償い
第6話 母への贈り物
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お兄ちゃんに初めて抱かれた日のことを思い出す。
あの日、過去に起きた真実を知ったわたしは、重い足取りで帰宅した。
正直言って、両親とは顔を合わせたくない。
会えば、わたしは二人を非難する。
平静を保つ自信はなかった。
家にはお母さんだけがいた。
会社が経営難に陥ってから、両親は日祭日も関係なしに働いている。
お父さんは今日も朝から営業に出ていて、取りつけた注文をこなすために会社で働き、帰宅も深夜になるはずだ。お母さんは近所のスーパーのパートで日暮れまで働いて、家に帰れば休む暇もなく家事をしていた。
忙しさは増しても、それが収入とは結びついていないことには気づいていた。
今までは両親を支えなくてはと思っていたのに、この日だけは、これが当然の報いなのだと冷え切った心がわたしに囁いた。
お兄ちゃんとつぐみさんを不幸にしたわたし達が、どうして満ち足りた生活を送ることができるのだろう。
「お帰りなさい、雛。お兄ちゃんの様子はどうだった? 楽しかった?」
お母さんはいつも通りに微笑んで、週末の様子を聞いてきた。
わたしは答えられなかった。
お兄ちゃんにぶつけられた言葉と憎しみの感情。
そして、愛情もなく抱かれたこと。
それらの記憶が心を乱し、涙が流れ落ちていく。
お母さんの顔が驚きで強張っていく。
わたしはお母さんを睨みつけると、怒りに任せて大声を上げていた。
「どうして、つぐみさんからお父さんを奪ったの? お兄ちゃんから本当のお母さんを取り上げたの? 自分達さえ幸せなら、他の人を不幸にして平気なの? わたしはいらない。たとえ、お父さんがいなくてお母さんと二人で生きることになったとしても、お兄ちゃんやつぐみさんを傷つけてまで得た、こんな偽りの幸せはいらなかった!」
一息に言い切って、しゃがみこんで泣き崩れた。
わたしの記憶は、両親とお兄ちゃんに愛された思い出でいっぱいだ。
その影で、泣いている人がいた。
苦しんでいた彼らの気持ちにも気づかずに、わたしは笑って甘えてばかりいた。
両親よりも、自分が許せなかった。
知らなかったでは済まされない。
心の中がぐちゃぐちゃで、わたしは目の前にいる母へ憤りをぶつけることで、感情を爆発させた。
「誰に聞いたの? 鷹雄くんがそう言ったの?」
声が出なくて、返事ができなかった。
体を丸めて泣き続けるわたしの前に、お母さんが膝をついた。
「雛の言う通り、わたしはつぐみさんと鷹雄くんから幸せな家庭を奪った。でもね、偽りの幸せだなんて言わないで。お父さんもわたしも、二人を傷つけたくてそうしたんじゃない。あなたにもいずれわかる時が来る。人の心はどうしようもなくすれ違って、別なものを求めてしまうこともあるって」
「わかんない! そんなのわからないよ、わかりたくもない!」
お母さんが何を言っても、わたしには言い訳にしか聞こえなかった。
お母さんもお父さんも大嫌い。
わたしは思いつくまま二人を罵って泣いた。
お母さんはわたしが落ち着くまで黙って傍にいてくれた。
頭が冷えてきたわたしは、お母さんが自分の罪を自覚していることを理解した。
次第に落ち着きが戻り、ようやく話に耳を傾けることができるようになった。
お母さんは昔の話を始めた。
わたしの血の繋がった父親のことと、お父さんと結ばれた経緯。
お母さんには身寄りがなく施設で育ち、中卒で社会の荒波に放り出された。
頼れる人はおらず、余暇を楽しむこともなく、生活のためだけに働く日々の中、わたしの実父と出会った。
心寂しい時に優しくされ、甘い言葉を囁かれ、誘いに乗って身も心も委ねた。
