あなたしか見えなくて
魔物の証言
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人と魔物の争いは、気の遠くなるほど昔から続いていると伝え聞く。
我らにとっても、向こうにとっても、互いの存在は許しがたいもので、共存の道を探ることもない。
魔物の世界では力が全てだ。
我々は魔界に君臨する悪魔を崇め、力を尊び、強者に従い生きていく。
他者を従わせる強大な力のみが敬服するに値し、何よりも価値があり、何をしても許されるのだ。
魔物達には生まれつき炎や水といった自然を動かす魔力が備わっている。
魔力の優劣が我々の序列を決め、支配する者とされる者にわけ隔てられた。
私は魔物の中では非常に弱い存在だ。
魔術を操る高位の魔物に服従し、命を保障される代わりに奴隷として酷使される日々。
しかし、それが当たり前で、不満など感じることはなかった。
周囲に対する恐れは常にあったが、それも己の弱さが悪いのだと諦めもしていた。
私が仕えるご主人様は、強い魔力を持ち、魔界を治める悪魔の王のお告げを聞くことができる素晴らしいお方だ。
ある日、ご主人様は皆を集めてご神託が下されたことを告げられた。
「聞け、同胞達よ! 我らの神はこう申された! 魔王様の降臨に不可欠な生贄は、人間の王家の姫だと。その中で最も心白き姫を選び、我らの力が最高に高まる満月の日にその命を絶てば、魔王様は目覚め、この世に解き放たれるのだ!」
下された神託に仲間達は狂喜した。
私も今まで感じたことのない高揚感に包まれた。
魔王様!
その名を思い浮かべるだけで、体が震えて熱くなる。
どのようなお方なのだろうか。
一刻も早くお会いしたい。
皆、気持ちは同じ。
その日から我々は一致団結して魔王様を迎えるべく動き始めた。
生贄に相応しい姫を探すべく、仲間達は人に化けて各国の王城に入り込んだ。
だが、複数ある人間の王家、さらにその血を引く女となると相当な数がおり、その中から一人を見つけ出すのは至難の業だった。
しかし、長い時間をかけ、我々はついに見つけ出した。
誰よりも白い心を持つ姫を。
ご主人様は浚ってきた姫に、代わりは幾らでもいると告げたが、それは逃亡を阻止するための嘘だ。
彼女の代わりなど誰にもできない。
我々が軽蔑する他者への労わりや慈悲の心を持ち、邪心をまったく持たない姫は、私にまでその心を向けた。
ご主人様の不興を買い、傷つけられた足に、手当てと称して巻きつけられた布切れ。
愚かな姫だ。
このようなことをしても、私の心は動かない。
こちらの情を呼び起こし、逃げる手伝いをさせる気であったとしたら、とんだ計算違いだ。
嘲笑を浮かべて布を取り去ろうとしたが気が変わってやめた。
生贄に選ばれる者が、そのように計算高くあるはずがない。
己の行為に見返りを求めるようであれば、魔王様への生贄になれはしないではないか。
そう気づいた時、胸に何か不快な感情が生まれた。
まあ、いい。
儀式の日は明日だ。
邪魔になるでもなし、傷が治るまで放っておこう。
夜が明けて、儀式が行われる満月の日を迎えた。
城に集った全ての者が、魔王様の降臨に期待を寄せて、興奮しきっていた。
月が昇る夜の到来を、じりじりしながら待ち受ける。
周囲の熱狂的な空気は高まっていく一方だが、魔王様の降臨と引き換えにあの姫がいなくなるのだと思えば、私の心は冷めていくばかり。
なぜだ。
無力な人間に、惜しむほどの価値などありはしないのに。
太陽が空の真上に来た頃だ。
城が人間達の軍勢に取り囲まれていると報告がきた。
見たこともないほどの大群で、あらゆる方角から鬨の声が聞こえ、大砲が撃ち放たれる音が響き渡った。
「儀式は今夜だというのに、人間どもめ! 皆、迎え撃て! 夜まで耐え切ればこちらのもの! 魔王様さえ降臨なされれば、奴らなど一瞬で消し去ってくださる!」
ご主人様の号令で、仲間達は武器を手に応戦しに出て行った。
私も弓矢を持って城壁に上る。
半日耐え切れば勝てる。
幾ら人間が数を増しても、魔王様の後ろ盾があると思えば負ける気はしなかった。
大勢の人間が城を取り囲み、鋭い剣を振りかざして攻め寄せてくる。
最初こそ、士気も高く、人間を遥かに凌駕する怪力や魔術を駆使して戦う我々の方が圧倒していたが、後方から突出してきた一軍が現れた途端、形勢は逆転した。
先頭で指揮を執る騎士らしき人間が剣を振るたびに、仲間が次々と倒れていく。
あの騎士は何者だ?
