あなたしか見えなくて

離れていく人々

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 私には心を許していた侍女がいた。
 エリンは重臣の娘で、私より二つばかり年上なだけで年も近く、幼い頃から遊び相手として傍にいてくれた。
 成長すると、そのまま侍女として仕えてくれるようになり、私は誰よりも信頼を寄せて何でも相談した。
 彼女は穏やかに私の話を聞いてくれて、時には厳しく、また同じほど優しく導いてくれた。

 午後のティータイムを、よく二人で過ごしたわ。
 彼女との時間は本当に楽しかった。
 でも、楽しんでいたのは私だけだったことに、彼女がいなくなってから初めて気がついた。




 周囲の態度が少しずつ変わってきたことに気づいた頃のことだった。
 庭に出ると、いつも笑顔で声をかけてくれた庭師達が、私を見るなり目を逸らした。
 驚いたけど、何か理由があるのだと思って尋ねてみようとしたの。
 よく見れば庭師を束ねる親方の姿もない。
 少し心配になった。

「ねえ、どうしたの? 何かあったの?」

 すると、彼らは慌てて道具を片づけ始めた。
 足をもつれさせながら、散らばっていた道具を箱に押し込み、瞬く間に準備を終えて走りだす。

「申し訳ございません、姫様! 我々は急ぎの仕事がございますので、失礼いたします!」

 ほとんど悲鳴のように叫びながら、彼らは目の前から消えてしまった。
 一人取り残された私は、わけがわからなくて困惑した。
 急ぎの用事が口実だってことぐらいはわかるわ。
 彼らは私を避けたのだ。
 でも、自分が何をしたのか、心当たりはまったくなかった。




 部屋に戻ってエリンに庭師達のことを話した。
 本当に何が起こったのかわからなくて、ため息をつくことしかできない。
 落ち込む私の傍らに膝をついたエリンは、手を握って慰めてくれた。

「姫様、お気になさらないで。きっと庭師達は本当に忙しかったのでしょう。親方も他の庭を見ておられたのかもしれません。無礼な態度は咎めるべきでしょうが、姫様は怒っておられるわけではないのですよね」
「ええ、何があったのか気になっただけ」
「では、忘れましょう。彼らも余裕ができれば、以前のように姫様を迎えてくれますよ」

 エリンに優しく言い聞かされて、鬱々とした気分が少し晴れた。
 そうよね、みんな忙しかったのよ。
 お仕事の邪魔をしてはいけないわ。
 しばらくは用もないのに庭園に行くのはやめよう。

 ところが、様子がおかしくなったのは庭師だけではなかった。
 城内を歩けばいつも誰かが声をかけてくれたのに、遠くから姿を見かけた途端に消えてしまう。
 一度など、見知った貴族の青年が私に気づくなり、露骨に顔をひきつらせて逃げて行く様子を見てしまった。
 もう私に原因があるとしか思えなかった。
 何かしたのか、怒らせるようなことを言ったのか、それとも臭い?
 ありとあらゆる理由を思い出そうとしてみたけど、まったくわからない。
 エリンならわかるかも。
 いつも傍で私を見ていてくれるのだもの、悪い所があるなら教えてくれるはず。
 だけど、エリンは首を横に振った。

「いいえ、姫様は何も悪くないのです。あなたは何も悪くないのに……」

 彼女は私を抱きしめてくれた。
 悪くないのなら、どうしてみんな私から離れていくの?
 寂しくて泣いた。
 声を上げて泣く私をエリンはずっと慰めてくれた。
 だけど、それが彼女との最後の会話だった。




 翌日からエリンの姿が見えなくなった。
 世話をしにきてくれるのは、見覚えのない侍女ばかり。
 彼女達は自分の仕事だけをこなしてすぐにいなくなる。
 エリンのように、話しかけてくれることはなかった。

「エリンに会いたいな……」

 外に出れば、腫れものに触るかのような態度で遠巻きにされるから、部屋からは出なくなっていた。
 いつもならエリンが散歩に連れ出してくれていたけど、彼女がこなくなってからは閉じこもるばかり。
 部屋を訪ねてくれるのはアレックスだけだ。
 彼の訪問がなければ、私は本当に外の世界と隔絶されていた。

 午後になり、アレックスがやってきた。
 私とまともに話をしてくれるのは、彼しかいなくなっていた。
 アレックスならエリンのこと、何か知っていないかしら?

