束縛
再会・4(side 和泉)
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暖かな世界を漂いながら、わたしは高校時代のことを思い出していた。
峰生と付き合い始めたばかりの頃だ。
夢現の中で、記憶をたどり、過去の自分が見た光景が目の前に現れる。
「峰生、おまたせ」
わたしはそう言って、彼の所に駆けて行った。
日曜日の夜。
バイト先に峰生が迎えに来てくれた。
一緒に夕飯を食べようって誘ってくれたんだ。
連れて行かれたのは焼肉屋さん。
焼き肉の食べ放題にしては安い値段だったけど、わたしのおサイフではちょっときつい。
「今日は奢るよ。バイト代が入ったんだ」
峰生は任せろと言って、わたしの手を引っ張って店に入って行った。
久しぶりのご馳走に目を輝かせた。
肉の焼ける音が食欲をそそる。
特製タレもおいしくて、箸が進んだ。
何より、峰生と一緒にご飯を食べられることが幸せだった。
「頑張りすぎて体壊すなよ? メシぐらいならいつでも奢るから、栄養つけとけ」
「ありがとう。何をするにも体が資本だもんね、気をつける」
嬉しくて笑ったら、峰生は頬を赤くして照れたように笑った。
それからもバイト代が入ると、ご飯を食べに連れてってくれた。
会うたびに体調はどうかとか、生活の心配をしてくれていた。
大学時代も初めの頃は、愛されているんだと実感できる時もあったんだ。
峰生が笑わなくなったのは、いつからだったんだろう。
すれ違いが多くなった頃から、時々何か言いたげに、わたしを見つめていた。
わたしと触れ合う時に、苦しそうな表情をしていることもあった。
わたしは気づきたくなかった。
心の目を閉じて耳を塞いで、彼の本当の気持ちから目を逸らしていたんだ。
愛していないんだと、彼の口から言われることが怖かったんだ。
愛していたんだよ。
わたしには何もなかったけど、想いだけはたくさんあった。
笑って欲しかった。
わたしが与える愛で幸せになって、同じだけ愛を返して欲しかった。
どうして、わたしじゃだめだったの?
誰か教えて。
わたしのどこが悪かったの?
こんなわたしに、愛していると言ってくれる人が現れた。
広い胸に抱きしめられて、久しぶりに人肌に触れた。
彼の登場は、王子様がヒロインを迎えにやってくる、童話の中の一場面みたいだった。
とっても都合のいい夢だった。
こんなことあるわけないよ。
目が覚めたら、寒々しい夜空の下で駅前のベンチに座っているのかも。
それとも凍死していて、お父さんとお母さんが迎えに来てくれてたらいいな……。
諦めに似た気持ちで笑って、わたしは現実へと続く扉を開けた。
目を開けると、そこは別世界だった。
わたしは綺麗でおしゃれなホテルの一室にいて、ダブルベッドの上で寝ていた。
隣には秋斗くんが眠っている。
夢じゃなかった。
彼の顔を覗き込み、嬉しくて涙がこぼれた。
「……和泉?」
涙が彼の上に落ちて、起こしてしまった。
秋斗くんは腕を伸ばして、わたしを引き寄せた。
「どうして泣いてるの?」
「嬉しいの。秋斗くん、夢の続き見てていい?」
寝起きの彼にキスをした。
腰に手がまわされて、体が密着する。
正面から見詰め合った彼の顔は、穏やかな笑みを湛えていた。
「朝から大胆だな。一生夢見てていいよ。もう離さないから、覚悟してて」
プロポーズみたいなことを言って、秋斗くんはわたしを下に組み敷いて胸元に口付けた。
大きな手の平が足を撫でて、太腿を伝い体の中心まで愛撫していく。
目が覚めても、夜が明けても、秋斗くんは王子様のままだった。
この幸せがつかの間のものだったとしても、わたしは後悔しない。
注ぎ込まれた愛が同情からの偽りのものであっても、彼がくれた愛情は、確かにわたしの心を温めてくれた。たとえ、あなたがわたしを愛していなくても、これからの支えとなる思い出に変えられる。
ありがとう、秋斗くん。
あなたに出会えて良かった。
ルームサービスで朝食を済ませ、チェックアウトのためにフロントに行き、わたしは当然のようにサイフを出した。
秋斗くんは手を振って、出さなくていいとわたしを止めた。
「オレが払うからいいよ」
「そんなわけにはいかないよ。せめて割り勘にして、迷惑かけたくないの」
秋斗くんに嫌われたくない。
面倒で図々しい女だって思われたくない。
甘えるなんて、相手が自分に好意を持っていてくれるからできることだ。
峰生と付き合っていた頃と同じ焦りを覚えた。
どんなに頑張っても、峰生は振り向いてくれなかった。
わたしはいつも愛する側だ。
たまにおこぼれでもらえる愛にすがって生きるしかない、惨めな存在なんだ。
秋斗くんはため息をついた。
怖くなった。
愛想尽かされちゃった?
