傷心

 2 (side 渡)

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 告白してから初めて会うって日に、疲労と眠気に負けて鳩音ちゃんとの約束を断ってしまった。
 ぐだぐだ言い訳したくなくて、理由を言わなかったけど、きっと怒ってるだろうな。
 本当は会いに来てって言いたかった。
 だけど、オレのために彼女に何かを強いるのは抵抗があった。
 今までの彼女に対してもそうだった。
 オレは人に依存ができない。
 頼られることは平気でも、自分が相手の負担になるのは嫌だ。
 それは恋人を心から信頼できない証拠でもある。
 自分が傷つきたくないから、裏切られた時のショックを軽減できるように、深く信頼することを無意識に避けようとする。
 頭ではわかっている。
 鳩音ちゃんはあいつじゃない。
 信頼できる子のはずだ。
 彼女は裏切らない。
 信じなければ、オレはいつまでもあいつの影を引きずって、本気で人を愛することができないまま生涯を過ごすことになる。




 オレに初めての彼女ができたのは、高校生になってすぐだ。
 あいつの名前は須鴨(すがも)ひばり。
 同じ学校の同級生。
 勝気で活発なクラスの中心的人物で、ショートカットが似合う元気な子だった。
 鳩音ちゃんは、どこかあの頃のあいつに似ている。
 だから、思い出すのかもしれない。
 幸せだった頃のオレとひばり。
 そして、彼女の裏切りを知ったあの時のことを。




 オレとひばりはクラスメイトで、席も近いことからよく会話をしていた。
 告白は向こうからで、友達から始めようと付き合い、すぐに恋人同士になった。
 本気で惚れて、オレにはこの人だけだと思った。
 互いに初恋同士。
 デートもキスも初体験も、全部二人で探りあいながらやった。
 幸せだった。
 オレが彼女を憎めなかったのは、それらの思い出があったからだ。
 オレの記憶に彼女はいつまでも住み着いている。
 まるで忘れることを許さないとでもいうように、記憶に残る最後の彼女の声はオレを苦しめ続けている。

 蜜月が終わったのは、付き合い始めて一年が過ぎた頃のことだ。
 オレの親父に総額五千万もの借金の督促がきた。
 連帯保証人になっていた友人の借金が、借りた当人が夜逃げしたためにまわってきたのだ。
 全額耳を揃えて払えと言われても、一般家庭の蓄えで払いきれるものではない。
 親父は自分名義の資産を売却し、自己破産して借金を片付けた。
 家を売ってしまったので、格安の古いアパートに親子三人で移り住んだ。
 財産はなくなったが、共稼ぎの我が家には、まだ生活できる余裕があった。

 しかし、悪いことは重なるもので、借金問題が片付き、再出発の準備を終えた直後に親父は交通事故に遭い、重傷を負って病院に運び込まれた。
 両手両足を複雑骨折、内臓にまで達する傷もあり、奇跡的に回復したものの、一時は危篤状態にまで陥ったほどだった。

 事故の内容は乗用車同士の接触事故で、過失は双方にあり、互いに賠償金の請求はせずに、示談で済ませることができた。
 だが、この件が転落のきっかけとなったことは間違いない。
 一家の大黒柱だった親父の長期の入院により、収入は激減。
 その上に請求される高額の医療費。
 保険だけでは間に合わず、お袋は借金をして急場を凌いでいた。
 親父が退院して職場復帰ができれば、全て返せる計画で借り入れたのだ。

 ところが、世の中そうはうまくいかない。
 親父の傷は医者の見立て以上に治りが悪く、職場復帰が当分見込めないと判断した会社側にリストラされた。
 入院費も払えなくなり、通院にしてもらって親父は自宅に帰ってきたが、動けないために家にこもりっきりで、塞ぎこんでいた。
 お袋も親父の世話で、満足に働けない。
 毎日のように取立て屋が押しかけてくるようになり、思い余ったお袋はついに闇金にまで手を出してしまった。
 そうしてできた借金は短期間で雪だるま式に膨れ上がっていった。

 オレはバイトを掛け持ちして、生活費を稼いだ。
 通っていた公立高校も、来期の学費が納められないために辞めることにした。
 このことは鷹雄にも話さなかったが、ひばりにだけは話していた。
 彼女はオレに同情し、頑張ってと励ましてくれた。

