狂愛

蜂蜜姫の憂鬱

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 【5】

 愛のない結婚でも耐えると決めたものの、新たな心配の種がやってきた。
 カレークとの縁組を企む他の国が、わたし達がまだ婚約中なのを幸いに姫を送り込んできたのだ。
 陛下やわたしを含む王家の方々、重臣達が集う謁見の間で、送り込まれてきた姫君は悠然と微笑んでみせた。
 ローアル王国のザビーネ王女は、わたしと同い年の姫だ。
 彼女は多くの貢物と一緒に王宮にやってきて、側室でも良いので娶って欲しいと、クラウス様とフランツ様に直談判した。
 ローアルは領土も広く、抱える資源も豊富。金鉱山も多数持っており、簡単に言うとお金持ちの国だ。
 黒髪に白い肌を持つザビーネ王女は、見事な肢体に豪奢な赤いドレスをまとい、純金の装身具と数え切れないほどの宝石を体の要所に身につけていて、そこにいるだけで輝いていた。
 家臣達から感嘆の声が囁かれ、わたしは圧倒されて呆然と見とれた。
 ザビーネ王女は自信たっぷりに胸を張り、ちらりとわたしを一瞥した。こちらを映した瞳には、明らかに勝ち誇った笑みが浮かんでいる。

「ザビーネ王女。そなたのお気持ちはわかったが、フランツは側室はいらぬと申しておるのだ。どうしても我が国と縁を結びたいとの申し出であれば、下の王子との縁組を考えぬでもないのだが、いかがかな?」

 クラウス様が穏やかに提案なされると、話題の矛先を向けられたクリスト様とエーベル様の顔色が変わった。
 お二人とも乗り気ではないようだ。
 そわそわと父君と兄君に救いを求める視線を送っている。
 だけど、王女は彼らには目もくれず、さらにクラウス様に懇願した。

「わたしは次期国王となられる王太子殿下にお仕えしたいのです。フランツ様とお話をさせていただく機会をお与えください。どれだけわたしが役に立つかご理解いただければ、気が変わられるかもしれませんわ」

 この人は肝が据わっている。
 豪華な衣装と装身具は飾り物ではなく、彼女の自信の表れ。
 あんなに自信満々なのだもの、説得する策もあるのだわ。
 フランツ様がお心を動かされてしまったら、どうすればいいの?
 ハラハラと見守る中、フランツ様がザビーネ王女に歩み寄られた。

「では、ザビーネ王女。別室にてお話を伺いましょう。どれほど魅力的な提案をしていただけるのか楽しみです」
「後悔はさせませんわ。わたしは価値のある女ですもの」

 高らかに笑い、王女はフランツ様が差し出した腕に自然な動作で手を置いた。
 わ、わたしのフランツ様に触った!
 嫉妬の炎が燃え上がり、悔しくて唇を噛んだ。
 ザビーネ王女はこちらをまたちらっと見て、フランツ様に微笑みかけた。

「ルフィアの蜂蜜はわたしも頂いたことがあります。透き通った黄金色で、とても美味しゅうございました。ですが、同じような色でも物によっては価値が違う。フランツ様にはわかっていただけると信じていますわ」

 遠まわしな言い方だけど、わたしにも彼女が何を言いたいのかわかった。
 同じ色でも、蜂蜜より純金の方が価値がある。
 彼女はそう言っているんだ。

 より多く国の利益になる方を、フランツ様は迷わず選ぶだろう。
 まだ結婚していないから、わたしは国に送り返されてしまう。
 フランツ様は后は一人しかいらないとおっしゃっているのだもの。
 去っていく二人を、不安な気持ちで見送った。




 半日後、ザビーネ王女は故国に帰られることになった。
 フランツ様との話し合いは結果を見る限り芳しいものではなかったらしく、彼女は口をぎゅっと引き結び、不機嫌そうに黙り込んでいた。
 王女は相手が王太子でなければ縁組はしないと言い張り、下の王子様とのお話も消えたようだ。
 再び王の御前に現れた彼女は、不機嫌さを滲ませながらも礼を尽くして帰国の挨拶をされた。

「それでは失礼いたします」

 硬い声で挨拶を締めくくり、ザビーネ王女が謁見の間を出て行く。
 去り際に彼女はわたしの前で足を止めた。

「フランツ様は純金より蜂蜜の方がお好きだそうですわ。欲のない方ね」

 早口でわたしに囁くと、ザビーネ王女は靴音を響かせて歩き去った。
 わたしは彼女の言葉を反芻し、驚愕した。

 蜂蜜が純金に勝った!
 すごいわ、蜂蜜!

