憎しみの檻

レリア編

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 【1】

 わたしが十三の年に、故国ネレシアが近隣の国アーテスに戦争を仕掛けた。
 戦の理由は周辺の小国を取り込み、徐々に領土を拡大していくアーテスに危機感を抱いてのことだ。
 我がネレシアの王も野心家で、いつかは雌雄を決しなければならない国として、両国は長年いがみ合ってきたのだ。

 戦火は周辺諸国を巻き込んで拡大し、約二年近く争いは続いた。
 ネレシアの軍は敗北を重ね、ついに国土まで攻め込まれ、王が率いる軍は王都の近くで全滅した。
 わたしの父も兄も、王の側で最後まで勇敢に戦ったが、敵軍の騎士に討ち取られた。

 わたしはその知らせを城で聞いた。
 王女エリーヌ様の世話係の侍女として城に勤めていたわたしは、この時も王女を腕に抱いて、不安に怯える小さな体を支えていた。

「それで、アーテスの軍は今どこに?」

 王妃様は取り乱すことなく、報告の兵に問いかけた。

「すでに城門の外まで迫っております。アーテス軍の総指揮官はフェルナン王子です。王子は武器を捨てて投降するならば城内の者は傷つけないと宣言し、開城を要求して、城門の前で進軍を止めています。城下の街も周辺の村落も比較的落ち着いており、略奪なども行われてはいません」

 アーテスの第三王子フェルナンは、まだ十八才の若さで軍神とあだ名される戦上手だ。
 十二の年に初陣を勝利で飾り、自ら近衛騎士団を率いて戦場を駆け回っていると聞く。
 主力の軍が全滅した今、城の守備に残された僅かな兵力ではとうてい勝てない。
 篭城しても援軍の見込みはなく、遅かれ早かれ城は攻め落とされて全員捕らえられるか、殺される。

「要求を呑みましょう。城門を開いて、フェルナン王子を玉座の間に案内しなさい。私もすぐにまいります」

 王妃様は表情を引き締め、指示を出した。
 命を受けた兵士達が暗い顔をして下がっていく。
 彼らの姿が見えなくなると、王妃様はわたしを振り返り、憂色が漂う表情で語りかけた。

「レリア、私の処遇がどのようなものでも、もうエリーヌの側にはいてやれぬでしょう。その時はエリーヌを頼みます。この子はまだ幼い、フェルナン王子は慈悲深い方のようです。王女であれば、命だけはお救いくださるでしょう」
「そんな、王妃様!」
「お母様!」

 王妃様は死を覚悟していた。
 戦敗国の王の后として捕らえられれば、処刑か生涯牢獄に幽閉か、どちらかの運命しかない。
 エリーヌ様は母君の胸に飛び込み、泣きじゃくった。

「エリーヌ、あなたは王女なのです。人前では強くありなさい、泣くのはこれで最後ですよ」
「お母様、嫌です。どこにもいかないで」

 エリーヌ様はまだ八才だ。
 強くなれと言われても、支えがなければ簡単に崩れ落ちてしまう。

 この人を守れるのはわたししかいない。
 父と兄が忠誠を捧げた主君の血筋に連なる人。
 そして、わたしの初めての主。
 何があってもお傍を離れるわけにはいかない。

「王妃様、ご安心ください。エリーヌ様はわたしの命に代えてもお守りいたします」

 王妃様からエリーヌ様を託され、わたしは王女の手を引いて共に玉座の間に向かった。
 そこにはアーテスの王子が待ち構えている。
 我々の運命を告げるために。




 王妃様に続いて、玉座の間に足を踏み入れる。
 赤い絨毯の先に、鎧の上に白地のマントを身に着けた青年騎士が立っていた。
 わたし達ネレシアの民は金の髪と青い瞳を持っているが、アーテスの民の色は違う。
 漆黒の髪と瞳を持つ凛々しい騎士はわたし達に気づくと、王妃様に対して黙礼した。

「私はアーテスの第三王子フェルナンです。王より軍の総指揮官に任じられています。此度の戦は我が軍が勝利しました。貴国には相応の賠償金と従属の証を要求すると我が王の仰せです。施政についてはこちらから高官を派遣しますが、下位の文官についてはこれまで通りに働いてもらうことになるでしょう」

