狂愛

蜂蜜姫の憂鬱

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 【2】

 何日もかけて幾つもの国境を越え、ついにカレークの領土に入った。
 この辺りは元々別の国だったらしいけど、侵略戦争をしかけて返り討ちに合い、カレークの領土に組み込まれてしまった土地だ。
 カレーク周辺の国々は、軒並み同じ理由で併合されていた。
 元はルフィアと同じような小さな国だったのに、今では広大な領土を持っている。
 住まう人々は、カレークの国民になったことを喜んでいるようだ。
 通り道にある街や村の広場にはクラウス様の石像や銅像が置かれ、大切に敬われていたりする。
 とても平和で豊かな国。
 この国の未来の指導者の許に、わたしは嫁ぐんだ。
 正妃ではないだろうと思って気楽に構えていたけど、急に怖くなった。
 側室でも、わたしは相応しい姫だろうか?
 もしも、フランツ様にがっかりされてしまったら、寵愛を得るどころではなくなるかも。

 自信がなくなって、その後の道中は暗い気分で座っていた。
 正妃や他の側室にいじめられた上に、フランツ様にも無視されてしまったら、わたしの未来は真っ暗だわ。




 六年ぶりにカレークの王城に入る。
 跳ね橋を渡り、石畳で舗装された中庭で一行が止まると、出迎えの人々が建物の中から出てきた。
 兵士が荷をあらため、家臣達がこちらの従者達に労いの言葉をかけて城内に案内していく。
 すぐにわたしがいる馬車にも人がきた。
 客車の扉がノックされて、呼びかけの声が聞こえてくる。

「フィリーナ王女、失礼します」

 若い男の人の声だ。
 一言聞いただけなのに、胸が熱くなるほどの素敵な声。
 扉が開けられて、迎えの男性の姿を見た途端、わたしは口の中であっと声を上げた。
 だって、家臣の誰かだろうと思っていたのに、手を差し出していたのはフランツ様本人だったからだ。
 あれから六年も経ってるけど、見間違うはずがない。

「私が王太子フランツです。ようこそ、カレークへ」

 理想の王子様は、何年経っても理想の王子様のままだった。
 二十一才になられたフランツ様は、さらに立派に逞しく成長されていた。
 姿形は言うに及ばず、落ち着きのある態度は王太子に相応しく、なのに温和な微笑は昔のまま。
 ますます魅力の増した初恋の人に再会して、わたしは舞い上がり、自分が何をしているのかいまいち把握できなくなった。

「フィリーナです。お、お出迎え、ありがとう、ござ、ございますっ」

 上がってしまい、裏返った上に舌を噛みそうなほど震えた声を出してしまったけど、フランツ様は笑顔を消すことなく馬車から降りるのを手伝ってくださった。
 やっぱりフランツ様は優しい。
 あの時の再現のようで、幸せ過ぎて天国に飛んで行きそう。

「こちらへどうぞ、部屋に案内するよ」

 フランツ様はどの花嫁も、自らお出迎えなされたのかしら?
 お優しい方だから、どんな姫でも蔑ろにはなさらないわね。
 少しだけでもお情けがいただけるといいな。
 きっと正妃の姫が優先なんだろうけど、一月に一度ぐらいでも会えれば良しとしなければ。

 宮殿の奥へと進み、後宮と思われる建物に入る。
 変ね、妙に静かだわ。
 女官はいるけど、彼女達の主人であるはずの姫の姿や気配がまったくない。
 不思議に思って周囲を見回していると、前を歩いておられたフランツ様が振り返られた。

「言い忘れていたけど、この後宮は父上のものなんだ。私と君の住まいとなる宮殿は別にある」

 クラウス様の後宮?
 でも、それにしてはすごく人の気配が少ない。
 疑問が顔に出ていたらしく、フランツ様はついでだとおっしゃって説明してくださった。

「父上は母上以外の后はいらないと言い張って、結婚前に後宮を解散させたんだ。集められていた女性は大勢いたらしいが、私が生まれた頃にはもう母上しかいなかった。もったいないことだが、この建物の中では母と兄弟達が部屋を持っているだけだ。女官達の宿舎代わりにも使っているから、一部は有効に利用できているけどね」

 あまりそういった内情には詳しくなかったので、わたしはとても驚いた。
 大国の王様が伴侶は一人だけなんて珍しかったからだ。
 それだけ王妃様を愛していらっしゃるのね。
 羨ましいな。

「黙っていてもいつかはわかるだろうから先に言っておく。父上は母上を愛し過ぎておられて、時々、その……、理性を失われるというか、害はないのだが、奇行をなされることがある。その場に居合わせた時は何も見ていないフリをしてくれ。母上が宥められればすぐに落ちつかれるので心配することはない」
「は、はい!」