 あなたを甘くて美味しいだけの食べ物と軽く見ていたわたしを許して。
 これからは毎日欠かすことなく、感謝の祈りを捧げるわ。
 フランツ様との幸せな生活を守ってくれてありがとう。
 あなたはわたしの守護神よ。




 わたしはさっそく故郷の蜂蜜を入れた小さな壷を寝室に置き、朝起きた時と、夜眠る前にお祈りをするようにした。
 もちろんいつまでも置いてはおけないので、少しずつ食べて中身を入れ替えている。
 わたしの部屋にやってきたフランツ様は寝台の横に置かれた蜂蜜の壷を不思議そうに見て、質問された。

「これは何のおまじない? 興味があるな」
「蜂蜜はわたしに幸運を運んでくれるお守りみたいなものです。だから、毎日お祈りしているんです」

 好物でもあるけど、もう蜂蜜は単なる食べ物じゃない。

 フランツ様はいつもの優しい笑顔でわたしを見ている。
 真っ直ぐな彼の視線に気がついて赤面した。
 俯いてしまって、顔があげられない。

「フィリーナ」

 温かみのある優しい声が、わたしの名前を呼ぶ。
 それだけで嬉しいのに、わたしを見て微笑んでくれる。
 愛されているのだと思ってしまう。
 彼は誰にでも優しいのに、特別なものだと勘違いしてしまう自分が嫌。

「そんなに辛そうな顔をしないでくれ。私は君の理想の夫ではないかもしれないが、一生大切にするつもりだ。後悔はさせない、私を信じて欲しい」

 びっくりして、フランツ様を見つめる。
 言われた言葉は何かおかしい。
 だって、理想ではないのはわたしの方なのに。

「違います。フランツ様はわたしの理想です。わたしはずっとフランツ様のお后様になりたかった。それは今でも変わりません」
「では、君の心を煩わせているものは何なんだ?」

 問い詰めてくるフランツ様の目が見られなくて、顔を背けた。
 なぜって、その理由を言ってもいいの?
 あなたの特別な愛が欲しいと、今にも言ってしまいそう。

「わたしは王女でありながら、与えられた立場に満足できないでいます。国のおかげで選ばれて、自分の望みも叶ったのに、もっと欲張ろうとしている。わたしが求めたのは、あなたの花嫁になること以上のもの。迷惑だとわかっているのに、あなたに愛されることを望む心は抑えきれない」

 フランツ様は黙っている。
 でも、一度口にしかけては、もう止められない。

「愛しているから、愛されないのは苦しい。欲張ってはだめだと言い続けてきたけれど、自分の心はごまかせません。だけど、いいんです。愛されないことより、あなたと離れることの方が嫌だから。あなたが与えてくださる優しさがあれば大丈夫です。だから、どうか、わたしをずっとお傍に置いてください」

 溜め込んできた感情を全て言葉にして吐き出してしまった。
 フランツ様は呆れているだろう。
 何の取り柄もないくせに自我ばかり強くて、望んでした政略結婚に不満をこぼす姫なんて、軽蔑されて当然だ。

「フィリーナ、君は思い違いをしている。私が君を選んだのは、この結婚が国の利益になるという理由だけではない」

 恐る恐る顔を上げる。
 フランツ様の表情には、恐れていたような軽蔑や呆れといった感情は浮かんでいない。
 どちらかというと、困惑されているように思えた。

「私は国のために自分を犠牲にする気はさらさらないよ。結婚も自分の利益にもなるように十分考えた結果だ。国の利益と幸せな結婚。両方の希望を叶えることができる最良の相手が君だった」
「だけど、わたしは自分の耳で聞いたんです。フランツ様がクリスト様にお話をされているのを。ルフィアを友好国にしておけば、役に立つからっておっしゃっていました。わたしを選んだ理由はそれだけなのでしょう? 認めてくださっても平気です。そうしてくだされば諦めがつきます」

 思い出すだけでつらい。
 フランツ様の興味を引いたのは蜂蜜で、利益になるのは国。
 それらを手に入れるのにわたしが必要だっただけ。
 わたしが希望を持つ前に、早く認めてしまって。

「聞いていたのなら、最後まで聞いて欲しかったな。その後、わたしはこうも言った。これは家臣達を納得させるための理由だと。君を選んだもう一つの理由も、クリストには話した。後で弟に聞いてみるといい、嘘ではないと証言してくれる」

