わたしの黒騎士様

エピソード5・2

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 馬車に揺られて五日。
 故郷の領地に入った。
 木々は赤く色づいて、田畑は実り、秋の訪れをそこかしこで実感できた。
 石とレンガで作られた、大きな街が見えてくる。
 その街を見下ろす小高い山の上に建つ、古い大きな邸宅が、わたしの実家だ。

 街の出入り口にある停車場で馬車が止まった。
 手荷物の貴重品とは別に、御者に預けておいた荷物を受け取り、地に足を下ろす。
 街の入り口は人の出入りが多く、荷を乗せた馬車も行き交い、賑わっている。
 旅立ってから一年も経ってないんだよね。
 変わっていない風景を懐かしく感じる。

「あ、キャロライン様だ!」

 近くで子供の大声が聞こえた。

「ほんとだ、お嬢様だ!」
「帰ってきたのか、キャロル!」

 わたしに気づいた街の人達が駆け寄ってくる。
 愛称で気安く呼んだのは、剣の稽古仲間だった青年だ。
 彼はわたしの隣に立つレオンに気づくと、驚きの声を上げた。

「そっちの兄ちゃんはレオンか!? 嘘、すげぇ見違えたな!」
「久しぶりだな。お前も変わったよ、長いこと離れていたから当たり前だが、オレの記憶の中ではみんなまだ子供のままなんだ」

 レオンは笑って、彼との再会を喜び合った。

「広場に行こうぜ、噂なんてすぐ広まるからな。すぐにみんな集まってくる!」

 わたしとレオンは顔を見合わせて頷きあった。
 実家に顔を出すのは、この後にしよう。
 まずはこの温かい空気に触れたかった。
 帰ってきたんだ。
 わたしの大切な人達の住む場所に。




 広場で再会と歓迎を受けた後、レオンの家に移動した。
 知らせを聞いて家の前で待っていたおばさんは、わたし達の姿を目にするなり、駆け寄ってきた。

「お嬢様、よくご無事でお帰りになられました。元気なあなたの姿を見て安心しましたよ」
「ありがとう。わたしが騎士団に入れたのもおばさんのおかげです。レオンにもよくしてもらってるし、感謝の言葉を幾ら言っても足りません」
「もったいない、そんなこと言わないで。それにしてもどうしましょうかねぇ。お嬢様が本当にうちの息子を好いてくださっているなんて、まだ信じられませんよ」

 疑いの眼差しで、おばさんはレオンの方を向いた。
 照れくさいのか、レオンは帰宅の挨拶もせずにむっつりと黙ったままだ。
 沈黙が親子の間に流れる。
 やがておばさんは、表情に影を落としてつぶやいた。

「夢でもいいんですよ。年老いた親に手紙一つ送ってこない薄情な息子です。お嬢様の気の迷いなら、早めにすぱっと縁を切ってやってください」
「何を決めつけているんだ。勝手なことを言うな」

 たまらなくなったのか、レオンが口を挟む。
 おばさんは彼を睨むと、わたしをしっかりと抱きしめた。

「お前がいなくなってから、寂しがるわたしをお嬢様がどれだけ慰めてくださったと思っているんだい! 中途半端な気持ちで、大事なお嬢様に手を出したんなら許さないからね!」

 おばさんの勢いに押されて、レオンはたじろいだ。
 周囲からどっと笑い声が起きる。
 国の英雄も、母には勝てないようだ。
 そこに、レオンのお父さんがひょっこり顔を出した。

「まあまあ、お前。そんなに怒鳴ってやるな。レオンも長旅で疲れておることだ、説教や恨み言は後にして、お嬢様を中で休ませてあげなさい。今、お茶の用意をしたところだ」

 おじさんはレオンを見てにこりと笑い、奥へと入っていく。
 靴職人のおじさんは、温和で物静かな人だ。
 お喋りではないけど、話す言葉は温かく、いつも場を和ませている。

