あなたしか見えなくて

王子の証言

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 幼い頃に、将来はお前の右腕になる逸材だと父に引きあわされた男がアレックスだった。
 光り輝く容姿に相応しい黄金の髪を持ち、揺るぎない自信に満ちた蒼い瞳に見つめられると安堵し、口元に浮かぶ微笑は誰もが魅了されてしまうほどの爽やかなものだ。
 剣を握らせれば一騎当千。
 騎士として申し分なく優秀で、政治家としても幅広い人脈と先を見通す知識と知恵を兼ね備えている。
 人の心をあっさりと掴み、全てをそつなくこなす男に、周囲に次代の王と期待されている私は幾度となく焦りや嫉妬を覚えた。
 だが、そのような心を乱す嫉妬など些細なことであった。
 あの日、あの時、アレックスが発した一言で、私は彼の野望を叶えるための操り人形と化したのだ。




 妹達の歳が十を越えた頃から、近隣の国々から縁談が持ちこまれるようになった。
 可愛がっている三姉妹をできるだけ手元に置いておきたいとの父上の意向で、縁談は遅々として進まず、具体的な話にまではなっていなかった。
 茶飲み話のついでに、何気なくそれらの話をアレックスにした。
 するとアレックスの眉間に皺が寄った。

「縁談はローナ様にも?」

 アレックスはローナに剣を捧げていた。
 主と仰いだ姫の縁談だ、やはり具体的ではない不安定な状況では手放しで喜べないか。

 私に剣を捧げてくれなかったのは悔しいが、彼はローナのお気に入りだ。
 可愛い妹を守る騎士は優秀な方が良い。
 それらのことから、私も父もアレックスがローナに剣を捧げることを咎めはしなかった。

「ああ、三人ともにそれぞれ欲しいと名乗りを挙げている国がある。前の月に舞踏会があっただろう? あれで多くの国の王子達が妹達に一目惚れをしてしまったらしい」

 さすが我が妹達だ。
 誇らしい気持ちで胸を張る。
 だが、簡単には嫁がせない。
 よくよく検討して、国に利益をもたらし、妹達を幸せにしてくれる将来性のある王子を選ばなければな。

「キース様、他の姫の縁談はまとめても構いませんが、ローナ様だけはいけません」
「なぜだ?」

 思いがけない言葉に眉を寄せる。
 幾らローナの騎士だとて、口出しが過ぎる。
 不快な感情が胸に湧き、怒鳴りつけるべく思わず腰を浮かしかけた。

「ローナ様は私の花嫁になる人だからです」

 アレックスは真顔で言った。
 私は怒りを忘れて腰を落とし、ぽかんと彼を見つめた。
 冗談だろうと、とても流せない雰囲気だった。

「私はローナ様が欲しい。いや、彼女しか欲しくない。公爵家の子息という身分も、王女付きの騎士の名誉も、全て彼女を得るために必要なものだからこそ求めた。ローナ様を妻にできるというなら私は何にでもなろう」

 なぜローナなのだろう?
 確かにローナは姉妹の中で、特に人に好かれる子だ。
 心優しく朗らかで、人見知りしない明るい姫は、常に城の中心にいて人々を和ませている。
 アレックスが惹かれたのも分からぬでもないのだが、こうして主の私に指図してまで王族の姫を妻にと望むなど、不敬極まりない大それた望みを口にしたものだ。

「ローナを妻にとは聞けぬ願いだ。父上も娘には王族との縁組をと望んでおられる。家臣に降嫁などさせられぬ」

 憤りを滲ませて、冷たく切り捨てる。
 その途端、アレックスは強い眼力で私を射竦めた。
 蒼い瞳に殺意と狂気の光が宿る。
 ぞわっと背筋に悪寒が走った。
 命の危険を感じて、叫び声をあげそうになったほどだ。

