あなたしか見えなくて

姉姫の証言

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 アレックスは私の初恋の人だった。
 過去形で話すほどに、それは遥か昔の幼き頃のお話で、今では良き思い出となっている。
 彼がローナの騎士に志願したと聞いた時には、初めて妹を羨んだけれど、納得もした。
 ローナは皆に愛されている。
 笑顔を絶やさず、誰にでも声をかけ、人を思いやる心を備えた彼女を嫌うことなどできはしない。
 私の大切な妹。
 彼女を護る者がアレックスならば安心できる。
 誰もがそう思い、喜んだ。
 あの時、誰かが気づいて止めていれば、今起きているこの事態は防げたのだろうか。
 ローナは囚われの身となり、生涯彼に支配される。
 ローナ自身がそれを幸せだと思っていても、アレックスの愛し方はやはり間違っているのだと言わずにはいられない。

 私が真実を知ったのは兄や末の妹よりも遅く、気づいた時にはもう手の施しようのない状況となっていた。
 戻ることのない時を振り返り、悔やんでも仕方がない。
 それでもまだ、諦めてしまうには早過ぎるから、私は私なりにローナを救うために行動を起こした。




 少し前に同盟国が絡む戦争が起きた。
 我が国にも応援の要請が来たので、キース兄様が遠征軍を率いて赴くこととなった。
 名目上の指揮官はお兄様だけれど、実際に軍を指揮していたのはアレックスで、遠征先からは彼の活躍と我が軍の優勢を知らせる報告ばかりが届き、戦時下であるにも関わらず、城内には平穏で落ち着いた空気が満ちていた。

 その日も私はいつもと同じように食卓についた。
 席には父母と末の妹ニーナが座っており、各自運ばれて来る料理を静かに食べ始めた。
 ローナは今日も部屋から出てこなかった。
 お兄様の話では、重い病にかかってしまい、自室で療養をしているとのことだった。
 伝染する病なのか面会もできず、私達はローナの回復を祈り、案じることしかできない。
 お兄様とローナがいない食事の席に、皆は大切な色が欠けたような寂しさを感じていたけれど、今朝は少しだけ明るい色が戻っていた。
 何か良い知らせでもあったのか、父の顔に笑みが浮かんでいた。

 食後、父上が喜色を浮かべて私達に告げた。

「今朝、戦地より伝令がついた。勝敗は決し、我が方の勝利となった。全軍帰路の途上にあり、じきに王都に帰り着くそうだ」
「では、戦勝を祝しての宴の支度をいたしましょう」
「うむ、凱旋してくる兵達の迎えもせねばな。それだけではない、帰還した兵への恩賞や死傷した者への補償、それに戦果の配分について同盟国との交渉も始まる、忙しくなるな」

 父と母の会話を聞きながら、妙に静かな妹に目を向けると、ニーナは黙って俯いていた。
 どうしたのだろう?
 心なしか顔が青ざめていて、震えているようにも見えた。
 気にはなったものの、この場で問うのは良くないと直感した。
 何か悩みがあるのかもしれない。
 後で部屋を訪ねよう。




 公務の合間に時間を作り、ニーナの部屋を訪ねた所、驚くべきことを打ち明けられた。

「お姉様、神様は無慈悲です。どうしてあの男を無事に戦場から帰してしまわれたのでしょう。此度の遠征で彼が戻らぬことを私は毎夜祈っていましたのよ」
「まあ、ニーナ、なんて恐ろしいことを言うの。相手がいかなる悪人であろうとも、人の死を願うようなことを言ってはいけません」
「ごめんなさい、お姉様。だけど、神様の起こされる奇跡に縋るしか、ローナ姉様をお助けする術はないのよ」

 ニーナはアレックスの恐るべき本性について話し始めた。
 兄も知っていて手が出せないこと。
 最近起きた戦争の原因は、ローナに恋焦がれる邪魔者を消すためだったことなど、ニーナが話すことは信じられないことばかりだった。

「アレックスがそんな……、ありえないわ」
「信じられないでしょうね。でも、お姉様、それが真実なのです」

 暗い目をして、ニーナは私を見つめた。
 憂いと諦めに沈んだ瞳には怯えも混ざり、アレックスがニーナに与えた警告が非常に恐ろしいものであったことが見て取れた。
 会話の相手がニーナではなく他の者であったのなら、私はまだアレックスへの信頼を捨て切れなかったに違いない。
 血の繋がった妹であるからこそ、今の話にも耳を傾ける気にもなった。
 それこそが、兄や妹がアレックスに逆らえない理由。
 人心を掌握し、操る術に長けた彼にとって、私達を排除する口実を作ることなど幾らでもできる。
 私達が生かされているのは、彼の目的にとって利用価値があり、ローナの家族であるからに過ぎない。

 私に打ち明けたことで、少しは気が晴れたのか、ニーナは落ち着きを取り戻した。
 ニーナは私に今の話は胸に留めて他言しないようにと言ったが、私も黙っているわけにはいかなかった。
 アレックスが戻ってくる前にローナに会おう。
 話し合って、今の状態がアレックスによって作り上げられたものだということを、ローナに気づかせなければ。
 取り返しのつかなくなる前に。




