憎しみの檻

幸福な日々

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 【2】

(side アシル)

 療養が済んだレリアに気晴らしをさせようと、遊びに行くかと誘った。
 レリアはガキみたいに目を輝かせて喜んだ。
 いや、実際中身はガキなんだけどよ。

 王女の侍女なんて勤められる家柄だから、レリアは貴族の娘だ。
 子供扱いを嫌がる微妙な年頃の娘を連れて歩くとなると、やはり大人と同等のデートコースがいいだろう。
 そう思って、オレはお袋に頼み、贔屓にしている宝飾店や服屋を紹介してもらい、劇場の手配もしてもらった。

「アシルもようやく一人に決めたのね。これからは浮気はせずに、大事にしなくてはいけませんよ」

 お袋は説教口調で、オレに言い聞かせた。

 今までレリアのことはあえて黙っていたのだが、噂で耳には入っていたと思う。
 だが、何も言われたことはなかった。
 成人した息子のことだからと、オレが話すまで知らぬ振りをしていたのだ。

 レリアを幸せにすると決意したオレは、両親に今までのことを打ち明けた。
 残りの人生全てをレリアのために使いたいと言ったオレに、両親は理解を示してくれた。
 今までからして自由に生きてきたのだから、好きにすればいいと苦笑して。

 乳母の役目を終えた今、お袋の関心ごとは息子達の恋愛事情だ。
 一番上の兄貴は婚約が決まり、他の兄貴達も決まった相手と順調に交際しているらしいが、オレだけが不特定多数の女の間をふらふら遊び歩いていたわけだ。
 お袋は頭痛の種だった末息子もようやく心に決めた相手ができたと喜び、今回の件で相談を持ちかけたら、俄然張り切りだした。
 レリアが他国の出身であることも、記憶喪失で中身が子供であることも、オレが本気であればどうでもいいようだ。

「迎えに行く時は花束を持っていくのよ! エスコートの仕方は覚えているわね? え?  何ですって、忘れた? 今から特訓よ、せっかく見つかったお嫁さんを逃してたまるものですか!」

 燃えるお袋の隙を狙ってオレは逃げた。
 花束を持たされて、死ぬほど恥ずかしい褒め言葉やセリフの練習をさせられそうになったのだ。
 冗談じゃねぇ。
 オレの柄じゃねぇっての!




 逃げたオレに怒りながらも、お袋はデートのお膳立てはしっかり整えてくれた。
 実家から借りた馬車と御者は、オレ達を乗せて指定された順番に店を回り、開演前に劇場に到着。
 上演されているのは歌劇と呼ばれる、歌と踊りを組み合わせた芝居だそうだ。
 手配は任せておいたので、どんな内容なのか詳しくは知らないが、どうやら恋愛物のようだ。
 客は女が多く、男はその付き合いといった様子のカップルが大勢いた。
 レリアは芝居を見るのは初めてだそうで、大掛かりな仕掛けで背景を変える舞台と、華やかな衣装を身につけた役者の演技と美声に歓声を上げて見入っていた。
 オレはいえば、初々しく甘ったるい恋愛物に少々退屈しながら見物していた。
 主役の男女は明らかに両思いなのだが、互いへの愛を囁き、手を握り合ったりするだけで、それ以上の進展がない。

 キス一つするのに、いつまでかかってんだよ!
 男ならそこで押し倒せ!

 押し倒したら卑猥な内容になってしまい、進展がなくて当然なのだが、オレは進まない男女の仲にイライラしていた。
 なぜイラつくのかわからんのだが、とにかく腹が立つ。

 おお、やっとキスした。
 と、思ったら出演していた役者が全員出てきて踊りだしたぞ。
 どうやら今のがラストシーンだったようだ。
 結局、どんな話だったか、あんまり覚えてないな。

 欠伸を噛み殺して隣にいたレリアの様子を窺う。
 レリアは目を潤ませて、ぼうっとしていた。

「素敵なお話だったなぁ。最後のところなんてドキドキした」

 あー、お子様にはちょうど良かったのか。
 そうだよな、お袋がこの芝居を選んだんだから、子供が見てもいい健全な話のはずだよな。

「いいなぁ、わたしも……」

 そこまで言って、急に口を閉じたレリアがオレを見上げてきた。
 じっと目を見つめられてたじろぐ。
 な、何だ?
 奇妙な間が空いて、落ち着かない空気が流れた。

「なんでもないよ。あ、そろそろ通路が空いてきた。行こう」

 レリアが袖を引き、オレ達は劇場を後にした。
 何だったんだ、あの間は。
 その後、立ち寄った美術館や店でもレリアは楽しそうにしていた。
 だから、あまり気にしないことにしたのだったが、考えが甘かったようだ。