 王子は王の代理人に相応しい堂々とした態度で、戦後の処理について王妃様に告げた。
 居合わせたこちらの家臣達は、誰も彼もが圧倒されて一言も喋れずにため息をこぼす。
 それほどフェルナン王子の立ち居振る舞いは完璧であり、穏やかな態度の合間に見せる鋭い眼光は彼が歴戦の勇士であることを物語っていた。

「ご覧の通り、我が国の国力は戦の影響で衰えております。統治の方法や賠償金の額については全て貴国の要求に従います。この度の戦のことでは民に罪はありません。どうか彼らには温情をお願いします。そして、従属の証には何をお望みですか?」

 王妃様の問いに、王子は視線をこちらに向けた。
 正確にはエリーヌ様に。

「エリーヌ王女を人質として、我が国に連れて行く。王族の誰かの后として、もしくは王の後宮にお迎えすることになる」

 わかりきっていた返答だった。
 我が国の王子達は、全て戦場で討ち死にされた。
 王家の血筋で残っているのはエリーヌ様だけだ。
 つまり、王女を手中に収めることで、ネレシア王家を再興せんとする反乱分子を押さえ込むことができる。

「致し方ございません。ですが、侍女を一人供につけることだけはお許しください。こちらにいるレリアは、エリーヌの世話係を務めている者です。姉を慕うように王女も懐いております。幼いわが子を思う母心を哀れと思ってお聞き届けください」

 王妃様の懇願を受けて、王子がわたしに顔を向けた。
 不審な点がないか探っているのだろう。
 しばしの沈黙の後、王子は了承の言葉を口にした。

「いいでしょう。私の権限で許可します。侍女一人ぐらいなら、陛下も咎めはしないでしょう」

 ホッとして、王女の様子を窺う。
 会話の内容は理解できているらしく、エリーヌ様は不安な面持ちでわたしの手を握っておられたが、供が許された瞬間、少しだけ力を抜かれた。

「王妃様には修道院に入っていただく。行動は制限させていただくが、さほど不自由な思いはさせません。あなたは民衆に慕われている。処刑も幽閉も妥当ではない。戦で亡くなった者達の魂を弔いながら余生を過ごされると良い。だが、万が一にもあなたが我が国に仇なすことがあれば、人質である王女にその責が向かうことをお忘れなきように」

 これには一同、耳を疑った。
 処刑も幽閉もされない。
 王妃様自身も、信じられないと呟いて王子を凝視した。

「誤解しないでいただきたい。此度の戦はそちらが仕掛けてきたもの。我が国としては応戦せざるをえなく、また禍根を残さぬためにも貴国を敗戦にまで追い詰めた。決して領土を侵し、略奪や無益な殺生をするためではない。我が剣と王家の名に誓って、生き残った者達には公平な裁きと寛大な慈悲を示そう」

 フェルナン王子はそう言って、剣を抜いて誓いを立てた。
 わたし達は声もなく、その姿を見つめた。
 王子の態度は真摯で、疑うこともできぬほど、真っ直ぐなものだった。

 剣を鞘に収めた王子は、最後に言い辛そうに切り出した。

「戦死した王と王子、名のある騎士達の亡骸は三日の間だけ城壁に晒します。それが戦の慣わし、お辛いでしょうが耐えてください」

 屍を晒すことは、我が国が完全に敗北したことを民衆や他国に知らしめる意味もある。
 王妃様も夫や我が子の亡骸が晒されると聞いては、平静を装えず、声を詰まらせて口元を押さえた。

 わたしも動揺していた。
 父は一軍を率いており、兄も名の知られた騎士だった。
 二人の遺体も晒し者にされる。
 脳裏に惨い光景が鮮明に描き出され、唇を噛んだ。
 悲しくても、悔しくても、わたしには何もできない。
 我が国は負けたのだから。




 三日の間、エリーヌ様は部屋の外に出ないようにと王子から指示が出た。
 部屋も亡骸が晒される城壁からは離れた場所に移された。
 彼なりに気遣っているのだろう。
 実際に目で見るのと話だけ聞くのとでは、受ける衝撃が違うからだ。