 ローナに会い、真実を伝えようとしたものの、うまくいかなかった。
 すでにローナの心はアレックスによって取り込まれ、誰の声も届かなくなっていた。

「お許しください、お姉様! 他のお言いつけには何でも従います! だけど、今のお言葉だけは聞けません、私には彼しかいないの! アレックスだけは取り上げないでください!」

 ローナは周囲の人間が自分からアレックスを引き離そうとしていると思い込んでいた。
 それは間違っていない。
 間違っているのは、排除されるのがローナではなくアレックスだということ。
 私達が救いたいのはローナの方。
 けれど、ローナはまったく逆のことを考えている。
 これこそがアレックスが用意周到に歳月をかけてローナに仕掛けた罠の成果だった。

 取り乱したローナは私の言葉など耳に入らぬ様子で、アレックスを手放すことを頑なに拒否して懇願した。
 やがて現れたアレックスにローナはすがりついた。
 もう私のことなど意識の中から消え去っている。

「アレックス、アレックス、どこにもいかないで! 私を一人にしないで!」

 ローナを抱きしめて宥めるアレックスの目は、どこまでも甘く優しく彼女に注がれている。
 だけど、その次にこちらに向けられた瞳には、ローナを手中にした喜びと、妹の救出に失敗した私への優越感と哀れみの感情が浮かんでいた。
 彼は何も言わなかった。
 言われるまでもない。
 私は遅かったのだ。
 ローナは完全に彼の手に落ちた。




 自室に戻り、侍女を下がらせて一人になると、疲労と落胆が襲い掛かってきた。
 椅子に腰掛け、目を閉じる。
 次にアレックスが取る行動は予想できる。
 彼は私を殺しはしないだろう。
 ただローナから遠く引き離そうと画策する。
 それは以前から計画されていたことで、その時期が早まるだけなのだということもわかっていた。

「レーナ様」

 アレックスはそれほど間を置かずに私の部屋を訪れた。
 幼い頃に憧れた英雄は、今では不吉な死神にしか見えない。
 妹を奈落の底に引きずり込もうとする闇の死者。
 なぜだろう、打つ手を失ったせいか、笑いたくもないのに表情が笑みを作る。
 不自然な笑みを浮かべる私を見ても、アレックスには興味のないことなのか、特に表情が動くことはなかった。

「私の留守中に、ローナ様におかしなことを吹き込まれては困りますね」

 言葉は責めるものだったが、口調にはやや呆れが含まれていた。
 先程の私の行動は、彼に自分の計画が順調に進行していることを教えたに過ぎなかったのだから、余裕があって当然だろう。

「おかしなこと? 私は真実を伝えようとしただけよ。ですが、少し遅かったようですね」
「ええ、ローナ様は誰よりも私を信頼してくださっております」

 アレックスは爽やかな笑顔をこちらを向けた。
 人々を虜にしてしまう、善良な微笑み。
 けれど、魅了の魔法が解けた私には効力などない。

「ローナのあなたに寄せる気持ちは信頼ではないわ、依存よ。選択の余地のない、あなたしかいない世界に取り込まれてしまっては、あの子があなたを選ぶのは当たり前、それで満足なの?」

 私の問いに、アレックスは迷うことなく頷いた。
 彼は自分の思考や行動に疑問や不安を感じることなどないのだ。

「信頼でも依存でも、ローナ様を得られるのならばどのような関係だろうと拘りません。ですが、私の望む形というものはありますね。そのために、これほど長い時間をかけてきたのですから誰であろうと邪魔はさせません」

 アレックスの望む形?
 疑問が顔に浮かんだことに気づいたのか、アレックスは付け加えるように言葉を続けた。

「心の壊れた彼女を手に入れても仕方がない。私が欲しいのは、あの白く優しい心を持った美しい姫なのです。その姫が唯一心を許し、支えとする存在になることが私の望み」
「では、望みが叶って満足でしょう。ローナはあなたのもの、もうあなたから離れられない」

 やりきれない思いで言い捨てた。
 アレックスに対して、憎しみに近い嫌悪感が湧いて出てくる。
 同時に、ローナに対しては深い悲しみと前途を案じて祈る気持ちで胸が苦しくなった。

「アレックス、あなたはローナより先に死を迎えてはなりません。作り上げられたものでも、それが真実だと思わせたのなら最後まで騙し通してみせなさい」

 私にローナは救えない。
 こうして元凶である男に無意味と知りながら言葉をかけることぐらいしかできない。

「ローナを幸せにして。あなたの愛し方がどれほど歪んでいようとも、あの子が幸せだと思えるならば、救いにはなるわ」

 救いは誰のためのものなのか。
 ローナの?
 あの子を救えなかった私達の?

「お言葉、肝に銘じておきます。素直に私の望みを認めてくださり、感謝いたします」
「認めてなど……、いないわ」

 少しばかりの最後の抵抗を、アレックスは一笑に付して立ち去った。
 兄や妹と同じ無力感に苛まれながら、私はやがて訪れるであろう遠方の国との成婚の報を待った。

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