狂愛

蜂蜜姫の憂鬱

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 【4】

 わたしが選ばれた理由を知ったのは偶然だった。
 フランツ様にご相談したいことがあって、後宮にあるお部屋を訪ねると、先客がいるからと控えの間で待たされていた。
 クリスト様が来られていて、お話をされているのだという。
 お茶を入れに侍女が下がり、一人になると、奥にある室内の話し声が聞こえてきて思わず耳をそばだてた。
 どうやら政務の話をされているらしく内容は理解できなかったけど、熱心に話し合われていた。
 それらの話が一段落すると、クリスト様が急に話題を変えられた。

「前からお聞きしたかったんですが、どうしてフィリーナ殿を選んだんです? 確か、縁談は腐るほど来てたでしょう。候補の中には美姫と名高い姫君も大勢いたのに、兄上が選んだのは、……まあ、なんというか普通の姫だったので、重臣達は驚いていたみたいでしたよ」

 クリスト様は遠慮して普通と言ったけど、わたし自身、ぜひにと望まれるような姫ではなかったことは自覚している。
 お父様にお願いして縁談の書状と肖像画を送った時も一瞥されて終わりだと覚悟していた。
 フランツ様がわたしを選んでくれた理由。
 誰よりも、わたしが知りたかった。

 もしかして、もしかしたら、初めて会った時のことを覚えていてくださったのでは……。
 ロマンチックな思いつきに、胸が高鳴った。
 扉の影で聞き耳を立てていると、フランツ様が返事をされた。

「ルフィアの蜂蜜は上質なんだ」
「え?」

 戸惑うクリスト様のお声と同時に、一瞬呼吸が止まった。
 嫌な感覚と共に汗が噴出し、体が震える。
 扉の向こうからフランツ様の声が聞こえてくる。

「大国と繋がりを持つのも悪くはないが、中小国の中で産業の発展が見込める国を取り込むのもいいかと思ってね。その点ではルフィアは理想的なんだ。他国にあまり知られてはいないが、農業と畜産業においてはトップクラスの技術を持っている。領土は花と緑に溢れ、手のついていない山もたくさんある。幸い、ルフィアの王は我が国に好意的な方だし、国力からいっても多少の発展程度ではこちらの主導権は揺るがない。今のうちに投資しておいて損はないだろう。豊かな資源を持つ国を友好国にしておけば非常時にも役に立つ」

 途中から声は耳に入ってこなかった。
 よろけながら扉から離れ、控えの間を出る。
 予告なく開いたドアに、廊下に立っていた警護の兵士達が驚いた顔を向けてきた。
 ちょうど侍女もお茶を持って戻ってきたところだった。

「フィリーナ様、どうなされました?」
「何でもないの。気分が悪くなったので、フランツ様にお会いするのはやめます。部屋に戻るので、そうお伝えください」

 心配そうな顔の侍女や兵士達に付き添われて、部屋に戻るべく歩き出す。

 選ばれたのは、わたしじゃなかった。
 国がもたらす利益だけが、フランツ様が欲しかったもの。
 何を夢見ていたんだろう。
 政略結婚で、わたしが望まれる理由なんてわかりきっていたことだったのに。

 部屋に戻っても、何もする気がおきなくて、窓の側に座って外を見ていた。月明かりに照らされる綺麗な庭も何の慰めにもなってくれなかった。
 視界がぼやけて、涙がこぼれて落ちていく。
 わたしはいつからこんなに欲張りになったの?
 少しの間だけでも夢が見れて、幸せだったのだと思おう。
 少なくとも、恋い慕う人の妻になれたのだ。
 それだけで十分なのだと、自分の心に言い聞かせた。




 涙も乾いて落ち着いた頃に、フランツ様が来られたと侍女が知らせに来た。
 気分が悪いから帰ったと聞いて、ご心配されているとのことだ。
 うう、わたしのバカ。
 もっと別な理由にすれば良かった。

 部屋に入ってきたフランツ様は、立ち上がろうとしたわたしを制して、椅子の横に立たれた。

「フィリーナ、気分はどうだい?」
「す、すみません。もう大丈夫です」

 申し訳なくてお顔が見られない。
 俯いたまま動かないでいたら、フランツ様が膝をついて顔を覗きこんでこられた。
 額に手を置かれて、熱を測られる。

「顔色は悪くないね、熱もない。気疲れかな? スケジュールを調整して、明日の午前中の予定は後日に回そう。ゆっくり眠るといいよ」

 愛してもいない相手に、どうしてこんなに優しくできるの?