 学費を納めてある学期いっぱいまでは通うことにして、学校が終わると深夜までバイトをはしごして働いた。
 ひばりと会う時間は学校にいる間だけになったせいで、すれ違いが多くなり、別れを切り出された時も仕方ないと諦めた。

「渡が大変な時に、こんなこと言っちゃいけないことはわかってる。でも、離れている時間が多すぎて、寂しくてつい」

 ひばりは寂しさを埋めるために浮気をして、相手に本気になってしまったと謝った。
 オレにも原因があるため、深く追求する気も起きなかった。
 悲しかったけど、心が離れてしまっては追いすがっても仕方がない。
 それにオレではひばりを幸せにできないから、これでいいんだと納得もした。

「ごめんね、渡。裏切って、ごめんなさい」

 後ろめたさからか、ひばりはオレと目を合わそうとしない。
 顔を覆って泣きじゃくりながら、ひたすら謝罪の言葉を口にしている。
 そんな姿を見たくなくて、胸に彼女を抱きしめた。
 この温もりを感じることも、これで最後なんだと自分に言い聞かせて、失恋の痛みに耐えた。

「オレの方こそ、寂しい思いをさせて悪かった。別れたくないけど、ひばりがそいつといて幸せになれるなら諦めるよ。オレはもうすぐ学校辞めるし、会えなくなるけど元気でな」

 ひばりは顔を上げて、オレを見つめた。
 涙に濡れた彼女の頬に触れて、泣きたくなるのを堪えながら微笑んだ。

「オレは大丈夫だから、泣かないでくれ。愛しているよ、ひばり」

 別れに最後のキスをした。
 愛しいって気持ちを込めて、彼女の幸せを願って。




 学校を辞めて数ヶ月が過ぎた。
 高校中退では、正社員での働き口なんてない。
 とにかく割のいいバイトを探しては、一心不乱に働き続けた。
 休日はあってないようなもの。
 生活費も極限まで切り詰めたが、それでも借金は減らない。
 親父もお袋も思いつめた顔をするようになり、オレも生きることに絶望しかけ、その度にひばりのことを思い出して、沈んでいく気持ちを奮い立たせた。
 頑張れば、いつか何とかなる。
 最後の最後まで人生を諦めたくない。
 ひばりと過ごした幸せな日々を支えに、一日一日を懸命に生き延びた。

 そんなある日、オレのバイト先に鷹雄がやってきた。
 バイト先の建設現場は、鷲見の傘下企業が請け負っていた仕事で、現場の主任が血相を変えてオレを呼びにきた。
 鷹雄は来るなりオレを出せと命じたらしく、来訪の理由がわからない現場は混乱し、鷲見社長秘蔵の御曹司がクレームをつけにきたと、誤情報まで飛び交い、重役に社長まで飛んで来ていた。
 オレは鷹雄の前に引きずり出されるまで、御曹司にどんな無礼を働いたのだと、ほとんど罪人扱いされた。

 事務所代わりに使われているプレハブ小屋で、鷹雄と数ヶ月ぶりに再会した。
 ヤツはふんぞり返ってパイプ椅子に腰かけ、腕組みをしてオレを睨んでいる。
 やばい、これは相当怒ってる。

「んと、久しぶり」

 仏頂面の鷹雄に気まずくなって、ごまかし笑いと共に片手を上げる。
 オレのリアクションが気に入らなかったのか、鷹雄は口を開くなり怒鳴りつけてきた。

「このバカ野郎! 久しぶりじゃねぇだろうが! 学校辞める前に、どうしてオレに連絡してこなかった! シカトぶっこいてんじゃねぇぞ、コラぁ!」

 鷲見の跡取りで、品行方正な優等生のはずの御曹司が柄悪く豹変して怒鳴り散らしたものだから、大人たちは固まっている。
 オレは鷹雄を落ち着かせるために、慌てて理由を口にした。

