あなたしか見えなくて

妹姫の証言

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 何かがおかしいと気付いたのは、ローナ姉様の姿を見かけなくなったからだ。
 食事の席で会うこともなく、それが一日二日どころか、一週間も続けば誰でも異変に気づく。

 キース兄様の話では、ローナ姉様は重い病にかかってしまい、自室で療養しているのだという。
 お兄様の言うことだからと両親もレーナ姉様も納得していたし、私も始めは信じた。
 ならばお見舞いをと申し出たけど、感染する病だからと言われて仕方なく引きさがった。

 でもね、それならどうしてアレックスは部屋に出入りしているのかしら?
 世話係の侍女達が感染を恐れて必要最低限の接触をしているというのはわかる。
 でも、彼だけは長く部屋にいて平気なの?
 体が丈夫だから?
 鍛えているから?
 そんなのって有り得ない。
 芽生えた疑惑はすぐに確信へと変わる。

 だけど、まだ何が起こっているのか、私にはわからなかった。
 確信できるのは、ローナ姉様が病気ではないということだけ。
 何かの理由で部屋から出られない、または出ようとしないのだと想像できた。

 大好きなお姉様。
 何か良くないことがその身に起きているのなら、私が力になりたいと思った。




 姉様が病気だと言ったのはキース兄様だ。
 真実が知りたい私は、お兄様を問い詰めた。

「ローナ姉様はどうしたのです? ご病気ではないことはわかっています。何があったのか、教えてくださっても良いではありませんかっ」

 キース兄様は苦悶の表情を浮かべて俯き、悲愴な声を出して首を振った。

「ローナは病気だ、重い病に侵されている。部屋から出れば、本人だけでなく、城内の者もみな巻き添えだ。恐ろしい病原菌なのだ、アレは。アレの対処法はローナを部屋に置いて誰とも接触させずにいることだ。そうすれば、ヤツは満足して被害を広げることはない」
「はぁ?」

 普段は尊敬と敬愛の感情を持っている兄だけど、この時ばかりは意味不明な言動をする狂人のように見えた。
 大丈夫かしら?
 まるで病気が生き物のように話して……。

 そこで視界が晴れたかのように閃いた。
 もしかして、お姉様を閉じ込めている人がいる?
 お兄様はその者を御存じなのではないの?

「ローナ姉様を閉じ込めているのは誰ですの? そのような理不尽を許して良いわけがありません! お兄様、しっかりなさって、あなたはこの国を統べる王となられる御方でしょう?」
「言わないでくれ、ニーナ! 私だってわかっている! だが、私では勝てない、恐らく父上でもだ! 許してくれ、ローナ! 私にはこうするより他に王家を守る術がないのだ!」

 お兄様は頭を抱えて、ローナ姉様へ謝罪の言葉を繰り返した。
 これでは何も聞き出せそうにないわね。
 でも、これほどまでにお兄様が怖れる相手など、この国にいるの?
 国王であるお父様でも敵わないなんて、公爵家が敵対すれば有り得ないこともないけど、公爵家にはあのアレックスがいるし……。

 ローナ姉様の騎士アレックスは、善人と騎士の見本が人の形をして歩いているような人だ。
 彼はローナ姉様に忠誠を誓っていて、王家にも忠実に仕え、お父様も彼の父親である公爵よりも頼りにしているほど。

 あら、それならおかしいわ。
 アレックスならローナ姉様に危害を加えるような者を放っておくはずがない。
 なのに、彼は何も言わずにいつも通りに過ごしている。
 気がつけば、それはとてもおかしなことだ。
 家族である私達の接触をも阻む黒幕が、アレックスだけを例外とするのはなぜ?
 今、お姉様の傍にいるのは彼だけよ。
 その事実が、真実を導きだす。

「アレックスなのね?」

 私の問いに、兄は頷くことで答えた。
 やはり信じられない気持ちはあるけど、認めないわけにはいかない。
 アレックスはローナ姉様の周囲から全ての人間を遠ざけて、姉様を愛しているのは自分だけだと印象づけようとしている。
 そうはさせるものですか。
 汚い策略でお姉様を手に入れようだなんて、許すわけにはいかない。

「ニーナ、何を考えている? やめるんだ、相手が誰であろうとアレックスは容赦しない。ヤツは邪魔者とみなせば命を奪うことも躊躇わないぞ!」

 お兄様の説得には耳を貸さずに部屋を出た。
 まずはローナ姉様に会いに行こう。
 病気なんて嘘なのだもの。
 外出に誘って気晴らしをしてもらって、アレックスの思惑を打ち砕いてやるわ。




 首尾よくローナ姉様を誘うことに成功して、浮かれながら明日の支度を整えた。
 ローナ姉様は何も知らない。
 アレックスも表だって邪魔をすることはできないはず。
 城から外へ出ることで二人を引き離し、お姉様にアレックスを遠ざけるようにと進言するのよ。