 アレックスの瞳に宿った狂気の光は一瞬で姿を消し、代わりに輝かんばかりの笑顔が戻った。
 不気味に感じたが、とりあえず危機は去ったのかと安堵し、額に浮き出た汗を拭う。
 しかし、悪夢は始まったばかりであった。

「では、仕方ない、私がこの国の王となりましょう。王族であるならば、文句はないのでしょう?」

 アレックスは笑顔のまま、恐ろしい言葉をさらりと述べた。
 理解が追いつかず、目を見開いて彼を凝視するばかりの私は、さぞや間抜けで滑稽だっただろう。

「ア、アレックス……?」
「王とあなたは病死、王位継承権は宙に浮き、我こそはと名乗りを上げた王族の男達のせいで起こりかけた内乱を鎮圧し、代行という形で王に就任。レーナ様にはそれまでに嫁いでいただき、私はローナ様と結婚。それで万事丸く収まる」

 本当にあっさりと、アレックスは私を殺して得る未来を語る。
 仮に私を暗殺できたとしても、それほど旨い具合に内乱が起こるものかと反論したいが、アレックスならやりかねない。
 裏から手引きできるほどアレックスの人脈は国内外に手広く張り巡らされている。
 彼の一族は、王家の繁栄を影から支えてきた。
 王家の地位を守るために人知れず行ってきた非道な行いまで、我らの穢れた歴史も知っている。
 言葉巧みに民衆を扇動し、我らを断罪することも可能だ。

 ああ、だめだ……。
 私ではどう抗ってもこの男には勝てない。

 絶望で顔が歪む。
 アレックスは満足そうに頷き、笑みを浮かべた。

「キース様は聡いお方だ、必ずわかってくださると思っていましたよ。だが、悲観なされることはない。私の望みなど、王家の安寧と秤にかければ安いものではないですか。それに私の望みを叶えていただければ、皆が幸せになれるのです。ローナ様は私の腕の中で至上の幸福に包まれるでしょう、そしてそれこそが我が幸せ。邪魔をする者には滅びを与えよう、たとえ神でも我が前に立ちふさがるのなら容赦はしない」

 アレックスの言動は常軌を逸していた。
 神をも恐れぬと言ってのけた男の言葉を、虚言や妄言だなどと嘲笑うことなどできなかった。

 ローナよ、可愛い妹よ。
 弱い兄を許しておくれ。
 この国全ての人間のために、私はお前を人身御供に差し出さねばならないようだ。




 私を脅して支配下に置いたアレックスは、順調に権力を手にしていった。
 戦場においては勇敢に戦い戦果を上げ、宮殿に戻れば武功を誇るでもなく謙虚な態度で仕える彼に、父は絶大な信頼と期待を寄せた。
 城内に仕える者の大半もアレックスに心酔し、一握りの人間だけが彼の本性と狂気に怯え、服従することを強いられた。

 今、ローナは孤独だ。
 王宮の女性達を束ねる女官長は、アレックスに弱みを握られている。
 ローナと仲の良かった侍女は辺境に飛ばされ、残った侍女達は顔を覚えられぬ程度に交代して世話に当たり、事務的に接することを厳命されていた。
 命令を無視すれば、家族ともども辺境に飛ばされる。
 前例があるからこそ、誰も逆らえない。
 父上への直訴の気配もあったが、アレックスを恐れる私はそれらの訴えを全力で阻止した。
 これ以上の被害を出さぬためだと必死に言い聞かせて。

 周囲に疎まれていると誤解して苦しむローナを見るのは辛かった。
 あの子は優しすぎる故に、疎む周囲を責めるのではなく、自分に非があるのだと思い悩んでいる。

 ああ、なぜローナなのだ。
 その美しく真っ白な心が、悪魔の黒い心を引き寄せてしまったのか。

 アレックスはローナの好意を自分だけのものにしたいのだ。
 彼の計画通り、ローナはアレックスの存在を絶対的なものとして受け入れ始めていた。


 