「ごめん、連絡しなかったのは悪かった。でもさ、言えないだろ。親父が破産した上に、事故で入院してリストラされて、借金取りに追われてるなんてさ」

 鷹雄は大きく息を吐き出すと、「来い」とオレの腕を掴んだ。

「おい、オレまだバイトがあるんだよ!」
「ここでのバイトは終わりだ。他のバイト先にも話はつけてある。オレに任せろ、今よりもっと割のいいバイト紹介してやる」

 言っても聞かないヤツだとは思っていたが、ここまで強引だったとは。
 だが、オレは拒まなかった。
 鷹雄のことを信用していたからだ。




 鷹雄は近くのファミレスに足を向けた。
 注文を受けに来た店員にオレが何もいらないと告げると、鷹雄がメニューを押し付けてきて、奢りだから好きなだけ食え、食わないと嫌いな料理を注文して無理やり口に押し込むぞと脅してきた。
 こいつなりに、オレを心配してくれてるんだ。
 好意は素直に受けることにして、腹が膨れそうなものを見繕って頼む。

 運ばれてきた料理がテーブル一杯に並べられた。
 ステーキにエビフライ、刺身にオムレツ、大皿一杯に盛られたサラダ。白いご飯も大盛りで、具沢山の味噌汁もついている。
 おいしそうな匂いと盛り付けに空腹感を呼び起こされ、会話をすることも忘れて料理に食いついた。
 久しぶりに肉を食べた。
 人の情けが身に染みる。

 食器が下げられ、食後のコーヒーが運ばれてくると、ようやく本題に入った。
 鷹雄が紹介してくれるバイトの話だ。

「鷹雄のことは信用してるし、割のいいバイトなら願ったり叶ったりだけど、今のバイト先を辞めさせる前に、仕事内容ぐらいは説明してくれても良かったんじゃないか?」
「必要はない。どの道、お前にはこのバイトを選ぶしか道はない」

 オレ様男め。
 苦笑いを浮かべて、鷹雄が差し出してきた書類に目を通した。
 契約書類のようだが、なぜか鷹雄の学校関係の書類も紛れ込んでいた。

「おい、鷹雄。お前の書類まで混ざってるぞ」
「いや、間違ってない。お前にはオレと同じ学校に入ってもらう。そのための編入試験は一ヵ月後だ。それまで家庭教師が付きっ切りで合格ラインまで指導する。死ぬ気で頑張れ」

 オレは目を丸くして鷹雄を見つめた。
 鷹雄が通う学校は私立だ。授業料も公立より高いはずだ。
 学費が払えなくて辞めたのに、試験に受かったって通えるはずがないんだ。

 鷹雄はこんな状況でオレをからかうようなヤツじゃない。
 だが、こいつの意図が今回ばかりはさっぱりわからない。

「バイトの内容はオレの護衛だ。だから、同じ学校、同じクラスになる必要がある。学費は必要経費で落ちるから心配するな。大人の護衛じゃ校内まで入れないからな、生徒として側にいてくれるヤツが欲しかったんだ」

 鷹雄がバイトの報酬として提示した金額は、現在のオレの収入と比べても数倍はあった。
 いや、並みのサラリーマンより稼げるんじゃないか?
 少なくとも今以上の状況の悪化は防げる。
 鷹雄の話はまだ続き、用意してきてくれたのがバイトの紹介だけではないことに驚きの連続だった。

「お前の親の借金は、オレの義父が債権を全て回収した。無利息で新たに借用書を作るからその手続きをしてもらう。その辺のことは鷲見の顧問弁護士を勤めている男に任せてある、闇金の件もうまく片付けてくれた。いい医者も紹介するから、親父さんを診てもらえ。医療費はこっちで先払いしておく。もちろん、ただで肩代わりしてやる気はない。お前のバイト代から毎月決まった額だけ返してもらう」

 書類の中には返済計画まできっちり計算されて記されていた。
 人生に希望が見えてきた。
 今この時ほど、こいつが親友で良かったと思ったことはない。

「ありがとう、鷹雄。何年かかっても金は返す。どんな仕事を与えられても投げずに頑張る」
「当たり前だ。体を張ってオレを守れ。こっちも遠慮なく弾除けに使う。そのために高い金を払うんだからな」

 鷹雄はニヤリと笑ってコーヒーに口をつけた。
 素直じゃないヤツ。
 でも、お前の気持ちは痛いほど嬉しい。
 護衛なんていっても、特別な訓練を受けていないオレが役立たずなことは一目瞭然。それこそ弾除けにしかならないだろう。
 鷹雄はオレを救おうと、義理の父親に無理を承知でかけあってくれたんだ。