そしてわたしがお腹に宿り、実父は責任を取って結婚したものの、家庭に縛られたくなかった彼は浮気と家庭内暴力を繰り返して、結婚生活は一年ともたずに破綻した。
実父の両親は元から交際には反対していたこともあり、力にはなってくれず、それどころか息子を堕落させたとお母さんを責めた。彼らは全ての責任をお母さんに押し付けて慰謝料を渡すことを拒み、養育費すらも約束通りに支払われることはなかった。
理不尽な仕打ちを受けても、味方も法律の知識もないお母さんにはどうすることもできなかったんだ。
お母さんは一人でわたしを育てながら、お父さんの会社で働き始めた。
お父さんはお母さんの境遇に同情して、親身になって世話を焼いた。初めは従業員の行く末を純粋に案じていただけだった。
「鷹之(たかゆき)さんとつぐみさんの間には、その頃からすれ違いがあった。彼は妻が話を聞いてくれないとよくこぼしていたわ。わたしも受けた恩を少しでも返したくて、夫婦の関係がうまくいくようにと願ってアドバイスもした。だけど、溝は埋められなくて、鷹之さんはわたしを求めるようになってしまった。わたしも頼りになる彼に惹かれていった。いけないことだとわかっていても、あの人への想いは募るばかりだった」
鷹之はお父さんの名前だ。
求め合う気持ちを抑えられなくなった二人は、つぐみさんに全てを打ち明けて、話し合いをしようとした。
突然、不倫と離婚を突きつけられて、つぐみさんは取り乱した。
お兄ちゃんはそのやりとりを全部見ていたんだ。
わたしが彼の立場でも、悪いのは不倫をしていた二人だと思う。
母親を不幸に陥れた人を、新しい母として受け入れられるはずがない。
「鷹雄くんがわたしを憎むのは当たり前のことよ。だから、何を言われても無視をされても母の役割だけは果たさなくてはと出来る限りのことをした。結局、彼は最後までわたしに心を開いてくれなかったけどね。雛のことを妹として認めてくれていることを唯一の救いに思っていた。でも、思い違いだったの? 彼は雛を責めたの? 雛が泣いているのはわたしのせいなの?」
お母さんはわたしを胸に抱いて、幾筋もの涙を落としていく。
つらい記憶と罪悪感が、お母さんを苦しめている。
お母さんにとって、お父さんの存在だけが唯一の光だったんだ。
罪なことだわかっていながら手を伸ばしてしまうほどに、お母さんが生きてきた道のりは孤独と茨で覆われていた。
打ち明けられた過去を聞いて、わたしの怒りは消滅していた。
「お兄ちゃんは今でも苦しんでいる。そのことを忘れないで」
それ以上、両親を責める気持ちは起きず、わたしはやっとそれだけを口にした。
お兄ちゃんとの間に起きたことも言わなかった。
知られたら、わたしを守るために両親が彼と対立することが容易に想像できたからだ。
わたしのことはどうでもいい。
お兄ちゃんの傷を癒すことができるなら、この身を投げ出すことも厭わなかった。
翌日からは、わたしは今までの生活に戻った。
何も知らなかった頃のように振る舞い、週末は大好きなお兄ちゃんに会いに行く雛を演じる。
お兄ちゃんは両親と接触を持たなかったから、わたし達の関係を知られる心配はなかった。
わたしには、どちらも選べない。
両親とお兄ちゃん。
大切な家族である三人が、いつの日か和解してくれることがわたしの願い。
そして現在のわたしは、深いため息をついていた。
現実とは残酷なもので、ぼうっと日を過ごしていても明日は確実にやってくる。
わたしの目下の悩みは、平べったいサイフだ。
リビングのテーブルに、手持ちの全財産を広げて頭を抱える。
中身は千円札が数枚。
お小遣いとしては十分残っているのだが、プレゼントを買うには、大変心もとない金額だ。
