あなたしか見えなくて

侍女の証言

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 私は第二王女ローナ姫様付きの侍女でした。
 城には勤め始めたばかりで、姫様には顔も名も覚えていただけてはいなかったけれど、姫様付きの侍女長のエリン様や先輩達に仕事を教わり、懸命に働いておりました。
 ローナ姫様は輝くような美貌と磨き上げた鏡のように綺麗な心の持ち主で、朗らかで気さくで誰からも愛されるお方でした。
 私も喜んでお仕えさせていただき、姫様のお世話をさせていただくことが喜びにもなっていました。

 しかし、まもなく平穏な日常は壊れ始めました。
 城勤めの女性達を束ねる女官長が侍女を集めて理不尽な命令を言い渡したのです。

「よいですか、これよりローナ姫様に対してなれなれしく口を利くことは許しません。無論、お世話は誠心誠意を尽くしてこれまでと同じようにするのです。しかし、個人的な接触はなりません。臣下の分をわきまえて控えるように」

 場がざわめく。
 口を利くなとはどういうことなのか?
 次に女官長は具体的に姫様を囲んで語らうことや、些細な日常の会話なども禁じると噛み含めるように一同に話されました。

「そのような命令は聞けません!」

 真っ先に声を上げたのはエリン様でした。
 他の侍女達も口々に抗議の声を上げて女官長に詰め寄っていかれる。
 女官長は顔を青ざめさせて、自らも不本意だが、逆らえない命令なのだと私達に懇願なされました。

「誰の命令なのですか!?」

 エリン様が問いただすと、女官長は一層怯えて、ただ首を振るばかり。
 その名を口にすることも、彼女にとっては恐怖でしかない様子。

 上からの命令では、私達に逆らうことはできません。
 しかもその命令は、侍女だけでなく、庭師や料理人達、貴族の若者達など姫様と親しくしていた者全てに出され、逆らった者は何らかの失敗や罪を咎められて僻地に移ることを余儀なくされていったのです。
 それなのに、黒幕が誰なのか、少しも見当はつきません。
 仕方なく、皆は保身のためにローナ様の前では貝のように口を閉じて、各々の仕事をこなして逃げるように部屋を出ます。
 しかし、エリン様だけは命令を無視されました。
 これまでと同じようにローナ様のお傍にいて、周囲の人間が急によそよそしくなったことに戸惑い悲しむ姫様を、御一人で支えておられた。

 いいえ、姫様のお傍にはもう一人おられました。
 ローナ様の騎士、公爵子息のアレックス様。
 世の女性の理想を体現したような、強く美しく優しいお方は、やはり姫様の味方でした。
 ですから、誰が想像できたでしょう。
 あの理不尽な命令を女官長にさせたのが、彼だったことを。




 ある夜のこと。
 寝付けず外に涼みに出た私は、庭園の隅で語り合う男女の姿を見かけました。
 もしや逢い引きの現場に出くわしたのかと驚き、慌ててその場を離れようとしたのです。

「あなたはどういうおつもりなのです!」

 聞こえた声に思わず足を止めてしまいました。
 あれはエリン様のお声。
 好奇心にかられ、物陰に入って息を潜めました。
 そのようなことなどしなければ良かったと、激しく後悔するとも知らずに。

「全ては姫のためです」

 答えた相手を知って、さらに驚きました。
 エリン様と話されていたのはアレックス様だったのです。
 月明かりに浮かぶアレックス様のお顔は、見慣れた穏やかな表情ではなく、鋭利な刃物のごとく冷たく凍えるようなものでした。
 昼間、甘く蕩けそうな笑顔で姫様を見つめておられた御仁とはまったく別人のよう。

「姫のためですって! 皆を遠ざけさせて、あの方をあれほどまでに悲しませて、苦しめて、あなたの心は痛まないのですか!?」

 何の話だろう?
 エリン様は、姫様のことでアレックス様を責めていた。
 まさか……。
 私は手で口を覆って蹲ってしまいました。
 全身から血の気が引き、冷や汗が流れ落ちていきます。
 想像もしない策謀が、知らない間に張り巡らされていたことを、彼らの会話で悟ったのです。

「痛まないとは言いません。だが、私の心はそれよりももっと傷ついているのです。姫の微笑みは私だけのものであるはずなのに、彼女は取るに足りない存在にだとて惜しみなく手を差し伸べ、微笑み、慈しむ」

