束縛
冬樹サイド
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【6】
翌日の昼休み、オレと穂高は屋上にいた。
昨夜の決着をつけようと、朝から息巻いていたオレとは対照的に、登校してきた穂高の態度はいつもと変わらなかった。
普段と同じような気安さでついてくるように誘われて、調子が狂い、黙って話を聞いている。
「昨日、店の前を通りかかったのは偶然だが、入ったのはわざとだよ。ああなることは予想していた。春香ちゃんがオレの誘いに乗ってくれるかどうかは賭けだった。で、結果はオレの負け。途中まではうまくいってたけど、彼女はオレに抱かれることで自覚したんだ。どうやったってお前を忘れることなんてできないってな」
どれほど揺さぶりをかけても、春香の心は手に入らなかったのだと穂高は言った。
悔しがるわけでも悲しむわけでもなく、淡々としゃべり続ける。
オレには穂高の気持ちがわからなかった。
ことは単純なものではないのだと、徐々に気づき始めた。
「結局、中学でも高校でも、オレはお前に一度も勝てなかった。委員長に生徒会長だの色んな役職引き受けて、いくら周りのヤツらに優秀だと認められても、オレはいつも二番目だ。いつでもオレの前にいるお前の存在が、正直言ってうっとうしかった」
突然、穂高はそんなことを言い出した。
勝ち負けなんて、オレは意識したことがなかった。
勝ったといっても成績だけ、それも数点の差で、むしろ周りの評価は穂高の方が上だったはずだ。
うっとうしかったと言われて、嫌な想像をした。
当たって欲しくない、最悪の想像だ。
オレへのあてつけで、春香の気持ちを揺さぶって、好きでもないのに抱いたんだとしたら……。
「それで春香に近づいたのか? オレのものを奪って勝った気になりたかったのか? それがお前の本心なら、オレは絶対に許さない! 二度と春香に近づくな!」
問いただす口調は、最後には怒鳴り声に変わっていた。
出会ってからのこの五年近くの付き合いは上辺だけのものだったのか?
オレが嫌いなら、はっきりそう言えばよかったんだ。
春香を巻き込むなんて許せない。
怒りと失望で、オレの胸の内はぐちゃぐちゃだった。
扉が開かなければ、殴りかかっていたかもしれない。
大きく軋む音が響いて、重い扉が開かれた。
顔を覗かせたのは春香だった。
穂高も春香が来るとは思っていなかったのか、驚いていた。
「穂高先輩、今の話は本当? 冬樹くんに勝ちたいから、わたしに好きだって言ったの?」
春香は今の話を聞いていたんだ。
春香の問いかけに、穂高は後ろのフェンスに背中を預けて、苦笑いを浮かべた。
どこか陰りを帯びたその表情に、オレの怒りはまた矛先を失った。
穂高は再び話し始めた。
春香に恋したきっかけ。
叶わない恋だと、忘れようとして苦しんだこと。
オレが春香を泣かせたから、奪おうと決めたこと。
初めて知らされた事実に衝撃を受けて、何も言うことが出来ないまま、オレは耳を傾けていることしかできなかった。
「お前が彼女を不安にさせている間は、オレも退く気はない。春香ちゃん、覚えておいて、オレは君が好き。君が笑顔を見せてくれるならどんなことでもしてあげる」
どこまでも純粋で濁りのない、穂高の春香への想い。
確かにやり方は卑怯だったかもしれないが、オレに穂高を責める資格はなかった。
オレも春香を取り戻すために、ひどいことをして泣かせてきたからだ。
「話はおしまい、昼休みが終わるから教室に戻れ。オレは鍵を返しに戻らないといけないから、さっさと出てくれ」
穂高は話が終わるなり、オレと春香を屋上から追い出した。
屋上に一人残ったあいつは、何を考えているんだろう。
わかっているのは、もう二度と無茶な奪い方はしないということだ。
穂高は春香の気持ちがどうやっても変わらないことを知った。
そして笑顔を見るためなら、どんなことでもすると言った。
オレがやらなきゃいけないことがはっきりわかった。
春香の笑顔を取り戻すこと。
真実を打ち明けて信頼を取り戻し、安心させることなんだ。
部活が終わるなり、夏子がオレを引っ張って、校舎の影に引きずり込んだ。
そして部活が始まる少し前に起きたことだと話し始めた。
「火野が春香を脅した?」
「ただの幼なじみでも気に入らなかったみたい。彼女が冬樹に付きまとってるって言って、みんなを唆して取り囲んでた。昨日のこともあったし、朝から見張ってて正解だったよ」
あいつ、どこまで干渉する気だ。
オレが誰と親しくしていようが、関係ないじゃないか。
今回は夏子が助けてくれたから良かったけど、オレからもこの際はっきり言うべきだな。
ケンカになっても、女だからって容赦する気もない。
春香を守るためなら、オレは誰を敵にまわしても戦うぞ。
「あー、でもね。もう大丈夫かも」
戦う決意を固めたところに、出鼻をくじくようなことを言われて、転びそうになる。
「穂高くんの名前を出しちゃったんだよね。多分、近寄ってもこないよ。かなり怖がっていたから」
「そうだろうな。じゃあ、これで火野のことは片がついたのか……」
穂高の名前は一部では有名だ。
裏の世界に顔が利く親父さんがいるため、あいつを怒らせると街を歩けなくなると以前から噂が飛び交っていた。
穂高本人は、噂ほど怖いヤツではない。
怒らせると歩く凶器と化すほどの強さだが、滅多なことでキレることもなく、性格も温厚な方だ。
実家もいわゆる本物のヤクザではなく、様々な形で関わりを持っているというだけだ。そのツテを頼ってきた元組員達を、穂高の親父さんが仕事先を世話して家に住まわせているために、いらぬ誤解を生んでいるようだ。
あいつが噂通りのヤツなら、オレは今頃、病院のベッドの上でミイラ男となっていただろう。
穂高に頼めば、この件もあっさり片がつくとわかってはいたが、迷惑をかけると思って相談しなかったのだ。
うう、なんか複雑な心境。
「オレは構わないぞ。春香ちゃんのためなら、幾らでも名前使ってくれていい」
かけられた声に、ぎくりとして振り向く。
下校途中らしき穂高が、ニヤニヤ笑いながらオレ達を見ていた。
「雪城ってたまに妙なところで突っ張るヤツだよな。変な遠慮せずに、最初からオレに頼れば良かったんだ。オレはお前のためでも名前貸してやったよ。大事な人を守りたいなら素直に相談ぐらいしろ、このバカ」
すれ違いざまに、カバンで背中を軽く叩かれた。
そのまま穂高は手を振って、正門の方向へと歩いていく。
あいつは笑っていた。
恋敵だってこと忘れるぐらいに、いつもと変わらない笑顔で声をかけてくれた。
今のも、穂高の本音だ。
ごめん、穂高。
オレはお前のことを理解しているつもりで、していなかった。
友達のためなら体張れるヤツだって知ってたのに。
名前一つで守れるなら、遠慮せずに使えって言うこともわかっていたはずだったんだ。
遠ざかっていく背中を見つめていると、穂高は急に立ち止まって振り返った。
「まだ諦めたわけじゃないからな。昼間も言ったが、隙があれば、いつでも横から掻っ攫うぞ」
なぁにぃい!?