 夕暮れが近づく中、王都で一番景色がいいと思われる川沿いの自然公園に立ち寄った。
 園内は人がまばらで、木陰にカップルの姿がいくつか見える。
 雰囲気的に立ち入り辛いのか、それ以外の組み合わせは見かけなかった。
 公園を囲む柵まで近寄り、下を流れる川を眺める。
 川には幅広く長い橋が架かっていて、釣りをする小船が浮かんでいた。

「夕日が川に映って綺麗、それにこの公園も。馬車の窓から見ただけだけど、王都にも色んな場所があるんだね。お城の中だけしか知らなかったから驚いた」

 記憶を失う前、レリアはアーテスの景色を楽しんだことなどなかっただろう。
 この国をどんな形であれ受け入れることは、あいつにとって故国と家族への裏切りとなったからだ。
 直でドミニクと言葉を交わしたオレは、少なくともあの兄貴がそんなことで妹を責めるとは思えなかったが、レリアは仇である存在を全て憎み、嫌うことで、喪失の悲しみに耐えていたのだと今なら何となくわかる。
 素直すぎて適当に折り合いをつけて生きられない、不器用な女。
 だからこそ、記憶を全部封印してしまった。
 今ここにいるレリアも、同じ道を辿れば同じようになる。
 それだけは確信できた。

「ねえ、アシル」

 川を見ていたレリアがオレの方を向いた。

「わたしとアシルが初めてキスをしたのはいつ? もちろん頬にするのとは違うのだよ」

 咄嗟に反応ができずに固まった。
 初めてのキス?
 いつって、それはお前……。

「覚えてないんだもん。同じようにもう一度して欲しい。わたしのお願い何でも聞いてくれるんでしょう?」

 慌てて周囲を見回す。
 幸い周囲のカップルは自分の相手に夢中で、こちらに関心を向けている者はいない。

 レリアとの初めてってあれだ。
 深夜の浴場で無理やり抱いた時だ。
 身持ちの固いレリアのことだ、キスも初めてだったんだろうな……。

 冷や汗が流れた。
 同じようになんてできるわけがない。
 だ、だが、本当のことを言うわけにもいかねぇし、どうする?

「う……、その……、それは無理だ」
「どうして?」

 不機嫌に細められて追求してくる目が、容赦なくオレを責め立てる。
 悪かった!
 全力で謝る!
 幾ら謝ってもやっちまった過去は消せないが、許してくれぇ!

「レリア、ごめんな。まったく同じってわけにはいかねぇから、今のお前が満足できるキスをしよう」

 何言ってんだ、オレ。
 もっと他に言いようがなかったのかと自己嫌悪に落ち込んだ。
 レリアは少し考える素振りを見せて頷いた。

「いいよ。じゃあ、今ここでして」

 オレを見上げた姿勢のまま、レリアは瞼を閉じた。
 頬は微かに朱に染まり、体も緊張で震えている。

 オレでいいのか? なんて問いは今さらだろうな。
 レリアが望むのなら、オレはそれを喜んで叶える。

 体を屈め、そっと顔を近づけて、唇を重ねた。
 小さくて柔らかい唇に軽く触れ、しつこくならない程度に感触を残して離す。
 屈めた体を元に戻すと、レリアは目を開けて俯いた。
 照れているのか、手で顔を覆って動こうとしない。
 困った。こういう時、どうすりゃいいんだよ。

「暗くなる前に帰るか。遅くなると姫が心配する」
「う、うん」

 声をかけて手を引き、待たせてある馬車まで戻る。
 調子狂うっていうか、こんな健全な付き合い方、今までしたことねぇから戸惑う。

 唐突に、劇場で芝居を見た時、なぜあんなにも苛立ったのかわかった。
 今のオレの状況と同じだからだ。
 どうすれば先に進めるのかわからず、全て手探りの状態に、自分を重ねて腹が立ったんだ。
 心が先って難しいな。
 八年も待って努力したフェルナン様を尊敬するぜ。




