狂愛
蜂蜜姫の憂鬱
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【3】
夕食までの落ちつかない時間をひたすら練習時間に費やして、ついにその時を迎えた。
食事の席は後宮内の一室に用意されていた。
部屋の中央に据え置かれた長いテーブルに七人分の席が作られている。
上座の席にクラウス様がお一人で座られ、一番近い席に王妃様とフランツ様が対面で座られる。わたしはフランツ様の隣で、さらに隣は長女のジークリンデ様。向かいに次男のクリスト様と三男のエーベル様が座られた。
そわそわしてあちこちに視線を動かしていたら、隣に座るジークリンデ様と目が合った。
フランツ様と同じ髪と瞳を持つ姫は、とても綺麗に微笑まれた。
わたしも微笑み返そうとしたけど、緊張しすぎて顔がうまく動かない。きっと、すごく不気味な笑みになっているわ。
赤くなって、ぱっと俯いた。
どうしよう、変に思われたかな。
もう一度、顔を上げるべきか迷っていると、肩を軽く叩かれた。
恐る恐るジークリンデ様の方を向くと、彼女は先ほどと同じ微笑みを浮かべてこそっと耳打ちしてきた。
「フィリーナ様、肩の力を抜いてくださいな。わたし達の正面にいる兄弟などは、家族だけになるとこちらが気を使うのもバカらしくなるぐらい無作法者になりますの。この部屋には作法に煩い家臣はおりませんし、何か失敗なされてもお互い平気ですわ」
「姉上、聞こえていますよ。誰が無作法者ですか。私はいつでもどこでも品行方正ですよ。無作法なのはクリスト兄上だけでしょう」
末の王子様が口を尖らせると、隣の兄王子様が頭を小突いた。
「お前のどこが行儀が良いんだよ。好物がでりゃ、人の分まで奪いにくる食いしん坊がよ」
「それは子供の時の話でしょう! 兄上のアイスクリームを横取りをしたことを、いつまで根に持たれているのですか!」
「一生言い続けてやる、食い物の恨みは恐ろしいんだ!」
クリスト様がエーベル様の首に腕をかけて締め上げている。
ふざけあっているお二人は、どこにでもいる腕白な子供みたい。
ジークリンデ様は笑っておられるし、ヒルデ様は苦笑しておられる。クラウス様とフランツ様は呆れ顔を向けていた。
やがて、クラウス様が咳払いをして二人を諌められた。
「クリスト、エーベル、その辺にしておけ。今夜はフィリーナ王女を歓迎するための晩餐だ。主役を差し置いてバカ騒ぎをするでない」
さすがというべきか、父君に叱られた王子様達はバツが悪そうに揃って頭を下げられた。
「はい」
「申し訳ありません」
ご兄弟はわたしにも謝罪の言葉を述べて座りなおされた。
前菜が運ばれてきて、グラスにワインが注がれる。
グラスを掲げて乾杯をした後、クラウス様が穏やかな笑みをわたしに向けられた。
「歓迎しよう、フィリーナ王女。今日からこの城を我が家と思い、フランツともよく知り合ってくれ」
ヒルデ様も頷いて、クラウス様のお言葉に添える形で話しかけてくださった。
「ご不満があれば、何でもおっしゃってください。フィリーナ様が心穏やかに過ごせるように、わたしも出来る限りのことをさせていただきます」
ヒルデ様は控えめというか、かなり腰の低い方だ。
初めて会った時も優しそうな人だという印象はあったけど、社交用に繕われた態度だという可能性もあったので、少し不安にも思っていた。
大国の王妃様というと、大きな扇を優雅に振って、召し使いに顎で指示を出すイメージがあったわ。
正妃の姫にいじめられる想像もだけど、最悪の場合、王妃様にいじめられる想像もしていたの。
例えば、こんな感じで。
王妃様に呼ばれて部屋に行くと、突き飛ばされて転び、靴の踵でぐりぐりと踏みつけられる。
『お前のような平凡で貧相な女が、わたしの大事な息子の后ですって! 気に入らないわ、いじめてやる!』
『お許しください、王妃様!』
罵声を浴びせ、扇でびしびし叩いた後、王妃様は古い石造りの塔の最上階にわたしを連れて行く。
冷え冷えとした狭い部屋の中には、糸車と糸の材料となる麻が大量に置いてある。
王妃様がそれらを指さして、わたしに命じる。
『運良く后に納まったからといって優雅な生活が送れると思わないことね! さあ、この糸車を使って働きなさい! 一晩で全て紡ぐのよ!』