 目に涙が滲んできたけど、それとなく拭って笑顔を作る。
 その時、若い女の大声が店内に響いた。

「ひばり、遅いー! こっち、こっち!」
「ごめん、ごめん。メールしてたら時間かかっちゃって」

 オレの背後に当たる方角から、女が呼びかけた名に反応する。
 それに応える彼女の声は、紛れもなくあのひばりだった。
 元気そうで良かった。
 ここで会えたのも何かの縁だし、声をかけて近況を話そう。
 オレの状況が好転しそうなことを話せば、ひばりも喜んで安心してくれるはずだ。

 席を立とうとしたオレは、彼女達が始めた会話を聞いて動けなくなった。

「ひばりってさぁ。すごいイケメンの彼氏と付き合ってたよねぇ? あれからどうなったの?」
「あたし、知ってるよ。鳶坂くんのことでしょ? 彼って、親が事故を起こして大変になったんだよね。学費も払えなくて学校も辞めちゃったしさぁ」

 ひばりの友達がオレのことを持ち出したのだ。
 何となく声をかけづらくなって、聞き耳を立てていた。

「渡とは、とっくの昔に別れたよ。付き合ってても得なことないしね。渡がバイトで忙しくなって都合よく会う機会が減ったから、寂しくて他の人に慰められているうちに本気になったって嘘ついたの。そうしたら、わたしが幸せならいいって、あっさり別れてくれた。しつこい男じゃなくて助かったよ。あれっきり連絡も取ってない。よりを戻したいとか面倒なこと言われたら嫌だし」

 確かにひばりの声なのに、それはまるで別人みたいに冷たく聞こえた。

「うわー。ひばり、あんた鬼だね。鳶坂くん、かわいそうじゃん。付き合ってる時はラブラブだったくせにさ」
「渡は連れて歩くには自慢できたけど、ああなっちゃうと将来性もないし、容姿を武器にして稼ぐってタイプでもないからね。早めに切って良かったよ。お金の切れ目が縁の切れ目って言うでしょ。わたしは現実主義者なの」

 ひばりは笑っていた。
 オレとの別れの時に見せたあの態度も言葉も、何もかも嘘だったんだ。
 膝の上で拳を強く握った。
 目の前にいる鷹雄の表情が険しくなる。
 ひばりに気づいたんだ。

「今付き合っている彼氏はすっごいお金持ちなんだ。夏休みに一緒に海に行ってクルーザーに乗せてもらった。別荘も持ってるんだよ。もちろん、全額向こう持ち。顔はまあまあだけど、贅沢させてくれるから我慢もしがいがあるってものよ」

 呆然とひばりの笑い声を聞いていると、鷹雄が席を立った。
 オレの横を通り、まっすぐひばりのいるテーブルを目指している。
 慌てて立ち上がると、すでに鷹雄はひばりの目の前に立っていた。

「何様のつもりだ、てめぇ」

 明らかな殺気に満ちた気配と、脅しのきいた低い声に、不良に免疫のない女子高生達は口をつぐんで怯えていた。
 その中で、ひばりだけは鷹雄を睨みつけて言い返してきた。

「な、何よ、あんた! いきなり、なんなわけ!?」

 ひばりは鷹雄を覚えていないようだ。
 柄の悪い男に因縁をつけられているぐらいにしか思っていないのかもしれない。

「人の親友をバカにしといて、その言い草か。オレの顔を忘れたのか、お前の元カレが紹介してくれただろ?」
「え……、あ……? あんた、確か……」

 ひばりは顔を引きつらせたが、すぐに不敵な笑みを口元に浮かべた。

「だから、何? バカにされる方が悪いのよ。あんな顔だけ男に、このわたしが一年も付き合ってあげたんだから、逆に感謝して欲しいぐらいね。あんた、結構なお金持ちだったよね。お金出してくれるんなら、付き合ってあげてもいいわよ。親友が抱いた女を抱くのって面白そうだと思わない?」

 耳が捉えた言葉が信じられなくて、立ち尽くした。
 こいつは本当にひばりなのか?
 オレが好きになった彼女は幻だったとでもいうのか?