 全てがうまく行くような気がして、つい油断してしまった。
 自分の企みを妨害しようと動く私を、アレックスが見逃すはずがなかったのだ。
 夜になり、腹部に痛みが走り、体が冷えて、大量の汗が噴き出た。
 意識を失って倒れ込み、目覚めた後も痛みと吐き気で苦しんだ。

「これは……ううむ、診断の難しい病ですな。食中りのような、お風邪のような……」

 診察をした侍医が首を捻っている。
 今までにない症例だとかで、判断を迷って考え込んでしまった。
 毒を疑う様子はない。
 しかし、私は疑いの念を強くした。
 あまりにもタイミングが良すぎる。
 きっと夕食に毒か薬が混ぜられていたのよ。
 私にそんなことをする者は、ローナ姉様を閉じ込めている犯人に違いない。

 これはアレックスの仕業よ。
 あの男が裏で手をまわして、私の食事に何かの薬を忍ばせた。
 けれども、糾弾しようにも証拠はない。

 うう、苦しい。
 アレックスめ、許さない!
 いつか……、いつか必ず天罰が下るはず!




 翌日になっても病状はよくならず、外出はできなくなってしまった。
 ローナ姉様の部屋に侍女を使いにやって間もなく、お姉様がお見舞いにきてくれた。
 お姉様が持ってきてくれたお花は、花瓶に入れて寝台の傍に飾ってもらった。
 やっぱりお姉様は優しいわ。
 あの悪魔の手から、きっと御救いしてみせます。

 眠っていると、少しずつ体が楽になってきた。
 徐々に毒素が抜けてきたのかもしれない。
 ふと、目を開けると、花瓶の花が別のものに変わっていてびっくりした。

「ねえ、これはどうしたこと? ローナ姉様のお花をどこへやったの?」
「ニーナ様? 急に起き上られてはいけませんっ」

 目覚めた途端、騒ぎだした私に、侍女は驚いた様子だった。
 私を落ち着かせようとする声を無視してしつこく問い詰めると、思いがけない者の名が出てきた。

「実はローナ様と入れ違いにアレックス様がおいでになって、あのお花には毒虫がついていて危険だとおっしゃられたので、仕方なく処分いたしました」

 アレックス!
 毒虫なんて嘘に違いないと思ったけれど、アレックスの意図が読めなかった。
 妹相手であろうとも、お姉様が花を贈るのが許せなかった?
 それだけだとは思えなかったけど、今はまだ頭がうまく働かない。

 侍女は申し訳ありませんと頭を下げた。
 彼女もアレックスの誠実な側面しか見ていない。
 その言葉を疑う余地などありはしなかったのだ。

「いいのよ、毒虫がついていたのなら仕方ないわね。後で、ローナ姉様のお部屋にお見舞いのお礼とお花のお詫びに伺いましょう」

 アレックスの企みがどのようなものだろうと構わない。
 花の事は腹が立つけれど、この出来事を利用してお姉様に会いに行く口実にしよう。
 とにかく、体の回復が先ね。




 次の手を考えながら、ひと眠りしようとしたけれど、浅い眠りは訪問者によって遮られた。
 人畜無害を装った、悪魔のような男。
 アレックスは何の疑念も持たぬ侍女によって私の寝室に通され、見る者全てを魅了する優しげな微笑を向けてきた。
 だけど、疑いの目を持って彼を見た時、その笑みに心が宿っていないことが良くわかる。
 どうして今まで騙されてきたのだろう。
 この男が他者に向ける眼差しには、嘲りと軽侮の感情しかない。
 私の事も、王家の姫などではなく、動いて喋るただのモノとして見ている。

「ニーナ様がお目覚めになられたと聞きまして、お見舞いにまいりました」

 白々しく心配そうな表情を取り繕って、アレックスは私の前に片膝立ちして跪いた。

「そう、ありがとう」
「それにローナ様が贈られた花を心ならずも無にしてしまい、そのお詫びを申し上げねばと……」

 確信的にやった癖に、ぬけぬけと!
 思わず感情を爆発させそうになったけど、真実を暴く手立てがない以上、この場でアレックスを責めるわけにはいかない。

「私は気にしていないわ。それより花に毒虫がついていただなんて、お姉様がお知りになられたら気に病まれるわ。その件は黙っていてちょうだい」
「ありがとうございます。さすが姉君思いのニーナ様であらせられますな。臥せっておられるのに、ご無理をさせてしまいましたね、水を飲まれると良いでしょう」

 アレックスは寝台の側に添えつけられているテーブルを見やり、控えていた侍女を振り返った。

「申し訳ないが、水差しに水が入っていないようだ。君、すぐに持ってきてくれないか? ニーナ様のお傍には私がいるので安心して行ってきてくれ」
「はい、お願い致します。アレックス様」

 侍女はサイドテーブルに置いてあった水差しを持って部屋を出て行った。
 私は呆気にとられてその一連の様子を見ていた。
 何が起こったのか信じられなくて、目で見たものが現実だとは思えなかった。