 その答えはわかっている。
 フランツ様が優しい人だからだ。
 利益を得るために娶った相手でも、道具ではなく人間として接しようとしてくれている。
 お飾りの妻とは別に、お気に入りの女性を娶ることもできるのに、そうしなかったのは彼の誠実さの表れなのだろう。
 わたしはこの人が好きだ。
 愛されていなくても、愛しさは消えない。
 多分、きっと、永遠に。

「フランツ様、ありがとうございます。わたしは大丈夫ですから、明日の予定は変えないで。予定を遅らせれば、それだけ準備に携わる人々が大変な思いをします」

 あなたの心を和らげる存在にはなれないけど、妻として支えられるようになりたい。
 わたしを娶ったことを後悔なされるようなことがあってはならない。

「君がそう言うのなら、予定は変えない。その代わり倒れるまで我慢してはいけないよ」
「はい」

 頷くと、椅子の上から抱き上げられて、思わず彼にしがみついた。
 フランツ様は重さを感じていない様子で、しっかりとした足取りで寝台に向かわれた。
 寝台にわたしを座らせて、ご自身も腰を下ろされた。
 フランツ様のお顔が近い。
 気がつけば、彼は座った姿勢のままこちらに身を乗り出していて、わたしは後ろに身を引きながら手をついて体を支えていた。

「あ、あの……」

 フランツ様の青い瞳に見つめられて恥ずかしくなった。
 目を逸らそうとしたけど、顎に手を添えられて動けなくなる。
 唇が重ねられ、息が止まった。
 口づけはほんの少しの間だったけど、これ以上はないぐらい緊張して心臓が音を立てた。

「何か心配ごとがあるのなら必ず私に言ってもらいたい。君はもう私の家族だ。大切に思っているよ」

 家族という言葉に、嬉しさと悲しみが交互に湧き起こった。
 彼の特別にはなれないと、きっぱりと言われてしまったようなものだから。

 ためらいながら、彼の背中に腕をまわした。
 体に触れた手が振り払われることはなく、抱き合うように寄り添う。
 慰めるように頭を撫でてくれる手が心地良くて目を瞑った。

 好きな人に優しくされて、これ以上何を望むというの。
 わたしはフランツ様を愛している。
 蜂蜜のおまけでもいい。
 わたしをあなたのお傍に置いて抱きしめてください。




 結婚式に向けての準備は着実に進んでいた。
 今日は式用のドレスの仮縫いの日。
 仕立て屋が正確なサイズを測って、慎重にメモを取っている。
 わたしは立っているだけだったけど、動かずにじっとしているのは案外大変ね。

 全て測り終え、仮縫いのドレスを脱いで着換える。
 今はまだ純白のシンプルなドレスだけど、飾りが縫いつけられれば華やかになるわ。
 出来上がるのが楽しみ。

「フィリーナ様、お疲れになられたでしょう? 少し休憩に致します。お庭で気分転換をどうぞ」

 マルティナに勧められて庭に行くことにする。
 足を一歩動かすと、素早く五人の女官がわたしを囲んで付き従う。
 故郷でも専属の侍女はついていたけど、城内を歩く時にお供なんていなかったのにな。
 万全を期して警護の兵士達も近くにいるし、大国に嫁ぐとは大変なことなのだとこんなところでも実感した。

 移動中も、気疲れからため息をつく。
 ふいに前を歩いていた女官が足を止めた。

「あら、いけませんわ、フィリーナ様。お庭には陛下がおいでになられています。引き返さなくては」
「え? だけど、それならご挨拶だけでもしなければ」
「いえいえ、ヒルデ様もご一緒なのです。お二人だけでおられる時にお邪魔をしてはならないのがこの王宮の決まりなのです」

 女官の向こうに、仲良く寄り添う男女の姿が見えた。
 クラウス様は蕩けそうな笑顔をヒルデ様に向けて、腰に腕をまわして抱き寄せている。
 王妃様の耳に口を寄せて内緒話をしていたかと思うと、さらに体を屈めて顔を寄せた。
 お庭で、お付きの人もいるのにキスをしている。
 ドキドキして、目を逸らした。
 その場を離れながら、女官達は困った顔で笑っていた。

「陛下は王妃様のことしか目に入っておられないのです。今日のは微笑ましい方ですよ。王妃様がお里帰りや公務のためにお一人で王都を離れられることになると、執務を全て王子様方に押し付けて後を追っていかれるほどです。王妃様がお傍におられる時は、文句のつけようもないご立派な王なのですが……」

 クラウス様の妻への溺愛は執着を交えた強いものであると、王宮の人々は知っている。
 わたしはヒルデ様が羨ましかった。
 フランツ様はわたしが里帰りしても追いかけてはくれない。
 きっと笑顔で送り出し、戻った時も笑顔で迎えてくれる。
 道中の心配をしてくれても、寂しかったなんて言わないだろう。
 彼はわたしを愛しているわけではないから。




 どんよりと暗い気持ちで建物に入る。
 向こうから華やかな気配を身にまとった女性が歩いて来るのが見えた。
 ジークリンデ様だ。
 彼女はわたし達を見つけて、意外そうに首を傾げた。