「困ったなぁ」
サイフの中からカードを取り出して見つめる。
お兄ちゃんにもらったクレジットカード。
限度はないから好きなだけ使えとは言われているけど、食料や衣料品、生活用品をたまに買うぐらいで滅多に使うことはない。
これ以外では、現金で一万円をお小遣いにもらい、やりくりして昼食や友達との交際費に当てたりして極力身の程をわきまえた堅実な生活を送っていた。
お金が必要なわけは、母の日のプレゼント。
お母さんへのプレゼントを、お兄ちゃんのお金で買うわけにはいかない。
顔さえ見せてくれればプレゼントなんかいらないって言うだろうけど、やっぱり何かあげたい。
「お兄ちゃんにバレたら怒られるだろうけど、バイトするしかないな」
お金の面でわたしに不自由はさせないと公言したせいか、お兄ちゃんからはバイト禁止を命じられている。
バイトをする時間があるなら、学生の本分を果たし、家事と自分の相手をしろというのが彼が述べた理由だ。
わたしは内緒でバイトをすることにした。
監視はごまかしきれないので、鳶坂さんには事情を打ち明けて協力を頼むことにする。
アリバイを作る当てもある。
鳩音ちゃんの家は喫茶店だ。
臨時のバイトとして雇ってもらえないか聞いてみよう。
鳩音ちゃんと勉強していることにすれば、バイトの件がお兄ちゃんにバレることはない。
翌日、大学の構内でさっそくバイトの件を鳩音ちゃんに相談した。
彼女は二つ返事でOKしてくれた。
「いいよ。ちょうどバイトの人がやめたから、わたしが代わりに入ってたんだ。それにしても、大学生にバイト禁止するなんて変わってるね」
「うん、お兄ちゃんは、バイトするなら勉強に励めってタイプだからね。欲しい物があれば買ってやるって言ってくれてるけど、学費や生活費まで面倒みてもらってるし、これ以上はお金のことで甘えたくないんだ」
バイト禁止の最大の理由はわたしが愛人だからなんだけど、鳩音ちゃんには言えない。
鳩音ちゃんはそれも一理あるかと、お兄ちゃんの言動に感心していた。
変に思われてはいないみたい、良かった。
「だけど、欲しい物は何でも買ってくれるっていいなぁ。雛とお兄さんて血が繋がってなくても仲がいいんだね。この間の電話でも、すごい剣幕で怖かった。あの時、雛が鷺谷や絡んできたチンピラにどうにかされてたら、原因を作ったわたしも同罪で報復されてたかもね。そのぐらい溺愛されてるとみたよ」
「そ、そうかな。お兄ちゃん、普段は全然そうじゃないけど」
お兄ちゃんがわたしの心配なんかするはずがない。
駒を失うことが嫌なだけ。
わたしは彼の所有物であって、愛される存在ではない。
自覚はしているつもりだけど、改めて思い知ると落ち込む。
「とにかく、わたしと課題を一緒にするって口裏を合わせておけばいいわけね。バイトの件は今から家に電話して聞くよ。今日から入ってもらってもいい?」
「うん、お願い」
鳩音ちゃんの電話はすぐに終わり、喫茶店でのバイトが決まった。
期間は今日から二週間。
それまでの間、バレなければいいんだ。
「これで貸しができたね?」
鳩音ちゃんは、期待に満ちた目でわたしを見つめた。
口元がニヤリと怪しく歪む。
彼女が何を希望しているのかに思い当たる。
鳩音ちゃんはわたしの手を取って、力強く握り締めた。
「鳶坂さんと二人っきりでお話できるように取り計らってよ。わたしを売り込んでとか、無茶は言わないわ。機会さえ作ってくれたら、後は自分で何とかするから!」
ごめんなさい、鳶坂さん。
わたしはバイトと引き換えにあなたを売ります。
……なんて、大げさか。
二人が接近する機会を作るために、一緒に遊びに行くぐらいなら迷惑にならないよね?