割り勘はだめだった?
どうしたら良かったの。
わからないよ。
泣きそうなわたしの頭を、秋斗くんは優しく撫でた。
そしていきなり抱きしめた。
あわわ、フロントの人がこっち見てる。
「彼女の前でぐらい、カッコつけさせて。平の新入社員で安月給だけど、ホテル代ぐらい出せるよ」
小声で囁いて、秋斗くんは片目を瞑ってニヤッと笑った。
彼女?
彼女って言ったの?
わたしのこと、彼女って……。
「何を驚いてるの? まさか、昨夜のことを後悔して、なかったことにしようとか思ってるんじゃないだろうね?」
どこか脅しが入っている秋斗くんの声に、首を横に振った。
それを見て、秋斗くんは満足そうに体を離して、フロントへと歩み寄った。
フロントの人が興味深そうな顔で、ちらちらとこっちを見ている。
そんな視線を感じながら、わたしは秋斗くんの些細な言動にドキドキして俯いた。
後悔なんてしてないよ。
むしろ、されていると思ってた。
彼女って言ってもらえて嬉しかった。
騙されていてもいい。
この夢が覚めるまで、幸せに浸っていたい。
秋斗くんは電車で通勤しているそうだ。
彼の家は、わたしが住んでいた街からは遠かった。
幾つか駅を越えて住宅街が広がる中規模の駅に着く。
わたしの荷物を持ってくれているというのに、秋斗くんが歩くペースは早かった。
見失わないように必死で後を追っていたら、気がついたらしく、黙って歩調を合わせてくれた。
何気ない優しさが、わたしの心を掴む。
どんどん彼が気になる存在になっていく。
不思議なほどすんなりと、彼のことを受け入れていた。
大きな門構えの純和風のお屋敷。
秋斗くんの家の印象はそれだった。
時代劇に出てくるような、瓦つきの白い外壁に、松が見事な日本庭園、人工池で鯉が泳いでいるのが門の入り口からでも見えている。
表札は普通の大きさで穂高って書いてあるだけだ。
てっきり穂高組と書かれた大きな看板があるんだと思ってた。
大学で聞いた秋斗くんの家の噂。
彼の家はヤクザなんだって。
遊びに行ったことのある女の子達が怖かったって言ってるのを聞いたことがある。
「あのさ、オレの家族見て、あんまり怖がらないでね。外見は怖いかもしれないけど、みんな礼儀をわきまえた普通の人だからさ」
玄関の前で、秋斗くんは困った様子で切り出した。
わたしは笑顔を彼に向けた。
「うん、秋斗くんが言うなら信じる。怖いなんて思わない」
「良かった。じゃあ、入るよ」
秋斗くんはわたしの答えに安心した様子で、玄関の引き戸を開けた。
「お帰りなさいませ、若!」
玄関の上がり口の所に、怖い顔のおじさん達が勢ぞろいしていた。
パンチパーマとか丸坊主とか、顔に傷のある人もいる。
ヤクザ映画に出てくるような人達と対面して、わたしは前言撤回して、秋斗くんの背中に隠れた。
「ただいま。どうしたの? みんな揃って」
秋斗くんは普通に受け答えしている。
いけない。
怖がらないって言ったのに、失礼なことした。
「若がコレをつれてくると聞いたんで、これはぜひご挨拶をせねばと、みんな早起きして待ってたんですぜ」
おじさんの一人が小指を立てて、隣のおじさんに頭を叩かれていた。
わたしは秋斗くんの後ろから出て、おじさん達にお辞儀をした。
「あの、はじめまして。水澤和泉です。朝早くからお邪魔します」
わたしが姿を見せるなり、おじさん達からどよめきが起こった。
「本物だ。ついに若に春が来たぞ! 今日は祝いだ、酒買ってこい!」
「ささ、兄貴と姐さんも奥でお待ちです。今夜は和泉さんの歓迎会で盛り上がりやしょう!」
