憎しみの檻

エリーヌ編

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 【1】

 戦争が終わった日。
 それは生まれ育った国が消えた日でもあった。

 わたしはネレシアの王女エリーヌ。
 父母の間に生まれた子は、わたし以外はみな王子で、その兄達は父と一緒に戦場で亡くなられた。
 たとえ兄達が生きていても戦に負けた一族の存続が許されるはずはなく、ネレシア王家はわたしの代で途絶えることになったのは間違いなかった。
 祖先から父の代まで我が一族が治めてきた広大な土地はアーテスの領土に組み込まれ、事実上、地図の上からネレシア王国は消えた。
 だけど、民は生きている。
 率いる一族が変わっただけで、人の歴史は絶えることなく続いていく。

 まだ幼かったわたしには、国がどうなってしまったのか、これからどうなるのか、ほとんど何もわからなかった。
 戦争に負けた。
 周囲の人々の話から、かろうじてそれだけは理解した。
 そしてわたしが人質として敵国に連れて行かれるということも。

 かつてお父様が座っていた玉座の前に、あの人は立っていた。
 深い闇のような黒髪、同じく黒い瞳は鋭いけれど優しい光を宿していた。
 騎士の装いをしていた彼は、王子様だった。
 父を、兄を殺めた人。
 この国を滅ぼしに来た人。
 それでもわたしは彼を怖いとは思わなかった。




 お母様とフェルナン王子の話し合いが終わると、わたしは部屋に閉じ込められた。
 閉じ込められたといっても扱いは悪くなく、世話はきちんとされていたし、窓を開けることも許された。
 ただ、扉の外には衛兵がいて人の出入りを制限し、わたしが外に出ないように見張っている。
 お母様とは引き離されてしまったけど、代わりにレリアが傍にいた。
 彼女自身も父と兄を失ったというのに、気丈にも取り乱さず、わたしを抱きしめて不安から守ってくれていた。

「エリーヌ様、わたしがいますからね。心を強くお持ちください」
「うん」

 レリアだって怖いだろうし、泣きたいのだ。
 わたしの前だから耐えていることに気づいていたから、わたしも泣き言だけは言うまいと我慢した。
 わたし達は様々な不安を互いの存在で紛らわせながら、軟禁生活を過ごした。

 軟禁されている一番の理由は、我が国の敗北を世界に知らしめるために三日の間お父様やお兄様方、主要な将軍や騎士達の亡骸が城壁に晒されるからだ。
 わたしが無残な遺体を見ないようにとの配慮なのだとは、侍女達の会話を耳に挟んで知った。
 彼女達の話を裏付けるように、部屋の窓から見える城壁には遺体は置かれていない。
 もう今日で三日目。
 遺体は明日埋葬される。

 死を知らされていても、お父様達に会いたいという気持ちはあった。
 埋葬される前にお姿を見たい。
 二年の間、戦に出られていたからほとんど会えなかったけど、お父様の大きな体に抱き上げられた感触や、お兄様達の朗らかな笑顔はしっかり覚えていた。
 お父様は口癖のように言ってた。

「エリーヌは可愛いのう。いずれ嫁にやらねばならんと思うと口惜しい。よし、決めた。余を倒せるほどの強い男でないとエリーヌはやらんぞ」

 鼻息荒く宣言するお父様に、お兄様達が苦笑した。

「父上、それではエリーヌは一生結婚できませんよ。ご自分の強さを自覚なされていますか?」
「いいです、お兄様。わたし、お嫁になんて行きたくありません。ずっとお父様達と一緒にいたいです」

 花嫁になるより、両親の傍が良かったわたしは、すぐさま父の意見に賛同した。
 お父様はわたしの言葉を聞くなり、喜色満面で膝に乗せて抱きしめた。

「おお、なんと可愛いことを。よしよし、エリーヌは父様とずっと一緒に暮らそうな」
「陛下、ご冗談はそこまでにしてください。時期が来れば私にとっての陛下がそうであられたように相応しい殿方が現れて、この子を娶ってくださいますわ」

 最後にお母様がお父様を嗜めて、皆で笑った。
 いつまでも家族と一緒にいたいと思っていた。
 お嫁に行くまでこの城で幸せに暮らしていられるのだと信じていた。
 婚礼のために城を出る時は、笑顔で祝福されて見送ってもらえるものと夢見ていたのだ。
 こんな風に、戦利品の人質として連れて行かれるなんて想像もしなかった。

