憎しみの檻

レリア編

NEXT BACK INDEX

 【6】

 深い眠りの底から、明るい場所へと意識が覚醒していく。
 わたしは薄く目を開けて、思い出した。

 ああ、そうだ。
 今日からお城に上がるんだ。
 エリーヌ王女の侍女として。

 エリーヌ様はまだ小さくてかわいいの。
 楽しみだな。
 お母様も心配していたし、失敗しないように頑張らなくちゃ。

 まだ少し寝ぼけながら、目を開けた。
 でも、そこはわたしの部屋じゃなかった。
 見慣れない調度品や、部屋の作りを確認して不思議に思う。
 ここはどこ?
 変だな、昨夜は確かに自分の部屋で寝たのに。

「レリア!」

 名を呼ばれてそちらを向く。
 知らない男の人がわたしの顔を覗き込んでいた。

 誰だろう?
 泣きそうな表情で、わたしの手を握っている。

「目が覚めたのね、良かった!」

 男の人の隣に、お姫様がいた。
 目を真っ赤に腫らして、喜んでいる。
 年はわたしより幾つか年上だろう。
 お姫様はエリーヌ様に面影がよく似ていた。

「レリア、どうした? オレがわかるか?」

 男の人がわたしに問いかけてくる。
 体を起こして、首を傾げた。

「……あなた、誰?」

 わたしが口にした問いを聞くなり、二人の目が大きく見開かれた。




 わたしは自殺を図ったものの、胸を刺した短剣は急所にまでは届かなかった。
 処置が早かったこともあり、一命を取り留めたが、血を失ったせいか精神的なショックからか、記憶喪失になっていた。
 十二才から先の記憶が綺麗さっぱりなくなっていて、それを知った周囲の人達は騒然となり、慌ただしく大勢の医者が入れ替わり立ち代わり診察に来たが、記憶が戻ることはなかった。
 わたしの年齢は二十代の半ば、一気に体だけが年をとってしまったみたいで困惑した。
 周りは知らない人ばかりだし、唯一知っているはずのエリーヌ様は、拙い言葉で話す幼い姫ではなく、楚々としたなかにも毅然とした雰囲気を持つ、麗しい姫君に成長されていた。

 空白の記憶の中で、ネレシアは戦に負けてアーテスに併合され、エリーヌ様はアーテスの王子の后となった。
 わたしはエリーヌ様付きの侍女として故国からただ一人付き従い、今日まで仕えていた……と、大体のことを聞かされた。
 家族はアーテスとの戦の最中に全員が亡くなっていた。
 あまりにも現実味がなくて、呆然と話を聞いていた。

 お父様もお母様も、お兄様も、みんな昨日まで一緒にいたのに。
 信じられない。
 故国に戻れば、元気な家族に会える気がして、現実を受け入れるのに時間がかかった。

 そんなわたしの傍に、彼はいつもいてくれた。
 アシル=ロートレックはわたしの恋人だったそうだ。
 彼自身は何も言わなかったけど、誰もが口を揃えて証言した。
 それが事実だと思えるぐらい、胸の傷が回復するまでの間、アシルは熱心に毎日通ってきてくれた。

 外の空気が吸いたくなって庭に出たいと言うと、アシルが抱き上げて運んでくれた。
 歩けるのに、過保護なまでに構われてしまう。
 頼もしい腕に抱かれていると、どきどき心臓が高鳴った。
 彼は少し口が悪いけど、強くて優しい騎士様だ。
 わたしが憧れていた理想そのままの恋人がいて、夢でも見ているのかと思った。

「レリア、冷えるといけないからこっちに来い」
「はーい」

 庭に出ると、彼は自分のマントの中にわたしを招き入れた。

「あったかい」

 マントの中から頭だけ出して笑いかけると、アシルも笑い返してくれた。

「まだ何も思い出さないか?」
「うん」

  アシルはわたしの記憶が戻らないことを、かなり気にしているようだ。
 こうして時々、問いかけてくる。

「困るのは仕事のことかな。ちょうどお城に上がる直前までのことしか覚えていないんだもの。傷が治ったら侍女の仕事しなくちゃいけないけど、何をしていいのかわからなくて不安なの」

 それから外見と言動が似合わないと言われること。
 だって、わたしの記憶は十二才の時のものなんだもの。
 大人っぽく振る舞おうとしても、それは結局無理をしているのに過ぎなくて、すぐボロが出る。

「でもね、思い出せなくてもいいんだ。仕事は一から覚えればいいし、つらいことがあっても、アシルがいてくれるから平気」

 寂しい時、怖い時、呼べばアシルは必ず駆けつけてきて、わたしを抱きしめてくれる。
 彼がいてくれたから、何もわからない未来の世界でも生きることができた。

「失くした記憶はもったいないと思うよ。アシルとの思い出、きっとたくさんあったのに。だから、その思い出に負けないぐらい、これからたくさん記憶に残る思い出を作ろうね」

 アシルはわたしを抱きしめて、頬に口づけた。

「ああ、そうだな。これからもオレはずっとお前の傍にいる。失くした記憶なんぞ思い出す必要もないぐらい、幸せにしてやる」

 嬉しいアシルの言葉に、わたしも頬に口付けを返す。

 こんなに幸せなのに、大人のわたしはなぜ命を絶とうとしたのだろう。
 失くした記憶の中に、その答えはあるに違いない。




 夢の中で泣き声を辿り、わたしは扉の前に立っていた。
 これは記憶の扉。
 向こうには失くした思い出が眠っている。

 扉は無数の鎖で封じられていて、その前にもう一人のわたしがいた。
 静かに涙をこぼして俯いている。
 彼女は顔を上げてわたしに訴えかけた。

「開けないで。もう苦しみたくないの、憎みたくない。わたしはアシルを愛したいの」

 扉を開けたら、わたしはアシルを憎むのだろう。
 愛しさと憎しみ、相反する感情に引き裂かれて狂ってしまうのかもしれない。
 だから、わたしは死のうとしたのか……。

 扉の向こうにあるのは、憎しみで作られた檻。
 わたしはようやく出られたのだ。
 記憶を失うことで。

 記憶を封じる鎖の数は、わたしの苦悩と葛藤が作り出したもの。
 断ち切ることは容易ではない。
 一つの鎖を千切っても、目の前にいる彼女が新たな鎖を生み出すだろう。
 わたしは全ての記憶を持つ自分自身に対して微笑みかけた。

「わかった、開けない。わたしもアシルが大好きだから、余計な記憶は必要ない」

 踵を返して駆け出した。
 後ろにあった記憶の扉は暗闇に溶け込んで消えていく。
 あの扉を見ることは二度とないだろう。
 憎しみを忘却の彼方に追いやることで、わたしは自由を手に入れた。


 END

NEXT BACK INDEX

Copyright (C) 2007 usagi tukimaru All rights reserved

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!