束縛
冬樹サイド・2
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新学期が始まり、オレは二年生になった。
入学式が済んでも、春香には夏子と偽の恋人を演じていることを打ち明けていなかった。
この時のオレは、校内で話題になるほど、他人が自分に関心を向けているとは思いもせず、学年も違うことから、すぐに知られることはないだろうと、のんびり構えて後回しにしていた。
クラス替えなどの新学期特有の目新しい雰囲気が薄れてきた頃、その日は前触れなくやってきた。
平日の日課になっている隣家への訪問。
おばさんはニコニコ愛想よく、オレを迎えてくれた。
だけど、なぜか春香は出てこなかった。
いつもなら、飛んで出てきてくれるのに。
「あの子ったら、聞こえなかったのかしら。冬樹くん、構わずに上がっていって。寝てたら、たたき起こして勉強させてね。志望校に入学できたからって、浮かれてたるんでるのよ」
おばさんの言いように苦笑して、二階に上がる。
入る前に一応部屋のドアをノックしてみた。
「春香、入るぞ」
答えが聞こえない。
寝てるのかな?
ドアを開けると、春香は起きていてベッドに座っていた。
枕を抱きしめて、難しい顔をしている。
えらく機嫌が悪いな。
何かあったのか?
勉強用に出してあるテーブルの上に、持ってきたカバンを置いた。
カバンの中には勉強道具が詰め込んである。
これは後で使うけど、今は春香の機嫌を直すのが先だな。
春香の隣に腰を下ろすと、体が少し離された。
怪訝に思って座り直して近寄り、腰に手を回そうとしたら、パシッと軽く手の甲を叩かれた。
嫌がってる?
あの日はこの間、終わったばかりだし、拒まれる覚えはないんだけどな。
それにしたって、こんなに邪険にされたことは今までなかった。
「春香、具合でも悪いのか?」
熱を見ようと額に手を伸ばす。
その手も叩かれて、振り払われた。
「触らないで!」
ひりひりと衝撃が伝う手を擦るオレを見もせずに、春香はテーブルの前に座って、教科書やノートを広げ始めた。
「今日は勉強だけするの。明日からは、来なくていいからね」
冷たい春香の態度が理解できない。
それより来なくていいって、それじゃあ、触れ合うどころか、会う機会すらなくなる。
彼女の肩を掴んで、こっちを向かせた。
「来なくていいってどういうことだ!? 一緒にいる時間がなくなるじゃないか!」
わけがわからなくて問い詰めていた。
だけど、春香は無表情でオレを見つめた。
好意の欠片すら存在しない瞳。
こんな目をした彼女を見たのは初めてだった。
「いいじゃない、それで。明日から、ただのお隣さんになるだけよ」
それは付き合うのをやめるってことか?
触られるのも嫌だってことなのか?
「オレに抱かれるのが嫌になったのか?」
「そうだよ。したいなら、よその女でも抱いてくれば?」
つんと顔を逸らして、春香は言い捨てた。
軽蔑しきった声と態度は、まるで浮気をした男を責めているみたいだった。
「よその女? 誰のことだよ?」
何か誤解されているのだと思った。
もしかしたら、夏子とのことが春香の耳にも入ったのかもしれない。
予想通りに春香の口からは夏子の名前が出てきた。
「海藤先輩。今日、中庭で一緒にお弁当食べてたでしょう」
「ああ、夏子か。あいつはそんなんじゃない。やりたいからって、抱ける女じゃない」
オレは説明しようとしたんだ。
夏子は大事な友達で、そういう対象じゃないって。
でも、話せることには限りがあったから、とにかく体の関係はないとだけ伝えることにした。
「あいつは大事なヤツだから、遊びで付き合う気はない」
本気なのは春香だけだ。
そう言ったつもりだった。
説明下手なオレは、その一言が抜けていたために、大きなすれ違いが起こっていたことに気づくことができなかった。
「わかっただろ。ほら、来いよ」
腕をとって引き寄せ、仲直りには体で語るのが一番だとばかりに、床に寝かせて上の服を一気に捲り上げる。
幼さの残る顔立ちには、不釣合いなほど育った大きな乳房が目の前で揺れた。
組み伏せて、乳首を舐めて吸いつく。
その途端、春香が暴れ始めた。
「や、やだ!」
思いがけない抵抗に、オレは混乱した。
受け入れてくれない春香を前にして、冷静な判断ができなかった。
考えたくもなかったが、夏子のことがどうとかじゃなくて、春香はオレ自身が嫌いになったのか?
