わたしの黒騎士様
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彼に出会うまで、わたしは暗くて静かな道のりを一人でとぼとぼ歩いている、そんな気持ちで生きていた。
闇に光を当てて、未来を照らしてくれたのは、彼の言葉。
女であるわたしが騎士を目指したのは、ある一人の少年との出会いがきっかけだった。
わたしが生を受けたフランクリン家は由緒正しい貴族の家系。
街一番の富豪であり、領主でもあった。
その家の長女として育てられたわたしだけど、周囲の期待や関心は、共に生まれた双子の妹に向けられていた。
「シェリー様はかわいらしい、輝く金の髪に澄んだ蒼い瞳、絹のような白い肌。将来が楽しみですね」
「覚えも早くていらっしゃる、生徒として教え甲斐がありますよ」
「性格も控えめでお優しい。シェリー様が微笑まれるだけで、天国の花園にいるようだ」
人の輪の中心に置かれて微笑んでいる彼女を、わたしは離れた場所から見ていた。
せめて同じ顔であれば、姿だけでも褒めてもらえたのに、わたしとシェリーの顔立ちは双子でありながら驚くほど似ていない。同じなのは髪と瞳の色だけ。
シェリーは美しい母譲りの愛らしい容姿をしているが、わたしは父に似た平凡な地味顔だ。
二人が並んでいれば、どちらに声をかけたくなるのか、子供にでもわかる。
傍にいても、わたしは誰の目にも映らない。
疎外感と居心地の悪さで、そっと離れる。
無理に割り込んでも、邪魔者扱いされるだけ。
賑やかな笑い声を背にして、こっそりとため息をついた。
人々の言う通り、シェリーは良い子だ。
姉妹仲は決して悪いわけではない。
むしろシェリーはわたしに懐いていた。
同じことをしたがり、一緒にいたがる。
だからこそ、人々はわたしと彼女の違いに気づき、比較するようになったのだろう。
成長するごとに、わたしとシェリーの差は顕著となり、周囲の人間どころか両親までわたし達を比べるようになった。
褒められたことなど記憶にない。
隣でシェリーが称えられ、わたしは不出来を責められて、長女なのだから頑張りなさいと叱責される日々。
必死で頑張っているのに、その努力すら認めてくれる人はいなかった。
「だめですよ、そこは先ほども注意したでしょう?」
作法の教師である年配の婦人が、派手に手を打ち鳴らし、厳しい口調で声を上げた。
室内で優雅に振る舞う作法の特訓中、お辞儀の角度が深いだの浅いだのと、細かなところまで注意されていた。
自分ではうまくできたと思ったのに、教師は良くない点ばかりを挙げて、もう一度と促した。
「シェリー様はこの程度の作法はすぐ覚えてくださったのに、キャロライン様にはやる気がないのですか?」
教師は大げさにため息をつき、額に手を当てている。
そんなにひどいの?
昨夜だって、シェリーに見てもらって何度も練習した。
これなら大丈夫だって、シェリーは言ってくれたけど、あの子は人の悪いところを言わない子だから、無理して褒めてたんだろうか。
少しだけ生まれた自信も瞬く間に消えていく。
否定の言葉ばかりを聞かされて、憂鬱な気分のままレッスンは終わった。
俯きがちに廊下を歩いていると、客間から両親と家庭教師達の会話が聞こえてきた。
先ほどの作法の教師と勉学の教師が、両親と話している。
きっと今日の成果を報告しているんだろう。
「シェリー様の方は言うことはありません、順調に課題をこなしてくださっています」
教師達は異口同音に、シェリーを良い生徒だと褒めた。
「問題はキャロライン様の方です。シェリー様のようにはいかなくて、我々も困っています」
「いっそ教え方を変えてみた方がいいのかと、試行錯誤しているのですが……」
わたしのことになると、彼らは言葉を濁した。
扉一枚隔てた場所にいても、声色で彼らの迷惑そうな表情が想像できる。
成果が出ないのは出来の悪い生徒のせいだといわんばかりに、教師達は両親に弁解していた。
「双子だというのに、どうしてあんなに違うのだろうな。このままでは社交の場にも出せん。仕方ない、次の舞踏会ではシェリーだけを連れて行くことにしよう」
「シェリーは二人一緒にデビューしたいと言っていたのに、かわいそうにね」
両親の重く沈んだ声は、わたしを厄介者だと言っていた。
二人が思いやるのはシェリーの気持ちだけ。
不器量で何もできない娘なんか、人前にも出せないぐらい恥ずかしい存在なんだ。
両親にまで見捨てられたショックで、わたしは頑張ることをやめ、次第に無気力になっていった。
わたしが無気力になるにつれ、教師達もおざなりの授業をするようになった。
ただ本を読んで過ごしたり、時間が来るまで正しい姿勢で座っているなどのどうでもいい課題ばかり出して、その間にシェリーの教育に情熱を注いでいた。