飲食店でのバイトは高校時代に何度かしたことがあったけど、喫茶店は初めてだ。
マスターは鳩音ちゃんのお父さんで、初日は鳩音ちゃんも一緒にいてくれたから、お店の雰囲気や接客にもすぐに馴れた。
五時から九時まで四時間のバイト。
鳶坂さんはお兄ちゃんにバレないように、うまくごまかしておくと言ってくれたので安心していたけど、わたしはもう少しバイト先を選ぶべきだったのだ。
店内が外から見える飲食店は、偶然発見される確率が高いことに気がついた時には後の祭りだった。
バイトを始めて、ちょうど一週間目。
わたしは震える手でお冷とおしぼりをテーブルに置いた。
「ご、ご注文はお決まりですか?」
「たまには紅茶にするか、アールグレイで頼む」
お兄ちゃんは涼しい顔で注文を告げて、手提げの黒いケースから書類を取り出して読み始めた。
どこから見ても、帰宅途中に立ち寄ったサラリーマンだ。
自然に店内に溶け込んでいる。
怒鳴られることを覚悟して接客を続けたけど、彼は黙って紅茶を飲んで帰って行った。
どうしよう。
お店では何も言われずに済んだものの、お兄ちゃんは怒ってるはずだ。
帰ったら、お仕置きされる。
憂鬱になりながら、バイトを終えて迎えの車に乗り込む。
鳶坂さんも、お兄ちゃんが来たことは予想外だったらしい。
「後で言い訳ができるように、鳩音ちゃんの家にいるってことだけ報告しといたんだけど、まさか様子を見にくるとは思わなかった。あいつの出方がわからないことには対処のしようがない。帰ってみて困ったことになったら、すぐ呼んで。できる限りの援護はするよ」
「お願いします」
お兄ちゃんにはお金が必要な理由を隠し通さないとまずい。
わたしの欲しい物が、母の日の贈り物だと知られたら、バイトどころかプレゼントを買うことすら許してくれなくなる。
彼はお母さんを憎んでいる。
憎い相手を喜ばせるようなこと、したくないはずだ。
「ここは鷹雄のご機嫌を取るしかないな」
鳶坂さんの助言に、わたしは彼の方へと顔を向けた。
「ご機嫌て、どうやって?」
「うん、雛ちゃんが積極的に甘えたら、鷹雄の機嫌はよくなると思うよ。いっそ、下着姿で誘惑して押し倒してしまえ」
「お、押し倒すって……」
鳶坂さんは笑いながらそんなことを言った。
完全なセクハラだよ。
こっちは本気で困っているのに、冗談に付き合ってる場合じゃないの。
顔を真っ赤にして俯いたら、空気を察した鳶坂さんはごめんと気まずそうに謝った。
「だけど、そんなに怯える必要はないんじゃないかな。鷹雄だって鬼じゃない。雛ちゃんがお母さんを慕う気持ちまで縛ろうとはしないはずだ。あいつにも大事な母親がいるんだから、話せばわかってくれるよ」
わたしはハッとして顔を上げた。
鳶坂さんには、わたしが自分のためにお兄ちゃんのお金を使いたくない本当の理由を話していない。
それなのに、彼が今言った言葉は……。
「鳶坂さんは知ってるんですか? わたしの両親とお兄ちゃんのこと」
「大体の事情は知ってる。鷹雄とは小学生の頃からの付き合いだし、親の離婚と再婚のことも聞いている。鷹雄が父親と雛ちゃんのお母さんのことをどう思っているのかまでは知らないけどね。あいつは苦しい時ほど本音を話さないヤツだったから」
鳶坂さんはわたしとお兄ちゃんの関係も知っていた。
じゃあ、愛されていないことも知っているはず。
「お兄ちゃんはわたしのことも憎んでいます。わたしのお願いを彼が聞いてくれるわけがないんです」
諦めて声を落としたわたしに対してか、鳶坂さんはため息をついた。
「最初から諦めるな。騙されたと思ってオレの忠告を聞いてくれ。ご機嫌を取りたいなら、鷹雄の言うことには逆らわずに従うことだ。注意点は今のあいつを否定しないこと。特に兄だの妹だのって昔の話は禁句だぞ」