魔術の攻撃を受け流し、鎧よりも数倍の強度を誇る魔物の体を一撃で切り捨てる力。
到底、人とは思えない。
仲間達も驚愕していて、戦線は次第に城に向かって後退してくる。
打ち込まれた砲弾が城壁を打ち崩し、やむなく城内へと退くことにした。
「魔物が後退していくぞ! 今だ、橋を渡れ!」
「ローナ姫様をお救いするのだー!」
城に迫る人間達が叫んでいる。
彼らはあの生贄になるはずの姫を取り返しにきたのだ。
私と同じく撤退する仲間達からは、すでに戦意は消えかかっていた。
無理もない。
ずっと侮ってきたはずの人間が、あれほどの強さを見せたのだ。
「儀式の間を死守せよ! 夜が来るまで耐えるのだ!」
ご主人様の声が聞こえる。
行かなくては。
次第に仲間は散り散りとなり、逃げ出した者もいたようだが、私にはご主人様の声を無視することなどできず、急いで城内奥の儀式の間へと向かった。
奥へと向かう私の目に、廊下のあちこちで同胞が事切れて倒れている姿が映った。
おかしい。
人間達の軍勢はまだ城内に侵入してはいないはずなのに、もしや先に別働隊が潜り込んでいたのか?
それにしては人間の姿を見かけない。
軍勢の気配も、応戦している気配もなく、静かな城内を懸命に奥へと向かって走りぬけた。
ようやく儀式の間にたどり着く。
遅かったらしく、入り口には抵抗の跡が残る仲間達の死骸が折り重なっていた。
「待て、待ってくれ! 見逃してくれええええっ!」
中から聞こえてきた絶叫はご主人様のものだ。
まさかと半信半疑で扉の影から様子を窺う。
剣を手にした人間の騎士相手に、ご主人様は這い蹲って許しを請うていた。
相当痛めつけられたらしく、床には血が飛び散り、全身に切り傷を負っている。
ご主人様をこのような姿にしたのは、たった一人。
異様なほどの威圧感を放つ、不気味な男だった。
あの強いご主人様が恐怖で慄いている。
驚きつつ、様子を見ていると、男がご主人様の喉元に剣を突きつけた。
「お前が攫った姫はどこだ?」
答えがないと知るや、男は何の躊躇いもなく、ご主人様の腹に剣を突き立てた。
強靭で再生力の強い我ら魔物の肉体は、腹部を刺された程度では致命傷にはならない。
しかし、当然傷に応じた痛みは感じる。
あくまで死に至らないという、ただそれだけのことだ。
「ぎゃああああああっ!」
剣を引き抜かれ、腹部から血が噴出し、ご主人様が悲鳴を上げてのた打ち回る。
「問いに答えるなら、その苦しみ、痛みから解放してやろう」
絶望で濁っていたご主人様の目に生気が戻る。
痛みに呻きながら、ご主人様は男を見上げた。
「た、助けてくれるのか? ならば言おう。い、生贄は地下牢に……」
待っていた答えが告げられた途端、男の唇に禍々しい笑みが浮かんだ。
「そうか、地下牢だな。では、貴様にもう用はない、消えろ」
「そ、そんな……、約束が違っ……がはぁっ!」
振り下ろされた剣によって、ご主人様の命はあっけなく潰えた。
敬愛してきた支配者が無残な最期を迎えたというのに、私の心には何の感情も浮かばなかった。
むしろ、最期になって無様な姿を晒した主人に対して嫌悪感を抱いたほどだ。
それよりも、私の目は冷たい瞳で躯を見下ろしている男に釘付けだった。
「嘘は言っていない。貴様は私のローナを誘拐した罪により、最も残酷な責め苦の末に死を迎えるはずだったのだ。死によって、さらなる苦痛から解放してやった。寛大な私に感謝するといい」
なんと強く美しい。
強さが何よりも基準の魔物にとって、絶対的な力は崇拝の対象だ。
人間、これが人間なのか?
いや、違う、人間であるはずがない。
では、アレは何者だ?
男の両眼が、入り口に立ち竦む私を捉えた。
一瞥された後、無関心に通り過ぎる視線。
弱い私など、彼にしてみれば道端に転がる石ころのようなものだろう。
わかりきっていたことながら落胆の吐息をついた。
しかし、通り過ぎたはずの視線が再び私を捉え、全身を針で串刺しにされたような殺気に襲われた。
男が私を見ていた。
いや、正確に言うなら、私の足だ。
さらに訂正するならば、あの姫が巻いた布切れを男は食い入るように凝視していた。
「ああ、ローナ様……、あなたという方は……」
嘆きとも、笑いともつかぬ声を上げて、男はこちらに近づいてきた。
「このような場所にいても、あなたの心は清いまま。誰よりも善良で穢れなきあなたは、また誰よりも罪深い。私の心を嫉妬で歪め、狂わせ、こうして手を差し伸べた全ての命を闇に落としていくのです」
陶然と男を見つめた。
私は心を奪われていた。
逃げようとも思わなかった。
この大いなる力を持った存在にひれ伏したい気持ちが私を支配し、体をこの場に留めている。
こちらに歩み寄りながら、男はこの場にいない誰かに向けて語り続けていた。
「私以外の者に心を向けるあなたが許せないのに、そんなあなただからこそ愛おしく感じてしまう。あなたを愛している、あなたは私のものだ! あなたが私以外の者を見るなど許せない! できるものなら全て殺し尽くしてしまいたい!」
男が剣を振り上げる。
憎悪と嫉妬が漲る表情には、同じほど満たされた笑みが浮かんでいた。
彼の叫び、笑い声を聞き、落ちて来る刃を見ながら、私は魔王様がどこにおられるのか悟った。
どうしてあの姫が生贄に選ばれたのかも。
最期の時を迎えて私は満足していた。
今となっては人との争いなど、どうでも良いことに思えた。
そんなことよりも、名誉なことがこの身に起きたのだ。
この世で最も敬愛し畏怖すべきお方に、この命を捧げることができたのだから。
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