「わかりましたよ。さあ、どうぞ。お腹も空いたでしょう、軽いものでも作りますよ」

 おばさんに連れられて、家の中に通された。
 レオンはふうっと息を吐いて、疲れた様子でついてくる。

 昔の彼らの姿が鮮明に甦ってくる。
 レオンはいつもおばさんに怒られていた。
 剣の稽古ばっかりしてないで家の手伝いをしなさいとか、わたしに危ないマネをさせるなとか、とにかく口うるさかったな。
 レオンは言い返せなくて、渋々言いつけに従っていた。そこに、おじさんが間を取り成しに入ってくる。
 でも、そんな風に両親と垣根のないやりとりができるレオンのことを、わたしは羨ましく思っていた。




 レオンは実家で一晩を過ごすことになり、わたしは先に屋敷に帰ることにした。
 父の具合を見てから、翌朝使いを寄越す約束をして、レオンの家を出た。

 街を抜けてたどりついた大きな門の前。
 鉄製の柵で作られた扉の向こうには、芝と花で彩られた庭園と白壁の大きな屋敷がある。
 建物の歴史は古く、何度も改築が繰り返されたと聞いている。
 その古さは筋金入りで、地下には大昔に建造された隠し砦や迷宮があるのだとか、街では怪談まがいの噂が流れていたほどだ。
 地下室はあるみたいだけど、興味がなかったので探したことはない。
 入り口だって、どこにあるのか知らないんだ。

 深呼吸をして、門の脇にある小さな扉を開けた。
 鍵は開いていて、あっさり敷地の中に入れた。

「ただいま、誰かいないの?」

 玄関の大きな開き戸を開けて呼びかけた。
 すぐに足音が聞こえてくる。
 姿を見せたのは、燕尾服を着た白髪交じりの壮年の男性。
 長年我が家に仕えている、執事のセバスチャンだ。

「おお、キャロライン様! よく、お戻りくださいました!」

 セバスチャンは大げさに帰宅を喜んでくれた。
 彼の声で気づいたのか、使用人達が次々と現われ、わたしを取り囲んだ。

「キャロライン様がお帰りになられたぞ!」
「お嬢様! ああ、これでこの屋敷にも平和が……」
「もうどこにも行かないでください!」

 彼らはわたしにすがりついた。
 泣き出している人までいる。

 家人からこんなに帰郷を喜んでもらえるなんて予想外だった。
 一体、何があったの?
 お父様とお母様は? シェリーの身に何かあったの?

「ね、ねえ。お父様の具合はどうなの? それにお母様とシェリーは? まさか、二人の身にまで何かあったんじゃないよね?」

 不安にかられてセバスチャンを問い詰めると、空気が一気に重くなった。

「いえ、旦那様も奥様もシェリー様もお元気ですよ。ただ……」

 そう呟くと、セバスチャンは黙ってしまった。
 他の使用人達も口をつぐんでいる。
 わたしがいなくても平気だと思っていたのに、この屋敷に何が起こったというのだろう。

「キャロライン! 帰ってきたのね!」

 使用人達の向こうから、母の声が聞こえた。
 喜びを顔に出して、お母様はわたしのところへ飛んできた。
 淑女らしい落ち着きを装う余裕もなかったのか、前触れもなく柔らかい体に抱きしめられる。
 懐かしくて温かい匂い。
 愛しさと安堵感に包まれ、しばし母の温もりを感じていた。

「あなたったら、一度も手紙に返事をくれないのだもの。私達のことを本当に捨ててしまったのかと、毎日不安でいっぱいだったわ」
「そんなことありません。でも、手紙なんて一度もきてませんよ? 今回のが初めてで、お父様の容態が悪いと知って慌てて帰ってきたんです」
「おかしいわね、週に一度は出していたのに。セバスチャン、預けた手紙は確かに出してくれたのね?」

