お嬢様のわんこ

第三章・苦労性魔術師の愚痴りたくなる日々

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 【5】

 次の日、私は宿に残り、エドモン殿は数名の部下を連れて殿下の護衛をするために出かけていかれた。
 殿下はまだ宿の中だ。
 待機中の室内では、窓の側に殿下とは面識のない部下が立ち、向かいの宿の出入り口を見張っている。部下の方も殿下の顔を知らないが、黒狼族の青年などここには殿下しかいないので問題はない。
 殿下が宿を出られたら、再び魔法を使って部屋を覗く予定だ。

「殿下が宿を出られました。真っ直ぐギルド方面に向かっておられます」

 報告を聞き、昨夜と同じく緑の蝶を呼び出す。
 さて、あの少女はどう過ごしているのやら。




 壁伝いに移動し、少女がいるはずの客室前までやってきた。
 窓から室内を覗くと、少女は着替えの真っ最中だった。
 紳士の嗜みとして、本人からは視線を外しつつ、部屋に侵入する。
 少女が脱いだ衣服は、リボンやレースなどで可愛らしい装飾が施されたクリーム色のワンピース、生地も上等のものだ。
 そして着替えたのは、一転して余分な飾りのない紺のワンピースで生地は一段質の劣るものだ。丈も膝までしかなく、その上に白い腰巻のエプロンを身に着け、素足に赤いサンダルを履いている。いったい、何を始めるのだろう。
 着替えを終えた少女は、脱いだワンピースを皺ができないように整えて、洋服掛けに吊るした。

『これでいいわね。今日は天気も良いし、洗濯物もよく乾くでしょうね』

 少女は楽しそうに独り言を呟くと、室内にあった汚れた服を集め出す。
 特に殿下の服は泥と汗で、目で見てもわかるぐらいに汚れている。
 少女は嫌な顔一つせず、それらの服を大事そうに抱えると、廊下へと続いている扉に向かう。
 彼女の行動を全て確かめるのが私の任務。
 後を追って、一緒に戸口から出ていった。

『おや、今日もきたのかい?』
『はい、井戸の水と場所をお借りしますね』

 少女がやってきたのは、宿の洗濯場だ。
 どうやら自分で洗濯を行うつもりのようだ。
 彼女が服を着替えたのは、動きやすく濡れても構わない服にするためだった。
 あの服は少々着古された感があり、洗濯をするようになったのはかなり前からだと考えてもいい。

 洗濯も服一枚につき銅貨一枚を払えば従業員がやってくれるが、宿泊客が自分でやる場合は銅貨一枚で水と洗濯場を使用することができる。
 従業員側も、客全員分の洗濯は負担が大きいのか、こうして自分で洗うという客は歓迎しており、愛想よく場所を空けて少女を混ぜた。
 従業員が客に対してくだけた言い方をしているのは、少女の年齢が低いこともあるだろうが、敬語の必要な身分の者が自ら洗濯などしないからだろう。むしろ、彼らの屈託のない喋り方が、気安く居心地の良い空気を作り出している。

 洗濯場の従業員は、近所の主婦達のようだ。
 話し好きな中年女性が集まっているためか、少女にあれこれ話しかけている。
 黙って見ているだけで情報収集できそうな様子に、運が良いと笑みがこぼれた。

『お嬢ちゃんの旦那様は、黒い毛並みの獣人の兄ちゃんだろう? まだ若いのに、こんな良い宿に泊まれるぐらいだ。結構稼いでいるんだね』

 さすが井戸端会議の参加者だ。
 図々しくも好奇心に任せて、他人の収入を問う様な危うい境界まで質問を掘り下げてくる。
 彼女達に悪意はない。
 それがわかっているからか、少女は笑顔で応じている。

『はい、彼は冒険者をしているんです。私に不自由はさせたくないと頑張って、いつも良い宿に部屋を取ってくれているんです』
『そうかい、だけどそれならなんだって洗濯なんてしているんだい。そんな太っ腹な男が、まさか洗濯代をケチっているわけじゃないだろうね』
『彼は洗濯代も置いていってくれるのですが、少しでも節約したいと思って……。魔獣狩りを主にしているらしくて、いつか怪我をして働けなくなった時のためにお金は残しておかなくちゃいけませんしね。それに、私は待っているだけですることがありませんから、私の仕事だと思ってやっています』
『あんたなら立派な主婦になれそうだ。旦那もそのうち定住資格をもらえるだろうさ。その時のためにもしっかりと貯めておかなくちゃね!』

 主婦達は少女と殿下を若い夫婦だと思って微笑ましく思い、口々に励ましの言葉をかけていた。
 やはり、二人は将来を誓い合っているのだろうか?
 だが、それならなぜ奴隷契約を?
 少女をお嬢様と呼び、大切に養い、そしてご褒美に体に触れるスキンシップを強請って甘える殿下。
 この関係はどういったものなのか、幾ら考えてもわからない。
 いや、わかりたくないのかも……。
 少女を前にした時の、殿下のだらしない笑顔を思い浮かべると、深く考えることが馬鹿らしくなってきた。
 殿下のお気持ちはわかりやす過ぎるので、問題は少女の方だ。
 思考を切り替えて、冷静に少女を見つめる。

