お嬢様のわんこ

第二章・わんこ、お嬢様への愛を叫ぶ

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 【4】

 目的地もなく旅を続けて、もうすぐ二年が経とうとしていた。
 俺のギルドカードの項目は、討伐と採取がSランクになり、雑用と警護は受けていないのでCランクのままとなっている。
 Sランクの冒険者は何かと目につくのか、ギルド職員からいらない世話を焼かれる機会が増えてきた。

 俺が並んだ受付の窓口にいたのは女だった。
 気の強そうな顔つきをして、次々と出される書類を素早く捌き、列の長さの割にさほど待つこともなく順番が回ってきた。

「討伐の依頼を受ける。周辺に出る魔獣のリストをくれ」

 そう言って差し出した俺のカードを見た途端、職員の手が止まった。
 ん? リストを渡せばそれで済むだろ、何やってんだ?
 職員は卓上に置かれた書類箱から一枚の紙を取り出して俺の方に差し出した。
 それは魔獣のリストではなく、護衛の依頼書だった。
 こんなもの頼んでないぞ。
 顔を顰める俺に、職員は笑みを向けた。

「クロさん、護衛の仕事をしてみませんか? 複数のパーティで受けるために討伐よりも安全ですし、報酬額も良いですよ。実はちょうど戦闘力に秀でた冒険者を雇いたいとおっしゃる方がいらっしゃるのです」

 ギルドとしても、腕の良い冒険者に大口の依頼を任せて、達成率を上げたいのだろう。
 依頼を完遂させることができなければ、世間の評価は下がり、仕事を持ち込む客が増えないからだ。
 勧められた仕事は商人の護衛。
 運ぶ荷は、宝石や布、武具などで、全て高価な物ばかり、道中は確実に盗賊に襲われるだろうと予想された。
 なるべく優秀な護衛を揃えてくれと、ギルド側も仲介料を多めに渡されたらしい。

「悪いが他を当たってくれ。俺が護衛の仕事を受けないのは、日帰りができないと困るからだ」

 だってそうだろう。
 日帰りだって辛いのに、お嬢様と何日も離れ離れになるなんて考えられない。
 お嬢様を連れて行くのも、もちろん駄目だ。
 隊商は女性が少なくむさ苦しい男ばかりの集団だ、可愛いお嬢様をそんな連中の近くに置いておけるか。
 それに俺が守るのはお嬢様だけだ。
 幾ら金を積まれようとも、お嬢様を差し置いて、見ず知らずのおっさん共を警護するなどあり得ない。
 俺に何の得があるというのか。

「日帰りでないと困る理由をお聞きしても?」

 これまで何度か同じように護衛の依頼を勧められたことがあったが、断ればそれ以上は何も言ってこないのが普通だった。
 ここまで踏み込むヤツは珍しい。
 不躾な質問に眉間に皺が寄ったが、目の前の女はお構いなしだ。
 優秀な冒険者に大口の依頼を斡旋する、双方に利益の出る仲介だ。
 それを成功させたとなると、職員の評価も上がる。
 どうやらこいつは良く言えば仕事熱心、悪く言えば上昇志向の強い人間というわけだ。

「あなたのパーティメンバーには、長い間活動をしていない方がいらっしゃいますね」

 問いに答えず無言でいると、職員は急に話題を変えた。

「申し訳ありません。優秀な冒険者の情報は、どこのギルドでも詳細を確認することになっています。私どもの仕事は、冒険者の方々に仕事を紹介することと、活動が円滑に行えるように助言をすることなのです」

 口元は笑みを絶やさないが、目は笑っていない。
 探るような視線がこちらの様子を窺っていた。

「リュミエールとおっしゃるこの方は、最初の依頼を受けた後は一度も依頼を受けておられない。これはギルドに属することで得られる身分証明が目的ということでよろしいでしょうか? ギルドに貢献もせず、優秀な冒険者の足を引っ張る、そのような者の登録はいかなる事情があろうとも見過ごせません。この機会にパーティを解散なされてはいかがでしょう? よろしければあなたの実力に見合う冒険者をご紹介いたしますので、そちらの方々と組んで……ひいっ!」

 皆まで言うことなく、職員が悲鳴を上げた。
 不愉快だ。
 俺の心情を表すなら、その一言に尽きる。
 視界に捉えた女を縊り殺したい衝動に駆られた。

「身分証明が目的で、何か問題でもあるのか? ギルドに登録する際に規約を熟読したが、他のパーティメンバーがギルドに貢献していれば活動実績がなくても除籍されないと確かに書かれていた。俺が日帰りでできる依頼しか受けないのは俺の都合だ。依頼をこなすのに仲間はいらない、紹介など大きなお世話だ。頼まれてもいない仕事をやりたがるぐらい暇なら、あんたも外に出て魔獣駆除でもしてろ」

 言いたいことをまくし立てて気がつくと、職員は気を失っていた。
 椅子の背もたれに寄りかかり、白目を剥いている。
 辺りを見回すと、列の後ろにいた奴ら、さらには隣の列の者達まで、壁際に寄せ集まって怯えた顔でこちらを見ていた。
 無意識に放った殺気でこうなったことは理解できたが、室内の異様な雰囲気に、気分が一気に下降する。
 今日は嫌なことばかりだ。
 無性にお嬢様の顔が見たくなって、宿に戻った。