「アレックス、エリンの姿が見えないのだけど、あなたは何か知らない?」

 アレックスの端正な顔が険しくなる。
 彼はためらいを見せた後、静かに口を開いた。

「ローナ様にはお知らせしない方が良いかと黙っていたのですが……」

 嫌な予感がした。
 もしかして、エリンの身に何かあったの?
 不吉な想像が幾つも頭を通り過ぎて行き、体に震えが走る。
 でも、何も知らないままではいられない。
 エリンの身を案じる私に、アレックスが話したのは思いもかけないことだった。

「エリンは侍女を辞めました。姫付きの侍女などもう勤めてはいられないと、不平不満を周囲に漏らして衝動的に帰郷いたしました。あまりのことに姫のお耳には入れたくなかったのですが、申し訳ございません」

 エリンが私に不満を持っていた?
 私の侍女など勤めてはいられないと言ったの?

 衝撃で目の前が真っ暗になった。
 ああ、だけどアレックスの前で気を失うわけにはいかない。
 これ以上、彼に心配をさせるわけにはいかないもの。
 表情を繕い、気力を振り絞って彼に声をかけた。

「謝らないで。教えてくれてありがとう。私のことですもの、知らないで済ませてはいけないことだったから良かったのよ」

 そうは言ったけど、体はガタガタ震えていた。
 エリンに嫌われた。
 信頼を寄せて好意を寄せられていると信じていた人に、陰では蔑まれていたなんて。
 私は彼女に何をしたのだろう。
 知らずに傷つけるようなことを言ってしまった?
 思いだそうとしてもやはりわからない。

「ローナ様、悲しまないでください。きっと何か行き違いがあったのでしょう。あなたは何も悪くない。エリンのことは残念ですが諦めてください」

 アレックスはそう言ってくれたけど、行き違いがあったとしても私が誤解させるようなことをしたのには変わりない。
 エリンは大切な人なの。
 嫌われたまま、別れるなんてできない。

「彼女を傷つけてしまったのなら謝らないと。このままにはしておけないわ」
「おやめください。出ていく時のエリンの様子を見ていれば、彼女が話を聞くとも思えません。私はこれ以上、あなたが傷つくのを見たくない」

 アレックスは悲痛の色を浮かべて私を諫めた。
 彼の言う通りなら、私の謝罪ですらエリンには不快なものでしかないのかもしれない。
 悲しいけど、諦めるしかないの?

 ごめんなさい、エリン。
 こんな私に仕えてくれて、今までありがとう。

 涙が溢れてきて、止まらない。
 アレックスは私に寄り添い、こぼれ落ちる滴をハンカチで拭ってくれた。

「泣かないでください。大丈夫です、このアレックスがあなたのお傍におります」

 寂しさで凍えてしまいそうな心に、暖かい風が吹き込む。
 アレックスの傍は日溜まりのような心地よさで、沈む私を癒してくれる。
 彼が作り出す、この優しい居場所を失ってしまった時、私はいったいどうなってしまうのだろう。
 また怖くなって、両腕で体を抱きしめたら、アレックスの腕に包みこまれた。

「何も案じることはないのです。私がお守りいたします」

 彼の声を聞いていると、恐怖が薄れ、安堵する。
 それと同時に胸に不思議な感情が沸き起こった。
 鼓動が早くなり、頬が熱くなる。
 彼の存在が、心を掻き乱した。
 ふいに男性に抱き締められているこの状況が、未婚の姫にあるまじきことなのだと気がついた。
 誰かに見られたら、アレックスにも咎めがいく。

「アレックス、こんなことをしてはいけないわ」

 慌てて離れようとしたけれど、彼が腕を緩めることはなかった。

「あなたの悲しみが癒えるまでこうしております。我が身のことより、あなたの心の安寧が私にとって大切なこと。気になさらないで」

 胸がさらに高鳴る。
 彼は私の騎士。
 だけど、それだけではない。
 私の命と共にあり、なくてはならない人。




 あれから私の周囲からはさらに人が減っていったけど、アレックスは態度を変えることなく傍にいてくれる。
 悲しくて、寂しくて、心細い日々だけど、彼の存在が希望となって私を生かす。

 ああ、神様お願い。
 彼だけは、私から遠ざけないで。

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