我が愛しの女王陛下

終章・女王リュシエンヌ

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 わたしは幼い頃から聞き分けの良い子だと言われてきた。
 城に勤める女官達は恋の噂に夢中で、わたしの耳にも色々入ってきていた。
 頬を薔薇色に染めて、好きな人の話をする彼女達を微笑ましいとは思っても、なぜか我がことに重ねることはできず、恋とはどんなものなのか、わからずに育った。
 結婚も、父上が選ばれた人とするのだと、漠然と考えていた。

 わたしの身近には五人の男性がいた。
 勉強を教えてくれる家庭教師のロベール。
 いつも傍にいて守ってくれる近衛騎士のラウル。
 珍しいお話をたくさん聞かせてくれるフィリップ。
 それから同じ目線で話せる友達のユーグとリュカ。

 彼らのことは大好きだったけど、わたしが抱いた好意は恋ではなかったと思う。
 わたしが一番に考えるのは、この国と、この地に住まう人々のこと。
 父も彼らも、その中に含まれる。
 みんなに幸せになって欲しい。
 全てに恵まれていたわたしは、幸運にも誰かを妬むこともなく、そう願うことができた。




 父上はよくわたしを連れて国内を視察なされた。
 小さな王国の隅々までまわり、わたしは自分の目で民の姿を見てきた。

「リュシエンヌ、お前はいつかこの国の女王となるだろう。王とは国の頂点に立つ者。率いる民なくして国は成り立たぬ。そのことをよく考えて、この国をどうしたいのか大人になるまでに答えを見つけるのだぞ」

 父上は自分の治世はもっと長く続くと考えておられた。
 だから、大人になるまでと言われたのだろう。
 わたしはこの国をどうしたいのか考えた。
 来る日も来る日も考えて、そして答えを見つけた。




 視察に向かった先の村で、取れたての果実をもらった。
 赤いリンゴは皮を剥かれて、綺麗に飾り切りされたものが出てきた。

「いただきます」

 毒見が済んだ後、味わって頂く。
 ふと、何気なく果樹園の方に意識を向けると、大勢の笑い声が聞こえてきた。

「いっただきまーすっ」
「こら、王女様がお近くにおられるのに静かに食べないか!」

 リンゴを丸齧りしておいしそうに頬張る村の子供達。
 彼らの行儀の悪さを叱りながらも、温かい目で見守っている大人達の姿を見て悟った。

 これが、わたしが理想とする国の姿なんだ。
 どこに行っても笑い声で溢れ、人々は助け合いながら一生懸命生きている。
 とても単純だけど、簡単には作ることが叶わない理想の国。
 平和で温かい国を、わたしは作りたいと思った。




 十七才になった年、父上が急死し、わたしは女王となった。
 周辺の国々から数多くの縁談が持ち込まれたものの、我が国を託すに相応しい人は見つからなかった。
 求婚者の中でも有力な候補となった隣国ゴルバドレイの王は、自国の民ですら奴隷のように扱うと評判で、その惨状は我が国にまで伝わってくるほどだ。
 この人にも任せることはできない。
 そう判断して縁談を断った途端、王は軍隊を国境付近に集結させ始めた。
 他の国々は沈黙し、成り行きを見守ることにしたようだ。
 力の差は歴然であり、国内でも不安の声が多く上がった。
 情勢が悪化していくにつれて、信頼していた重臣達も次々逃げ出していく。
 わたしの力が足りないからだ。
 女王の冠を頭上に乗せていても、所詮は無力な子供でしかなかった。

 そんな時だった。
 ロベール達が、取引ともいえる提案を持ち出してきたのは。

「我ら五名、ゴルバドレイの軍を退け、我が国を救う策を持っております。女王陛下の御心一つで、我らは国を守ってみせましょう」

 いつもなら何も言わずに助けてくれる彼らなのに、持って回った言い方をするのには何か理由があるのだと思った。
 わたしはロベールに問いかけた。

「わたしの心?」
「はい。この度の戦に勝利し、見事ゴルバドレイを退けた暁には、我ら五人全てを陛下の伴侶として迎えていただきたいのです」

 ロベールの申し出に、他の家臣達から怒りの声が沸き起こった。

「血迷ったか、貴様ら!」
「女王陛下に対し、なんと無礼な! 身の程を弁えよ!」
「陛下、すぐにこやつらを処罰なされよ! 弁明など聞かれる必要はありませんぞ!」

 家臣達の反応は、予想通りのものだったのだろう。
 投げかけられる罵倒の声にも、彼らは少しの動揺も見せることはなかった。

「我々は本気です。全ては女王陛下のご判断にお任せします。この提案を受け入れるも、我らを処罰なされるもご自由に。……さらに進言いたしますならば、我らは女王陛下のご命令ならば、いつでもこの命、捨てる覚悟であることもお忘れくださいますな」

 場は騒然となり、ざわめきが広がる。
 わたしはとても冷静に受け止めていた。
 彼らの言葉の意味も正確に理解できていた。

 これは命を賭けた告白でもあった。
 提案を撥ねつけられ、不忠の徒として処罰されても文句は言わぬと。
 彼らはあくまでわたしの臣下であり、わたしが一声命じれば、取引など関係なく国を救うために動いてみせるとも言っていた。

 だけど、わたしは彼らの願いを聞き届けた。
 わたしは怖かったのかもしれない。

 この度の戦も、わたしの伴侶の座が空いているからこそ起きたもの。
 いつかは誰かと娶わせられるなら、いつも傍にいてくれた彼らが良いと打算が働いた。
 たった一人で背負うには、国一つは重すぎた。
 彼らの想いの意味も理解できぬ身でありながら、差し出された愛情に、わたしはすがりついてしまったのだ。