「まあ、どうなさったの? 休憩を取りに庭園に行かれたと聞いたのだけど」
「陛下がヒルデ様を伴っておいでになられていたので、お邪魔になる前に引き返してきたのです」

 わたしの代わりに女官が答え、ジークリンデ様は呆れた顔をなされた。

「父上が休憩なされる時間が日に日に長くなってきているわね。その分、兄上達のお仕事が増えているに違いないわ。この調子では兄上が実質的な国王になられる日も近いわね。まあ、いいわ。フィリーナ様、それではわたしの部屋でお寛ぎなさいませんこと? お茶もお出しいたしますわよ」

 兄君そっくりの青い瞳を愉快そうに輝かせ、ジークリンデ様はわたしを誘ってくださった。
 これは仲良くなるチャンスだわ。

「はい、ぜひご一緒させてください!」

 ジークリンデ様は満足そうに頷かれ、案内のためか先に歩いて行かれる。
 歩く姿も優雅で洗練されている。
 さすがだわ、見習わなくては。




 ジークリンデ様のお部屋は、落ち着いた内装の品の良い部屋だった。
 壁には静物画が数点飾られ、調度品は統一感のある白い家具で揃えられている。
 幼い頃の物なのか人形も置いてあった。
 ついつい部屋を見回してしまったわたしだけど、ジークリンデ様は気分を害することなく微笑んでおられた。
 こんな物もあると、子供の頃に描かれた家族の肖像画も見せてくださった。
 わたしはフランツ様の幼いお姿に興奮して奇声を上げてしまった。
 すぐに我に返ってうろたえたけど、ジークリンデ様はお腹を抱えて笑われていた。

「フィリーナ様は楽しい方ね。兄上はあなたを選ばれて正解だったわ」

 胸に鋭い刃が刺さったような感覚に囚われた。
 選んで正解なんて、そんなことないのに。
 顔を強張らせたわたしに気づき、ジークリンデ様は不安そうな顔つきになられた。

「どうかなさったの? もしや、結婚をためらっているのでは……」
「ち、違います! そんなことありません!」

 首が千切れるかもしれないほど横に振って否定する。
 花嫁になりたいのは本当なの。
 でも、わたしはフランツ様に相応しい姫ではないのが悲しいだけ。

 感情が昂って涙が溢れてきた。
 ジークリンデ様は泣き出したわたしに驚いて駆け寄り、背中をさすってくれた。

「泣かないで、兄上に酷いことでも言われたの? それとも家臣の誰か? 自分達の思い通りの縁談にならなかったから、あなたは王太子妃に相応しくないとか影で嫌味でも言ったのかしら?」

 とっさに声が出なかったので、首を振って否定した。
 それに何を言われても、全部真実なのだから認めなければならない。

「フランツ様がわたしを選んだのは、ルフィアの資源が欲しかったからなんです。わたしはたまたまルフィアの姫だったから選んでもらえただけだった」

 涙で声を詰まらせながら、フランツ様とクリスト様の会話を盗み聞いたことを話した。
 ジークリンデ様は侍女にハンカチを持ってこさせて、わたしに差し出した。

「兄上がおっしゃりそうなことだわ。でもね、それで嘆くことはないのよ。愛されていないなんて思うのはまだ早いわ。兄上は国が第一の人だけど、家族を蔑ろにする人じゃない。妻にと望んだ人に対してもきっと同じよ」

 優しい慰めの言葉をかけてもらいながら、わたしは泣き続けた。
 自分でもわけがわからないぐらい胸が苦しい。

「わ、わたし、覚悟してきました。王族の結婚は国の利益が優先されることも理解しているつもりです。愛情がまったくないこともあるって。でも、でも……」

 声が出なくなって、ぐすぐす鼻をすすった。
 ジークリンデ様はわたしを後ろから抱きしめて、頭を撫でてくれた。
 これではどちらが妹なのかわからない。

「あなたは兄上を愛しておられるのね。だから悲しいんだわ。わたし達は王族だけど、心を持つ人間でもある。幾ら合理的に装うことができても、割り切れない感情は必ずある。我慢しなくていいの、兄上に自分の気持ちを言ってみて。わたしの部屋で泣くよりいいことがあるわよ」

 ジークリンデ様は励ましてくれたけど、こんなわがままを言ってフランツ様を困らせたくなかった。
 わたしは彼の妻になれる。誰に責められることなく愛してもいい立場だ。
 見返りを求めるから苦しくなる。
 これ以上、欲張ってはだめ。
 彼が誇れる妻になり、尊敬を得られるように努力しよう。
 愛してもらえなくても、一緒に笑って生涯を過ごせれば、わたしは幸せになれる。

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