束縛

冬樹サイド

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 【5】

 目が覚めても、春香はオレの腕の中にいた。
 頬や額に口付けて、彼女が幻ではないことを確かめて安心する。

「冬樹くん、今何時?」

 口付けの感触で目を覚ました春香が問い、オレはベッドに備え付けられていた時計を見た。

「五時前だ。そろそろ帰らないとな」
「そうだね……」

 起き上がった春香は俯いて寂しそうに呟いた。
 それは昔の、まだ小さかった頃の春香の仕草と同じだった。

 夕食の時間だと迎えが来ると、春香は泣きそうな顔で俯き、母親に手を引かれてオレと別れの挨拶をする。
 互いが帰るのは隣の家だというのに、オレも別れがつらくて涙ぐんでいた。
 毎晩、早く明日が来るようにと願いながら眠りにつく。
 春香も同じだと言っていた。
 さすがに大きくなってからは、笑顔で別れが言えるようになったけど、今日はだめだ。
 オレだって離れたくない、帰したくない。

 春香を抱き寄せて、唇を重ねた。
 何も今日で終わりじゃない。
 オレ達はこうしていつでも触れ合える。
 寂しいのはひと時だけ。
 明日になれば、また会える。




 シャワーを浴びて服を身につけ、ホテルを出た。
 空は薄れた茜色で、星が幾つか光っているのが見えた。
 後、半時間もすれば完全に日が落ちる。
 早く帰さないとおばさんを心配させてしまうけど、指輪だけは今日贈りたい。
 春香がオレの手を強く握った。
 彼女の心がオレに向いているこの時に、贈らなければ意味がない。
 遅くなるといっても、少しぐらいなら許してもらえるだろう。

「もう少し付き合ってくれるか? 家にはオレが電話する」

 春香は頷いてくれた。
 携帯を借りて、彼女の家に電話をかける。
 応答に出たおばさんに、寄りたいところがあるから帰宅が遅くなることを告げた。

『わかったわ。冬樹くんが一緒なら心配いらないだろうけど、なるべく遅くならない内に帰ってきてね』

 許可が出てホッとする。
 これも日頃の素行のおかげだ。
 優等生やってて良かった。




 春香を連れて宝飾店に入った。
 下見はしてある。
 オレはまっすぐに、目当てのケースの前に移動した。
 値段も手頃な銀色に輝くリングが並んでいる。
 春香に目をやると、入り口の辺りに飾られている高価な宝石に見とれていた。
 学生の身分では、あれほど本格的なものは贈れない。
 今はこれで我慢してもらおう。

「春香、こっちだ」

 呼ぶと、春香もこっちに来た。
 ケースの中のリングに興味を示している。
 こっちのでも喜んでもらえそうだな。

「この中から、好きなの選べ」

 ケースを指して、春香を促す。
 春香はびっくりしたのか瞬きした。
 指輪が入ったケースとオレを交互に見やり、やがて指輪を選び始めた。
 視線が一箇所に留まった。
 決まったのかな。
 春香が見ていたのは、ハートをモチーフにしたリングだった。

「じゃ、じゃあ、これ……」

 春香がおずおずと指差したのは、やはりそのリングだった。
 店員を呼ぼうと口を開きかけた時、店のドアが開いて客が大勢入ってきた。
 団体でこういった店に入るなんて珍しいなと、集団に目をやって、先頭にいるヤツの顔を見て硬直する。
 穂高だ。
 しかも、一緒にいるのはクラスのヤツらじゃないか。

「やっぱり雪城だ。外から見えたから、みんな誘って入っちまった」

 穂高が白々しく声をかけてきた。
 後ろには夏子もいて、バツが悪そうな顔でオレを見ている。
 穂高を止められなかったことを謝っているみたいだ。
 わかってる、夏子のせいじゃない。
 しかし、困ったことになった。
 みんなの前で春香に指輪を買えば、オレ達の嘘がバレてしまう。
 火野はいないようだが、明日にはあいつの耳にも入るだろう。夏子とオレが恋人同士じゃないことを、ここでバラすわけにはいかない。

