わたしの黒騎士様
エピソード5・シェリー編・2
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だけど、事はうまく運ばなかった。
キャロルがお父様に直談判して、広場の閉鎖を取りやめさせたのだ。
おまけに子供達へのお咎めもなくなり、剣の稽古を続ける許可まで出たという。
どうして、どうして?
爪を噛んで、苛立ちを抑え、お父様の様子を見に行った。
お父様はお母様を相手に、嬉しそうな顔でキャロルのことを話していた。
「キャロルに説教をされるとは思わなかった。あの子も知らぬ間に成長していたのだな。まだ九つになるかならないかの子供なのに、領主になるための心構えを身につけておる。街での体験はあの子にとって良いことなのだろう。屋敷での勉強さえ怠らねば、私からは何も言うことはない」
お父様の怒りはすっかり解けており、作戦が失敗したことを悟った。
これ以上、お父様を使って邪魔をすることはできない。
他の作戦を思いつくこともできず、わたしは渋々引き下がった。
それからしばらくして、レオンとかいうあの男は街を出た。
キャロルはあの男がいなくなっても広場に通い、剣の稽古を続けていた。
しかし、彼女は屋敷での修練も進んで行い、次期領主としての教育も順調にこなしていった。
わたしもキャロルの補佐ができるように経済や政治の勉強に励む。
姉妹仲も変わることなく良好で、休憩時間や夜の時間は二人でたくさん話をして過ごした。
不安要素は十五になっても続けられた剣の稽古だったが、わたしはお父様に進言して、わたし達に与えられていた私的な貯蓄を全て管理化に置くようにお願いした。
表向きは子供に高額なお金は必要ないとの理由をつけたけど、キャロルが外に出て行かないようにするための保険だった。
そうやって完璧に手をまわしておいたつもりだったのに、十六才になったキャロルは家を抜け出して王都に向かった。
残された書き置きには、騎士団に入ること、自分勝手な行動を詫びる言葉が書かれていた。
お父様はすぐに追いかけるように指示を出したけど、キャロルに追いつくことはできなかった。
その後、キャロルから連絡がきたのは、黒騎士団の入団試験に合格したと知らせる手紙が最後だった。
キャロルがいなくなって数日は落ち込んだ。
外で被る良い子の仮面も、ストレスを増やす要因だ。
気分転換に外出すると言って、こっそり屋敷の地下に行く。
我が家の地下はかなり広く掘られていて、魔獣が生息する結界で封じられた迷宮まである。
それ以外にも部屋はあり、暗殺者を養成していた施設と思われる場所を密かに人を雇って改築して、わたし専用の訓練場に作り変えた。
わたしも偶然に屋敷の書庫で地下に関する文献を見つけて存在を知ったので、家人の誰も、お父様でさえ、地下室の存在を知っていても、入り口の場所やどんな用途で作られたものであるのかを知る者はなかった。
練習用に幾つも円形の的を置き、狙いを定めてナイフを投げる。
ナイフも特注品のもの。
キャロルが剣の稽古をするようになって、わたしも何か護身用に身につけようと始めたのだ。
訓練の成果で、今では百発百中の命中率を誇る。
動く的としては、地下の魔獣を相手にした。
迷宮の入り口近くで、一匹倒した。
蝙蝠に似たそれは、とても素早かったけど、わたしのナイフは急所に刺さり、数本の命中で仕留めることができた。
人の急所を突くなんて簡単かも。
自分の手を汚す気はさらさらないけどね。
的を相手に存分にナイフを投げ、気が治まったところで屋敷に戻った。
さてと、また良い子に戻るか。
キャロルが望む、常に微笑みを絶やさない、心優しい女の子にならなくちゃ。
わたしが人に親切にする理由は、キャロルに失望されないためだ。
交易を始めて領内の経済を潤わそうと考え始めたのだって、キャロルがこの地を愛しているから。
全てキャロルの大事なものだから、わたしも優しくするし、守ろうとする。
そのことを誰もわかっていない。
美しく優しいお嬢様に幻想を抱くのは勝手だけど、人の本質を見抜けないお馬鹿さん達は、見事にわたしの神経を逆撫でしてくれた。
部屋に戻る前に紅茶を入れてもらおうと、侍女達のいる部屋に近づくと話し声が聞こえてきた。
わたしの専属をしている侍女の声だ。
親が病に倒れ、家族を養うために働きに来たと言っていた。
街で働くより、給金は格段に上だから、必死で伝手を探してきたらしい。
知人の紹介状を持っていたとはいえ、良家の子女ではないことから、お父様は断ろうとしたけど、事情を知ったキャロルが雇ってあげてと口添えしたのだ。もちろん侍女はそんなこと知らないけど。
ちょうどわたしについていた侍女が辞めたところだったので、彼女はわたしの専属になった。
作法は全くできてないし、見かねて指導してあげたらマシになったけど、正直言って性格も好きになれない。陰口が大好きで無駄に好奇心の強い鬱陶しい女だったからだ。