だから、よその女を抱けなんて言ったのか?
どす黒い感情が心を支配した。
オレの手から離れて、別の男に抱かれる彼女の姿を幻に見る。
嫌だ。
そんなこと絶対に許さない!
悔しさで舌打ちしていた。
拒絶の言葉を紡ぐ口を手で押さえ、目につく位置に落ちていたタオルを手に取った。
「じっとしてろ! 息が苦しいだろうけど、我慢しろよ。痛い目には合わせたくないからな」
タオルで口封じをして、ベッドに押し倒す。
春香の両腕を頭の上まで持ち上げて、右手でまとめて押さえつけた。
左手でショーツを抜き取り、秘所を撫でて濡れてきた頃合を計り、指を入れる。
口を使って裸の胸を嬲り、彼女の体を高めていく。
どうすれば春香が喜ぶのか、オレは何でも知っている。
知り尽くした体は、自然にオレを受け入れる準備を整えていった。
ほら、体は正直だ。
オレを欲しがっている。
指を抜いて、避妊具をつけたオレ自身を春香の中に入れた。
それに気づいた春香は、さらに暴れ出した。
「むうっ、うん、ううん……っ!」
抵抗を易々と押さえつけて、彼女の中を味わいながら肌にキスで痕をつけた。
オレのものだって印し。
いくら嫌がっても逃がさない。
コンドームの膜越しに精を放った。
もちろん一度では終わらせない。
オレでしか満足できない体にしてやる。
春香はずっと泣いていたけど、反応は確かに返ってくる。
気持ちいいくせに、認めようとしない。
再び始めから、体に触れた。
春香が認めるまで、オレの精力が尽きるまで、何度でもやるつもりだった。
二時間が過ぎて、オレは彼女を解放した。
春香は放心した様子で、天井を見つめていた。
顔を覗き込むと、涙で潤んだ瞳が大きく見開かれた。
「明日も来るからな」
別れようと言われても、おとなしく聞くものか。
もう一度オレを見てくれるまで、無理やりにでも抱いてやる。
「嫌よ! 来ないで!」
春香は泣きながらも、オレを拒絶した。
胸が痛かったけど、諦めることなんてできない。
オレの声は無意識に冷たいものに変わっていく。
「勉強会をやめる理由を言わないと、おじさんもおばさんも納得しないだろ。オレに犯されたって言うのか? オレの信用は完璧だからな、誰も信じないぜ。反対に、勉強が嫌でとんでもない嘘をついたって責められるぞ」
春香はびくっと動揺を見せた。
俯いた彼女は、肩を震わせて黙っていた。
歯車が狂い始める。
愛で満ち溢れていたオレ達の仲は、翌日から苦しさの伴う一方的な関係へと変わってしまった。
春香との仲がおかしくなってから、オレの心にはぽっかり穴が空いていた。
「この前の模擬テストを返すぞ」
先生が名前を呼んで、答案用紙を返していく。
教室のあちこちで出来具合を確かめる雑談がかわされている。
オレは返された答案用紙をぼんやり眺めていた。
赤い丸が全ての解答につけられていて、百点の文字が目に入った。
「どうした? もしかして間違いでもあったのか?」
穂高が答案を覗き込んできた。
「いや、満点」
隠す気もなくて正直に答えたら、穂高は変な顔をした。
「いつもなら満点の解答用紙見てニヤニヤしてるお前が、暗そうに俯いてるから悪かったのかと思ったんだが違ったか。熱でもあるのか?」
穂高はオレの額に手を当てて、平熱だと呟いた。
自覚はなかったけど、普段のオレはそんなに怪しかったのか。
確かにいつもは嬉しいんだ。
だけど今は、何の感慨も湧かなかった。
そういえば、オレが満点のテストにこだわり始めたのは小一の時からだった。
小学校に入って、初めてのテストが返ってきた。
百点満点のテストは、みんなの前で先生から褒められ、家に帰って見せると、母さんにも褒められた。
嬉しくなったオレはテストを持って、春香に会いに行った。
「はるちゃん、見て! 百点!」
誇らしげな気持ちで差し出すと、春香はうわあと声を上げた。
「ふゆきくんの紙、まるがいっぱいだぁ。すごいねぇ」
春香は目をキラキラ輝かせて、すごい、すごいと褒めてくれた。
先生や母さんに褒められた時より、何倍も嬉しかった。
それ以来、春香にすごいと言われたくて、オレは頑張った。
勉強も運動も、何をやる時も、春香の目を意識していた。
何とも単純な動機だが、オレが成績優秀な優等生になったのは、全て春香に認められたいためだったのだ。
好きな女の子の前で、カッコ良く振る舞いたい。
憧れの目で見られたい。
それがオレの向上心に火をつけていた。
だから、今は味気ない。
どこが悪いんだろう?