 顔は平静を装いながらも、どう切り抜ければいいのか、目まぐるしく頭を働かせる。
 ぐわあ、全然思い浮かばない。
 オレが焦っている間にも、会話は勝手に進んでいた。

 オレの浮気を疑うクラスメイトに、穂高は春香をオレの幼なじみだと紹介した。
 まて、なぜお前が仕切ってるんだ。
 春香も戸惑い気味に同意して、ちらちらとオレの顔を窺っている。

「あ、わかった。海藤へのプレゼント選んでたんだろ。誕生日は来月だったっけ? 春香ちゃんなら、いいの選んでくれそうだしな。内緒にしたかったみたいなのに、悪いことしたな」

 穂高は平然と嘘をつき、みんなの疑いを晴らして頭を掻いた。
 こ、この野郎、わざとだな?
 一見するとフォローしているように見えるが、みんなを店に連れて入ってきたのは穂高だ。
 今日のことは夏子にしか話していなかったが、洞察力の鋭い穂高のことだ、オレの行動を予測したんだろう。
 大勢引き連れて、この辺を通りかかったのも策略のうちか。
 ここまで性格が悪かったなんて思わなかった。
 見損なったぞ、穂高!

 オレが口を挟めずにいる間にも、周囲はどんどん話を進めている。
 クラスメイトの一人が、夏子を前に押しやって指輪を選べと言い出した。

「バレちゃった以上は、夏子が選びなよ。雪城くんがせっかく買ってくれるんだし、この後二人で遊びに行ってもいいよ。あたし達のことなら、気にしなくていいから」
「で、でも、悪いよ。せっかくここまで来てくれたのに」


 夏子が困りきった顔でオレを見つめた。
 アイコンタクトで事態の打開を図ろうとしたものの、夏子にもいい考えは浮かばなかったらしい。
 遠慮して、この場を去ろうとするぐらいしかできないようだ。

 春香は俯いて黙っていた。
 ああ、春香にも誤解を与えてしまう。
 情けないことに否定も肯定もできず、オレは突っ立っているしかなかった。

 急に春香が顔を上げた。
 驚いたことに彼女は笑っていた。

「冬樹くんに先輩を驚かせたいからって言われて協力してたんですけど、バレちゃいましたね。もう隠す必要もないし、先輩が選んでください。遅くなるとお母さんが心配するから、わたしはこれで帰ります」

 春香は明るい声でみんなに説明して、夏子に微笑みかけた。
 どうしてそんな嘘をつくんだ?
 春香には事情を打ち明けていない。
 泣かれたり、どういうことかと詰め寄られるならわかる。
 だけど、嘘をついて話を合わせてくれるとは思わなかった。

「じゃあね、冬樹くん。ちゃんと先輩、送って帰りなよ」

 春香は出口に向かいかけ、笑顔で振り返り、オレに声をかけた。

「気をつけて帰れよ」

 オレにはそれしか言えなかった。
 このまま見送れば、うまくやり過ごせるというのに、不安が強く湧き起こる。
 姿だけではなく、春香の心まで離れてしまう気さえした。

「外暗いし、春香ちゃんはオレが送るよ。先帰るから、後は勝手にやってくれ」

 春香の後ろを追う形で、穂高も一緒に店を出て行く。

 ああ、だからか。
 穂高に誤解されたくないから、春香は嘘をついたんだ。
 バカだな、春香。
 穂高は全部知ってるんだ。
 そんな嘘をつかなくても、あいつはお前のことを嫌いになったりしないよ。

 オレと夏子を残して、みんなは店を出て行った。
 声が遠ざかっていく。
 店員がこっちを見ていたが、オレは動けなかった。
 もう、何をする気力も湧かない。

「追いかけないの?」

 夏子の口調は、オレを責めていた。
 何をぼさっとしているのかと、背中を叩かれている気分になる。

「見てただろ? 春香は嘘をついた。穂高に誤解されたくないから話を合わせたんだ。追いかけていっても無駄なんだよ」

 心は取り戻せなかった。
 元に戻れたと思ったのは勘違いで、春香は雰囲気に流されただけだったのかもしれない。
 オレは穂高に負けたんだ。
 春香はあいつのものになってしまう。
 もう、戻ってこないんだ。