 夫となった彼らは、まっすぐにわたしに愛を捧げてくれる。
 同じだけの愛をわたしは返すことができないのに、彼らはそれでもいいと微笑んで言うのだ。

 罪人はわたしだ。
 わたしは差し出された五つの手を取ってはならなかった。
 女王として威厳を持って、提案を撥ねつけるべきだった。

 なのに、周囲はわたしではなく、彼らを責める。
 国の危機を盾に取り、女王を陥れたのだと。
 誰に責められても、彼らはわたしを責めたりはしない。

 誰でも良かった。
 わたしを断罪し、責めてくれる人を求めた。
 フィリップの妻であるクリスティーヌを城に招いたのは、そんな期待からだった。




「陛下は私に何をお求めですか?」

 クリスティーヌは静かに尋ねた。
 目は逸らされることなくわたしを見つめ、曇りも迷いもない瞳は、わたしの心にある醜い面も全て見通しているように感じた。

「あなたの本心が知りたい。あなたにならわかるはずだわ。誰が一番罪深いのか、身勝手なのは誰なのか。責められるべきは誰なのかを」

 興奮して声が上ずって震えていた。
 この場で強く装うことは無意味に思えた。
 罪を暴かれ、突きつけられるわたしは、怯えて蹲り、審判の時を待っているのが相応しい。

「私に誰を責めよと言われますか? 私の夫でしょうか? それとも夫を唆した宰相殿を? いえ、それを言うならば他のご夫君も同罪でしょうね」

 クリスティーヌは朗らかに笑うばかりで、わたしが欲しい言葉を言ってくれなかった。
 焦れて、彼女に詰め寄る。

「違うの、フィリップも、ロベールも、誰も悪くない! 悪いのは……」
「陛下、それ以上はお口になさってはいけません」

 ぴしゃりと遮られ、口を閉じた。
 声を荒げたわけでもないのに、クリスティーヌの言葉には無意識に従ってしまう迫力があった。

「悪者探しをしても建設的ではありませんよ。何を言っても、正式な誓いを交わした後では取り返しはつきません。それとも陛下はご夫君達を全員離縁して、新たな夫を迎えられる気でもあるのですか?」
「ち、違うわ。そんなことはしない」

 否定するわたしを見て、クリスティーヌは困った顔をして微笑んだ。

「あなたがもっと狡猾で我が身を可愛がるお方であれば、私も遠慮なくこの胸に抱く嫉妬の感情を曝け出し、責められたのですけどね」

 クリスティーヌはわたしへと手を伸ばした。
 わたしも恐る恐るその手に触れる。

 彼女の手は温かかった。
 触れた温もりを、泣きたくなるほど懐かしく感じて、気がつけば頬に当てて瞼を閉じていた。

 唐突なわたしの行動にも、クリスティーヌは驚くこともなく、したいようにさせてくれた。
 手を引かれ、長椅子へと並んで座り、頭を膝へと導かれる。
 わたしは彼女の膝を枕にして寝転んだ。
 柔らかい手が頭を撫でて、細い指が髪を梳く。

「陛下、彼らは望んであなたのお傍におられるのです。あなたはそれを受け入れた。ならば、あなたがすべきことは、夫となった彼らを平等に遇し、愛することです。許しを得る必要はありません。この先、あなたが罪を問われるとすれば、どなたかたった一人を選んだ時でしょう」

 一人ではなく、五人全てを選んだ以上、やり直しも後戻りもできないのだと、クリスティーヌは強く言った。

「フィリップとあなたの婚姻のことを知った時、私は離縁を決意しました。愛されるあなたと、子を生すためだけに妻とされた自分とのあまりの立場の違いに嫉妬することが目に見えていたからです。だけど、あの人は私のことも愛しているから別れたくないとすがりついてきたんです。私は彼の言葉を信じて別れを思い止まり、現状を受け入れました」

 わたしは彼女の幸せを壊しかけていたのだ。
 新たな事実を知って、胸が痛む。
 謝りたくてクリスティーヌを見上げると、彼女は首を横に振り、優しい眼差しを向けてわたしの頬を撫でた。

「自分で選んだことです、後悔はしていません。あの人を愛し支えることは私に幸福を与えてくれる。彼があなたを愛することも咎めはしません。ですが、夫の愛が私から失われ、全てあなたに向けられたとすれば、私は生涯許さない。その時こそ、彼は責めるに値する罪人となるのです」

 クリスティーヌは確かな信念を持って、今の状況を受け入れていた。
 わたしは愚かだ。
 責めて欲しいなんて、バカなことを考えたものだ。

「迷わずとも良いのです。陛下はみなに愛されることで輝き、周囲に光を与えるお方。私もあなたを愛しましょう。ご夫君達のことでお悩みの時は、私に甘えてくださいな。いつでも抱きしめてさしあげます」

 甘い香りが微かに漂う膝の上。
 幼い頃、本当にずっと幼い頃。
 母に守られて、何も考えずにいられた時のように安心した。

「愛されていいの? わたしはみんなを幸せにできる?」
「もちろんですわ。あなたがこの国を愛し、人々を思う心を忘れない限り。思い、思われ、そうやって人は生きていくのだと私は思います」

 わたしも例外ではないと、彼女は言った。

 他の人より、多くの愛を与えてもらう代わりに、わたしもたくさんの愛を返そう。
 この国住まう、全ての人に。
 クリスティーヌのように、わたしを見守ってくれている人々に。
 そして最も大きな愛をくれる、わたしの愛しい旦那様達に。


 END

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