 わたしも共に部屋にこもっていたが、三日目に意を決して城壁に向かった。
 わたしは見なければならなかった。
 愛しい家族が受ける屈辱をこの目に焼きつけ、生涯忘れぬために。




 城壁にはたくさんの亡骸が、木材で組まれた磔用の柱にくくりつけられて並べられていた。
 遠目から王と王子、それと顔見知りの騎士達を幾人か確認した。
 遺体の側にはアーテスの騎士が立っており、死臭に引き寄せられてやってくるカラスや獣から守っている様子だった。
 これもフェルナン王子の指示なのだろう。
 許可を取って、城壁の上に上がり、父と兄を探した。

 二人は隣合わせにされていた。
 親子だと、誰が見てもわかるほど似ていたから、そうしたのだろうか。

 遺体は身奇麗で、回収されてすぐに清められたことがわかった。
 晒すために集めた体でも、丁寧に扱われていたことに救いを見出す。
 だが、体は震えて涙が溢れてくる。
 仕方がないと、割り切れるものではない。
 家族を失った悲しみは、怒りとなってわたしの中で吹き荒れる。
 誰かにぶつけずにはいられない。
 憎しみが生まれ、わたしの心に広がっていく。

「その騎士達は、お前の身内か?」

 声をかけられて、目元を乱暴に拭って振り返った。
 アーテスの騎士だ。
 野生的な顔つきをした、大柄な若い男だった。

「父と兄です」

 敵国の男に弱みをみせまいと、足を踏ん張った。
 激情を隠して毅然と見返す。
 男は灰色がかった短い黒髪をくしゃりと掻き、琥珀の瞳を兄に向けた。

「すげぇ強い騎士だった。一人でこっちの兵隊を数え切れねぇほど斬り捨てた。最期の瞬間まで身を盾にして主君を守り、忠義を尽くして己の騎士道を全うした誇り高い死に様だったぜ」

 男は兄の最期を見ていたのか、尊敬の念を持って亡骸を見上げていた。
 わたしは目を伏せた。
 どれだけ称賛されても、亡くなった者は帰ってこない。

「戦場で出会わなかったら、何度でも手合わせしたいほど骨のある相手だった」

 男の言葉にハッとする。
 全身がものすごい勢いで冷えた。
 耳鳴りがして、ひどい悪寒がする。
 わたしの変化に気がついたのか、男がこちらを向いた。
 顔から一切の表情がなくなり、無感動に男は告げた。

「お前の兄貴はオレが斬った」

 行き場のなかった憎悪が標的を見つけた。
 憎しみが膨れ上がり、目の前の男の顔を瞳に焼き付ける。

 これが憎むべき仇――アシル=ロートレックとの出会いだった。




 翌日、晒された遺体は全て埋葬された。
 アーテスの軍は礼節を失うことなく戦没者の墓を作り、彼らが侵略者でないことを民衆に伝えるには十分だった。
 国民の大多数は、戦を起こした亡き王を非難した。
 そして、規律正しく軍をまとめ、占領した国土や民に必要以上の危害を加えなかったフェルナン王子への称賛が集まる。
 人質にされるエリーヌ王女の身を案じる声も、王子がついていれば安心だとの囁きに変わっていった。

 わたしは実家に戻り、身の周りの整理をして城に戻った。
 母は戦の終末を知らずして、少し前に病を患って他界していた。
 生きた身内はおらず、アーテスへ行くのに何の未練も憂いもないことは確かだ。
 身辺の整理を終えてからは、城に与えられた自室で旅立つ日を待っている。