「本気でそう思ってるの?」

 夏子がオレの前に立ち、睨みつけてきた。

「ここまで来たってことは、デートは上手くいってたのよね? 指輪も選んでいたんでしょう?」

 問いかけに、オレは頷いた。

「あの子が嘘をついたのは、冬樹が何も言わなかったからだよ。わたし達が周囲を欺いている以上、さっきのは誰が見ても浮気の現場。冬樹が彼女との仲を隠している限り、みんなの前ではああやって振る舞うしかないじゃない! 穂高くんなんか、関係ない!」

 関係ない?
 オレのせい?
 じゃあ、春香は……。

「ちょっとだけだったけど、外から見えたの。彼女は楽しそうに笑っていた。春香ちゃんは冬樹のこと好きなんだよ。それなのに、好きな人が他の人と恋人扱いされているのを見て、平気なはずがない! 今頃はきっと泣いている。今追いかけないと、本当に穂高くんにとられちゃうよ!」

 夏子はオレを叱りつけて、後ろにまわって背中を押した。

「早く行って! あなたの足ならすぐに追いつける!」

 春香がオレを好き……。
 もし、そうだとしたら、オレは春香を傷つけた。
 嘘までつかせて、無理に笑わせて、そして一人にさせた。
 傍には穂高がいる。
 あいつは、これを狙ってたんだ。
 慰めるフリをして、春香の心を掴む気なんだ。
 そんなことさせるか!

「夏子、ありがとう! 送っていけないけど、気をつけて帰れよ!」
「わたしは平気! 後で報告ぐらいはしなさいよ!」

 夏子の声援に送られて、オレは店を飛び出した。
 駅に向かう道を全力で走る。
 二人が歩いているのなら、駅に着く前に追いつくはずだった。

 駅に着いたけど、春香も穂高も見つからなかった。
 息を切らせて、周囲を見回す。
 おかしい。
 追い越した覚えはないし、道を変えたのか?
 春香の携帯にかけてみたけど繋がらない。
 穂高の方も同じだ。
 かけたところで出るとも思わなかったが、やっぱりか。

 来た道を戻り、穂高の行動を想像する。
 泣いている春香をどこに連れて行く?
 おそらく人目を気にする必要のない場所だ。
 近くに該当する場所がないか、思い出そうとした。

 二人が向かったのは公園だと直感した。
 確かあそこは、日暮れからカップルが集まってくることで有名なんだ。
 遊歩道脇の茂みの中で隠れて行為に耽る男女までいると、クラスの連中が話しているのを聞いたことがある。
 紛れ込んでしまえば、どれだけ人がいても、他のカップルに関心を向ける者はいない。

 他に当てはなく、オレは走った。
 春香、ごめん。
 今行くから、必ず行くから。
 だから、間に合ってくれ――。




 公園に着いて、遊歩道の茂みの気配を探った。
 どこだ、春香。
 どこにいる。

 気づかれないように覗いてまわり、人違いを確認しては安堵と落胆を繰り返す。
 ここじゃないのか?

 焦りが強まった時、近くの茂みから声が聞こえた。
 達する快楽に身を委ねる声だ。
 あれは春香だ。
 オレは間に合わなかったのか……。




 声をたどって、二人を見つけた。
 穂高が春香を抱きしめて、座り込んでいた。
 二人とも服が乱れている。
 情事の後をうかがわせながら、穂高はオレを見て嘲笑を浮かべた。
 遅かったなと、言われたような気がした。

「冬樹くん……」

 春香は信じられないものでも見た顔で、オレの名を呟いた。
 さっきまで泣いていた証拠に、目元が赤く腫れていた。
 胸がズキズキ痛む。
 春香が穂高に抱かれたのはオレのせいだ。
 湧いてくる憤りの半分は穂高に、もう半分はオレ自身へと向いていた。