 今宵開かれた舞踏会には、各国の王族や貴族が集い、我が国の美しい姫達が注目を集めていた。
 男達に囲まれたレーナとニーナは、ひっきりなしに美麗字句を捧げられて、少し疲れた顔をしていた。
 多くの求婚者達は姉妹に夢中だったが、当然のごとくローナの姿が見えないことを不思議がる声が聞こえ始めた。

「キース王子、ローナ姫様はどうなされたのですか?」
「姫にお会いできることを楽しみにしてきたのに」

 諸国の若い王子達が私の許に集まり、ローナが不在な理由を口々に尋ねてきた。
 彼らの目に浮かぶのは、純粋なるローナへの恋心。
 やめるんだ、やめてくれ。
 君達の国の平穏の為に、ローナのことは忘れてくれ。
 今に悪魔がこの会話を聞きつけて、牽制を飛び越えた制裁という名の鎌を振りおろす。

「実はローナは重い病にかかってしまってね、公務には出せないのだ。残念なことだが、とても婚姻をまとめられる状態ではない。求婚の申し出は残念ながら受け入れられないのだ」

 父上にも、ローナは病にかかり無理をさせられないから部屋で休ませてやってくれとごまかしているのだ。
 これで引き下がってくれることを祈ったが、恋する男達の行動力を甘く見ていた。
 彼らはますます勢い込んで、私に詰め寄った。

「なんと! ローナ姫がご病気であったとは!」
「わが国には優秀な医師がおります! すぐにこちらにまいるように手配をいたしましょう!」
「どのような病かおわかりでしょうか? 秘境の地に咲く薬草がご入り用ならば、すぐさま駆けて採ってまいります!」

 血気盛んな若者達は、ローナのためならばと声を上げた。
 ああ、どうすればいいのだ。
 頭を抱えたくなった所に聞こえた足音は、心臓を凍てつかせるほど冷たく響いた。

「キース様、これは何の騒ぎでしょうか?」

 振り返れば、アレックスがにっこりと微笑んでいた。

「いや、これはその……、王子達がローナが病だと聞いてだな……」

 これだけで状況を把握したのか、アレックスはそれ以上の説明を求めなかった。
 王子達の前に進み出て、一礼する。

「我が主のために、大変ご厚意に満ちた申し出、感謝の言葉もございません。しかしながら、ローナ様はすでに手厚い看護の下で静養なされております。ご挨拶もできずまことに心苦しいことですが、姫のお体をご案じくださるならば、面会も御遠慮いただければと願います」

 アレックスは顔色一つ変えずに、大嘘を言い切った。
 真相が露見すれば斬首も有り得るというのに、なんという度胸だ。

 王子達は顔を見合わせ、悲しそうな表情で頷いた。
 ローナを想う彼らは、アレックスを忠義心厚き誠実な騎士だと信じているからあっさりと騙された。
 去って行く彼らの姿を見送ったアレックスは、口元に笑みを浮かべた。
 その笑みに禍々しさを感じて、薄ら寒くなった。

「キース様、これから忙しくなりますよ。砦の防備を強化して、来るべき戦に備えねば」

 どこの国が攻めてくるのだとは尋ねなかった。
 アレックスは底知れぬ男だ。
 人を操り、己の目的を達成するための駒を幾つも飼い馴らしている。
 故国に戻ったあの王子達は、間もなく戦火に巻き込まれるだろう。
 戦争相手は我が国か、はたまた他国であろうか、いずれになろうともそれは問題ではない。

 アレックスは我が国を守るため、または同盟国を救援するためなどと称して出陣し、乱戦の中で目的の命を摘む。
 戦争が奪う命は膨大であり、誰もが疑うことはない。
 私も知らないままでいたかった。
 あの完璧な善人の裏に潜む悪魔の素顔など知りたくもなかった。

 全てはローナを手に入れるため。
 後悔も躊躇いもなく、愛しい姫を手中に収めるまで、アレックスが止まることはない。

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