 オレ達はそのまま殿下の屋敷に帰った。
 生活の拠点がほとんどこっちになっているので、オレも家には帰らず、レリアと一緒に夕食を取り、寝室に引き上げた。

「明日からまた仕事だろ。今夜は早く寝ろ」
「うん」

 姫の侍女であるレリアは、主君が起きる前までに自分の支度と朝食を終えておかねばならない。
 寝坊しないように、早めに寝かしつけることにした。

「今日は楽しかった、ありがとう。また連れていってね」
「おう」

 レリアは微笑んで目を閉じた。
 楽しかったんなら良かった。
 次はどこに連れていってやろう、王都を出てみるのもいいかもな。
 オレの家が所有する領地の中に、景色の綺麗なとこが幾つかあるんだ。湖上に浮かぶ白亜の城もあったりするし、泊りがけで旅行なんてのもどうかな。
 レリアの喜ぶ顔を想像するだけで、オレの頬も緩む。

 さて、オレも寝るとするか。
 慣れないエスコートで疲れたしな。




 うとうと寝入りかけて、ばちっと目が開いた。
 密着してくる気配に嫌な予感がした。

「……ううん……」

 レリアがもそもそ体を動かしてすり寄ってくる。
 やめろ、バカ!
 オレの足にレリアの腿が絡みつき、ふくよかな胸が体の上に乗ってくる。
 レリアはオレを抱き枕にして、半身を乗せる形で落ち着くと、再びくうくう寝息を立て始めた。

 まずい、まずいぞ。
 何とか動いて体を離す。
 背中を向けて昂る下半身を押さえようとしたが、オレの努力を嘲笑うかのごとく、寝ぼけたレリアが抱きついてくる。

「うーん……、アシルぅ……好き……」

 マジで起きてるんじゃねぇのか?
 本当に寝てるのか?
 疲れてるのに、何で反応してるんだよ、オレの体!
 鍛えすぎて体力があり過ぎるのが原因か。

 うわあああ、眠れねぇ!
 目が冴えてくるぅ!
 お、起きて走るか?
 仕方ねぇ……。

 起き上がろうとしたが、レリアが背中にしっかりしがみついていて離さない。

「アシル……行っちゃ、や……」

 ……動けない。
 寝言だろうと、レリアの願いは無視できない。
 オレは覚悟を決めて寝直した。

 背中に張り付いてぐうぐう暢気な寝息を立てている女の隣で、オレは一睡もできずに性欲と戦い、この苦行を耐え忍んだ。




(side レリア)

 よく眠れたわたしは、張り切って朝の仕事を始めた。
 アシルはまだ寝ていた。
 昨日はあちこち連れていってくれたから、疲れているんだろう。
 ゆっくり寝かせておいてあげよう。

 エリーヌ様のお支度を手伝って、朝食の準備をしに食堂に行く。
 食卓のテーブルに用意された朝食は三人分。
 エリーヌ様とフェルナン様、それからアシルの分だ。
 アシルはフェルナン様の部下だけど、泊まっている間はお客様扱いされている。
 この扱いが、彼の身分がそれだけ高いということを表していた。

「レリア、アシルを起こしてきてくれ」
「はい」

 朝食の支度ができても、アシルがなかなか起きてこないから、フェルナン様がわたしに命じた。
 返事をして、部屋に向かう。

「アシル、起きてる?」

 部屋に入って声をかける。
 アシルは体を起こして、頭を振った。

「んあぁ……、もうそんな時間か? ……ねむ……」

 いかにも寝たりないという顔で、彼は欠伸をした。
 わたしを早く寝かしつけておいて、夜更かししてたのかしら?

「フェルナン様が待ってるよ! 早く支度して!」

 寝台から追い出して、服を整えて急かす。

「夜更かししたんでしょう? 今夜はちゃんと寝ないとだめだよ」

 のろのろ動いて服を着ているアシルに注意した。
 すると彼は、充血した目をこちらに向けて深いため息をついた。

「お前がおとなしく離れて寝てくれたらな……」

 ため息の後、アシルは小声でぼそぼそ何か言っていた。
 よく聞こえなかったけど、まあいいか。




 朝食を終えた頃、フェルナン様とアシルのお出かけの時間となった。
 屋敷中の使用人が表に出て、主君の見送りのために整列。
 エリーヌ様がフェルナン様に見送りの言葉と口づけをしている間、わたしはアシルの傍にいた。

「いってらっしゃい、気をつけてね」

 背伸びをして、アシルの頬にキスをした。
 アシルからも頬に口づけが返ってくる。

「行ってくる。今日もここに帰ってくるからな」
「うん、待ってるね」

 ぎゅっと抱擁してもらい、幸せに浸る。
 昨日のキスのことも思い出して、顔が自然ににやけてきた。
 やっぱり、わたしはアシルが大好きだ。

 元気よく手を振ってお見送り。
 アシルも一度振り返って笑いかけてくれた。

 今日も明日も、その次の日も。
 ずーっと一緒にいようね。


 END

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