「帰るぞ、春香」

 苛立ちを抑えきれずに、二人に近づいて春香を奪い返した。
 一番の親友が、この瞬間には憎い敵に変わっていた。
 いくら春香のことが好きだからって、こんなやり方は許せない。

「穂高。お前、春香に何をした。店に入ったのもわざとだろう? どんなつもりでこんなマネをしたのか言ってみろ。返答次第じゃいくらお前でも許さない」

 穂高は立ち上がり、乱れた服を整えた。
 慌てた様子もなく、動じてもいない。

「怒るのはお門違いじゃないのか? 元はと言えば雪城が悪い。オレは目の前に転がってきたチャンスを有効に活かしただけだし、春香ちゃんがオレに抱かれることを望んだのは、さっきのお前の態度のせいだ。今夜の件に関しては、お前にオレ達を咎める権利はない」

 オレには反論できなかった。
 確かにオレがはっきりした態度を春香に示していれば、こんなことにはならなかった。
 春香を泣かせることも、穂高につけ入る隙も与えなかった。
 春香を責めるつもりはない。
 今夜のことも、今までのことも、全部オレが悪かったんだ。

「ここで言い争っても、他のカップルの迷惑になるしな、話の続きは明日の昼休みにでもするか。今夜のところはオレが退く、ここまで探して追いかけてきた情熱に免じて、春香ちゃんを送る役は返してやる」

 穂高は春香に笑いかけ、この場を立ち去った。
 二人っきりになったが、どう声をかけていいのかわからず、気まずい沈黙が続いた。
 春香の服は前のボタンが全て外されていて、胸が丸見えになっていた。
 ショーツも脱ぎ捨てられてバッグの上に置いてある。

「春香、服を着直せ」

 ぼうっとしていた春香に、服を着直すように言った。
 彼女が下着を身につけ、服を整えている間、オレは視線を逸らしていた。
 この場所で春香は抱かれた。
 オレ以外の男に。
 やり場のない怒りが湧いてくる。
 冷静になろうと、爪が食い込むほど拳を握り締めた。

「終わったよ」

 その言葉を合図に、オレは春香にキスをした。
 穂高が残した全ての痕を消し去りたかったが、抱かれたばかりの春香に無理はさせられなくて、その分をキスで埋めた。
 オレの感情を支配していたのは醜い嫉妬だ。
 春香が苦しさに涙を浮かべるぐらい、長く執拗に唇を貪った。

「本音を言うと、今ここで抱いてアイツのことを忘れさせたいところだが、これ以上は無理させられないからな。これで我慢してやる」

 優しくしたいのに、口をついて出る言葉には余裕がなかった。
 春香は浮かんだ涙もそのままに、オレと向かい合った。

「冬樹くん、ひどいよ。わたしの気持ちなんてどうでもいいの? もうやだよ、こんなの苦しいよぉ」

 また泣かせてしまった。
 後悔して、しゃくりあげて声を震わせる春香を抱き寄せた。

「春香、さっきはごめんな。今はまだ本当のことは言えないけど、オレが抱くのは後にも先にもお前だけだ。それだけは信じてくれ」

 春香の涙が止まった。
 言わなくちゃ。
 本気なのは春香だけだって。

「好きだから抱いてるんだよ。昔も今も、オレが本気で抱きたいのは春香しかいないんだ」
「でも、だったら、どうして海藤先輩と……」

 春香の問いには答えることができなかった。
 今のオレにできるのは、春香だけが好きだって言うことと、手を握ることぐらいだ。
 家に帰る間も、彼女の手を離さなかった。
 これがオレの気持ち。
 何があっても離さない。
 春香が手を握り返してくれた。
 オレの思い違いでつらい思いをさせたのに、春香は好きでいてくれた。
 これからは今まで以上に大事にする。
 だから信じて。
 オレが愛しているのは、春香だけだよ。

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