 エリン様はぎょっとして、アレックス様を凝視した。
 私の震えもますます酷くなる。
 空気を通して伝わってきたのは殺気。
 怒りに嫉妬、悲しみに憎悪。
 ありとあらゆる負の感情がアレックス様から湧き出てくる。

「あなた、一体……」

 エリン様の問いかけに、アレックス様は冷たい目を向けた。

「私はあなたが憎い! 私より信頼され、愛されるあなたが! ローナ様は私だけのもの、彼女の心に触れるのは私だけで良い、親友も家族も邪魔でしかない!」

 狂気に満ちた笑い声が聞こえてきました。
 このままではエリン様が殺されるのでは?
 助けを呼びに走ろうにも、恐怖と緊張で私の体はぴくりとも動きません。
 震えながら成り行きを見ていると、アレックス様は一度は剣の柄に手を置いたものの、抜くことはありませんでした。

「何度この手で斬り刻んでも飽き足らないが、殺しはしません。死は全てを美化してしまう。姫の心にあなたへの思慕など欠片も残しはしない。もうすぐ迎えの馬車がまいります。あなたの御父上は汚職の責任を問われ、遠方に左遷となりました。犯罪人の娘が姫に会うことなど許されません、黙って城を去っていただこう」
「そんな……、父が汚職だなんて、何かの間違い……」

 エリン様はハッとして、アレックス様を見詰めた。
 彼の冷たい眼と表情は変わらない。
 全ては仕組まれたことだったのです。

「さようなら、エリン。ローナ様の笑顔は私が取り戻しますので、ご安心ください。あなたには遠い地で姫と私の幸せを祈っていただきましょう」

 エリン様が膝をつく。
 姫様の名を呼び、己の無力さに打ちひしがれる痛嘆の声を上げ、彼女は泣き伏した。
 エリン様の絶望と嗚咽を背に、アレックス様は立ち去られた。
 闇夜の中で愉悦を浮かべて微笑む彼は、黒い翼を生やした悪魔のようでした。




 エリン様は夜の間に連れだされて、太陽が顔を出した頃には、姿はおろか痕跡さえ消し去られていました。
 昨夜見たことを、私は誰にも言えませんでした。
 言っても信じてはもらえない。
 それほどアレックス様は信頼され、誰もが彼の善性を疑うことなどないのです。

 だけど、姫様の扱いに、侍女の誰もが不満を持っていることに変わりはありません。
 女官長へ命令を出したのが誰だったとしても、陛下ならば止めてくださる。
 王にとって、王女は宝も同然。
 私達は一丸となって、王に直訴するべく動き始めました。
 しかし、我々の訴えを退けたのは、誰であろう、姫様の兄君であるキース様だったのです。

「皆の気持ちはわかる。だが、相手は我ら王家でも抑えることのできぬ悪魔なのだ。あれを鎮めるにはローナを差し出すしかない。わかってくれ、ローナを救うことは不可能なのだ。誰にもヤツは滅ぼせない」

 王子ですら恐れさせる存在がいる。
 私には誰だかわかってしまったけれど、皆がその正体に気づくことはなかった。

 あの人を疑う者など、この城にはいない。
 己の両眼に真実を突きつけられる時まで信じることができぬほど、アレックス様の演技は完璧でした。
 この世に、あれほど極端な二面性を持つ人間がいるなどと誰が信じられるでしょう。




 今日もローナ様は泣いておられました。
 己を責めて部屋に閉じこもり、ひっそりと涙をこぼしておられる。
 私達の行動や気配に気を使い、極力不快な感情を与えまいと気遣う姿を見るたびに、申し訳なさで胸が痛み、無力な我が身が情けなさ過ぎて涙が浮かぶ。
 だけど、泣いてはいけない。
 ひたすら口を閉じて、見守ることしかできぬというのに、嘆くなどおこがましい。

 近頃では、姫様が笑顔をお見せになるのはアレックス様が訪問なされた時だけになってしまいました。
 心からの安堵と信頼と愛しさを込めた瞳で、姫様はあの方を見つめられる。
 すべてはアレックス様の思惑通りに動いていたのです。

 あなた様をこのような孤独の世界に閉じ込めたのは、その男なのだと糾弾したくても、私達にはできません。
 我が身や家族を守るために、力のない者にできることは何もないのです。
 申し訳ありません、姫様。
 願わくば、この悪夢の日々から一日でも早く、あなたが解放される日がくることを祈っております。

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