あなたしか見えなくて

妹姫の誘い

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 朝が来て、今日も寂しい一日が始まるのだと思うと憂鬱だった。
 アレックスは今日も来てくれるかしら?
 待ち遠しくて、楽しみでもあるけど不安が募る。
 彼もいなくなってしまったらどうしよう。
 アレックスは私に残された最後の希望。
 彼を失ってしまったら、きっと私は生きていられない。

 彼が来てくれますようにと祈っていると、部屋の扉が叩かれた。
 侍女達が掃除に来てくれたみたいだわ。
 急いで黒のベールを被り、部屋の隅に移動した。
 邪魔にならないように、できれば姿を消してしまいたいけれど、私にできることは布を被って小さくなっていることだけ。

「ローナ様、あの……」

 珍しく侍女が私に声をかけてきた。
 それだけで飛び上がるほど嬉しくなって、でも怖くて、ベールの下から恐る恐る返事をした。

「ど、どうしたの?」
「実はその、ニーナ様が……」

 侍女の顔は幾らか青ざめていて、困っている様子だった。
 ニーナがどうかしたの?
 久しぶりに聞く妹の名前を懐かしむと同時に訝しんだ。
 すると、閉められていた扉が再び勢いよく開いた。

「もう! いつまで待たせるの! お姉様に会うだけなのに、何を手間取っているのよ!」

 怒りながら入ってきたのはニーナだった。
 私より二つ年下の彼女は、とても元気で行動力に優れ、乗馬や剣術も嗜む男勝りなところもあった。
 だけど、美しく着飾ればレーナ姉様にも劣らない可憐な淑女に早変わりする。
 才色兼備の誇らしい妹。
 ニーナは私の方を向くと、驚愕の表情で目を見開き、口を丸く開けた。

「ローナ姉様! なんて恰好をしているの!」

 ニーナの大声に、体が委縮して縮こまった。
 やはり私は酷い姿をしているんだわ。
 ごめんなさい、ごめんなさい!
 この体ごと消えてしまいたくなって、ベールを掴んでしゃがみこんだ。

「この黒いベールはどうしたこと!? ああ、お姉様、どうかその邪魔な布をどこかにやってしまって、よーくお顔を見せてください。ニーナはローナ姉様に会えなくて、とても寂しい思いをいたしましたわ」

 え?
 思いがけないことを言われて、そろそろとベールを外した。
 すると間近にニーナの顔があった。
 彼女は私の両肩を掴み、思いつめた表情で見つめてきた。

「ニーナ?」
「お姉様、部屋に閉じこもっていてはいけないわ、それこそあの男の思う壺。私と一緒に街に出ましょう、お忍びで、久しぶりに市場を覗いてみるの、楽しそうでしょう?」

 あの男というのがよくわからなかったけど、ニーナの誘いに喜びが湧きあがる。
 街に行くの?
 私と一緒に出かけてくれるの?

「いいの? ニーナも一緒に来てくれるの?」
「勿論ですわ、そのためにお誘いに来たのですもの」
「嬉しい! ありがとう、ニーナ!」

 思わずニーナに抱きついてしまった。
 それぐらい嬉しかったの。
 私はまだ家族に疎まれていない。
 少なくとも、ニーナは私を忘れていなかった。

「では、お姉様。明日の朝にお迎えにまいります」
「ええ、楽しみに待っているわ」

 ニーナが部屋を出て行っても、私の心は興奮で昂っていた。
 街に行くなんて、どれぐらい久しぶりかしら?
 何を着ていこう。
 続きになっている隣の衣裳部屋に行き、奥にこっそりしまってある数着の平民の衣装を取りだして、どれを着ようか浮かれながら選んだ。
 夢中になって選んでいたら、隣から声が聞こえてきた。

「ローナ様、どちらにおいでですか?」

 あら、アレックスだわ。
 そうだ。
 お忍びで行くなら、彼にも言っておかないと。
 警護をしてくれている彼に心配をさせてはいけないものね。

「ごめんなさい、すぐに行くわ」

 急いで衣装をしまい、部屋に戻る。
 アレックスは私を不思議そうに見やった。

「何か嬉しいことでもありましたか? 随分と楽しそうでおられる」

 アレックスは何でもお見通しね。
 込み上げてくる笑みを満面に満たしながら、彼に言った。

「そうなの。つい先ほどニーナが来てくれて、街にお忍びに行きましょうと誘ってくれたのよ。明日行くつもりなの、行っても良いでしょう?」

 アレックスは反対の声を上げることなく、温かく微笑んだ。

「そうですか、ニーナ様がおいでに……。良かったですね、ローナ様」

 彼は私の孤独を知っている。
 妹の訪問を我が事のように喜んでくれた。

「警護のことは御心配なさらずに、私が全て手配しておきます」
「お願いね」

 ああ、早く明日にならないかしら?
 こんなに夜が明けるのが待ち遠しいなんて、しばらくなかったことだわ。




 だけど、幸せな時は瞬く間のことだった。
 翌朝、ニーナが来られなくなったと侍女が言伝を持ってやってきた。

「ローナ様、申し訳ございません。ニーナ様は昨夜から御気分が優れずに臥せっておられます。ですので、本日の外出は取りやめにしていただきたいとのことです」

 昨日は元気だったのに……。
 寝込むほど具合が悪いなんて、どうしたのかしら?
 心配で、心配で、いてもたってもいられなくなった。

「いつも元気なあの子が寝込むなんて今までなかったことだわ、様子を見に行きましょう」

 ニーナの好きな花を侍女に頼んで用意してもらい、花束を持って部屋に向かう。
 ニーナは自室の寝台の上で、青い顔をして唸っていた。
 医師の見立てでは食当たりではないかと言われたことを、控えていた侍女が教えてくれた。

