あなたしか見えなくて

孤独なお姫様

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 いつからこうなったのか、思い出そうとしてもわからない。
 広く静かな部屋で、私は今日も一人で過ごす。

 中央にそびえ立つ王の宮殿を中心に、無数の施設や屋敷を重厚な城壁で囲む王城は、我が国でもっとも繁栄している巨大な都。
 城の一番外側の区域で民衆が商いを営む市は、常に人々で溢れ、活気づいている。
 離れたこの場所にいても、その喧騒は微かに聞こえてくる。
 子供の頃、お忍びで市に連れて行ってもらったことがあったわ。
 ああ、あの頃は良かった……。
 私の周囲には多くの人がいて、笑い声が絶えなかった。

 それが今はどうだろう。
 訪れる者などほとんどいない部屋に閉じこもり、周囲の視線に怯えながら暮らしている。
 自業自得だということはわかっている。
 全て私が悪いのだ。
 気付かぬ間に周囲の人々を不快にして、それなのに自分の何が悪いのか、いまだに理解できていない。
 理解できないのに謝っても、誰も許してはくれないだろう。

 やむなく部屋から出る時は、ベールを頭からすっぽりと被って姿を見せないようにする。
 私の姿を見るだけで、嫌な思いをする人がいるから。

 これ以上、誰にも嫌われたくない。
 息を殺して目立たないように、ひっそりと生きていこう。




 私はこの国の第二王女として生を受けた。
 両親である国王夫妻の間には、私を含めた四人の子供がいる。
 世継ぎのキース兄様はとても優秀な人で、次代の王に相応しい器量と賢さを持っていた。
 レーナ姉様は淑やかで優雅、妹のニーナは活発で愛らしい。二人とも他を寄せ付けぬほど華やかで、花や蝶、宝石などに例えられ、吟遊詩人によって謳われるほどの美貌を備えている。
 私を除けば完璧な王族。
 私だけが唯一の汚点。
 容姿どころか心も醜く、人々に忌み嫌われる厄介者。
 面と向かって罵倒されたことなどないけれど、それは彼らがみな優しいからなのだろう。
 今の私は周囲の情けによって生かされているに過ぎない。
 真実は目の前にあるのに、見ないフリをする。
 わかっていても認めたくない。
 直視するのが怖い。
 お願い、お願い、私を嫌わないで。
 目を閉じて、耳を塞ぎ、部屋の扉を固く閉める。
 こうしていれば、誰の心もわからない。
 いつか突きつけられる真実であっても、今はまだ知りたくない。




 夕食も私は自室で食べる。
 以前は皆と一緒に食べていたのだけど、気がつけば部屋に運ばれるようになっていた。
 家族の誰も、私に会いたくないのだと、それで理解した。
 一人で食べる料理はとても味気なくて、どれほど贅を尽くした逸品でも砂を噛んでいるみたい。
 最後には涙を落とし、どんな料理も塩の味になった。

 今日も一人寂しく小さな食卓に向い、口を動かす。
 何があろうと表情を変えることのない白い壁を虚しく見つめながらの夕食。
 料理を運び終えると、侍女達は素早く下がる。
 何かに追われるように出て行く彼女達の後ろ姿を見るたびに悲しくなった。
 呼びとめて、ここにいてと言えば、彼女達は足を止める。
 だけど、そのようなことはできない。
 私を避けたがっている彼女達の感情が伝わってくるから、寂しくても我が侭は言えなかった。



 
 涙が混じる夕食を終えようという頃、楽団が奏でる楽しげな音色が小さくだけど聞こえてきた。
 城の中からだわ。
 大広間で演奏しているのね。
 人々の笑いさざめく声も聞こえ、ちくりと見えない針が胸を刺した。
 鏡の向こうに見える世界のように、あの楽しそうな輪の中に私が入ることはない。

「失礼いたします」

 食事を終えた頃合いを見計らって、侍女達が食器を下げに来た。
 手際良く作業を進める彼女達を見ながら、声をかけようか迷った。
 どんな反応を返されるか怖かったけど、好奇心の方が勝った。
 深呼吸して、出て行く間際の侍女に「待って」と声をかけた。

 一番後ろにいた侍女が立ち止まって振り返った。

「どうかなされましたか? 何か粗相でも致しましたでしょうか……」

 侍女は驚いた顔をしたけど、不快そうにするでもなく室内に戻ってきた。

「そうではないの。あの……、今夜は何かあるの? ほら、音楽が聞こえるわ」

 思い切って尋ねた。
 途端に侍女は目を逸らして俯いた。

「今宵は舞踏会が催されております」

 返ってきたのは想像通りの返事。
 彼女は私をちらりと見て、すぐにまた頭を下げた。

「そう……なの……」

 私は出なくていいのかなどと、今さら聞くまでもない。
 公の場に出なくなってどれほど経ったのだろう。
 呼ばれることも、咎められることもなく、徐々に忘れられた存在になっていく。