 もう一つ理由があるの?
 だめよ、期待しては。

「花嫁選びは国の利益を第一に考えたものだ。選ぶ過程でルフィアが候補に挙がっていたのも本当だ。だが、国の利益だけでいうなら有力な候補は他にもいた。もちろん美しい姫も大勢いたし、ザビーネ王女も候補の一人だった。だが、美しい肖像画を何枚も眺めたにも関わらず、私が興味を持ったのは君の絵だけだった」

 嘘だ。
 わたしの肖像画は真実だけを描いていた。
 お見合いのために、少々見栄え良く描かせるのが普通だとしても、正直でいたいからごまかさないでと画家に頼んだ。
 出来上がったものは、鏡でいつも見ているわたしの姿で、自分の目でも確かめた。

「私の十五回目の誕生日を祝いに来てくれたね。絵を見た瞬間、すぐにあの時の姫だとわかったよ。私が出会った可愛いお姫様。緊張しすぎて何も話せず泣きそうだった君は、生まれたての子猫みたいに頼りなくて抱きしめたくなるほど可愛らしかった。少しでも姿をよく見せようと大なり小なり手を加えられた絵の中で、ただ一人真実の姿を送ってきた君は、あの頃と少しも変わっていないんだと確信できた。私が求めていたのは誠実で素直な姫だ。私の心を明るくし、笑わせてくれる妻が欲しかった」

 雷に打たれたみたいな衝撃を受けて、すぐには何も言えなかった。
 フランツ様は初めての出会いのことを覚えていてくださった。
 それどころか、あの時の無作法な子供を可愛らしかったと言っておられる。

「わたしのことを覚えていてくださったの? あのような、一瞬の出来事を」
「覚えていたよ。実は初めて自分から進んでダンスを申し込んだんだ。いつも必要に迫られるか、社交辞令で嫌々だったのに、君の相手は喜んで務めさせてもらった」

 わたし自身も望まれてここにいるの?
 国の付属品ではなく、わたしを妻にと望んだからルフィアを選ばれたということ?

「私こそ君が国のために花嫁候補になったのだと思っていた。君は大国の王妃になりたいなどと野心を持つ人には見えなかったからね。小さな国を生かすために、生け贄に差し出されたのかと思っていた。理由は何であれ、候補に挙がっていた想い人を逃がすほど、私は心が広くない。その代わり、君の良き夫になれるように尽くそうと決めたんだ」

 フランツ様の告白は予想外のもので、にわかには信じられなかった。
 そうね、これは夢なんだわ。
 幸せで、残酷な夢。
 諦めきれないわたしが生み出した妄想よ。
 いつものようにすぐに消えてしまうの。

 どうせ想像するなら、意地悪なフランツ様にすれば良かったのに。
 わたしを虐げて、お前なんか嫌いだと罵る彼なら、愛されなくても辛くない。
 一生懸命考えようとしたけど、フランツ様は優しいままだ。
 わたしの王子様は、世界で一番素敵で優しい人なんだ。
 そんな想像は最初から無理。

 現実に戻ろうと、わたしは自分の両頬をつまんで引っ張った。
 あうぅ……とても痛いわ。
 痛いのに、想像の世界が壊れることはなかった。

「フィリーナ、頬が腫れてしまうよ。これは夢ではなくて現実だ。君の顔が痛々しく腫れてしまうのを見るのは辛いからやめてくれ」

 苦笑したフランツ様が、わたしの手を下ろさせて、痛みを感じる頬を撫でてくれる。

「どうすれば信じてくれるのかな? 父上が母上にするように束縛して追いかければわかってくれる? だが、無理だね。私にはあんな風に妻を追いかけて、恥も外聞もかなぐり捨てて求めることはできない。何より、君に疎ましがられて嫌われるのが怖い。私は君が思っているほど完璧な王子ではないんだ。少しでも自分を良く見せようと見栄も張るし、臆病になって肝心なことを伝えられない。君に対しては特にね」

 これは現実。
 わたしの妄想ではなくて、本当の出来事。
 わたしに嫌われるかもしれないと不安を口にした彼は、もう想像の世界の人じゃなくて、この場にいて触れられる距離にいる人だ。
 初恋の憧れの人というだけではなくて、生身の彼に初めて触れた気がした。

