欲張りな彼女
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校舎を出て、門まで走り出たところで、誰かとぶつかった。
「うおっ! 危ねぇ!」
驚きの声を上げたのは秀ちゃんだった。
「いきなり飛び出してくんなよ! 痛ぇだろうがっ!」
文句を言いかけた秀ちゃんは、あたしだとわかると口を閉じた。
そしてぎょっとしたように目を見開いて、顔を覗き込んできた。
「知恵、どうした? 何で泣いてる?」
秀ちゃんに指摘されて、あたしは涙で頬を濡らしていることに初めて気がついた。
さっきの優ちゃんとあの子のことを思い出して、また泣けてきた。
「優ちゃん、彼女できたの……」
あたしの答えに、秀ちゃんはさらに驚きを強くした。
肩を掴まれて揺すぶられた。
「何言ってんだよ! 優の彼女はお前だろ? 浮気されたのかっ!?」
あたしは首を振って、否定した。
「違うよ。あたしと優ちゃんは付き合ってない、浮気じゃないよ。今日、優ちゃんと一緒に帰ろうって図書室で待ち合わせてたから、行ってきたの。そうしたら、優ちゃんが女の子に答えてたの「ボクも好き」って」
口にするたびに、涙が溢れてくる。
「あたし、どうしよ……。一人になっちゃう、優ちゃんと一緒にいられなくなる……」
肩を掴んでいた秀ちゃんの手が背中にまわった。
ぎゅうって、抱きしめられていた。
秀ちゃんの匂い、ちょっと汗臭いけど大好きな匂いだ。
「あのな、知恵……」
秀ちゃんが何か言いかけた。
言い終わる前に、あたしは秀ちゃんから引き離されて、突き飛ばされていた。
「何やってるのよ、あんた達!」
敵意に満ちた甲高い声は、今朝会った秀ちゃんの彼女だった。
「秀の彼女はあたしなの! どうせ、優くんにフラレて泣きついてきたんでしょ。わざとらしい涙で同情引いて、人の男にちょっかい出すな!」
がなり立てる彼女の声が嫌なほど大きく聞こえた。
秀ちゃんにも彼女がいたんだ。
伸ばした手を握り返してくれた二人は、今は別の人の手を取る。
左右の翼をむしりとられた鳥みたいな絶望が襲ってきた。
「ご、ごめんなさいっ!」
謝罪は彼女に向けたものなのか、秀ちゃんに向けたものなのかは自分でもわからない。
あたしは立ち上がると、走って学校を出た。
「知恵、待て!」
「ほっときなさいよ、あんな子!」
「うっせぇ! お前との付き合いはもう終わりだ、離せ!」
「何よ、この浮気者! アンタなんか最低よ!」
秀ちゃんと彼女が大声で怒鳴りあっていた。
だけど、無我夢中で走るあたしには、彼らが何を言っているのかは聞こえなかった。
家に帰る気になれず、フラフラ街を歩いていた。
日が暮れて空は暗くなり、街灯やビルの明かりが街を照らす。
ふと目に付いた時計は午後の七時を表示していて、帰らなければとぼんやり思った。
「お嬢ちゃん、一人かなぁ? ちょっとついて来てくれない?」
ぼうっとしていたら、横から腕を引っ張られた。
抗う暇もなく路地に連れ込まれる。
そこには柄の悪い男の人が六人ぐらいいて、あたしの体を壁に押しつけて、逃げ道を封じて取り囲んだ。
彼らはあたしの通学カバンからサイフを取り出してお札を抜き取った。
「ちっ、二千円しかねぇ。シケてるなぁ」
一人が薄いサイフを振って、忌々しそうに呟く。
「も、もういいでしょう? 離してください」
震えながら声を出すと、彼らは下品な笑い声を立てた。
「金がねぇなら作らせるまでだ。そこらで客取れよ。制服の女子高生なら、十万吹っかけても出すヤツは出すだろ」
「待てよ。その前にどんな具合か確かめないと、セールスのしようがねぇよな」
視線があたしの胸に集まる。
ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。
「まずはこのでけぇ乳が偽物じゃないか ひん剥いて確かめようぜ」
「制服は破くなよ。価値が下がっちまう」
