わたしの黒騎士様
エピソード5・シェリー編・4
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夜が明けた。
なんて清々しい目覚めなのかしら。
邪魔者を片付けてすっきりしたわ。
身支度を整えて部屋を出ると、セバスチャンがおどおどした顔で話しかけてきた。
「シェリー様。あの後、彼のことをどうなされたのですか?」
わたしは極上の笑みを浮かべ、小さな声で囁いた。
「とても楽しい場所に案内したの。今頃は、まだ遊んでおいでのはずだわ」
命がけでね。
最後にそう付け足す。
蒼白になっているセバスチャンを置いて、キャロルの部屋の前に移動した。
さて、次はキャロルを慰めなくちゃ。
深呼吸して、表情を整える。
ごめんね、キャロル。
嘘をつくのは今だけよ。
これもわたし達の幸せのためなのよ。
「キャロル、起きてる?」
ノックをして呼びかけてみたけど返事はなかった。
起きている気配はしているから、入ってみよう。
「入るわよ?」
ドアを開けると、キャロルはベッドの上で体を起こして座っていた。
彼女はかわいそうなほど落ち込んで顔色を悪くし、わたしを見るなり目を逸らした。
「おはよう、シェリー」
気丈にもキャロルはわたしに声をかけ、身支度を始めた。
下手に言葉をかけるわけにもいかず、わたしは黙って俯いていた。
「レオンはもう起きたの?」
キャロルが彼の名前を出したので、前もって用意しておいた筋書き通りに説明を始めた。
「あの人はもういないわ。夜が明ける前に出て行ってもらったの。今頃は王都に向かっていると思うわ」
得意の泣きまねをしつつ、わたしはキャロルにすがりついた。
「昨夜、寝つけなくて庭に出ていたら、あの人が来たの。キャロルの恋人で、いずれ義理の兄となる人だからと気を許して話し相手になっていたわ。でも、キャロルに気づいて手を振ったら、あなたすぐに部屋に入ってしまったでしょう? 誤解を解かなくちゃって彼に言ったら、わたしの方を好きになった、キャロルとは別れるなんて言い出したのよ」
ここからが肝心。
下手に未練が残らないように、彼がとてもひどい男だとキャロルに思わせなければならない。
気を抜かず、演技を続けた。
「なんて酷い人。わたしは怒って彼を追い出したの。二度とこの街に帰ってこないって、キャロルの前に現れないって約束させた。あんな男のことなんて忘れてしまいなさい。わたしだけはキャロルを裏切らないわ。これで騎士を目指す必要もなくなった。キャロルはこの家でわたしと暮らすの。いつまでも、一緒にいましょうね」
これでいい。
キャロルはあの男に愛想を尽かし、ついでに男に絶望して、わたしを選んでくれるはず。
心で笑いながら、顔は神妙なままで、わたしはキャロルに優しく語りかけた。
キャロルは黙ってしまい、考え事をするかのごとく瞼を閉じた。
どうしたのかしら?
何も迷う必要はないわ。
わたしの手を取ってくれれば、幸せな未来が待っているのよ。
キャロルは目を開けると、わたしから離れて向き合った。
わたしの肩に手を乗せ、正面から見つめてくる。
「シェリー、嘘をつかないで。わたしを裏切らないのなら、全てを話して。あなたに何があったの? レオンはどこに行ったの?」
思いがけないキャロルの問いに、うろたえてしまう。
キャロルがわたしを信じてくれない。
その事実がわたしから冷静さを次第に奪い始める。
「何を言っているの、嘘なんかついてないわ。キャロルはわたしより、あの人を信じるの? 今も昔も彼はキャロルを利用しようとしていただけよ。領主の娘を手懐けておけば、自分達の役に立つものね。街の人達だって同じよ、親切そうな顔をしていても心の中は打算だらけ。お父様やお母様だって、家のことしか考えてない。本当にキャロルを愛しているのはわたしだけなの」
キャロルが離れていく恐怖にかられ、わたしは周囲の人間全てを罵った。
でも、キャロルはわたしの言葉を否定して、首を横に振った。
「それは違う。わたしは生まれてから、あの孤独だと思っていた日々の中でさえ、多くの人の愛情に包まれていた。今、ここに帰ってきてそれがわかった。シェリーの方こそわからないの? わたし達は愛されているのよ。お父様とお母様だって……」
「騙されちゃだめよ、キャロル!」
キャロルの話を遮って、声を張り上げた。
「キャロルは優しすぎるのよ。だから、みんな利用しようとする。わたし達の周りにいるのは、目に見えるものにしか価値を見出せない愚か者ばかりよ。わたしの容姿を褒めて、能力を評価する者がいても、それだけよ。わたしが不器量で無能であれば、誰も近寄ってさえこなかったでしょうよ。無条件でわたしを愛してくれたのは、キャロルだけ。物心ついた時からずっと、わたしにはあなたしかいなかったのに、みんなが邪魔をして引き離した。他の人間なんていらない。わたしの傍にはキャロルだけがいればいいのよ」