 外から声が聞こえた。
 窓へと目をやり、気まぐれを起こして近寄った。
 眼下に見える中庭で、アーテスの騎士達が手合わせをしていた。

 訓練を兼ねているのかもしれないが、血の気の多いことだ。
 大した興味もなく眺めていたが、騎士達の中に彼の姿を見つけた瞬間、胸に黒い感情が湧いた。

 兄を斬ったとわたしに告げた男。
 近衛騎士団一の剣技を誇り、王子の側近として常に付き従い、戦場でも活躍しているという。
 身の安全が保障された途端、余裕を取り戻した城の女達が色めき立って噂し合っていた。
 アシルの経歴についても様々な場で情報が飛び交い、耳を塞いでいようともどこからか入ってくる。
 彼女の達の中には、良い男なら敵国の男でも構わないという節操のない者もいるらしい。
 エリーヌ様についてアーテスに行くわたしにも、お門違いな妬みを向けるものまで出る始末。
 向けられる悪意に満ちた感情をやり過ごすたびに頭が痛くなってくる。

 意識を仇の男に戻す。
 父と兄の屍を見た時に抱いた憎悪が、再びわたしの胸に渦巻いた。
 わたしに力があれば、あの男を殺し、仇が討てるのに。

 カーテンを握り締め、きつく睨みつける。
 アシルが上を向いた。
 わたしを真っ直ぐ視界に捕らえ、見つめてきた。
 彼の視線に耐えられずに先に目を逸らす。
 憎い男には違いがなかったが、先ほどまでの強烈な殺意が消えて、イライラとした不快感にとって代わった。

 窓に背を向けて、目を閉じた。
 今は何もできない。
 全ての感情を押し殺し、耐えるだけ。
 わたしが今するべきことは、エリーヌ様のために生きることだ。
 復讐の機会を神が与えてくださるのなら、その時はためらうことなくあの男を殺す。




 出発の前に、フェルナン王子の計らいで、エリーヌ様は母君と最後の別れをすることができた。
 王妃様はエリーヌ様を抱きしめて言い聞かせた。

「エリーヌ、ネレシアの王女として誇りを失わず強く生きるのです。私はこの地であなたのために祈っています。側にはおれずとも、あなたを愛していますよ」
「お母様、いつかまた会えますね? わたし、その日が来ることを信じて頑張ります」

 生きてさえいれば、いつか会うことができる。
 エリーヌ様はその小さな希望にすがることで、恐怖と不安に耐えておられた。

「ええ、きっといつか……。良い子にしていれば、神様はお慈悲をくださるわ」

 母の顔で王妃様はエリーヌ様の頭を撫でた。
 抱擁を終えると、エリーヌ様はわたしに駆け寄り、抱きついてこられた。

「レリア、行きましょう。わたしはもう泣かない」

 顔を上げたエリーヌ様は、決意に満ちた目をしていた。
 王妃様を振り返り、王女はにっこり微笑んだ。

「お母様、行ってまいります」

 同じく微笑んで頷く王妃様に、わたしは頭を下げて、王女を馬車へと導いた。




 旅に耐えられるように頑丈さを重要視された馬車の客車は、見た目は飾り気一つない簡素なものだったが、座席には柔らかいクッションが用意されており、防寒用の膝かけやコートなども備えられていた。
 それらの品が誰の命令で用意されたのかは、誰に聞かずともわかった。

「ねえ、レリア。フェルナン様はお優しい方ね。城にいた間も不自由をしていないかと、よく尋ねにきてくださった。声がとても柔らかくて少しも怖くなかったわ」
「確かにフェルナン王子は騎士道精神を持ち合わせておられる立派なお方かもしれません。ですが、我が国は彼に滅ぼされたも同然なのです。国王陛下や兄君達のお命を奪ったのは誰なのか、忘れてはなりません」

 言葉は無意識に刺々しいものになっていた。
 エリーヌ様は俯き、わたしの手を握った。

「忘れてないわ。でも、これからのことを考えると怖い。だから、あの人の優しさを信じたいの」

 触れた手が震えていることに気づき、後悔する。
 わたしが頼りないから、エリーヌ様が王子に気持ちを傾けたのだ。
 王女の体を抱きしめて、髪を撫でた。

「わたしがいます。あなたは一人ではない。何があろうとも共に耐えましょう。そしていつか、この地に帰ってくるために生き抜くのです」
「そうね、二人でなら耐えられるわ。ずっと傍にいてね、レリア」
「はい」

 いつか必ず戻ってこよう。
 家族の眠る故国に。
 そして、彼らの魂を弔いながら安らかな日々を過ごしたい。

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