 少女は殿下の収入が、持ち帰ってくるお金だけだと思っているようだ。
 昨日の観察の結果、宿の支払いなどは殿下が行っていることは確認しており、お金の管理も殿下の役目。少女には有事の際に備えて小遣い程度の額を預けているのだろう。
 彼女はそのお金を少しでも残しておこうと、自ら洗濯を行うことで節約をしている。
 一日銅貨数枚分の僅かな節約だが、日数を重ねれば大きなものになる。
 タライの前にしゃがみ込み、洗濯板を使って丁寧に衣服の汚れを落としている姿を見ていると、殿下を使役して甘い蜜を吸っているようには思えない。
 女性達の話は、自分達の身の回りの愚痴やご近所の噂話に移行していき、その傍らで少女は聞き役に徹しつつ、黙々と洗濯を続けている。
 もうしばらくしてから、様子を見に来るか。
 洗濯が終わる頃に再び覗きにくることにして、休憩のために蝶を消した。




 その後も少女を監視していたが、特に眉を顰めるような行動はなく、おとなしいものだった。
 洗濯物を干し終わった頃には昼になっており、彼女は食堂で昼食を摂ると、真っ直ぐ部屋に戻って行った。
 休憩後、彼女は裁縫を始めた。
 日当たりのよい窓際に椅子を置き、荷物の中から服を数枚取り出す。
 縫っているのは、彼女と殿下の衣服だ。綻びを繕い、破れた個所には裏から布を当てて、目立たないように修繕している。
 針仕事には慣れているのか、指を刺すこともなく、縫い目も綺麗に仕上がっていく。
 満足いく出来栄えになったのか、彼女は満面に笑みを浮かべた。
 修繕の終わった服は、小さく畳まれて荷物の中へと戻される。
 全て仕舞い終えると外に出ていき、干してあった洗濯物を取りこんで戻ってきた。
 ベッドの上に乾いた洗濯物を広げ、裏返したりして眺めている。

『少し破けてる、明日はここを直さないと』

 衣服に修繕の必要があるのか、確認していたようだ。
 そちらの服は荷物の中に仕舞われ、少女は次に編み針と毛糸を取り出して編み物を始めた。
 毛糸で小さなモチーフを編んでは解きの作業を繰り返している所を見ると、暇つぶしなのだろう。
 時々、小声で歌を唄い、手を休めて窓の外を眺めたりしている。

『クロ、大丈夫かなぁ……』

 ぽつりと零れた独り言。
 彼女は私の存在に気付いてはいないはずだ。
 誰に聞かせるでもなく呟かれた言葉には、殿下の身を案じる気持ちが込められていた。




 エドモン殿が同行していたのだから、殿下が危険に晒されるわけもなく、怪我一つなく元気にご帰宅なされた。
 宿に戻った殿下は、昨日と同じく少女に抱きつき、ベタベタ甘えまくっていらっしゃる。

『お嬢様、今日もいっぱい稼いできましたよ』
『うん、頑張ったね、ありがとう。大好きよ、クロ』

 お利巧さんね、と頭を撫でられて、機嫌よく尻尾を振っている殿下は、人懐っこい犬を思い起こさせた。
 我々に対しては牙を剥いて威嚇してくる野生の狼なんですけどね。
 それだけ少女を信頼なさっているのだろう。
 そして、彼女は信頼に応えるに足る愛情を殿下に惜しみなく注いでいる。

 少女の一日の行動と、私が受けた印象を皆に報告すると、エドモン殿は表情を和らげて頷いた。

「陛下にはありのままを報告するとしよう。今は対面できずとも、殿下がお元気であられて幸せにお過ごしであれば、少しは御心を慰めることができよう」

 エドモン殿はラファル殿下が見つかったこと、現状を伝え、指示を仰ぐとの陛下へと宛てた報告書を書き上げた。
 報告書を部下の一人に託し、明日の早朝に国へと出立してもらうことにする。
 少女の監視は今日だけで十分だと皆が納得し、調査のためにグラス王国に送った部下が戻ってくるまでは、私も殿下の護衛に専念することになった。

 そういえば、蝶を出したままだった。
 最後にもう一度殿下達の様子を見ておこうと、視覚と聴覚を切り替える。

『やあん、もう、クロったら重い〜』
『お嬢様、大好きですっ』

 甘えん坊の犬の振りをした狼殿下は、少女に伸し掛かるように抱きつき、頬をペロペロ舐めていた。
 重いなんて言いながら、少女は楽しそうに笑い声を上げて、擦り寄る殿下を抱きしめ返す。
 あれだけくっついてばかりでよく飽きないな。
 ドロドロに甘い砂糖菓子を噛んだような錯覚がした。
 ああ、くそっ、用もないのに見るんじゃなかった。

 すぐさま蝶を消して、心の平穏を確保する。
 お幸せであるのは結構ですが、いちゃつくカップルを間近で長々見る仕事なんてやりたくない。


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