おじさん達に背中を押されて、奥の和室へと連れて行かれた。
秋斗くんのお父さんとお母さんだけど、ヤクザの親分さんとその奥さんなんだ。
緊張するなぁ……。
客間と思しき和室で、わたしは秋斗くんの隣で正座をしていた。
庭の方からししおどしの音が聞こえてくる。
正面には秋斗くんのご両親が並んでいる。
二人とも着物が普段着なのか、着慣れていて似合っている。
お父さんの秋彦(あきひこ)さんは、整った顔立ちだけど凄みのある強面のおじさんで、貫禄十分の堂々とした態度で、両腕を胸の前で組んで秋斗くんを見つめていた。
お母さんの紅葉(もみじ)さんは、清楚な和服美人だ。優しそうな微笑をわたしに向けてくれてるけど、帯の所から出ている木製の柄みたいなものが気になる。あれはいわゆる小太刀というものでは? さすが極妻。きっと非常時には、あれを抜いて啖呵を切るのね。
「彼女は水澤和泉さん。オレの大学時代の学友で、今は恋人として付き合っている」
秋斗くんは詳しい経緯を省いて、わたしをそう紹介した。
昨夜に再会してすぐに寝たなんて、とても説明できない。
確かに秋斗くんには好意を持っているけど、きっかけは寂しかったところに手を差し伸べてもらえたからだ。
このことがわかったら、息子をたぶらかしたって怒られて、即追い出されてしまうかも。
「そうか、秋斗もついに決めたんだな」
秋彦さんが微笑み、わたしと秋斗くんは顔を見合わせた。
「何を決めたって?」
秋斗くんの問いに、今度はご両親が困惑を顔に浮かべた。
「結婚の報告だろう? 秋斗が朝帰りで女の子をつれて帰ってくるというから、てっきりそうだと……」
「彼女と泊まったのは確かだけど。今日、家に連れてきたのは就職口を世話するためだ。勤めていた会社が倒産した上に、アパートを立ち退くことになって、寮つきの仕事を探してるんだよ。和泉は両親を亡くして頼れる人がいないんだ。オレからもお願いします、就職口を世話して欲しい」
秋斗くんは後ろに下がって、両親に頭を下げた。
わたしも倣って、同じようにお願いした。
秋彦さんに頭を上げるように言われて、わたし達は座りなおした。
問われて、改めて事情を説明する。
続きに質問されて、事務の経験があることや学歴など、包み隠さず全て話した。
「事情はわかった。仕事については会社に連絡して、事務の空きがないか探してもらう。それまでゆっくりしていなさい。住む場所についてはうちで下宿という形になる。そっちは紅葉に任すから、いいように計らってくれ」
「はい、あなた」
え? 秋斗くんの家に住むの?
秋斗くんの方を見ると笑ってた。
もしかして社員寮完備って嘘ついたの?
「嘘はついてないよ、オレの家って社員寮も兼ねてるんだ」
秋斗くんは説明してくれた。
母屋と離れが繋がった大きな屋敷には、常時二十人ほどの人が一緒に住んでいるそうだ。
独立して出て行く人もいれば、新しく入ってくる人もいる。
離れが主に彼らの寝床で、母屋には食事や入浴のためにやってくる。秋斗くんやご両親の部屋は母屋の二階にあるみたい。
「和泉さんは女の子だから、二階に部屋を用意するわ。その間に生活に必要なものを秋斗と買いに行っていらっしゃい」
紅葉さんに言われて、秋斗くんと一緒に廊下に出た。
そこに、ぱたぱたと元気な足音が近づいてきた。
「秋斗さん、お帰りなさい!」
やってきたのは中学生ぐらいの男の子だった。
背はわたしと同じぐらいで、見た目は普通の子だけど、ちょっと目つきが鋭い。
何かこっちを一瞬睨んだ?