みんなが愛しているのは、優しくて綺麗なシェリーお嬢様。
お父様とお母様が愛しているのは、何でも言うことを聞く、何をやらせても優秀な良い子のシェリー。
キャロルだけが、そんな価値だけでわたしを見なかった。
神様の導きで、偶然一緒に生まれただけの、ただのシェリーを愛してくれた。
わたしが信じることができるのは、キャロルだけだ。
どうしてわかってくれないの。
「シェリー、そんなこと言わないで。みんながみんなそうじゃない。表面的なものだけじゃなく、ちゃんとシェリー自身を見て愛してくれる人もいるはずだよ」
「そんな人いないもの。キャロルに捨てられたら、わたしはどうしたらいいの? 愛してるって言ってくれたじゃない。わたしの傍にいてよ、一人ぼっちにしないで!」
自分の望みをごまかすことなく言葉にして泣き喚いた。
泣いて駄々をこねたのは初めてかもしれない。
わたしには欲しいものなんてなかったから。
生まれてから、唯一心の底から欲しいと思ったものは、キャロルの愛情だけだった。
キャロルは泣くわたしをしっかりと抱きしめた。
「ねえ、シェリー。わたしはあなたを愛している。誰よりも、あなたを大切に思っている。傍にいたいのも本当よ。だけど、あなたがわたしを支えとするように、わたしはレオンを支えにしてきた。あなたがわたしを愛してくれるように、わたしは彼を愛している。比べることなんてできない。それはどれだけ離れていても変わらない。七年間、レオンと離れて生きてきたけど、気持ちは変わらなかった。シェリーのことも、離れていても愛している。信じて欲しいの、わたしのあなたへの愛は、揺らぐことのない永遠のものであることを」
キャロルが穏やかに語りかけてくる。
わたしが大事だと、何度も言葉にしてくれている。
昂っていた気持ちが落ち着いてきた。
「シェリーは一人じゃない、わたしがいる。そして、閉じこもらないで周りに目を向けて。シェリーが幸せじゃないなら、わたしも幸せになれない。つらいことがあったら何でも打ち明けて。わたしとあなたは互いにたった一人の姉妹なんだから」
「キャロル、わたし……、ごめんなさい……」
何に対して謝っているのか自分でもわかっていなかったけど、その謝罪の言葉は自然に出てきてた。
キャロルは背中を擦って慰めの言葉をかけてくれた。
「泣かないで。わたしはシェリーの笑顔が大好きなの。小さい頃は天使みたいだったけど、今は女神様みたいに綺麗になったね。シェリーはわたしの自慢の妹だよ」
「そんなことない。天使はキャロルの方よ。ずっとずっと昔から、あなたはわたしの光だった。わたしこそ、あなたと一緒に生まれてきたことを誇りに思っている」
あなたのその言葉を聞けただけで、生きている意味があった。
わたしも愛しているわ。
たった一人のわたしの天使を。
笑いあって、抱きしめあう。
最高に幸せな気分。
でも、幸福な時間は長く続かなかった。
笑っていたキャロルが、何かに気づいたようにハッとした。
「シェリー、レオンは?」
キャロルの問いかけと、ドアが開いたのはほとんど同時だった。
「キャロル、ここにいるのか!」
飛び込んできたのは、我が宿敵レオン=ラングフォードだった。
手入れのされていない迷宮は蜘蛛の巣と埃だらけだったのだろう、体も着衣もドロドロに汚れていた。
魔獣とも壮絶に渡り合ったのは明白で、顔には疲労の色が窺える。
こんなに早く脱出してくるなんて、予想外だったわ。
一級騎士を甘く見過ぎていたわね。
内心で舌打ちし、睨みつける。
向こうも険悪な表情で睨んでくる。
怒っているのだろうけど怖くないわ。
でも、キャロルの前だから、怖がるフリをしておこう。
わたしはすかさずキャロルの背中にしがみつき、怯える演技をした。
「シェリー殿、昨夜は面白い場所に案内してくれて感謝する。一晩中楽しめたよ」
わたしに対し、皮肉るように、彼は言った。
怒り漲るその声に、反応したのはキャロルだ。
「レ、レオン、シェリーを怒らないで。これには理由があったのよ、怒るならわたしを怒って。あなたが大変な目にあったのは、その格好を見ればわかる。気が済むなら、殴ってくれてもいいよ」
キャロルがわたしを庇うと、レオンは怒りの表情を消し、困り出した。
頭を掻いて、言葉を探している。
「いや、殴るとか、そういうことはしないが……。ただな……」
二人の会話を聞きながら、思考を働かせる。