部屋一杯の麻を一晩で紡ぐように命じられ、泣きながら糸車を回しているところに、フランツ様が来て……。
ちょっと待って、これでは正妃にいじめられている想像と同じだわ。
それに意地悪だとしても、どうして王妃様が糸紡ぎなんてお命じになるの。
最近、主人公が一晩で糸を紡ぐ無理難題をやらされる童話を読んだせいね。
おかしな想像はさておき、そんな事態も覚悟していたのだけど、取り越し苦労だったみたい。
フランツ様のご兄弟も、笑顔でわたしを歓迎してくださった。
不満に思っておられる方はいないみたい、良かった。
国王夫妻とのやりとりが終わると、では自己紹介でもとクリスト様が立ち上がられた。
王家の四人の兄弟は、揃って父親似の金髪碧眼の容姿だ。
どの方も美形で、うっとりするほど麗しい。
クリスト様は十九才。他のご兄弟と比べて、かなり筋肉のついた立派な体格をされている。
「私は普段、外交と軍事面で兄の補佐をしておりますが、武術に非常に興味があります。婿養子に出されなければ、このまま軍部の方で役職を頂きたいと希望しています。ちなみにこれは社交用の言葉遣いです。地は先ほどの弟に対するものとほぼ同じです。公私はきっちりわけておりますので、耳障りに思われましてもご容赦ください」
クリスト様は騎士の称号も持たれている。
元は騎士であった母上の影響らしい。
王妃のヒルデ様は平民出身の騎士。
カレークがまだ小国で、周辺諸国からの侵略の脅威に怯えていた時に、ヒルデ様は常に最前線に赴き勇敢に戦った。戦後、彼女は救国の英雄と民衆に慕われ、王にぜひにと望まれて后になった。詳細は不明だけど、有名な話だ。
現在の王妃様は淑やかで優しく、とても剣を持って戦えるほど勇ましい人には見えないのだけど、人は見かけによらないものね。
「次はわたしの番ですね。長女のジークリンデです、父母の第三子になります」
次に口を開かれたのは兄弟の中で唯一の姫である、ジークリンデ様。
彼女の美しさは最果ての国にまで伝えられるほどだと聞く。
求婚者が列を成して押しかけてきて、嫁ぎ先を決めるのに、何年も揉めてなかなか決まらないという話は多分本当なんだろう。
彼女は母譲りの柔和な微笑を浮かべて、わたしに手を差し出した。
「わたしは間違いなくいずれかの国に嫁ぐことになりますが、それまでよろしくお願いいたします」
差し出された手を取って握手をした。
絹のようなしっとりとした感触を持つ白い手は、爪の先まで綺麗に整えられている。
思わず頬擦りしたいぐらい、美しい手だわ。
「最後は私ですね」
喉の調子を整えるためか、そう言って咳払いをされたのは末弟のエーベル様。
まだ幼さの残る顔立ちをされているけど、大人のように落ち着いておられる。
でも、兄上の前では子供に戻られるようだ。
彼の大人びた態度は早く兄上達に追いつきたいと背伸びをされている努力の賜物なのかもしれない。
十六才とは難しい年頃なのね。
「私は経済を中心に学び、財務の面で兄の補佐をしています。趣味は音楽と絵画の鑑賞、婿養子に行くなら芸術に造詣が深い国に行きたいですね」
二人の弟君の自己紹介にも含まれていたように、フランツ様は主要な政務の半分近くを任されておられた。
クラウス様が城を離れられる時には、国王代理として全権を預かることもあるという。
父君はまだお若いのに、王位を早く譲りたがられているようだ。
食事が進み、お酒を召したクラウス様が、わたしに向かってとつとつとこぼされた。
「私が王になったのは十三の時だ。隣国は幼王ならば簡単に倒せると兵を挙げ、我が国に攻め入ってきたが、兵達の働きにより退けられた。私は王として国を守り、豊かにするためにだけ生きてきた。そしてその目的が達成された今は、次の世代である息子達に国を任せ、残りの人生で苦労をかけた我が后に少しでも報いてやりたいと思っているのだ。そのためにはそなたが産んでくれる世継ぎが不可欠だ。ぜひ、頑張ってくれ」
「は、はい……」
まだ結婚式も終わっていないのに、もう子供の話をされて困ってしまった。
励ましてくださっても、わたしにどうしろとおっしゃるの。
赤くなって、目の前の料理に目を落とすと、ヒルデ様が取り成しに入ってくださった。
「陛下、フィリーナ様がお困りですよ。そのぐらいにしてあげてください」