 滲んだ涙が手元に落ちた。
 レリアはいなくなってしまった。
 少しだけ用があるからと、先ほど部屋から出ていった。
 他の侍女は呼べば来てくれるだろうけど、レリアほど心を許している人はいない。
 お母様に会いたい。
 抱きしめて欲しかった。
 不安な心を誰かに受け止めて欲しかった。




 溢れてくる涙を手で拭っていると、扉を叩く音が部屋に響いた。
 急に扉が叩かれて、びっくりした。
 どうしよう、お返事した方がいいの?
 呼び鈴を鳴らして誰か呼ばないと。
 まごまごしている内に、衛兵が声をかけてきた。

「エリーヌ様、フェルナン王子殿下がまいられました。お通ししてもよろしいですか?」
「は、はいっ!」

 いけない、返事をしてしまった。
 鏡を見る暇もなくて、急いで手で身なりを整えて扉が開くのを待った。

 扉はゆっくりと開き、わたしを驚かせないように気遣っているのか、彼は室内に入ったものの入り口付近で立ち止まり、近寄ってはこなかった。
 玉座の間で会った時よりも、幾分か和らいだ微笑を浮かべてフェルナン王子はわたしに声をかけた。

「急に来て悪かったね。三日も閉じ込めておいて言うのも何だけど、元気かい?」
「はい、大丈夫です」

 頷くとぐすっと鼻が鳴った。
 あ、泣いていた跡もうまく拭えていないかも。

 俯いたまま、手で目元を擦る。
 気配が近づいてきて、次に顔を上げた時、フェルナン王子はわたしの目の前に立っていた。

「すまない。母君と引き離されて心細いだろうが慣れてくれ。もうじき君はアーテスに行かねばならないんだ」

 わたしの前に片膝をつき、目線を合わせた彼は苦しげに唇を引き結んだ。
 穏やかだけど、悲しそうな顔。
 王の命令で国に連れて行くわたしに、彼は同情しているんだ。
 泣いて行きたくないと訴えれば、許されるかもしれない。
 そんな考えが一瞬頭をかすめたけど、これが元から感情だけで決められた物事でないことを、幼い頭でもわたしは理解していた。
 逃げることはできない。
 いいえ、わたしが逃げればさらなる災厄が生き残った人々に降りかかる。

「わたしはネレシアの王女です。自分が何をしなければならないのかわかっています」

 わたしは人質。
 ネレシアの民の反乱を抑えるために連れて行かれる。
 反抗さえしなければ、アーテスの王はこれ以上の危害をネレシアの民に加えないと約束したのだ。
 わたしが行くことで、この国の人々が守れるのならいい。
 フェルナン王子はお母様を助けてくれた。
 わたしがアーテスに行けば、これ以上誰も失わなくて済む。

「エリーヌ王女、君は私が守る。この国も、君自身のことも、決して悪いようにはしない」

 王子はわたしの肩に手を置いて力強い声で告げると、部屋を出て行った。

 なぜだろう。
 あの人がいると、空気が落ち着く。
 手を置かれた肩に触れて、不思議な余韻に戸惑った。
 嫌じゃない。
 かけられた言葉も疑うことなく信じてしまう。
 会って間もないというのに、わたしはすんなりと彼の存在を受け入れていた。




 出発の日が来るまでの間、フェルナン王子は何度もわたしの様子を見にきてくれた。
 レリアは彼が来ると顔を強張らせて身構えるけど、わたしは笑顔で出迎えた。

「何か不自由なことはない?」
「はい、特にありません」

 交わす言葉は事務的なものばかり。
 だけど、彼への警戒心は薄れていく。
 裏があるなんて思えなかった。
 優しい言葉と態度。
 それらが本心からのものであることを、わたしは心から信じたかった。

 だけど、フェルナン王子に心を許すことを、レリアは許さなかった。
 わたしが王子に笑顔を向けるたびに、彼女は厳しく冷たい目をして言うのだ。

「エリーヌ様、忘れないでください。アーテスは我がネレシアの敵。多くの同胞が彼らの手にかかり命を落としたのです。国王陛下も王子殿下も、わたしの家族も……」
「わかってるわ、忘れない」

 悲しみに凍えたレリアの気持ちも痛いほどわかる。
 わたしと彼女は同じ。
 戦争で父と兄を失った。
 敵に討たれ、亡骸を城壁に晒された。
 わたしは結局遺体を見ることができなかったけど、レリアは見たのだと後で知った。