どうしてそれでお兄ちゃんの機嫌が良くなるのかはわからないけど、首を縦に振り続ける。
今度の助言は信じられそう。
言われてみれば、お兄ちゃんはわたしが昔の話をすると機嫌が悪くなっていた気がする。
「諦めずに頑張ってみます。どうしてもダメだったら頼りますから、必ず来てくださいね」
「わかってる。オレは雛ちゃんの味方だよ」
彼の笑顔に勇気づけられる。
鳶坂さんって、昔のお兄ちゃんみたい。
お兄ちゃんに、わたしの気持ちをわかってもらうためには、逃げずに話さないと何も変わらない。
マンションに戻ると、わたしは一人で玄関を通った。
鳶坂さんは携帯で連絡すれば、すぐ来てくれる。
心の中で自分に声援を送りつつ、廊下を進む。
お兄ちゃんはリビングにいるみたい、テレビの音が聞こえてくる。
「ただいま」
恐る恐るドアを開けて、部屋の中に呼びかける。
ソファに座っていたお兄ちゃんは、声をかけたと同時にテレビの電源を切って立ち上がった。
わたしは無意識に怯えて、身を竦めた。
「風呂に入る、背中を流せ」
通り過ぎざまに命令される。
お兄ちゃんの言葉には従うこと。
鳶坂さんのアドバイスを思い出す。
「は、はいっ」
わたしは大きな声で返事をして、着替えを取りにクローゼットへと走った。
お兄ちゃんのと自分の分を用意して、バスルームに急ぐ。
脱衣所に到着すると、お兄ちゃんは先に入っていったみたいで、脱衣カゴに衣服が脱ぎ捨ててあった。
わたしも服を脱ぎ、湯煙が向こうに見える磨りガラスのドアを開けた。
バスルームは六畳ほどの広さがあって、白のイメージで統一してある。
埋め込み型の浴槽は楕円形をしていて、二人で足を伸ばして入っても余裕の広さだ。浴槽の側にある閉じられたブラインドを開ければ、大きな窓越しに街の明かりに彩られた綺麗な夜景がよく見える。
お兄ちゃんは椅子に腰かけて体を洗っていた。
わたしに気がつくと、手に持っていた泡の付いたタオルを差し出してきた。
無言の指示に気がつくと、彼の背中の前に膝を着いて、タオルを当てて擦り始めた。
小さな頃はお風呂にも一緒に入って、楽しく洗いっこをしていた。
あの頃の思い出を話しそうになり、慌てて口を閉じた。
昔の話はしてはいけないんだった。
お兄ちゃんの背中に、大人の男性の逞しさを感じた。
思い出の中の彼とは違う。
胸がちくりと痛んだ。
お兄ちゃんは昔の自分を否定する。
わたしの兄であったことをなかったことにしたいのかな。
そこまで嫌われていることが悲しかった。
この背中にもう一度甘えたい。
シャワーで泡を流し終えた背中に、わたしはそっと手を触れた。
お兄ちゃんが振り向き、慌てて手を引っ込める。
彼は気づいていなかったらしく、わたしの背後を指差した。
「後ろを向け、今度はオレが洗ってやる」
指示通りに背中を向けると、後ろから抱きしめられて、椅子に座りなおしたお兄ちゃんの膝の上に乗せられた。
泡のついた手が胸を撫でて、もう片方の手がお腹の辺りを動いている。
彼の指先が乳首を掠ってわざと弾いた。
「んあぁんっ」
感じて思わず声が漏れた。
お兄ちゃんは構わず、わたしの体を撫で回した。
泡のついたタオルも使って撫でられているうちに、全身が泡に包まれていく。
耳にシャワーが流れ出す音が聞こえた。
温かいお湯が、わたしの体を隠す泡を流していく。
「はぁ…ん……、ああっ…んはぁ……」
胸や秘所に、シャワーヘッドが近づけられるたびに、喘ぐ声がこぼれた。
肌を伝うお湯さえも、わたしに快楽を与える道具となっていた。
「雛、ここに来て舐めろ」
