わたしの黒騎士様

エピソード6・おまけ 副団長のバカップル観察記録

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 始まりは白騎士団の敷地でキャロルを見かけた時だろうか。
 彼女はオスカーを呼び止めて、何事か話していた。
 真剣な顔で口を動かしているキャロル。
 話を聞いていたオスカーの表情が、次第に苛立ちを含んだものに変わっていく。

「やかましい! お前には関係ねぇだろ! 余計な首を突っ込むな!」

 オスカーの怒鳴り声が、離れた場所にいる私の所まで届いた。
 これは止めた方がいいのだろうか?
 オスカーはすぐに手が出る。
 彼はキャロルを男だと思っているだろうから、多少華奢なぐらいでは加減はしないだろう。
 従騎士時代、少女と見まがうような容姿のメイスンを相手に、力一杯拳を振るっていた彼のことを思い出して、すぐに割って入れる位置にまで近づいていった。

 幸いオスカーは怒鳴るだけ怒鳴って立ち去った。
 彼がいなくなると、キャロルも不機嫌そうに黒騎士団の敷地に戻っていく。
 一体、何の用事だったんだ?
 首を傾げつつ、私もその場を立ち去った。




 それから間もなく、騎士団内に不穏な噂が流れた。
 キャロルがレオンを捨て、オスカーに乗り換えたというものだ。
 彼女が毎日のようにオスカーを追い掛け回していることから、誰かの邪推が一人歩きして伝わったものと思われる。
 私の見た限り、そんな甘い内容の話じゃなさそうだったけどな。

 その噂の影響をまともに受けたのがレオンだ。
 彼は日に日に憂鬱な影を濃くして暗くなっていく。
 朝食の席で顔を合わせた時も、滅多にないことだが、彼は私に不安な胸の内を訴えたのだ。

「昨夜も一緒に過ごしたんだろう? その時に変わったことはあったかい?」
「いや、何も。いつも通りだ。愛しているかと尋ねたら、答えてくれたし……」

 レオンもキャロルを信じようと努力していた。
 私は彼の肩を叩いて励ました。

「キャロルは嘘をつくような子じゃない。それは君が一番よくわかっているはずだ。彼女の言葉を信じるんだ」
「そうだな。オスカーのことも何か他の用事があるんだろう。気にしすぎだったな」

 レオンは笑ったが、口元が微かに引きつっていた。
 納得したフリをしているが、信じてないだろ。

 武術であれば己の努力が自信を与えてくれるが、男女の仲はそうもいかない。
 他人の心を完全に把握することなど、誰にもできないのだ。
 恋愛とは縁遠い生活を長年してきたレオンにしてみれば、自信がないのも当然か。
 キャロルを深く想うがゆえに臆病になる。
 百戦錬磨の騎士にも思わぬ弱点があったものだ。

「気になるなら、キャロルに直接聞いてみればいい。案外簡単に教えてくれるかもしれないよ」

 悩むほどのことはないような気がする。
 キャロルとオスカーのやりとりは、愛の語らいとはとても思えぬものだ。
 どちらかというと、キャロルはオスカーを責めているようだった。
 二人の間に何があったのかはわからないが、この騒ぎもすぐに収まるだろうと私は予想した。




 午後になり、レオンと敷地の中を歩いていると、オスカーの姿を見かけた。
 その彼にキャロルが走り寄り、いつものように言い合いを始めた。
 端から見ても険悪な空気が漂っている。
 レオンもまずいと思ったのか、二人がいる方向に足を向けたその時だ。

「どうしてわからないんですか! オスカー様のこと、好きなのに!」

 思いっきり聞こえてしまった。
 耳に届いた言葉を整理して、意味を理解して青くなった。
 あの噂は本当だったのか?
 他人事ながらショッキングな出来事に遭遇してしまい、早まる鼓動を抑えつつ、レオンの様子を窺う。

 レオンは蒼白になっていた。
 そうだろうな。
 目の前ではっきりと心変わりを宣言されてはな……。

 レオンはふらふらとキャロル達の前に出て行った。
 彼に気づいたキャロルは驚いた顔で硬直している。
 修羅場だ。
 私は思わず胸を躍らせ……ではなく、心配して成り行きを見守った。