 クラウス様はどんなことをなさるのかしら?
 賢王と称えられる偉大な王様の、意外な裏側の片鱗を知らされて興味が湧いた。




 後宮を出ると、花を植えた庭園があり、その向こうに白い小さな宮殿が建っているのが見えた。
 部屋数も少なそう。
 もしかして、側室は全員同じ部屋に押し込まれるのかしら?
 寵愛を得られない姫には何も与えられないことを教え込み、積極的に国と夫に貢献させるために、過酷な環境に置くつもりで。

 正妃の姫だけは部屋を与えられ、他の姫達は王子の来訪を待つのではなく、夜伽に呼ばれていく。
 普段は大部屋で肩を寄せ合って暮らし、数少ない調度品を取り合うの。
 衣裳部屋ではドレスや装飾品を奪い合い、寝る時もベッドは争奪戦。
 わたしは毎日弾き出されて、誰かの使い古しの粗末な毛布にくるまって床で眠るの。
 床は寒くて痛いわ。
 泣きながら眠れぬ夜を過ごし、フランツ様が寝室に招いてくださる日を指折り数えて待つ。
 それがわたしに相応しい扱い。
 つらいけど耐える。
 わたしは自分に誓ったのよ!

「ついたよ、フィリーナ」

 気がつくと、宮殿の前に立っていた。
 両開きの玄関扉を従者達が開ける。
 開いた扉の中で、大勢の女官達が両脇に並んで迎えてくれた。

「お待ちしておりました、フィリーナ様」
「フィリーナです! どうぞ、よろしく!」

 わたしも急いでお辞儀を返す。
 すると、みんながきょとんとした顔でこちらを見ているのに気がついた。
 な、何か失敗したのかしら!

 おろおろして、思わずフランツ様のお顔を見てしまう。
 フランツ様はくすっと笑って、わたしの肩を抱いた。

「大抵の王女様は召使いに挨拶されても、黙って微笑むのが嗜みだと思っている。頭を下げられた上によろしくなんて言われてみんな驚いたんだ。私は好きだけどね、母がそういう人だから」

 普通の姫ならしないことをしてしまって、真っ赤になった。
 だけど、フランツ様はこの方がいいらしい。
 わたしらしく振る舞っても大丈夫なのだろうか。

「そ、そうですわ、他の方々にもご挨拶をしなければ」

 正妃を始めとした他の姫君の姿を探す。
 フランツ様は目を丸くして驚いた後、いきなり笑い出した。

「他の方々って、私の后になる人かい? ここに住むのは君だけだよ。君が正妃だ、フィリーナ」

 え?
 わたしが正妃?
 側室ではないの?

 笑っているフランツ様のお顔を、ぽかんと見上げる。
 みんな笑っていたけど、恥ずかしがる余裕なんてなかった。
 信じられない。
 あまり呆然としていたものだから、フランツ様は笑みを引っ込めて心配そうな顔つきになられた。

「笑ってすまない。そんなにショックだったのか? 私の后になるのはやめたい?」

 わたしは即座に首を横に振った。
 なりたくないわけがない。
 フランツ様と一緒にいられるなら、立場なんて何でもいい!

「わたし、正妃になります! フランツ様のお役に立てるように精一杯頑張りますから、ここに置いてください!」

 勢い込んで決意を述べたわたしを、フランツ様は優しい目で見つめた。
 手を握られ、甲に口づけをされた。

「ありがとう、フィリーナ。君を選んで良かった。私も出来る限り力になるつもりだ、頑張ってくれ」
「はい! はい!」

 何度も頭を縦に振り、うるさいほど返事をした。
 無作法な田舎娘丸出しだったけど、周りにいた人は誰も嘲笑ったりしなかった。
 大丈夫、やっていける。
 フランツ様に相応しい后になれるように頑張ろう。




 結婚式は二ヶ月後に行なわれる。
 わたしはそれまで王太子妃としての心構えや公務の内容について学び、作法のおさらいをしたりと、それなりに忙しい日々を送ることになりそうだ。
 フランツ様は式の日まで、今まで使われていた後宮のお部屋で過ごされる。
 もちろん初夜もそれまでお預け。
 余裕ができて良かったけど、ちょっぴり残念。
 それらの説明をしてくれたのは女官達を束ねるマルティナという中年の女性だった。
 彼女は王妃様が後宮に入られたと同時期に女官長に任命されて以来、献身的に王家にお仕えしていて、王妃様からの信頼も厚い人物らしい。
 説明を終えたマルティナは、最後に夕食の予定を教えてくれた。

「フィリーナ様はご到着なされたばかりでお疲れでしょうから、今宵の食事は家族だけでとの陛下の仰せです。席に着かれるのは両陛下と王子様方だけでございますので、気楽になさってくださいね」

 いえ、ちっとも気楽になれません。
 フランツ様は良いとしても、ご家族との対面なのよ。
 両陛下への謁見は到着後すぐに済ませたけど、ご兄弟とは初めて顔を合わせる。
 ご兄弟は王子様がお二人に、王女様がお一人おられたはずだわ。
 とにかく笑顔の練習と、テーブルマナーのおさらいをしなければ!

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