じりじりと男達が包囲を狭めてくる。
「やだ、こないで……」
怖さと嫌悪で気を失いそうになったその時だった。
「それ以上、そいつに近寄るな!」
秀ちゃんの声が路地いっぱいに響いた。
走ってきたのか、秀ちゃんの呼吸が荒い。
彼はその勢いで、手前にいた男に殴りかかった。
「ぐえっ!」
「げほっ!」
男達の苦痛に呻く声が聞こえて、二人ほど倒れた。
恐怖を覚えるほどの冷たい瞳で、秀ちゃんは彼らを睨みつけた。
「舐めたマネしてんじゃねぇぞ、このガキがぁ!」
男達のリーダーらしき男が怒鳴った。
だけど、秀ちゃんは怯まない。
腕をまわして肩を解しながら、一歩一歩こっちに近づいてくる。
「舐めたマネしてるのはどっちだよ。いい年して弱い者から暴力で搾取することしかできないとは情けないね」
秀ちゃんに良く似た別の声が、あたしの背後から聞こえた。
他の人には聞き分けられなくても、あたしにはわかる。
振り向くと路地の奥から優ちゃんが現れた。
彼も乱れた呼吸を整えている。いつも固く結ばれているネクタイは緩んでいるし、顔には殴られたような痣がついていた。
よく見れば、秀ちゃんの頬にも同じような痣があった。
「知恵はボクの後ろにいて。ボクと秀なら大丈夫だから、心配せずにおとなしくしててね」
優ちゃんが自信たっぷりに微笑んだ。
嘘みたい。
二人が来てくれて、あたしを守ってくれてる。
嬉しくて涙が滲んできた。
だけど二人はその涙を勘違いしてしまった。
秀ちゃんも飛んできて、二人はあたしに詰め寄った。
「知恵、あいつらに何かされたの?」
「泣くほど嫌なことされたんだな? もしかして体を触られたりしたのか!?」
温厚な優ちゃんの目は据わっていて、秀ちゃんは怒りで顔を真っ赤にしていた。
「え? あの、それはまだ……」
されそうになってたけど、脅されただけで、殴られてもいない。
二人が間に合ってくれたから、そっち方面でのダメージは少ない。
そこへ蚊帳の外に置かれて激怒した男が口を挟んだ。
「そ、そうだぞ! これからするところだったんだ! お前らが邪魔さえしなければ、そいつをひん剥いて順番に……」
二人を中心に殺気が広がった。
男達を振り返った優ちゃんと秀ちゃんから、怖いぐらい鋭利な気配が感じられた。
「ああぁ? 順番になんだってぇ?」
秀ちゃんの怒声に、びくんっと男達の肩が跳ねた。
「何をする気だったのかは今ので察しがついた。そうとわかった以上は穏便に済ませる気はなくなったよ」
優ちゃんは穏やかに言ったけど、しっかり拳を構えている。
二人は小さい頃から独自のやり方で体を鍛えていた。
反射神経も動体視力もいいから、スポーツも万能、もちろんケンカだって強い。
狭い路地に殴打の音と悲鳴が響く。
ものの数分で男達は折り重なって倒れていて、あたしのカバンと奪われた二千円が手元に戻って来た。
優ちゃんと秀ちゃんは無傷で、平然とした顔で服を整え、手を払っていた。
「さあ、帰ろう」
「うん……。でも、いいの?」
優ちゃんに背中を押されて、ちらっと倒れている男達を振り返る。
「加減はした。死にはしねぇよ」
秀ちゃんはこういうのに馴れているみたいだ。
二人に従って、人に見られないように路地から抜け出した。
公園に寄って、ベンチに座った。
園内の自販機で優ちゃんがジュースを買ってくれた。
甘いオレンジジュースが乾いた喉を潤していく。
「知恵、勘違いしてただろ。優は告白なんかされてねぇよ。後は直接聞け」
右隣に座った秀ちゃんが不機嫌そうに言って、そっぽを向いた。
あたしが左にいる優ちゃんの方を向くと、彼は苦笑を浮かべた。
「図書室にいた彼女はすごい読書家でね、本についての批評や感想を人と語り合うのも好きで、そういった活動をする同好会を作りたいから入ってくれって勧誘されてたんだ。だから、ボクも好きだからいいよって答えたんだ」
好きは、あの子に対してじゃなくて、読書のことだったんだ。