「うむ、気が早すぎたか、すまぬな。とにかく私はそのぐらいそなた達の子供を待ち望んでおるのだ」
「ご安心ください、父上。子供の誕生を急がれなくても、準備が整えば、ご希望通りに譲位していただきます」
フランツ様が苦笑を浮かべて請合った。
ご兄弟も、呆れ顔で笑っておられる。
彼らは小声でわたしに話しかけてきた。
「父上が隠居したい一番の理由は、四六時中母上と一緒にいたいからなんだ。一分一秒でも離れているのが我慢できないお方だからね」
「期待を真に受けて、あまり気になさらないで。子は天よりの授かりものなのですから」
「まずはこの国に慣れていただかないと。他のことはその後ですね」
気遣ってもらえて心強く感じた。
この国に嫁げて良かった。
恋心と勢いだけで飛び込んできたけど、ここは想像してたような厳しい場所ではなくて、とても温かい家だった。
夕食は和やかな雰囲気を保ったまま終わった。
わたしはフランツ様に手を引かれて、部屋まで送っていただいた。
すぐに帰ってしまわれるかと思ったけど、フランツ様は長椅子に腰掛けて寛ぎ、わたしにも隣に座るようにと言われた。
少しだけ距離を置いて座る。
手は膝の上に置いて、緊張でこちこちに固まり、何を話せばいいのかわからなくて俯いていた。
「もう少し、こちらにおいで」
肩に腕が伸びてきて、引き寄せられる。
ぴったりと体が触れ合い、緊張は最高潮に達した。
「震えているね。まだ何もしないよ、怖がることはない」
緊張を解そうとしているのか、フランツ様はわたしの手を軽く握った。
大きくて硬い手。
指も長くて、わたしの首ぐらいなら片手で掴めそう。
王太子ならば屈強な騎士達に守られていて、ご自身では戦われないと思っていたけど違うのだろうか。
これは戦いを知っている人の手だ。
「フランツ様も剣を習われているのですか?」
好奇心に負けて質問してしまった。
フランツ様はわたしの手を離し、覗き込むように顔を近づけた。
「クリストほど熱心ではなかったが、護身のために幼い頃から将軍に稽古をつけてもらっている。実戦も何度かやったよ。平和に見えても身の危険がないわけじゃない。王族を全て殺害して取って代わろうと野心を抱く者達は何度消しても再び現れる」
体が腕で柔かく包み込まれる。
フランツ様の唇がわたしの頭に触れた。
うわー、うわー、キスされた。
湯気がでそうなほど顔が熱い。
「君にも危険が及ぶかもしれないが、全力で守るよ。一人で行動してはいけない。かならず警護の兵と女官と一緒に動くことを約束して」
「はい」
夢を見ているのかしら。
憧れの王子様がわたしを守ると言ってくださった。
抱きしめられて、キスをされて、まるで愛されているみたい。
それにお后様はわたしだけ。
誰と共有しなくてもいい、わたしだけの夫になってくださるなんて信じられない。
「明日から結婚式の準備が始まる。あまり一緒にはいられないが、できるだけ時間を作る。不安なことがあれば何でも言うんだ。これからは君も我々の家族になるのだから、早く打ち解けて仲良くなってもらいたい」
「皆様、とても温かく迎えてくださいました。本音を言うと、いじめられると覚悟してきたんです。でも、そんなこと全然なくて安心しました」
わたしの暗い想像を聞いて、フランツ様は苦笑していた。
小さい子にするように頭を撫でて、わたしの頬に口づけられた。
「誰かにいじめられたら私が報復してあげる。フィリーナは私の妻になる人だ。誰にも侮辱はさせないし、邪険にもさせない」
「ありがとうございます、フランツ様。あなたに気にかけていただけるなら、何があっても耐えられます」
わたしは幸福の絶頂にいた。
これ以上の幸せはないと思うほど有頂天になり、自信のなさが生み出す暗い想像を頭の隅に追いやった。
選ばれた幸運を素直に受け入れてしまうほど、フランツ様はわたしを大事にしてくださった。
優しく気遣いに満ちた彼の態度を見ているうちに、わたしは次第に愛されているのだと勘違いしてしまった。
そんなことは有り得ないと納得していたにも関わらず、分不相応な待遇に浮かれていた罰はすぐにやってきた。
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