何が足りない?
どうしたら、昔のように春香に好きだと言ってもらえるんだろう。
今日も夕食を食べたら、隣の家に行く。
春香はまたオレを拒絶するだろうか。
憂鬱な気分で箸を進めていたら、母さんが話しかけてきた。
「今日ね。PTAの集まりがあって、海藤さんのお母さんに挨拶されたの。娘がいつもお世話になっていますって、妙に丁寧な挨拶だったのよね」
声に含みを持たせて、母さんはちらっとオレを見た。
「冬樹も高校生だし、友達づきあいに口を挟む気はないけど、女の子泣かすようなマネだけはしないこと。春香ちゃん、最近元気ないみたいだけど、あんたのせいじゃないでしょうね?」
図星を指されて、オレは喉を詰まらせた。
むせてお茶を飲み干す姿に、母さんは何か勘付いたみたいだった。
だけど、黙って食事を続けた。
沈黙が重かった。
オレだってこのままじゃいけないことはわかっている。
だけど諦められないんだ。
春香はオレにとって、唯一人の女の子なんだ。
二学期に入り、季節は秋に移り変わっていた。
ちょうどその日の休日は夏子との予定もなく、バイトも午前中で終わって、オレは昼を食べてから穂高の家に遊びに行き、部屋の床に座って話をしていた。
進路のことや日常の他愛のない話などをした後、穂高は真面目な顔をして話題を変えた。
「最近、彼女とうまくいってないのか?」
穂高の問いに、何と答えたものかとためらった。
こんな質問をされたのは、近頃さっぱり春香のことを話さなくなったせいだろう。
春香との仲はますます悪くなっていた。
部屋で二人っきりになると、怯えた目でオレを見る。
当たり前だ。
オレがやっていることは強姦に等しい行為だからだ。
だけど、嫌われた理由はそのことではない。
別れを切り出されたのは、その前だったんだから。
「理由はわからないけど、嫌われてるみたいだ。春香はオレのどこが嫌いになったのかな?」
親友の気安さから、ぽろりと弱音を吐いた。
穂高はため息をついて、あぐらをかいていた足を組みなおした。
「マジでそう思ってるわけ? だとしたら、お前のバカさ加減には呆れるね」
「バカって何だよ!?」
カッとなって怒鳴る。
穂高は動じた様子もなく、オレを見据えた。
「オレさ、委員会で話すようになって、彼女と親しくなったんだ。お前の春香ちゃんは可愛い子だな。オレもあんな彼女が欲しかったんだ」
穂高の言うことが、いまいち飲み込めなかった。
察しの悪いオレに業を煮やしたのか、穂高は決定的な言葉を発した。
「嫌われてるなら、ちょうどいいよな。彼女はオレがもらうから、お前は手を引け」
言われた言葉を理解して、血の気が引いた。
そして、血が戻ってくると爆発した。
「何言ってんだよ! 冗談にしても質が悪いぞ!」
「冗談でこんなこと言えるか、オレは春香ちゃんが好きなんだ。今まではお前に遠慮してたけど、もうやめた。これからはオレが彼女を守る。海藤とのことは、続けるもやめるもお前の自由だ」
穂高は本気だった。
親友だと思っていたのに。
今のオレの苦しい気持ちを一番わかってくれるヤツだと思っていたのに!
裏切られた怒りで、オレは穂高に掴みかかった。
「この裏切り者!」
「うるせえ、大バカ野郎が! 彼女はオレが幸せにしてやる! お前みたいな間抜けに任せておけるか!」
穂高はオレの手を払うと、逆に胸倉を掴んで大声を出した。
オレと穂高は初めてケンカをした。
殴り合いはしなかったけど、怒鳴りあって声を涸らし、オレは外に飛び出した。
大事な人が、どんどん離れていく。
どうしてこんなことになったのか、振り返って思い返してみてもわからなかった。
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