 これでいいのだ。
 少なくとも、誰に迷惑をかけることはない。
 父母や兄の体面を汚すことも、美しい姉妹の邪魔になることもない。
 彼らと一緒に並んで、皆の軽蔑の視線を受けるより、こうして部屋に閉じこもっているほうがずっと良い。

 でも、でも、寂しい……。
 お前など必要ないのだとこうして幾度となく告げられても、諦めることなどできない。
 もう一度、愛されたい。
 必要とされたい。
 笑いかけてもらいたい。

 また涙が溢れてきた。
 懐かしい記憶の中で、無邪気に振る舞い、人々に愛されている過去の自分が羨ましかった。




 気がつけば、侍女はいなくなっていた。
 勝手に泣きだして、また困らせてしまったわ。
 きっと嫌われた。
 誰だって、こんな陰気な姫の世話などしたくないはずだもの。

 私の侍女はすぐに変わる。
 誰が来ても必要な用事を済ませると、忙しなく部屋を出て行く。
 名前どころか顔すら覚える暇もないほど。
 会話だって本当に事務的なものしかしてもらえない。

 それでも無視されないだけ良かった。
 先ほどのように、私が何かを問えば、きちんと答えてくれるのだから。
 彼女達は優しいから、私のような者にも良くしてくれているのね。
 ごめんなさい、ごめんなさい。
 気配などとうに消えてしまった扉の向こうに、他に言葉もなく謝り続けた。




 何もする気がおきなくて、扉の前で蹲っていた。
 ああ、いけない。
 侍女達が、私の寝支度を整えに来るまでに泣きやんでおかないと、また迷惑をかけてしまう。
 自己嫌悪でまた涙腺が緩み出す。
 私は本当に駄目な姫だ。

「ローナ様、アレックスです」

 急に扉が叩かれて飛び上がった。
 アレックス?
 今夜は舞踏会に出ているはずではないの?

 アレックスは私の騎士。
 警護の兵とは別に、王族には忠誠を誓って仕えてくれる騎士がいる。
 私に剣を捧げてくれたのは彼だけ。
 慈悲深く清廉な騎士は、私のような出来損ないの姫を放っておけずに傍にいてくれた。
 彼は私の光も同然の存在だった。

「ま、待ってて、すぐに開けるわ」

 急いで扉に近寄り、ドアを開けた。
 本当なら彼が扉を開けて入ってくるのを待っていればいいのだけど、心が焦って体を動かす。
 アレックスは特別な人なの。
 私が近づくことを許してくれる、唯一人の人だから。




 扉の向こうにいたアレックスはいつものように微笑んでいた。
 こちらを見下ろす蒼い瞳は、蕩けそうなほど優しく私を映してくれる。
 薄暗い闇夜の中でも輝く金の髪。
 後ろで一つに束ねられている腰に届く長さのそれを、小さな頃は何も考えずに触っていた。
 触り心地が良かったのね。
 彼も何も言わずに触らせてくれたわ。

「どうしてここに? あなたは舞踏会に出ているはずでは……」

 戸惑いと一緒に問いかける。
 アレックスはキース兄様の側近でもあり、公爵の息子。
 独身の彼は、舞踏会で将来の結婚相手を探す必要がある。
 こんな夜は必ず招待状が送られているはず。

「私は姫の騎士です。あなたがおられない会場に長居をする必要はありません」
「そんな……。駄目よ、アレックス。きっと、皆が探しているわ。私はいいから戻ってちょうだい」

 舞踏会には恋の機会を窺う娘達が大勢来ている。
 アレックスに会えることを期待して来ている子もいるはずよ。
 将来のある彼を私の傍に縛り付けていいはずがない。

「私の使命はあなたをお守りすることです。私の前で我慢などしないでください、寂しい思いをされていたのでしょう?」

 この人には全てわかってしまうのね。
 弱った心に優しい言葉をかけられて、堪えきれずに彼の胸めがけて飛び込んだ。

「寂しいの、寂しかったの……」

 アレックスは私を受け止めてくれた。
 すがりつき、涙をこぼした。
 この人の優しさに甘える私はやはり醜い。
 自分のことしか考えられない我が侭者だ。
 だから、みんなに嫌われてしまうのだろうか。

「ごめんなさい、アレックス……」
「謝らないでください、ローナ様。私はあなたのお傍にいることを許されて幸せでございます。世界中の人間があなたに背を向け離れて行こうとも、私だけはこの命ある限りお傍におります」

 なんて優しい人なのだろう。
 私にはもったいないほどの高潔な精神を持つ騎士。
 私などに剣を捧げてしまったために、彼は離れることが叶わないというのに、少しも怨むことなく仕えてくれている。

「さあ、姫、私のために笑ってください。あなたは笑顔でおられる時が一番可愛らしい」
「アレックス、ありがとう」

 心にもないお世辞だとは思えなかった。
 自惚れだとしても許してね。
 この温もりの中で永遠の時を過ごしたい。
 叶わぬ願いだとわかっていても、せめてこの腕が私を守ってくれている間だけは夢を見させて。

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