それでも我慢して気に入ったフリをしていたのは、キャロルのためだった。
キャロルが彼女に同情していることを知っていなければ、すぐに暇を出していただろう。
お茶を頼もうとドアに手を伸ばし、会話の中にキャロルとわたしの名前が混じっていることに気づいて、扉を開けるのをやめた。
中にいる侍女達はわたしの気配に気づいておらず、お喋りを続けた。
「大きな声では言えないけど、キャロライン様が戻ってこなければいいと思っているの。だって、シェリー様の方が頭も良くて気品もあってお美しいし、跡継ぎに相応しいもの。そう思うでしょう? キャロライン様は剣を習っておいでだったし、万が一癇癪でも起こされたら怖いじゃない。シェリー様はそんなことないもの。あの方はどんな人間にも慈悲深くてお優しいのよ」
「やめなさいよ、そういうこと言うの」
同僚の女も一応諌めてはいるが、形だけで咎める様子はない。
発散させたはずの苛立ちが、再び戻ってきた。
「シェリー様、いかがなされましたか?」
背後から声をかけてきたのは執事のセバスチャンだ。
振り向いたわたしを見て、彼はひどく驚いた。
「お顔の色が真っ青です。早くお部屋に……」
身を案じ、伸ばされた手を振り払った。
セバスチャンは戸惑いを浮かべてわたしの顔を覗き込んできた。
「シェリー様?」
この男も、仮面を被ったわたししか知らない。
久しく忘れていたどす黒い感情が心に満たされた。
わたしはどうして彼らにまで良い顔をしていたのだろう。
キャロルがこの家にいない今、気にする必要もないのに。
いい機会だわ。
わたしがいればキャロルは必要ないなんて言う馬鹿どもに、自分の立場を思い知らせてやる。
わたしは侍女達のいる部屋のドアを開けた。
彼女達はいきなり開いたドアとわたしを見て、びっくりしている。
自分の瞳に宿る感情が冷たく凍えていくのがわかる。
その目で侍女を睨み、セバスチャンを振り返った。
「セバスチャン。屋敷にいる使用人を全て集めなさい。話があるの。そこのあなた達も手伝って」
セバスチャンは訝りながらも受けた命令を実行しに去っていった。
侍女達も同僚を呼びに向かう。
都合の良いことに、今日は両親がいない。
遠慮することなく、自分の素顔を曝け出すことができる。
込み上げてくる笑みは、きっと今までで一番黒く残酷な色に染まっていたに違いない。
ふと、窓に目を向けると、雨がしとしと降りかけていた。
「何の御用でしょうか、シェリー様」
「シェリー様のためなら、喜んでお力になりますわ」
何のために呼ばれたのかわかっていない暢気な女は、にこにこ笑って擦り寄ってきた。
「うるさい」
わたしが発した言葉を聞いて、全員が時を止めたかのごとく固まった。
理解が追いついていないのだろう。
わたしが良い子の仮面を取るのは、これが二度目だ。
シェリーお嬢様の裏にこんな素顔があるなんて、彼らは考えたこともないのだ。
「ど、どうなさったんです? シェリー様」
ようやく口を開いたのはセバスチャンだ。
わたしは腰に手を当て胸を張り、彼らを睨みつけた。
いつもと様子の違うわたしに気づき、使用人達はざわめき始めた。
「あなた達に言っておきたいことがあるの。この世に完璧な善人なんていると思う? いるわけないわよ。あなた達の愛する天使のようにお優しいシェリーお嬢様も、しょせんはただの人間なのよ。真っ黒な醜い感情も持っている。いいえ、普段は良い子を演じているから、その分だけ内に溜まった闇は計り知れないほどに膨れ上がっているわ」
呆然としている聴衆に向かい、わたしは言葉を紡いでいく。
偽ることのない本音を。
「誰にでも平等に優しくできるのは、どれもが同じぐらいどうでもいいからなの。わたしの特別な人は一人だけ。キャロルだけが、わたしが認める価値のある存在。それ以外はあってもなくても困らないし、どうなったって知らない。この領地も、この地に生きる人だって、キャロルが大切にしているから、わたしも大事にしていただけよ。良い子にしてたのだって、自分に都合がいいから。キャロルも良い子のわたしの方が好きに決まってる。でも、キャロルがいないんだもの。何も知らないくせに、あの子のことを乱暴だの無能だと陰で蔑んで必要ないなんて言うあなた達の前でまで、そうである必要はないと気がついたのよ」
傍にいた侍女に視線を向けると、血の気の失せた顔で立ち尽くしていた。
今のわたしの言葉が自分に向けられたものだとようやく気がついたらしい。
夢か幻ではないかと、現実を見ることを恐れているのが伝わってくる。
わたしは彼女を軽侮の目で見つめた。