「ふざけんな!」

 鷹雄がテーブルに拳を叩きつけた。
 ひばりの友達の甲高い悲鳴が上がる。
 オレは鷹雄に歩み寄って、肩を掴んだ。
 ひばりがオレに気づいて、驚きで口を開けたのが見えたが、目を逸らした。

「行こうぜ、鷹雄。お前が怒る必要はない。そいつとは終わってる。もう関係ないんだ」

 ひばりの方は見もせずに、鷹雄を促して先に店を出た。

 店から遠ざかっていくほどに、悔しさが込み上げてくる。
 ひばりの本性を見抜けなかった自分が情けなくて、騙されているとも知らずに本気の恋だなんて一人で浮かれていたことが惨め過ぎて。
 全身が震えて、涙が出てきた。

 みっともなく涙が頬を伝って流れ出す。
 オレが支えにして大事にしてきた思い出は、独りよがりの意味の無いものだった。
 今までどんなにつらくても苦しくても、泣くことはなかったのに、ひばりの裏切りが心を切り刻んだ。

「こんな道のど真ん中で泣いてんじゃねぇよ」

 後ろから、鷹雄が走って追いついてきた。
 鷹雄は後ろからオレの首に腕をまわすと、引きずるように歩き始めた。

「あんなくだらねぇ女のことなんざ、さっさと忘れちまえ。お前は金を稼ぐことだけ考えてりゃいいんだよ。思い出してる暇もねぇぐらいコキ使ってやる」

 きっとオレ一人だったら、立ち直れなかっただろう。
 鷹雄がいてくれたから、オレは人に絶望することなく、新たな生活を始められた。

 高校は鷹雄と一緒に卒業して、オレは大学には行かずに就職した。
 鷲見社長の護衛チームの一員となり、要人警護の訓練を受けて、ボディガードの技術と知識を得たのだ。
 ケガが完治した親父も、社長の口利きで職を得て働き始めた。
 一家三人で懸命に働いたおかげで、借金は返済計画よりも数年早く完済することができた。
 親父とお袋は、借金を払い終えると郊外に小さな家を一軒買い、慎ましく静かに暮らしている。
 
 オレは鷹雄に大きな借りがある。
 鷹雄とあいつの大事な人を守ることは、使命みたいなものだと思っている。
 恋人が欲しくないとは言わないけど、別に出会えなくてもいい。
 オレには他に目を向けるものがある。
 去っていく恋人を追わないのは、オレが本気で恋をしていなかった証拠なのかもしれない。

 鳩音ちゃんと元カレとの話を聞いて、オレはあの時の自分を思い出した。
 彼女は違うと思いたかった。
 だから、ムキになってあの男の言葉を否定した。
 オレは探し続けている。
 あいつとは違う、真実オレを愛してくれる人を。




 ドアが開く気配がした。
 商売柄、人の気配には敏感だ。
 瞼を少し上げると、ドアの隙間から、こそこそと隠れるようにこっちを見ている目と合った。

「鳩音ちゃん?」

 声をかけたら、彼女はびくんと飛び上がった。

「か、勝手に入ってごめんなさい! すぐ帰ります!」

 彼女の背中を見た瞬間、オレはベッドから飛び出して、背後から捕まえた。

「わ、渡さんっ!?」
「だめ、帰さない」

 オレを一人にしないで。
 あいつのことを忘れるぐらい、君に夢中にさせて欲しい。

「離してくださ……っん……」

 口をキスで塞いで、体をこちらに向かせる。
 腰に腕をまわして引き寄せ、口付けを深くしていく。

「や……、渡さん……、やだ、怖い……」

 小さな懇願の声に、ふっと我に返る。
 鳩音ちゃんは震えていた。
 膝ががくがく揺れて、立っていられないほどだ。
 彼女にしてみれば、寝ていたオレがいきなり起き上がって襲ってきたんだもんな。
 そりゃ怖いはずだ。

「怖がらせて、ごめん。嫌な夢みたんだ。鳩音ちゃんが帰ろうとするから、引き止めたくて強引なことした。寝ぼけてたって言い訳はしたくない。せっかく来てくれたのに、申し訳ない。もう帰っていいよ、わざわざありがとう」

