑う姫はとても生き生きとしていて、微笑ましさを感じた。
 王女といえば、かつては雲の上の人のように思っていたが、こうして供をしていると等身大の普通の少女でもあるのだとわかる。

「エミリアは賢い子だ。王女としての自分の役割を理解している。でもね、心まで縛る必要はないんだ。たとえ実らない恋をしたとしても、そこから何か学ぶものや得るものがあるはずだ。だから私は見守ってあげたい。兄として、妹の成長をね」

 隣を歩くヴィンセント様が、私にだけ聞こえるぐらいの小声で呟いた。
 今の言葉には、兄として、王子としての複雑な思いが込められている。
 殿下が何を憂えておられたのか、朧気にだがわかった。

 後数年もしないうちに、姫はどこかの国の王族に嫁がされることになる。
 縁談だって、すでに両手で数えるには足りないほど持ち込まれていると聞く。
 自由にできるのは今だけなのだ。
 相手が決まってしまえば、お忍びといえども、このような振る舞いは許されない。
 今日一日を楽しそうに過ごす妹君を見た殿下は、姫として生まれたが故に多くの自由を奪われてしまった彼女を哀れんで、悲痛な思いを抱かれたのだ。

「見守ることしかできないんだ。王太子なんて言っても、できることは限られているものだね」

 私にはかける言葉が見つからなかった。
 唯一の救いは、エミリア姫が自分の運命をすでに受け入れ、強い意思を持って王女としての道を歩まれていることだった。




 王宮が見えてきた。
 敷地を囲むように続く城壁の前に出ると、エミリア姫が歩みを止めた。
 姫はこちらを振り返り、ヴィンセント様に声をかけた。

「兄上、王宮に入るまでは、この身はただのエミリアです。王族の姫が伴侶以外の者に唇を与えるなど、本来なら許されないことでしょうが、今なら何も問題はありませんな」

 言うが早いが、姫はマーカスの腕を引き、体を屈めさせて顔を寄せた。
 唇同士が触れ合うだけの軽い口付け。
 顔を離した姫は照れたように笑い、腰に手を当てて胸を張った。

「レジーナの言う通り、口づけの経験ぐらいはしておくものじゃ。これでもっと良い作品が書けるな。自由に恋ができないわらわの代わりに、物語の中で大勢の騎士と乙女が恋をして幸せになるのだ。そうであったな? マーカス」
「御意」

 マーカスは姫の足下に跪き、差し出された手を恭しく取った。

「全て姫の望むがままに。我が手が描く世界は、あなたのものだ」

 許しを得て、手の甲に口づけを落とす彼の姿は、乙女に剣を捧げて誓いを立てる騎士のものであり、神聖で近寄りがたいものを感じた。

 私はようやくマーカスが恋物語を書いていた理由を知った。
 彼は姫を喜ばせようと、数多くの恋愛小説を読み、その知識を元に恋をする様々な男女の姿を描いてきた。
 想像の世界の中でヒロインに感情移入することで、主君に恋をする自由を与えたのだ。

「今のは見なかったことにしよう。グレンも黙っていてくれるね?」

 ヴィンセント様が唇に指を当てて微笑まれた。
 周囲には誰もおらず、我々が口を噤めば知れ渡ることもない。
 頷き返して、ふと我が身を振り返る。

 私も恋をする日がくるのだろうか?
 多くの者が体験し、喜びと痛みを味わう胸の高鳴り。
 今までさほど気にもしなかったことだが、それを経験しないまま一生を過ごすのは、何だかとても惜しい気がした。




 それから一ヵ月後。
 私は王都で一番大きな集会所にいた。
 集会所は街のあらゆる団体や一般市民が会議やイベントなどで使用している建物だ。
 その集会所の大広間で、とあるイベントが開催された。

 ノベルマーケットと題されたそのイベントは、王都で開かれる大規模な同人誌即売会だ。
 素人の小説書きや挿絵書きが自作を持ち寄り、展示即売する場である。

 私はフローリー女史に頼まれて販売の手伝いに会場へと赴いた。
 女史は趣味で小説を書いており、同人誌の形で発表しているそうだ。
 女史の相棒である挿絵書きの女性は、販売の傍らでスケッチブックにラフ画を書くサービスを行うべく支度をしている。
 私の他にはエミリア姫とマーカス、そしてヴィンセント様が手伝いに来ていた。

 販売用に割り当てられたテーブルに本を積み、着々と準備が進んでいく。
 後は入場を待つばかりとなり、見本誌を一冊手に取った。
 恐らく恋愛小説なんだろうが、どんな本を売るのか知っておいた方がいいな。

 黙読で読み進め、静かに閉じてテーブルに戻す。
 私には理解できない世界がそこにあった。
 王子と騎士が愛を囁きあい、すれ違ったり、周囲の妨害にあったりして想いを深め合っていく物語だ。
 ちなみに騎士は男で、恋のライバルも男だった。
 王子が男装の女性というわけでもない。

 内容を記憶から追い散らすべく頭を振る私に、女史が話しかけてきた。

「そろそろ入場が始まりますわ。グレン様、準備はよろしくて? 値段は覚えましたね?」
「はい、まあ、なんとか……」

 昔から暗算は得意だった。
 落ち着いて対処すれば、販売で戸惑うことはないだろう。

「今日は皆様にお手伝いしていただき、助かりました。それにヴィンセント様の王子様仮装が見られるなんて、ああ……。最高の一日になりそう……」

 女史の目線の先には、客寄せに王子の仮装をした殿下がいた。
 自前の正装を身に着けて、白いマントを翻し、腰には王家の紋章入りの剣を装備済み。周囲の誰もが、レプリカだと思い込んでいるが、あれは正真正銘の王家の剣だ。
 周辺にいた女性達からの憧れと陶酔を含んだ眼差しを浴びて、殿下は惜しげもなく微笑みを振りまいておられた。
 というか、この人は本物であって、仮装とは言わないのでは……。

「わあ、ヴィンセント様、すごくお似合いですね。お名前も同じですし、本物みたいに気品に溢れていらっしゃるわ。イメージにぴったり」

 フローリー女史の相方の女性が殿下を褒める。
 似ている人との認識で、殿下を見ているのだ。
 彼女は我々の素性など知らない。
 いや、バレたらとんでもないことになる。

「そうですか、嬉しいな。お祭りみたいで楽しいですね」

 褒められて、殿下はご満悦だ。
 この人、しょっちゅう城を抜け出して遊び歩いているのかもしれない。
 前回のことといい、お忍びに慣れ過ぎている。

 我々の後ろでは姫とマーカスが何やら相談している様子だ。

「入場が始まったら、買い物に行くぞ。恋愛小説を扱っている店が結構あるのだ。楽しみだな」
「御意」

 出店されている店のリストが載ったパンフレットで、買い物リストを作成している姫とマーカス。
 二人の目当ては男女の恋愛小説だ。

「押さないでー! 入場開始時刻まで後五分です! 列を乱さないで並んでくださーい!」
「場内では走らないで、通路で立ち止まらないでください!」

 腕章をつけたイベントスタッフが客に注意を促している。
 広間の入り口から、大勢の客が並んでいるのが確認できた。
 もうじきこの場に、あの大群がなだれ込んでくるのだ。

 入場へのカウントダウンが始まる。
 せっかくの休日に、こんなところで私は何をやっているんだろう?

 少々疑問を感じながらも、入場開始と共に殺到してきた客を相手に販売を始める私であった。


 END

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