今回はここで退いておきましょう。
ちょうどいい引き際のようだしね。
わたしは上目遣いで彼の動向を探るような仕草をしつつ、前に出た。
深く頭を下げて、形の上では完璧に反省しているように見せかける。
「レオン殿、申し訳ありません。あなたを地下室に閉じ込めるだなんて、わたしはなんてことをしてしまったのかしら。キャロルを取られて悔しかったんです。どうぞ、お好きなように罰してください」
嘘は言ってないわよ。
あれも立派な地下室よね。
罰を受けたいなんて本心じゃないけど、キャロルの前にいる良い子のわたしなら、こう言うはずだから仕方ない。
「レオン、シェリーを許してあげて!」
ダメ押しで、キャロルが懇願する。
この状況で真実を話すほど、この男は冷徹ではなかった。
声を詰まらせ、黙り込み、ため息をつく。
「もういい。今回のことはキャロルに免じて水に流そう」
「ありがとう、レオン!」
キャロルが安堵の声を上げた。
うまくいったわ。
キャロルがこちらを見ていないことを確認してからニヤリと笑う。
こちらを向いているレオンは、わたしの表情に気がついたようだ。
悔しさを堪えるような顔でわたしを見ている。
ふんだ。
そう簡単には認めないわよ。
これからは徹底的に邪魔してやるんだから。
ちょうど王都に出店を予定していた交易の支店の準備が整ったこともあり、騎士団に戻るキャロル達にわたしもくっついて行くことにした。
お父様からはくどくどと注意事項をたくさん言い渡された。
知らない男には注意しろとか、舞踏会や晩餐会で知り合った男性に誘われても断って早めに帰れとか、異性関係の注意事項が多いのが気になった。
言われなくても男になんか興味ないもの、適当に聞き流しておこう。
同行者として、セバスチャンが補佐役兼守り役としてつけられた。
まあ、彼は扱いやすいからいいでしょう。
王都に着き、こちらでの住まいに荷物を置いてから、キャロル達と一緒に騎士団を訪問する。
賄賂は逆に心証が悪くなると聞いたので手ぶらだ。
主要な人物に媚びを売っておいて損はないだろう。
レオン抹殺計画に利用できる人間もいるかもしれない。
キャロルに連れられて、副団長、団長の順にご挨拶。
副団長のグレン=ロックハート様はレオンの友人でもあるらしい。
わたしに対する反応は普通だ。
つけ入る隙は少なそう。
この人を利用するのは難しいだろう。
次に会った団長のウォーレス=マードック様は、お堅い見た目の印象通り、清楚で控えめなタイプの女性がお好みのようだ。
いつものお淑やかで良い子のシェリーで挨拶すると、彼は満面に笑みを浮かべた。
単純な人だ。
どことなく、お父様とタイプが似ている気がする。
副団長と違って、味方につけるのは容易いわね。
最後にキャロルの同期である従騎士達と会った。
その中でも特に親しい友達だという二人に紹介される。
「はじめまして、トニー=ナッシュです。キャロルの妹さんって、すっごく綺麗だね」
「ありがとうございます、お世辞でも嬉しいわ」
賑やかな印象の少年は、わたしを見るなり賛辞を口にした。
調子がいいのかとちょっぴり眉をしかめたけど、どうやら彼は思ったことをストレートに口にするタイプらしい。
キャロルの友達だから、嫌な子ではないんだろう。
ていうか、この子も結構単純な方?
「よろしく」
多くを語らず、握手を求めてきたのは、ノエル=レイモンドと名乗る青年だった。
年は二つ上らしい。
キャロル達と比べると、性格もあるのだろうけど落ち着いて見える。
他の者と違い、彼だけはわたしに興味を示さなかった。
気になってよくよく観察していると、ノエルがキャロルに特別な好意を持っていることに気がついた。
それも気づかれない程度に距離を取り、他の者に向けるものとは少し異なる温かい眼差しでキャロルを見ている。
キャロルは知らないんだろう。
彼が自分に寄せる好意の意味を。
これは使える。
彼をつついて仲間に引き入れましょう。
どうせ、同性だからと告白をためらっているのだろうから、キャロルがレオンと別れても脅威にはなりえない。
良い手駒を見つけた喜びで、心の中が湧きかえる。
帰り際に、彼にだけ聞こえるように声をかけた。
「わたし達、お仲間ですね」
ノエルはきょとんとした顔で、わたしを見つめた。
今はわからなくてもいいわ。
そのうち、またお会いしましょう。
騎士団での下調べは十分できた。
覚悟しなさい、レオン=ラングフォード。
今度こそ、あなたからキャロルを奪い返してみせるから。
END
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