「ねえ。わたし、本当はあなたのこと大嫌いだったの。無駄口ばかり叩く上に、無作法な役立たずなんだもの。それでも傍に置いて面倒を見てあげたのは、あなたの事情を知ったキャロルが雇ってあげてとお父様に口添えしているのを聞いたからよ。そうでなければとっくの昔に首にしていたわ。キャロルはわたしと違って本物の綺麗で優しい心を持っている子なの。それなのに、キャロルが戻ってこなければいいですって? この恩知らず! もう一秒だってその顔を見ていたくないわ! 暇を出すから、今すぐこの屋敷から出て行きなさい!」
雨の降る外を指差し、怒鳴りつけた。
女はショックが大き過ぎたのか、立ち尽くしたまま動かない。
わたしは彼女の背後にいた使用人の男に命じた。
「この女の私物を外に出して。一つ残らず全部よ」
男は迷いを見せて、女とわたしを交互に見た。
女は弾かれたように動き出し、わたしにすがりついてきた。
「シェ、シェリー様! ご冗談でしょう? 私には養わなければならない家族がいることをご存知のはずです! どうか、どうか、お慈悲を!」
「触らないで、どこまで頭の悪い子なのかしら。言ったでしょう? あなたがどうなろうが、わたしの知ったことじゃない。今まで誰に守ってもらっていたのか、知ろうともしなかったあなたが悪いのよ」
すがる女を振り払い、他の使用人の顔を見回した。
どれもこれも青白い顔をして、笑えるぐらい動揺していた。
「あなた達にも同じことが言えるわ。今まではキャロルがいたから優しくしてあげたけど、取り繕う必要もなくなった。せいぜいわたしの機嫌を損ねないように、命令には忠実に従い、手足となって働くことね。お父様やお母様に告げ口したって無駄よ。二人ともわたしの方を信じるわ。そのために長い間良い子を演じていたんだもの。さあ、わかったら早くして」
使用人達を促すと、彼らはためらいながらも動き始めた。
あの女は泣き崩れていたけど、少しも可哀想だと思えなかった。
わたしのキャロルを侮辱した罰よ。
追い出すだけで済ませてあげたことを感謝して欲しいぐらいだわ。
女が屋敷を去った後、お母様がわたしに話があるとやってきた。
何食わぬ顔で迎え、お茶を入れて出す。
もう専属の侍女は必要ないと言ってある。
本性を見せたから、わたしに付きたがる者もいないでしょうけどね。
「あのね、シェリー。先日辞めたあなたの侍女のことですけど」
「あら、どうなさったの?」
微笑んで先を促す。
お母様はわたしが彼女を追い出したのではないかと疑いを口にした。
「まあ、とんでもない。あの子は自分で辞めると言ったのですよ。他の使用人にお聞きください、わたしが追い出したなんて誰が言っているのですか?」
「いいえ、そう言っているのは本人だけで、他の者は何も言っていませんけど……」
「お母様はわたしがそんなひどいことをすると思っておいでなの? 信じてくださらないのね」
泣き顔を作り、両手で顔を覆って俯いてみせる。
するとお母様はうろたえて、わたしの背に手をまわした。
「そうではないのよ、シェリー。あなたを信じているわ。でも、一方の言い分だけを聞いて判断してはいけないから、こうして話を聞きにきたのよ。あなたが何もしていないと言うのなら信じますよ」
おろおろと宥めるお母様の声を聞き、簡単にごまかすことが出来て拍子抜けした。
押しが弱いわね、お母様。
優しいのはいいけど、公平に物事を見たいなら、もっと毅然とした態度をとらなくちゃ。
わたしはお父様とお母様のことを嫌ってはいない、キャロルの次ぐらいには好きだし愛している。
でもね、言いなりにはならないわ。
従順な良い子の時期はとうに終わってしまったの、自分が有利になるなら嘘だってつく。
どうしてわたしはこんな風に育ってしまったんだろう。
キャロルはあんなに素直な良い子なのにね。
お母様は王都にいるキャロルに宛てて、毎週手紙を書いていた。
セバスチャンに預けられたその手紙をわたしは全て処分した。
始めはわたしがついでに出しに行くと言って預かり、本性を見せた後は彼を脅して捨てさせた。
だって、キャロルの家出はお父様とお母様のせいでもあるのよ。
今頃、優しい言葉をかけて、あの子を懐柔しようだなんて癪だったの。
それにわたしが手紙を送ってもキャロルは一度も返事をくれない。でも、お母様が手紙を送れば返事がくるかもしれないことは薄々わかっていた。
そんなのは嫌。
まるで、キャロルにとって、わたしの存在が両親以下みたいに思えてくるからだ。
そんな時、お父様が風邪で寝込んだ。
軽い風邪だというのに、お父様はもう自分は長くない、一目キャロルに会いたいと何度も言って、お母様を困らせていた。
お母様はお父様に急かされる形で手紙を書き始めた。
セバスチャンがいつものようにその手紙を持ってきたので処分しようかと考えたけど、気が変わった。
これはチャンスよ。
キャロルをここに呼び戻す計画を考え、わたしも手紙を書いた。
手紙は王都に届き、キャロルは故郷に帰ってきた。
忌々しい男と一緒に。
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