呆然としているオレを残して、穂高はさっさと帰っていった。
しんみりとした感傷は吹き飛んで、対抗意識がメラメラ燃え盛る。
隙なんか見せるもんか。
今日から元のラブラブなオレ達に戻るんだ。
お前の入る余地なんぞないぐらい、愛し合ってやる!
「冬樹」
穂高とのやりとりを見ていた夏子が、真剣な声でオレの名を呼んだ。
「話をするのは急いだ方がいいけど、もう少しだけ待ってくれる? 大地と今後のことを話したいの。そんなに時間はかけない。あなたの問題が解決した以上は、この関係は解消しましょう。わたし達は別の方法を探すから」
夏子は決意を固めた面持ちで、先生と相談すると言った。
別の方法といっても、すぐには思いつかないだろう。
最悪の場合、卒業するまで会えなくなる。
できれば今後も協力してやりたかったけど、火野の件が片付いた今となっては、春香を不安がらせてまで偽の恋人は務められない。
「悪いな、残り一年半もあるのに」
「いいの、今まで十分過ぎるほど助けてもらった。冬樹には感謝してるんだよ。だから自分の幸せを大事にして欲しいんだ」
次の休みに夏子と先生を会わせて、話し合いの結論を待つことになった。
それまでは今のままで、春香にも我慢してもらうしかない。
春香は信じてくれるだろうか。
微かな不安が胸をよぎった。
午後八時。
春香の家のチャイムを、緊張気味に鳴らした。
オレが来るのがわかっているから玄関の鍵は開いている。
一呼吸置いて玄関の扉を開けると、笑顔の春香が飛んで出てきてくれた。
「いらっしゃい、冬樹くん!」
飛びついてきた彼女を受け止めて、抱擁を交わす。
おばさんが固まっていたけど、春香から抱きついてきたので、こちらも下手な遠慮はせずに抱きしめた。
「お出迎えありがとう、今夜もしっかり勉強しような」
これ以上は部屋ですることにして、おばさんの前では、勉強を教えに来た隣の優等生に戻る。
おばさんは苦笑して、春香の行動を諌めた。
「もう、春香ったら、高校生にもなって子供みたいなことして。こんなことじゃ、まだまだ冬樹くんの恋人にはなれないわね」
おばさんは昔から、オレと春香をくっつけたがっていて、ことあるごとにそういった冗談を口にする。
そう、あくまで冗談なのだ。
本気だとしても、親なら学生の間は健全な付き合いを望むはずだ。
オレと春香に体の関係があることがバレたら、出入り禁止にされてしまいかねない。
信頼を裏切っていることに罪悪感を覚えたが、真剣な気持ちで付き合っていることは嘘ではない。
今は言えないけど、その内きちんと挨拶すると心で謝り、春香と一緒に二階に上がった。
部屋に入って、話をした。
春香の話を聞いて、オレの不安な気持ちも打ち明けた。
半年振りに、本音でたくさんの言葉を交わした気がする。
全てを打ち明けることはできなかったけど、春香はオレを信じると言ってくれた。
嬉しくて彼女を押し倒し、焦っていたこともあって、服も半脱ぎのままですぐに繋がった。
瞳を見交わし、体だけではなく心をも繋げる。
春香の唇からこぼれる言葉は、拒絶ではなく、愛を囁く言葉。
もう塞ぐ必要なんてない。
幾らでも、声を聞かせて。
そしてオレも囁く。
恋人は春香だけ。
誰よりも愛していると――。
思いっきり愛し合った後は、学生の本分に戻る。
復習がてらに参考書の問題を解いて、ノートに書き写し、答えあわせをしていく。
味気なかった正解の丸が、輝きを取り戻していた。
頬が自然に緩んだところで、春香が声をかけてきた。
「冬樹くん」
顔を上げると、春香が腕を伸ばしてきた。
オレの指に自分の指を絡めて、にっこりと微笑む。
「大好き」
紡がれる言葉は、全てオレへの好意で溢れている。
嬉しくなって、身を乗り出してキスをした。
春香はオレの恋人。
もう一度、戻ろう。
誰よりも互いを愛し、信じていたあの頃のように。
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