「どうして……、これはどういうことなの……?」

 今、侍女は何のためらいもなくアレックスの指示に従った。
 幾ら信頼しているからといって、私にとってアレックスは姉の騎士というだけで部外者も同然。
 そんな男を、主の寝室に置いて去るなんて、考えられないことだ。

「城内の方々は、このアレックスをそこまで信頼してくださっているのですよ。光栄ですね」

 アレックスはくすくすと笑い声を立てた。
 私を見る目には、取り繕うものなどなく、剥き出しの嘲りの感情が浮かんでいた。

「あなたは真実に気がついた。だからもう誤魔化すことはいたしません。兄上は教えてくださいませんでしたか? 私の邪魔をすれば容赦なく消されると」
「お兄様はあなたを怖れていた。だけど、あなたの本性をローナ姉様に知られたらどうかしら? それであなたの企みは終わるのよ!」

 私の挑発に、アレックスはため息をついた。
 まるで頭の悪い者を相手にしたかのように、呆れ果てたという表情になる。

「ニーナ様、あなたはいつでも消される身であることを自覚なさった方が良い。私が食事に忍ばせたとあなたが察している薬がもし致死量を備えた毒だったとしたら? 私にはあなたの命を消すことなど、蝋燭の灯りを消すことと同様に容易いことなのです」

 彼の口角が上がり、陰湿な笑みが浮かぶ。

「今、あなたが亡くなられても、誰も私を疑わない。あなたが自害なさったと説明すれば納得するでしょう。試してみても良い、己の浅慮な選択の結果をあの世で後悔しながら見るというのも面白いかもしれませんね」

 アレックスは室内の壁に飾ってあった、私の短剣を手に取った。
 手の中で短剣を弄びながら、冷酷と表現するのも生温い視線を向けられて竦み上がった。
 護身用に幾ら剣を嗜んでいても、私は結局守られる立場の姫だ。
 女達の妬みや嫉妬、外交での利害の絡んだやりとりとも違う、このような悪意と対峙する機会など殆どなかった。
 アレックスを恐ろしいと感じた。
 ここにきて、初めて兄の恐怖心を理解した気がする。

 アレックスは私が震えているのを確認すると、短剣を元の場所に戻した。

「そう怯えないでください、私とてローナ様が悲しむ姿はなるべくなら見たくない。あなた方を生かすのは我が姫のため。おとなしくしていてくださるなら、適当に良い嫁ぎ先を見つけて送りだしてさしあげますよ」

 それは最後の警告。
 一言でもローナ姉様に疑いを抱かせるようなことを言えば、この世から消すという脅し文句。

「よく考えてください。私が願うのはローナ様の幸せ。あなたが心配なさらずとも、姉君はじきに御姿を見せて笑顔を見せてくださるでしょう」
「あなたにだけ、向けられる笑顔なのよね?」

 私が皮肉交じりに問いかけると、アレックスは満面の笑みで頷いた。
 理不尽過ぎる男の言い分が、私の怒りに火をつけた。
 恐怖を脇に押しやって声を張り上げた。

「それなら目的は達しているはず! お姉様はあなたが好きで、信頼している! 心を手に入れて、これ以上何を望むというの!?」
「残念なことに、心だけではまだ足りないのですよ。私は彼女の全てが欲しい、魂まで一つに溶け合い、同じ時を同じだけ歩むのです。私は彼女のいない世界では生きられない、だから彼女にも私のいない世界を生きて欲しくない」

 陶酔した声で呟かれる望みを耳にして、戦慄が走った。
 狂ってる。
 この男は狂ってる。
 お姉様の全てを手に入れようと、貪欲に求め、心も命も欲している。
 アレックスはただ愛されるだけでは足りないのだ。
 お姉様の一生に自分のいない隙を作ることが許せず、魂まで縛り付けて黄泉への道連れにしようと企んで……。

 怖い、怖い、怖いっ!

 アレックスに刃向かう気力など、もう残っていなかった。
 彼の企みがまだ人間らしい欲から出たことなら私も戦えた。
 だけど、違う。
 アレックスを動かしているのは、一人の人間に対する異常なまでの執着。
 他への興味も配慮も一切なく、彼を満たす唯一無二の存在だけを執拗に追い続けている。
 こんな男に狙われたら、逃れられるわけがない。

 アレックスが目の前から立ち去っても、私の中から恐怖心が消え去ることはなかった。
 ローナ姉様は、どうしてあのような男に出会ってしまったの。

 何も知らないあの人は、あの男の意のままに心を操られていく。
 そうやって生まれた愛は、果たして愛と呼べるものなのか。
 でも、それで彼は満足なのだろう。
 お姉様も幸せになるのかもしれない。

 だけど、それは歪で、間違っている。
 正しくはないと声を大にして言いたいのに、それを口にするには私は無力過ぎた。

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