 問われたセバスチャンは、ぎくりと肩を強張らせ、姿勢を正した。

「は、はい。もちろんでございます。おそらく郵便事故かもしれません。困ったものですな」

 ごほんと咳払いをして、セバスチャンは顔をしかめた。
 郵便事故って、週に一度の手紙なんてかなりの量だよ?
 一通ぐらいならともかく、全部届かないなんておかしい。
 それにシェリーの手紙はちゃんと着いていたんだ。
 セバスチャンは何かを隠している。

「まあ、いいわ。こうして帰ってきてくれたのだし。お父様もお待ちかねよ。寝不足と疲労で軽いお風邪を患われて、少し眠れば回復するというのに「もうだめだ。死ぬ前に一目キャロルに会いたい」と喚かれて、大げさに手紙を書けと命じられたのよ。今はすっかり体調も戻って、政務に精を出しておられるわ。余計な心配をさせてごめんなさいね」

 お母様は郵便事故とのセバスチャンの言葉を鵜呑みにして、手紙が届かなかったことを気にしていないようだ。
 それにしても、お父様がそんなことを言うなんて信じられない。

 お母様がわたしの手を引いて、お父様がいる奥の書斎へと向かう。
 途中、何気なく階段を見上げると、踊り場に人影が現れた。

「キャロル!」

 わたしの名を叫んで、階段を駆け下りてきたのはシェリーだ。
 彫りの深い整った鼻筋、唇は程よく小さめで、二重の瞼を飾る睫毛は長く、表情を形作るパーツは完璧なまでに整っている。
 結わえていない長い金髪は癖もなく流れていて、飾り気のない簡素な緑のドレスを着ているというのに、華やかさが内から滲み出てくるような気さえした。
 相変わらず綺麗なわたしのシェリー。
 再会が嬉しくないはずはない。
 走り寄ってきた彼女を両手を広げて迎えた。
 抱擁を交わすと、シェリーは強く抱きついてきた。

「お帰りなさい、キャロルがいなくて寂しかったの。気が狂いそうだったわ」
「ただいま、シェリー。元気そうで良かった。寂しい思いをさせてごめんなさい」

 シェリーは体を離すと、わたしの手を引いた。

「さあ、キャロル。お部屋に行きましょう。疲れのとれる甘いお菓子があるの、おいしい紅茶もいれるわ」
「シェリー、キャロルは今からお父様にご挨拶を……」

 シェリーがわたしを連れて行こうとするのを見て、お母様が口を挟んだ。

「お父様はお仕事中でしょう? 夕食の時に会えばいいのです。それより、キャロルは長旅で疲れています。わたしに任せてください」

 シェリーの口調には強引さが感じられた。
 お母様は怯んだように黙り、あの重い空気が増した気がした。

「お母様。シェリーの言う通り、先に少し休ませていただきます。それにお父様には身支度を終えてからお会いした方がいいでしょう。長旅で汚れたままなんです」

 たまらず二人の間に入った。
 わたしがそう言うと、母はホッとした顔で頷いた。

「それもそうね。シェリーもキャロルと話したいことがたくさんあるでしょう。入浴の支度をしておきますから、後で侍女に呼びに行かせます」
「ええ。ありがとう、お母様」

 わたしは母に礼を述べ、シェリーと一緒に二階に上がった。
 わたし達はこの階に、それぞれの寝室、勉強部屋、衣裳部屋と三つずつ与えられている。
 シェリーはそのどれでもない、来客用の応接間に入った。
 室内は絵画や壷などの美術品が壁際に飾られ、中央には四人掛けのテーブルが置いてあり、奥の窓は足下まである大きなもので、テラスへと出られるようになっていた。

「そこに座っていて、すぐに用意するわ」

 シェリーは部屋を出て行くと、間もなくワゴンを押して戻って来た。
 ワゴンにはお菓子とお湯を入れたポット、ティーセットが揃えられている。
 わたしはテーブルの支度が整えられている間に、マントを脱いで、手を洗った。