「あれ、クロ、どうしたの?」

 出かけたばかりの俺が戻ってきたことに、お嬢様は驚いていたけど、察してくれたのか手を引いて中に入れてくれた。

「元気ないのね、嫌なことでもあったの?」

 お嬢様はベッドに深く腰掛けると、膝に招いてくれた。
 お嬢様の膝を枕に寝転ぶと、頭を優しく撫でられた。

「クロはいつも頑張っているから、今日は休もうね」

 耳を触ってくる指が、絶妙なツボを押さえていて気持ちいい。
 お嬢様の膝に顔を埋めて、匂いをたくさん吸い込んだ。
 嫌な気持ちが薄れていって、落ち着いてくる。

「もっと甘えてもいいよ、私にはこれぐらいしかしてあげられないからね」

 お嬢様、そんなに優しい声で甘い言葉を囁かれると、本当に俺は甘えてしまいます。
 顔を上げて、お嬢様の胸に顔を埋め、寝台の上に押し倒した。
 お嬢様の胸は大きく膨らんでいて柔らかい。
 布越しに頬を摺り寄せて感触を楽しんだ。

「くすぐったいよ、クロ」

 頭を動かすたびに、お嬢様が笑う。
 押しのけられることはなく、逆に抱き寄せられて、くっついたまま戯れ合う。
 大好きですよ、お嬢様。
 明日はまた狩りに行こう。
 お嬢様のためなら、頑張れるから。




 次の日、ギルドに行くと窓口にあの職員の姿はなかった。
 昨日と同じように、窓口で魔獣のリストを求めると、奥からギルドマスターが出てきた。
 ギルドマスターは虎の獣人だった。
 俺よりでかい筋肉質のおっさんで、圧倒的な覇気というか、威圧感があった。

「お前さんがクロか、昨日の騒ぎは聞いてるよ。ちょっと話があるから来てくれないか」

 案内された部屋に入ると、椅子を勧められた。
 紅茶が運ばれてきて、目の前に置かれる。

「まあ、楽にしてくれ。昨日のことに関しちゃこちらが悪かった。確かに仕事が捗るようにと冒険者に助言をすることはあるが、個人の事情にまで踏み込むのは越権行為でしかない。不快な思いをさせて申し訳なかった」

 ギルドマスターは頭を下げて謝罪した。
 例の職員は昨日のうちに逃げだして、謝罪どころではないらしい。

「意識が戻った途端、辞職を言い出してな、荷物をまとめて逃げ帰ったよ。よっぽど怖かったんだろうな」

 辞職の願いに、事情を把握したギルドマスターは懲戒解雇となることを告げたが、何でもいいからすぐに辞めさせてくれと縋られたそうだ。
 恐らく、二度とギルドや冒険者には近づかないだろうとマスターは言った。

「こちらの非を認めるからには処罰はしない、今まで通りに仕事に励んでくれ。だが、幾ら腹が立ったとはいえ、気絶させたのはやりすぎだとは思うがな」
「騒ぎを起こして申し訳ありませんでした」

 誠意を見せて謝ってくれたので、俺も頭を下げておく。
 定住資格のない今は、冒険者ギルドを除籍されるのは困る。

「話は以上と言いたいところだが、少しだけ質問していいか?」
「どうぞ」
「お前さん、生まれはどこだ? 親はどうしている?」

 ギルドマスターの問いかけは不可解なものだった。
 出身や家柄など、冒険者には不要な情報だろうに。

「物心がついた時には売られていましたから、どこで生まれたのか、親が誰なのかも知りません」
「売られた? お前さん、奴隷だったのか?」
「はい、幸い良い人に買っていただいたので、それ以降は奴隷扱いなどされたことがありませんけどね」

 お嬢様と出会ってから、理不尽に酷使されたり、蔑まれることがなくなった。
 自分が奴隷だなんて忘れるほどに、大事にされてきたと思う。
 飼い犬には自ら喜んでなっている。
 だって、そうしないとお嬢様のお傍にはいられないからだ。
 お嬢様が欲しかったのは、本物の犬だ。
 俺のことを、飼いたかった犬の代わりにはしていたけど、ちゃんと人として扱ってくれていた。
 もしも、生活に不安がなくなって、本物の犬が飼えるようになったら、俺のこといらなくなるんじゃないかって不安になる。
 俺が唯一怖いのは、お嬢様に捨てられること。
 その可能性を考えると、怖くて泣きそうになる。

「わかった、聞きたかったことはそれだけだ。引き留めて悪かったな」

 あの質問に、どのような意図があったのか、気にはなったけどあえて問わなかった。
 大したことじゃないだろう。
 騒ぎを起こしたから、目を付けられたのかもしれない。




 長く滞在する気にはなれなくて、数日後にはその街を離れた。
 それから二月ほど過ぎた頃、立ち寄った街のギルドで俺に初めての指名依頼が来たことを教えられた。
 依頼人は、この先の国境を越えたリオン王国にいて、とある上級魔獣を討伐して欲しいというものだ。
 受けられない依頼ではないこともあり、お嬢様を連れてリオン王国に入った。

 リオン王国は獣人の国。
 通りを歩くほとんどの住人に、獣耳と尻尾がついている。
 お嬢様は目を輝かせて、行き交う人の波を眺めていた。
 視線の先を追うと、老若男女種族を問わず、ふかふかの毛で覆われた尻尾を見つめているようだ。
 これまで気づかなかったが、お嬢様は動物が好きだ。
 特に全身を毛に覆われた生き物には、すぐに興味を示し、小さければ抱きしめたがる。
 まさか俺が好かれているのは、この耳と尻尾のおかげではないのだろうか。
 疑念が湧くと同時に、嫉妬の感情を抱く。

「お嬢様、こっちですよ」

 お嬢様の手を握り、さりげなく尻尾をお嬢様の体に寄せてアピールする。
 宿に着いたら、尻尾を餌にお嬢様の関心を惹きつけなければ。
 使えるものは何でも使う。
 耳でも尻尾でも好きにしていいですから、他の奴なんか見ないで欲しい。

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