だけど、すぐに笑顔になって秋斗くんと話し始めた。
「昨夜もずっと待ってたんだよ。今日は休みなんでしょ? 勉強見て欲しいんだ」
「悪いな、嵐。勉強は帰ってきてから見てやるから自習しててくれ。オレはこれから和泉の買い物に付き合って出かけるんだ」
秋斗くんがわたしを振り返って、彼もこっちを見た。
値踏みするみたいに、頭の天辺からつま先まで見つめられ、あからさまに顔をしかめられた。
何だろ、この子。
嫌な感じ。
「あー、友達?」
すっごく不機嫌そうに呟かれた。
秋斗くんはすぐさま「彼女」って訂正した。
そうしたら彼は「ふーん」て気のない声で、またこっちをじろっと見た。
「オレ、お邪魔みたいだから部屋に戻る。秋斗さん、帰ってきたら絶対来てくれよ、待ってるからな!」
わたしには一言も声をかけずに、彼は来たときと同じように素早くいなくなった。
歓迎されてないみたい。
ちょっと悲しくなった。
俯いたわたしの背中に、秋斗くんが手を置いた。
「ごめんね、嵐は初対面の人間には警戒心が強くてさ。後でよく話しておくから、気にしないで」
秋斗くんを困らせちゃいけない。
わたしは笑顔を作って頷いた。
「うん、きっと仲良くなれるよ」
秋斗くんに手を引かれて、玄関に向かう。
突き刺さるような視線を感じて振り向いたら、嵐くんが廊下の向こうからこっちを見ていた。
すごく冷たい目でわたしを睨み、彼はすっと姿を引っ込めた。
嫌われる覚えはないのに、どうしてだろう。
シルバーの乗用車でデパートに連れて行ってもらった。
秋斗くんが運転してくれてる。
持ち主はお父さんで、自分のが欲しかったら自力で買えっていわれてるんだって。
「黒のベンツじゃないんだね。意外だな」
そう言ったら、秋斗くんは苦笑した。
「和泉もやっぱり誤解してたんだ。うちはヤクザじゃないよ。親父は社用で運転手付きの黒のベンツに乗ってるけど、大きい車なら何でもいいみたい」
「え、違うの? だってみんな言ってたよ。それに秋斗くんのお母さんも……」
わたしは聞いた噂のこと、さっき紅葉さんの帯に小太刀が挟まっていたことなどを話した。
秋斗くんは、それなら誤解されて当然だと人事みたいに大笑いしていた。
「噂のことは昔から知ってたけど、訂正するのも面倒だからそのままにしてるんだ。親しい友達はちゃんとわかってくれてるしね。母さんはボールペンや果物ナイフとかを使っている時に席を立つと、帯に挟むクセがあるんだよ。小太刀に見えたのも、果物ナイフだろ。刀身も細めだったと思う」
「言われてみればそうかも。ごめんね、勝手に誤解して」
「気にしてないよ。親戚にその筋の人がいるのは事実だし、裏の世界と関わりもあるんだ。うちにいる人達の中には元組員もいるし、怖い思いをすることもあるかもしれない。だけど、君はオレが守る。信じてくれるよね」
「頼りにしてるよ」
誤解だったとわかって、安心した。
紅葉さんは旧家の令嬢で、小さい時から着物に親しんでお茶やお花を習っていたから、普段着が着物で定着しているそうだ。
蓋を開ければなんてことのない話だった。
秋斗くんを狙っていた子達は、この事実を知らないまま、勝手に離れていってたのか。
でも、良かった。
そのおかげで、わたしはこうして彼の隣にいられるんだから。
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