シャワーを止めて、お兄ちゃんがわたしを呼ぶ。
主語のない言葉でも、何を指しているのかはわかる。
わたしは彼と向かい合い、跪いた。
椅子に座ったままのお兄ちゃんの膝の上にうつ伏せになり、股間のものに舌を這わせる。
キスをして、口に含む。
洗われたばかりで綺麗だからって抵抗がないわけじゃないけど、彼の命令なら従う。
もしかしたら、死ねって言われたら死ぬんじゃないかって思う。
わたしにとって、彼の言葉は絶対。
そうやって償うことで、傍にいることを許してもらっているんだから。
「んん、ぅん……、むぅ、くぅ……はむ……」
口の中で熱をもったそれはどんどん硬く大きくなってくる。
わたしの中を蹂躙するための欲望が、膨れ上がっていくのがわかる。
「うまいぞ、雛。頑張ったらそれだけかわいがってやるから、しっかり咥えろ」
頷いて、歯が当たらないように注意して舌を使う。
静かな浴室に、わたしが彼のモノを舐める音が反響してより大きく聞こえた。
夢中で奉仕をしているわたしの胸を、彼の手の平が揉みこねる。
肌に潜む性感を巧みに指で刺激されて何度も軽く達し、愛液が秘所に満たされていった。
「もういい。入れるぞ、来い」
バスマットの上に腰を下ろした彼の上を跨がされる。
愛撫の必要がないほど濡れていた秘裂は、わたしの奉仕によって目覚めた肉棒を苦もなく呑み込んでいった。
「あっ、うあんっ」
体の芯を突き抜けるような衝撃に襲われる。
たまらずお兄ちゃんに抱きついた。
じっとして、衝撃の余韻が収まるまでしがみついていた。
「腰を動かせ。これはオレに隠し事をしていた罰だ」
迎え入れた彼を感じることができるようになると、タイミング良く命じられた。
罰ってことは、許してもらえる。
わたしは恥ずかしさを押し殺して動いた。
気持ちよくしてあげなくちゃ。
わたしにできることなんて、こんなことぐらいしかないから。
「はぁ…うっ……ううんっ」
わたしは彼を喜ばせようと腰を振った。
唇を重ねて口づけを交わす。
苦しいのに幸せなの。
お兄ちゃんの腕がわたしの体を抱きしめてくれている。
挿入を助けるための愛撫でも、気分を盛り上げるためだけのキスだって嬉しい。
「お兄ちゃん、雛はお兄ちゃんが欲しいの。めちゃくちゃにしてもいいから、たくさん抱いてぇ」
好きって言えない分、わたしはお兄ちゃんを求める言葉を口にする。
男狂いの淫乱だって罵られてもいい。
お兄ちゃんが欲しい気持ちは本当だから。
「お前もようやく自分の立場がわかってきたようだな。オレのご機嫌を取るために頑張ってるなら成功してるぞ」
わたしの首筋に舌を這わせながら、お兄ちゃんが囁く。
「お前の頑張りに免じて許してやるよ。ほら、後は気持ちよくなるだけだ」
繋がったまま、バスマットの上に体を横たえられた。
わたしの中を満たすお兄ちゃんのモノが、奥を突くように動き始める。
「…あっ…あんっ、ふぁっ、……んぁ、あああああっ!」
腰が激しく動かされ、絶頂へと導かれていく。
その間も彼の手や舌は、休むことなく肌への愛撫を続けている。
あ、だめ。
わたしが奉仕してたのに、されてどうするの。
だけど、お兄ちゃんは許してやるって言ってくれた。
後は、母の日のプレゼントのことがバレなければいいんだ。
バイトの期限は一週間残っているけど仕方ないな。
鳩音ちゃんとおじさんに謝らなくちゃ。
「はぁ…、あ…お兄ちゃん……、やぁ……ぁあああん!」
与えられた快感に身を震わせて達してしまう。
お兄ちゃんは腰を引いて抜け出すと、溜まった精をわたしのお腹の上に放った。
お風呂で交わったせいか、寝室では何もされなかった。
お兄ちゃんはわたしに腕枕をしてくれていた。
機嫌がいいのかな?