 腕を離して、ベッドに戻る。
 数歩動いたところで、今度はオレが背後から抱きつかれた。

「び、びっくりしたけど、もう大丈夫です! 迷惑じゃないなら、もう少しここにいさせてください。さ、さっきの続きも渡さんがしたいなら、わたしは構いません!」

 ぎゅうっと背中に押し付けられる鳩音ちゃんの温もり。
 まだ震えてる。
 もしかすると鳩音ちゃんは、見かけの印象ほど男に慣れていないんだろうか。

「迷惑じゃない、来てくれて嬉しい。本音を言うと来て欲しかったけど、無理させたくなくて言わなかっただけなんだ」

 下手に動くと緊張させると思い、そのまま話す。

「オレ、昼まで寝るからさ。頼めるなら、その間にご飯作って欲しい。午後になったら、どこかに出かけよう」
「ご飯ぐらい幾らでも作ります。出かけなくてもいいです。大学の課題もたくさん持ってきたから退屈はしません。よ、良かったら、掃除とか洗濯もしときます! 渡さんはゆっくり休んでください!」

 鳩音ちゃんはオレから離れると、赤くなった顔を隠すように俯いて、部屋を飛び出して行った。
 かわいい反応だ。
 ああいう初々しい彼女って、あいつ以来だな。
 ……まただ。
 忘れていたつもりだったのに、思い出している。
 鳩音ちゃんはひばりじゃない。
 二度と会うこともない女の影に惑わされて、今傍にいてくれる彼女を見失っちゃいけない。




 目を覚まして、時計を見ると昼前だった。
 部屋の外から、炒め物のおいしそうな匂いがしてくる。
 ご飯作ってくれてるんだ。
 こういうの、何かいい。

 まったりと穏やかな気分で寝床の中で過ごしていると、スリッパの音が近づいてきた。

「渡さん、起きてます?」

 鳩音ちゃんはブルーのシンプルなエプロンを身につけていた。
 持参してきたんだろう。
 彼女のエプロン姿に、久しく忘れていた欲望が芽吹いた。

 ちょっぴり悪戯心が湧き、寝たふりをしてみる。
 鳩音ちゃんが部屋に入ってきた。
 ベッドの前まで来て、声をかけようか思案している。

「渡さん」

 遠慮がちの小さな声。
 オレはそっと目を開けて、彼女の腕を掴んだ。

「きゃっ!」

 寝ているはずのオレに腕を掴まれて、鳩音ちゃんが驚きの声を上げた。

「起こすなら、キスで起こして欲しいなぁ。オレの夢なんだよ」
「も、もう! 目が覚めてるんなら、早く起きてください! おかず、冷めちゃいますよ!」

 真っ赤になった鳩音ちゃんは、照れ隠しに怒鳴って離れようとした。
 オレが腕を掴んでいるから、離れられないんだけどね。

「鳩音ちゃん、オレとキスするの嫌?」

 拗ねたフリをして見上げると、鳩音ちゃんは困っていた。

「い、嫌じゃないですけど……」
「じゃあ、して」

 目を閉じて待っていると、唇に柔らかいものが触れた。
 鳩音ちゃんの気配がこれ以上ないぐらい近くにある。
 腕を彼女の腰にまわして引き寄せ、ベッドの上に押し倒した。

「わ、渡さん……」

 鳩音ちゃんの目が潤んでいる。
 このかわいい反応も、無意識なんだろうな。

「ご飯の前に君が欲しい。嫌なら嫌って言って」

 嫌だなんて、言わせる気はないけどね。
 再び唇を重ねて、舌を滑りこませた。

「…んっ……んっ……ぅう……」

 何度も離しては、別の角度から攻めていく。
 鳩音ちゃんはオレのパジャマをしっかりと掴んでしがみつき、懸命にキスに応えていた。
 体の強張りも解れてきたかな。
 それじゃあ、次の段階に進みますか。

「服、脱ごうか? シワになると困るからね」

 耳元で囁くと、鳩音ちゃんはこくんと頷いた。
 エプロンを取って、服のボタンを外しても抵抗はない。

「安心してオレに任せて、気持ち良くしてあげる」

 オレの欲求を満たすことは後回し。
 今は彼女の全てが見たい。
 君の体はオレに触れられて、どんな風に応えてくれるかな。
 露わになった首筋に口付けを落としながら、オレは彼女を鳴かせる方法を考えて微笑んだ。

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