今日も課題の読書が終わったが、教師は別室でシェリーのための課題を作っていて戻ってこない。
どうでも良くなって、外の空気でも吸おうと街に出た。
街の広場では少年達が木刀を振って、剣の稽古をしていた。
指導者は引退した元騎士の老人で、趣味で彼らの面倒を見ていると、以前聞いたことがある。
何をするでもなく、広場の隅に座って時間を潰す。
空を流れる雲を見たり、稽古の風景をぼんやりと眺めて過ごした。
夕方になって屋敷に戻ってみたが、叱られることはなかった。
教師も自らの職務怠慢を報告する気はないのだろう。
それからわたしは屋敷を抜け出して広場に行くようになった。
誰の目も気にしなくていい。
屋敷でくつろげない分、広場が憩いの場所となりつつあった。
ある日のことだ。
定位置となっている広場の隅に座り、ぼうっと過ごしていたわたしの前に影が落ちた。
立っていたのは、黒髪にブラウンの目をした引き締まった顔立ちの少年で、年は十代半ばぐらい。
知らない人だ。
彼は手に持っていた木刀をわたしに差し出した。
意味がわからなくて、差し出されたそれを無言で見ていた。
「振ってみろ、動け。そこで座っていても、お前の世界は変わらない」
青年と少年の狭間にいる彼の声は少し低かった。
その声に惹きつけられたように、手を差し出して木刀を受け取った。
「レオン、何やってんだよ。お嬢様にそんなことさせて、後で怒られてもしらねぇぞ」
わたし達のやりとりを見ていた他の少年達が、口々に目の前の彼に意見した。
彼は周囲の言葉には耳を貸さず、わたしの手を取って立ち上がらせた。
「やってみろ。そんな格好でも振るぐらいならできるはずだ」
そんな格好とは、ドレスのことを指している。
わたしは彼の導きに従い、少年達がいつもやっているように、木刀を上段に構えて振り下ろした。
周囲から、口笛の音やざわめきが聞こえる。
それはいつもの嘆くような声ではなく、感嘆の響きが含まれていた。
恐る恐る少年の方を向く。
怒っているのかと見間違うほどの無愛想な顔に、初めて笑みが浮かんだ。
「筋がいいな、練習すればきっと上達するぞ」
そう声をかけられ、戸惑って彼を見つめた。
彼の笑みは消えない。
真っ直ぐに見下ろしてくる瞳に照れて、再び手元に視線を戻す。
女の手には不似合いな、勇ましい木刀。
ただの木の棒なのに、わたしには宝石よりも輝いて見えた。
何をやってもだめなわたし。
身近にいる完璧な存在と常に比べられて、嘆かれて、全てが嫌になって、逃げ出したくてたまらなかった日常を変えてくれたのは、彼のその一言だった。
彼の名はレオンといい、自分のお下がりだと言って動きやすい服を貸してくれた。
屋敷を抜け出し、彼の家に行って服を借り、広場に行くのが日課になった。
レオンはわたしに剣を教えてくれた。
厳しく注意されることもあるけど、些細なことでもうまくできれば褒めてくれた。
周囲の評価が変わることはなくても、彼に認めてもらえるだけで、わたしの心は光で満ちた。
稽古仲間の少年達は、みんな気さくで優しかった。
一緒に大声で笑ったり、ふざけて駆け回ったり、屋敷にいるだけでは体験できないことをたくさん学んだ。
街の人達とも交流した。
広場に来る子供達を見守っている元騎士のおじいさん。
たまにお裾分けの果物やパンをくれる商店のおじさん、おばさん。
広場には様々な年齢、職業、階層の人々が訪れて、笑い声が絶えることはなかった。
今まで知ることも触れることもなかった温かい世界がそこにあった。
レオンとの別れは意外に早くやってきたけど、一緒に過ごした時間は短いながら充実していた。
「黒騎士団の入団試験に合格したんだ。オレは街を出て王都に行く」
旅立ちの日。
騎士になることが幼い頃からの夢だったのだと、レオンは話してくれた。
彼を失うことは身を切られるほどつらいことだったけど、行かないでと言えるほど、わたしはわがままにはなれなかった。
代わりに言葉をもらおうと、彼に問いかけた。
「わたしでも強くなれる? 誰かにとって必要な人間になれる?」
彼はわたしの肩に手を置いて、真っ直ぐな瞳で見つめてきた。
「自信を持て。努力を怠らず、前に進むなら望みは叶う。オレはどこにいても、お前のことを忘れない。だから、諦めずに頑張れ」
信頼する彼の言葉は、わたしの心に強く響いた。
わたしは誰よりも、あなたに必要とされる人間になりたい。
「わたしも騎士団に入る! レオンがいなくても頑張るから、待ってて。必ず追いついてみせる!」
すがりついたわたしを、彼は強く抱きしめた。
「ああ、待っている。約束しよう。追いつくことができたなら、オレはお前を離さない。一緒に未来を生きよう」
彼がわたしに残してくれたのは、希望と目標。
そして、芽生えたばかりの恋心。
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