鳶坂さんのアドバイスのおかげだね。
明日会った時に、お礼を言おう。
「バイトの期限はいつまでだ?」
お兄ちゃんの問いに、わたしは顔色を窺いながら慎重に答えた。
「一週間後までだけど、お兄ちゃんがだめだって言うならすぐやめるよ」
「バイトは続けろ、途中でやめたら店に迷惑がかかる。無理言って雇ってもらったんなら、最後まで全うしろ」
仕事を甘く考えるなと、お兄ちゃんは説教した。
そして、カードを使わなかった理由を問いただしてきた。
「欲しいものがあれば買えと言ったはずだ。しかも二週間程度のバイトで買えるようなものなら、何を遠慮する必要があるんだ」
答えに窮する。
別の言い訳をしないと。
何かもっともな理由を……。
「もうすぐ母の日だな」
わたしの答えを待たずに、お兄ちゃんが呟いた。
動揺で体が震えた。
今ので確実に気がつかれた。
嘘をつく気力も失せて、わたしはお兄ちゃんに本当のことを打ち明けた。
「お母さんへのプレゼント買いたかったの。だから、お兄ちゃんのお金で買えなくて……」
次にお兄ちゃんが何を言うのかが怖くて、ぎゅっと目を閉じる。
意外にも返ってきたのは、罵倒でも、追及でもなく、普通の声だった。
「何を贈るのか、決めてあるのか?」
目を開けて、お兄ちゃんを見る。
彼は怒っていなかった。
まるで世間話でもしているみたいに、母の日の話題を続けている。
「う、ううん。まだ何も……」
「決まってないなら都合がいい。バイトが終わる次の日曜にでも選びに行くか。店はオレが探しておく」
なぜかお兄ちゃんもプレゼント選びについてくると言い出した。
何を考えているんだろう。
都合がいいって、どういう意味なのかな。
バイト代を手にしたわたしが、お兄ちゃんに連れて行かれたのは、セレブ御用達の有名宝石店だった。
安い部類と思われる物でも数十万という値がついている。
店内に一歩踏み込んだ瞬間から、眩いばかりの貴金属の輝きに圧倒されて、お兄ちゃんの背後に隠れてついていった。
店員さんはお兄ちゃんが名乗ると、愛想良く挨拶をして奥へと案内した。
わたしは頭の中で悲鳴を上げていた。
奥に行くほど値段が高いことに気がついたからだ。
「あ、あの、お兄ちゃん。このお店は高すぎて、わたしのバイト代じゃ何も買えないよ」
お兄ちゃんの背広の袖を掴んで訴える。
わたしの予算では、指輪の欠片すら買えない。
明らかに店の選択を間違っている。
買えないなら諦めろって言われるのかな。
お兄ちゃん、ひどい。
こんなことするぐらいなら、最初からだめって言ってくれた方が諦めがついたのに。
お兄ちゃんは振り返ると、わたしの腰に腕をまわして、燦然と煌めく宝石付きのアクセサリーが並ぶガラスケースを指し示した。
「残りの金はオレが出すから予算の心配はしなくていい。オレも母さんへのプレゼントを買うから、そのついでだ。その代わり、母さんのも選んでくれ。手を抜いて似たような物にはするなよ」
「う、うん……」
お兄ちゃんに促されて、アクセサリーを選び始める。
慎重に見比べながら、お母さんとつぐみさんに似合いそうなものを選ぶ。
時々、お兄ちゃんにも意見を聞いて、お母さんにはブローチ、つぐみさんにはネックレスを選んだ。
金額は……聞かなかったことにしよう。
お兄ちゃんはメッセージカードをわたしにも書くように言った。
二枚とも差し出されて、お兄ちゃんに視線を戻す。
「つぐみさんにも書いていいの?」
わたしがここにメッセージを書けば、プレゼント選びを手伝ったことがわかってしまう。
つぐみさんは喜んでくれるかな。
わたしが選んだ物じゃ嫌がらないかな?