優ちゃんの彼女じゃなかった。
あたしはまだ隣にいてもいいんだ。
「知恵はボクに彼女ができたって言って泣いたんだろう? それってボクのことを好きでいてくれてるって自惚れてもいいのかな?」
あたしは頷いた。
優ちゃんは嬉しそうに笑って額に口づけてくれた。
「人騒がせなヤツらだな。もう、オレの手を煩わせるなよ」
秀ちゃんが立ち上がって離れて行く。
あたしは追いかけようと腰を浮かしたけど、先に優ちゃんが声を発した。
「待てよ、秀。まだ話は終わってない」
秀ちゃんが立ち止まって振り返った。
眉間に皺を寄せて、優ちゃんを睨みつけている。
「今ここで知恵の気持ちを聞かないと後悔するぞ。ボクはそれでもいいけど、知恵を幸せにするためには、ここではっきりさせるべきだと気がついた」
動じず語りかける優ちゃんに何かを感じたのか、秀ちゃんは戻って来た。
あたし達の前に立って、上から見下ろしてくる。
「知恵の気持ちなんてはっきりしてるだろ。優のことが好きだから泣いたんだろ? オレはとんだピエロだよ、お前らが両思いになるために女と別れてまで走り回ったんだからな」
秀ちゃんはイライラをぶつけるみたいに、足を踏み鳴らした。
優ちゃんはあたしへと視線を向けて、秀ちゃんに語りかけた。
「知恵は離れてからも秀を見ていた。それは傍にいたボクが一番よくわかってる。秀が離れていって二人になっても、ボクらが幼なじみの関係から一歩も進めなかったのは、知恵の心にずっと秀の存在が残っていたからだ」
秀ちゃんが目を瞬かせてあたしを見た。
二人の視線を浴びて、居心地が悪くなって俯いた。
「知恵もわかってるんだろ? 誰のことが好きなのか、誰とずっと一緒にいたいのか。正直に言って。どんな答えでも、ボクは受け入れるって約束する」
優ちゃんに問われて、顔を上げた。
優ちゃんは穏やかに口元を緩めて、そのすぐ横にできた痣を指差した。
「これ、秀にやられたんだ。知恵を泣かしたって、いきなり殴られてさ。言いがかりだったから、きっちりお返しはさせてもらったけどね。それだけ秀は知恵のことが大事なんだよ」
嫌われてると思っていたけど、違っていた。
秀ちゃんはあたしのことを好きでいてくれた。
あたしが優ちゃんと恋人同士になったと思い込んで、離れていっただけだったんだ。
秀ちゃんを見ると、じっとあたしに注目している。
正直に言ってもいいの?
こんな優柔不断で最悪の答えを。
「あたし、欲張りなの。優ちゃんも秀ちゃんも好き。三人でずっと一緒にいたい。どっちかが欠けるのも、二人と別れるのも嫌」
優ちゃんは微笑んで、秀ちゃんはあ然としていたけど、すぐに笑い出した。
「それならそうと早く言えよ。知恵はオレより優のことが好きだって思ってたから、毎日つらかったんだぜ。寄ってくる女と手当たり次第付き合ってみたけど、すぐに本気じゃないって見抜かれてフラれてたんだ。やっぱりオレは知恵が好きだ。お前以上に本気になれる相手には、この先も出会える気がしねぇ」
あたしは恐る恐る、二人の顔を交互に見比べた。
二人とも笑顔であたしを見つめてる。
受け入れてくれたの?
あたしのとんでもない望みを聞いて、それでもいいって言ってくれてるの?
「おいで、知恵。一緒に帰ろう」
差し出された二人の手。
左右に握って、あたしは真ん中。
「知恵が欲張りで助かった。だけど、これ以上はダメだぞ。男はオレ達だけで満足しろよ」
秀ちゃんが笑いながら言う。
「あたし浮気性じゃないよ。優ちゃんと秀ちゃんが好きなだけだよ!」
二人が双子じゃなかったら、もしかすると差は出ていたのかもしれない。
でも、あたしの中で、二人は同じだけ愛しい存在になっていた。
どっちかなんて選ぶことができない。
受け入れてもらえて夢みたいだった。
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