「我々は互いのことを良く知らない。だからこそ軽々しく愛を囁くことはしたくなかった。私の父は初恋の情熱だけで母を求めたが、私は違う。先の先まで見通して、自分に最も相応しいと思う人を選んだ。うまく言えないが、私は衝動的に君を求めたのではなく、最後まで添い遂げられる確信をもって選んだのだということだ」

 フランツ様がおっしゃりたいことがわかった。
 わたしは初恋の思い出を理想化してお慕いしてきたけど、彼はわたしという人間を知った上で好きになってくださった。
 夫婦になるからには相手を良く知り、信頼を築いて、ゆっくりと愛を育む。
 フランツ様はそうやって、わたしと一生をかけて恋をしようと言ってくださっている。
 そうね、初めから何もせずに愛されるはずはないのよ。
 自信なんかなくて当然。
 二人で積み重ねた時間があるからこそ、愛情は深くなるものなのよ。

「フランツ様。今までわたしの心に住んでいた初恋の王子様は夢の世界にいる理想の人だったのかもしれません。でも、これからは本当のフランツ様を愛したい。現実のあなたを知って、本物の恋がしたいです」
「私も君のことをもっと知りたい。二人でこの気持ちを大きなものに育てていこう」

 わたしに向けてフランツ様が両手を差し出した。
 愛しい彼の腕の中に飛び込んでいく。
 逞しい腕でわたしを抱きとめた彼は、とても温かく包み込んでくれた。

 彼はいつでもわたしを受け止めてくれる。
 前は追いかけてくれないことを寂しく思ったけど、それは違うわ。
 わたしは見守られているの。
 手を離すのは信頼しているから。
 わたし達の絆は年を重ねるごとに、どれだけ離れても繋がっていられるほど強くなっていく。
 これがフランツ様の愛し方。
 そしてわたしは情熱的に愛されるより、こうして優しく穏やかに愛される方が好きなのよ。

 わたし達は初めて心を通わせた。
 見つめ合って笑い、唇を重ねる。
 舌で催促されて口を開け、彼を迎え入れた。
 ゆっくりと舌を絡めて、蕩けるような時間を過ごす。
 もうじき、わたしは彼の妻になる。
 式の後に待っているのは、今以上の甘美な体験だろう。
 胸が高鳴り、期待で興奮する。
 わたしが抱いてた不安や憂鬱は跡形もなく消え去り、心は希望に輝く光で満たされた。




 式を挙げた一年後、わたしは第一子となる赤ん坊を産んだ。
 最初の子が元気な男の子だったので、新たに后を娶る必要はなくなったとフランツ様は言ってくださった。
 もしも子供に恵まれなかったら、側室を娶るように勧める家臣達の声を無視できなくなるからだ。
 ほっとしたのも本音だけど、そんなことを抜きにしても、息子の誕生は素直に嬉しい。

 できるだけ親子で過ごす時間を作ろうと、フランツ様が執務の合間の息抜きに散歩に連れ出してくださるのが日課になりつつあった。
 フランツ様が自ら進んで乳母車を押して城内の庭園を歩き、のんびりとした時間を楽しむ。

「ねえ、フランツ様、わたしも子供は四人ぐらい欲しいです。あなたの代でも後宮は必要ないのですから、賑やかになっていいでしょう?」
「フィリーナが望んでくれるなら何人でも欲しい。弟妹の面倒みていたからか、子供は好きなんだ」

 そのためには、また甘い夜を過ごすことになる。
 つい想像してしまい、長らく眠っていた欲望が体を刺激して落ち着かなくなった。
 赤くなったわたしの顔を見て、フランツ様も気がついたようだ。
 にっこり笑った彼は、顔を寄せて小声で囁いた。

「今夜から、さっそく始めようか。この数ヶ月の禁欲生活は自分でも思った以上に辛かったんだ。子作りの務めとは関係なく、君が欲しくてたまらない」

 情熱的に愛せないなんて嘘だった。
 フランツ様はご自分で思っていらっしゃる以上に、父君に似ているわ。
 だって、ほら。
 わたしを見つめる彼の目は、渇望するように熱く燃えて、求める気持ちを伝えてくるもの。

 目を瞑ると、唇を重ねられる。
 近くに控えている女官や兵士達の目もお構いなし。
 フランツ様は唇を離すと、彼らに視線を向けて手で口を覆った。
 自分の行動に驚いているんだ。
 もう遅いです。

 わたしは笑って散歩の続きを促した。
 乳母車の中では、可愛い息子が青い目をしっかりと見開いて周りを見ている。
 この幸せが永遠に続くように、今夜も蜂蜜にお祈りをしよう。


 END

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