「オレが貴金属を自分で選ぶようなヤツに見えるか? 適当に見繕ったと思われるより、お前が選んだとわかった方が喜ぶ。母さんはお前のことを気に入ってるからな。そうでなきゃ、同居なんて許さねぇだろ」
喜んでもらえるならと、つぐみさんにも普段お世話になっているお礼を書いた。
書き終えたメッセージカードをお兄ちゃんに渡して、送る手配が済むのをおとなしく待っていた。
お店から出て外の空気を吸い込むと、わたしはお兄ちゃんに向き直って頭を下げた。
「お兄ちゃん、ありがとう」
心から喜びを表して顔を上げたら、お兄ちゃんはふいっと顔を横に逸らした。
「ついでだ、ついで。お前に金の面で不自由はさせねぇと親父達に啖呵切った手前、安物を贈られたらオレの沽券にかかわるんだよ。お前やちどりさんを喜ばすつもりはねぇからな。全部、オレのためにやったことだ」
言い方は冷たかったけど、声に険がなくて、照れているみたいだった。
機嫌がいいから気まぐれを起こしたんじゃないよね。
お兄ちゃんは、わたしの気持ちをわかってくれたんだ。
お母さんへ贈り物ができたこともだけど、それ以上にお兄ちゃんが協力してくれたことが、とても嬉しかった。
後日、つぐみさんからお礼の電話が来た。
受話器の向こうから聞こえてくる彼女の声は弾んでいて、喜んでもらえたことがすぐにわかった。
『雛ちゃんが選んでくれたのね。わたしにぴったりで気に入ったわ。鷹雄だけじゃ、似合うものより高いだけの物を買わされているところだったでしょうね。ありがとう、またこっちにも遊びに来てね。わたしも隼人さんも、鷹雄が独立してからは雛ちゃんと会えなくて寂しいのよ』
つぐみさんはお礼を言った後、お兄ちゃんとの生活の中で困ったことがあれば相談するようにと気遣ってくれた。
わたしが自分を不幸にした女の子供だと知っているのに、つぐみさんはいつも優しかった。
だから、心が痛む。
わたしには、あなたに優しくしてもらう資格はないのに。
通話を終えて、胸を撫で下ろす。
つぐみさんは強い人だ。
あんな経緯があれば、わたしをお兄ちゃんに近づけたくないはずなのに、幼いわたしがショックを受けないように本当のことを知らせないでいてくれた。
週末や長期の休みにお兄ちゃんと過ごしていたけど、それは隼人さんとつぐみさんとも一緒に過ごしていたということ。
二人は迷惑だったかもしれないけど、わたしは楽しかった。
親子みたいに遊んでもらったことも覚えている。
わたしにできることは何もないかもしれないけど、償えることがあるのなら、つぐみさんのためにも何かしたい。
お母さんの反応も気になって実家に戻ると、玄関先に赤いカーネーションの花束が飾られていた。
プレゼントと一緒に届いたそうだ。
お兄ちゃんが送ってくれたんだ。
「ありがとう、雛。お母さん、嬉しかったわ」
お母さんはブローチを着けて見せてくれた。
それからメッセージカードを取り出して微笑んだ。
「鷹雄くんにもお礼言っておいてね。電話で直接言いたいけれど、彼にしてみれば迷惑だろうし、雛から伝えて。プレゼントもだけど、このカード。涙が出るほど嬉しかったって」
メッセージカードを見せてもらうと、わたしの【お母さん、いつもありがとう】のメッセージの下に、お兄ちゃんの字で一行書き加えられていた。
【雛に会わせてくれて、ありがとう】
お兄ちゃんがお母さんに送ったメッセージ。
きっと彼は本心ではなく、自分に対する両親の疑いを晴らすために書いたのだと言うだろう。
だけど、わたしはそうは思わなかった。
お兄ちゃんはわたしを嫌ってはいないって、今回のことで希望を持った。
お父さんとお母さんのことも、いつか許してくれるかもしれない。
彼と仲良しの兄妹に戻れる日が来ることを夢見て、わたしはメッセージカードを胸に抱きしめた。
渡の独り言
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