 慣れた手つきでシェリーは紅茶を蒸らし、カップに注いだ。
 席に着いたわたしの前に、透明なオレンジ色をした温かいお茶が置かれた。

「さあ、どうぞ」
「いただきます」

 紅茶を飲んで、焼き菓子を頬張る。
 お菓子の甘さと、紅茶の渋みがちょうどいい感じ。

「おいしい」

 おいしさに思わず口元をほころばせると、シェリーも嬉しそうに笑った。

「お口にあって良かったわ。もっと食べて」
「うん」

 それからは、お茶をしながら近況報告。
 騎士団での出来事などを話していると、シェリーはそっとわたしの手を取った。

「かわいそうに、こんなに荒れてしまって。それに男性だと偽っているのなら力仕事だってあるのでしょう? つらくないの?」
「つらくないとは言えないけど、耐える意味はあるよ。それに楽しいこともたくさんある。友達もできたし、それにね……」

 シェリーにも祝福して欲しい。
 わたしとレオンのことを。

「レオンのこと覚えてる? わたしに剣を教えてくれた人で黒騎士団の一級騎士にまでなったの。よく話していたでしょう? その彼と騎士団で再会して、えっとね、うん、その……。こ、恋人になったの……」

 照れながら言い終えると、椅子が動く音がして、シェリーが席を立っていた。

「な……、何ですって? 嘘でしょう? 本当なの?」
「本当だよ。実は彼も一緒に帰ってきたの。明日、挨拶に来てもらうつもりだよ」

 シェリーの反応を不安に思いながら、わたしも席を立つ。

「どうしたの?」
「な、何でもないわ。急な話だったから少し驚いただけ」

 シェリーは微笑んだけど、その顔は引きつって見えた。
 そんなに驚かなくてもいいのに。

「そう、明日お見えになるの。レオン=ラングフォードだったかしら? 一級騎士としての活躍は、この領地の出身ということでお父様も鼻が高いと喜んでおられるわ。明日は歓迎会になるわね」

 俯いて独り言のように呟くと、シェリーは再びわたしの方を向いた。

「交際の報告は後にしない? お父様も驚かれるはずだし、歓迎会が終わった翌日に改めてした方がいいと思うわ」
「そうだね。大事な話だから、ゆっくり聞いてもらいたいし、レオンにもそう言うよ」

 シェリーの忠告だし、聞いておこう。
 まずはレオン自身を紹介して、落ち着いてからの方がいいしね。

 席に座りなおして、お茶会を続ける。
 シェリーの近況も聞いた。
 なんと彼女は交易を始めたそうだ。
 運営は順調で、各地に支店も出して事業の規模を拡大している最中らしい。

「領民からの税だけに頼っていては、各施設の補修や福祉に当てる費用は限られてくるわ。飢饉もいつ来るかわからないし、先を見越して税の一部を元手に商売を始めてみたの。この地で取れる鉱石や作物を遠方まで運び、仕入れ値より高値で売ってその利潤を得ているの。そして売却先で新たな商品を仕入れて、次の場所でそれを売る。単純だけど、これが意外に成功しているわ」

 シェリーはお父様の下で政務に関わっている。
 寂しいような複雑な気持ちになったけど、跡を継ぐのはシェリーなんだから、これでいいんだ。

「頑張っているんだね。シェリーならこの地を無事に治めていけるよ」
「何を言うの、次の領主はキャロルなのよ。わたしは補佐役としてあなたを支えるつもりなの。でなければ、誰がこんな……」

 言いかけて、シェリーは口をつぐんだ。
 最後の方はよく聞こえなかったけど、今の口ぶりから想像すると、シェリーは跡を継ぐことをそれほど望んではいないみたい。
 彼女は首を振ると、空気を和ませるためか微笑んだ。

「騎士になっても、いつかは引退するのだし、領主になるのはそれからでも遅くはないわ。それまでわたしが代理でしっかり家を守る。あなたの帰る場所はここなのよ、忘れないで」
「うん、そう言ってくれて嬉しいよ」

 シェリーはこう言ってくれているけど、お父様達の考えは違うかもしれない。
 でも、いいや。
 シェリーの気持ちだけで、とても嬉しい。

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