 敵だと言って、アーテスの全てを憎もうとするレリア。
 だけど、それは単なる憎悪の感情じゃない。
 悲しみを何かの形でぶつけていないと立っていられないからだ。

 本当の彼女は、常に温かく笑う優しい人だ。
 わたしは覚えている。
 戦争が始まる前に、彼女と過ごした楽しい日々を。

 全部、夢だったみたいに消え失せてしまった。
 わたし達に残された道は選択の余地のない不安なもの。
 二人だけで手を繋いで真っ暗な道を歩いていくのは、とても怖い。
 それでもわたしは前に進まねばならない。
 別れの日、お母様に安心してもらおうと精一杯の笑顔を向けて、わたしは故国を離れ、アーテスへと旅立った。




 アーテスについた日は、緊張と不安で胸が張り裂けそうだった。
 フェルナン王子に連れられて、王が待つ広間に案内されたわたしは多くの不躾な視線に晒された。

「エリーヌ王女のお立場なのだが、まだ決めかねていてな」

 頷くことしかできないわたしの前で、王が話を進めていく。
 王はお父様ぐらいの壮年の男性で、フェルナン王子の兄だという王子達もわたしより遥か年上の大人の男性だった。
 この中の誰かの后になる。
 それはわかっているけど、わたしを欲しがる人は誰もいなかった。
 王も王子達も苦笑して顔を見合わせるばかり。
 居心地が悪くて、眩暈を起こしそうになった。
 処遇を言い渡されるのを震えて待ちながら、ネレシア王女として無様に気絶だけはするものかと、かろうじて堪えて立っていた。

「エリーヌ王女には後ろ盾はないが、ネレシアへの牽制の意味もある。お前達が望まねば、余の後宮に迎えることになるが……」

 後宮?
 王の后達が大勢いる場所に入れられて、どうなってしまうのかわからない。
 わたしには後ろ盾になる権力も財力も何もない。
 王が守ってくれるとも思えず、不安はますます増していった。

 その時、今まで黙っていたフェルナン王子が声を上げた。

「お待ちください、父上。兄上達が気が進まないとおっしゃるのならば、私が王女を后にします」

 暗闇に一筋の光が射した。
 王子は王の御前でわたしを正妃にすると宣言なさった。
 利用価値があるからでも、愛情があるからでもない。
 保護するために娶ると言ってのけたのだ。

 それでも嬉しかった。
 この国で、わたしが唯一信じられる人。
 彼はわたしを守るという約束を果たしてくれた。

 差し出された手を取る。
 触れた手は大きくて頼もしく、わたしの緊張も薄れていく。
 大丈夫、やっていける。
 この人が傍にいてくれるのなら、何も怖がる必要はない。

 わたしはアーテス第三王子の后となった。
 幼いという理由で初夜のない結婚ではあったけど、わたしと彼の間に心の絆が生まれた最初の出来事だった。




 王族や貴族の男子は正妻の他にも妻を娶ることが当たり前に行われており、正妃が決まってもフェルナン様に縁談を薦める者は後を絶たなかった。
 フェルナン様は持ち込まれた話を全て断り、わたしにも安心するように言われた。
 だけど、断られた娘達は納得せず、その不満をわたしに向けた。
 王妃様のお茶会に招かれて王宮に行くと、遠巻きにこちらをみている貴族の娘達から敵意に満ちた視線と嘲笑を向けられた。

「フェルナン様はお優し過ぎるのです。きっと他の妻を娶らぬように、あの姫が駄々を捏ねているのだわ」
「幼い姫だからとお情けをかけられているのも知らずに、頼る故国もないくせに大きな顔をして」
「しっ、聞こえますわよ」

 笑い声が廊下の向こうに消えていく。
 わたしはそちらを見ることもできずに唇を噛んだ。
 正妃の地位をお情けで得たことぐらい、わたしが一番わかってる。
 悔しいけど、何も言い返せない。

「エリーヌ様、あのような者達の言うことなど気になさいますな。王子を恐れて陰口を言うことぐらいしかできないのです。どのような経緯があれ、あなたはフェルナン王子の正妃。王子自身が認めておられるのですから、堂々と胸を張っていればいいのです」

 レリアが慰めの言葉をくれた。
 彼女を振り返り、無理やり微笑んだ。

「仕方がないわ、私は戦敗国から人質に連れてこられたのだもの。フェルナン様に相応しくて選ばれたわけじゃない。彼女達が怒るのも当然よ」

 悔しく思うのは、彼女達の言葉に真実も含まれているからだ。
 優しいあの人は同情からわたしを守ろうと后にしたのだ。

「だけど、いつまでもこのままではいないわ。わたしの価値は自分で作る。後ろ盾がなくても、フェルナン様が自慢できるほどの后になってみせる」

 何より、彼に心から求められる姫になりたい。
 わたしはフェルナン様に愛されたかった。

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