「ニーナ、大丈夫?」
「お姉様、ごめんなさい。私からお誘いしたのに行けなくなって……」
「そんなこと気にしなくていいのよ、街にはいつだって行けるもの。それより早く良くなってね。少しでも慰めになるかと思ってお花を持ってきたの」

 花束を見せると、ニーナは苦しそうな息をしながらも笑顔を見せてくれた。

「綺麗なお花ね。ありがとう、ローナ姉様」

 あまり長く居て、ニーナに負担をかけてはいけないから、私はすぐに部屋を出た。
 ニーナのおかげで、外に出ることへの抵抗は少しだけ消えていた。
 だから、ちょっとだけ寄り道して部屋に戻ろうと考えた。
 後から思えば、真っすぐ帰れば良かったのに、私は庭園に出て花々を眺めながら散策を楽しんだ。




 庭園の外れまで来た時、先ほどニーナの部屋にいた侍女を見かけた。
 彼女は手に植物らしき物の束を持っていた。
 私が花束を持っていったから、交換したものを捨てにきたのかと思ったけれど、それがまだ枯れても萎れてもおらずに、美しい彩りと瑞々しさを保っていることに気づいてしまった。
 まさか、あれは、あれは……。

 震えてしまって、声をかけられなかった。
 木陰に隠れてしゃがみこみ、侍女をやり過ごす。
 彼女は私に気づかず行ってしまった。
 手にはもう、何も持っていない。

 気配が消えると、木陰から這い出して、先ほど侍女がいた方に向かって歩き出した。
 見れば後悔すると心の奥底から警告が聞こえてくるのに、足は止まらず動き続ける。
 庭園の隅には枯れ葉や剪定で落とされた木の枝などが積まれていた。
 そこに私の花もあった。
 この光景が何を意味しているのか、頭が考えることを拒絶した。
 知らず知らずに涙が溢れてくる。
 どうしよう、どうしよう。
 せりあがってくる吐き気に、口に手を当て、花に背を向けた。
 逃げなければ。
 何から?
 現実から。

 事実に目を背けて、駆けだした。
 見たくない、知りたくない。
 夢なら覚めて。
 こんな悪夢はいらない。

 どうやって部屋に戻ったのか覚えていない。
 寝台の上掛けの中に潜り込んで目を閉じた。
 早く、夢が覚めるように。
 あれが現実ではなかった証拠に、ニーナが迎えに来てくれる朝が来るようにと祈りながら。




 どれだけ寝ても、いくら逃げても、逃れられない。
 私は認めなければならなかった。
 あれが現実で、私の訪問は妹にとって迷惑でしかなかったことを。

「ローナ様、どうなされたのですか?」

 まだ日が高いのに上掛けを被っている私を心配して、アレックスが来てくれた。
 彼の優しさに私は今日もすがってしまう。
 抱きしめてくれるのをいいことに、彼の胸にすがりつき、不安な気持ちを打ち明けた。

「私、また何かしてしまったのよ。ニーナが苦しんでいるのに酷いことをしたんだわ。そうでなければ、あの子が花を捨てるわけがない。ああ、私は何をしてしまったの? どうしていつも私は……」

 自分の罪がわからない。
 自覚もなしに人を傷つけるなんて、私はなんという悪魔なのだろう。
 自分が恐ろしくて、絶望のあまり命を絶ってしまおうかとさえ思いつめた。
 私の考えを察したのか、アレックスが珍しく焦りを帯びた声を出した。

「ローナ様、落ち着いてください。ニーナ様は病床に臥されておいでです。起き上ることもできない御方が、侍女に花を捨てるようになどと命令できるでしょうか? きっと侍女が無断でやったことでしょう。それにも何か理由があるはずです。決してローナ様の花だから捨てられたわけではありませんよ」
「そ、そうかしら? あれは私の思い過ごし……?」
「そうですとも、妹君がローナ様をお嫌いになられるはずがございません。回復なされれば、またお誘いくださるはずです」

 アレックスに諭されて、気持ちが落ち着いてきた。
 だけど、心に宿った不安は消えてくれない。
 本当に嫌われてはいない?
 ニーナは私のことを好きでいてくれているの?

「アレックス、私怖いわ。もし、もし、嫌われていたら……」
「ローナ様、私のことは信じてくださいますね? 大丈夫ですよ、あなたは決して一人にはならない。私がおります、私だけはあなたを嫌いになったりはしません」

 アレックスの囁きは、私に不思議な安心感を与えてくれた。
 誰かを傷つけるぐらいなら、これ以上近づくこともなく密かに生きていけばいい。
 彼が傍にいてくれれば、私は寂しくないもの。

「我が姫よ、私のために生きてください。あなたは私の命そのもの、失ってしまっては、私も生きてはいけない」

 この世に一人だけ、私を心から望んでくれる人がいる。
 私は彼のために生まれたのね。
 この心も命もあなたのもの。
 あなたがそう望んでくれるのなら、全てを捧げよう。

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