「オレにお前を引き止めるだけの力がなかったんだろうな。……だめだ、簡単に気持ちを切り替えられそうにない。どうしてなんだ、キャロル。昨夜だって、あれほど何度も愛していると言ってくれたじゃないか! くそ、もっと激しく抱いておくべきだったか!」

 キャロルに弁解の隙を与えることなく、レオンはまくしたてた。
 そこにキャロルが声を上げる。

「ちょっと、レオン、落ち着いて! 違うの、わたしとオスカー様は何でもないの! わたしが好きなのはあなただけだよ!」

 キャロルがオスカーの目の前で先ほどの発言をまるごと否定した。
 おいおい、どうなっているんだ。
 さっきのは紛れもなく告白だっただろう?
 キャロルの言動が理解できなくて戸惑うばかりだ。

 レオンは彼女の肩を掴み、揺さぶりながら詰め寄った。

「やめろ、ごまかすんじゃない! たった今、目の前で告白を聞いたんだ。なぜ、オレじゃなくてオスカーなんだ! オレのどこが不満だったんだ! そんなにあいつのことが好きなのか!」

 レオンの手を振りほどいたキャロルは、問い詰める彼の口を唇で封じた。
 突然のキスに、レオンも驚いて止まる。

「あれは、違うの! オスカー様のことが好きなのは別の人で、わたしはその代弁をしてただけなの!」

 あ、そうだったのか。
 どうやら主語が抜けていたらしい。
 私が納得したのと同時に、レオンも冷静さを取り戻したようだ。
 彼はキャロルを抱き寄せ、すがりつくように問いかけた。

「それは……、嘘じゃないんだな? キャロルはオレのことが好きなんだな?」
「いつも言ってるじゃない。あなたのことが大好きだって」

 人前であるにも関わらず、二人の世界が構築されていく。
 オスカーが顔をしかめて彼らに背中を向けた。
 そのまま彼は立ち去った。
 痴話喧嘩につきあってられないよね。
 私も退散した方がいいかな。

「キャロル、お前はオレのものだ。誰にも渡さない!」

 立ち去ろうとした瞬間、レオンがキャロルに強引に口づけた。
 息苦しいのか、キャロルは手足をばたばた動かしてもがいている。
 レオンは彼女の体を撫でまわしながら、耳や首筋に執拗なキスを繰り返した。

「や……、待って、だめぇ……」

 抵抗するキャロルの声に甘い響きが混じる。
 ちょっと待て!
 ここでするつもりなのか?
 場所を移ることなく情事に突入しかねない気配を感じ、私は慌てて止めに入った。
 



 結局私はその場に残り、レオンと一緒にキャロルから事情を聞いた。
 オスカーが孤児院で育ったことは知っていたが、想いを寄せている女性がいたとは知らなかった。

「今夜は孤児院で誕生日のお祝いをするんです。オスカー様にも行って欲しかったんですけど……」
「オスカーは新鋭の闇組織を摘発する担当を任されているからね。捜査の指揮もあるから、どちらにしても今夜は行けないんだ」

 私がそう言うと、キャロルは肩を落とした。
 レオンが彼女の背中に手を置き、声をかけた。

「キャロルだけでも行ってくればいい。オスカーには時間があれば顔を出すようにオレ達からも言っておく」
「うん、お願いね」

 少しだけ笑顔を見せて、キャロルは駆けて行った。
 彼女を見送り、レオンはバツの悪そうな顔で頭を掻いた。
 私は苦笑して彼を肘で突いた。

「完全に噂に踊らされたな。君はキャロルが絡むと冷静な判断ができなくなるから気をつけないとね」
「わかっている」

 不機嫌な声音でレオンは答えた。
 これで事情がわかったことだし、我々も協力しようと相談したが、その日の夕刻、事態は大きく動き出した。

 ダリク=バクターを頭とする一味が、組織の全貌が暴かれたことを察知して逃亡を図ったのだ。
 彼らは王都を脱出する際に、孤児院の子供達を誘拐しようとしたが、オスカーの推理とキャロルの奮闘で我々は間に合い、一味全員を逮捕することができた。




 バクターは傷が癒えると裁判にかけられ、手下共々然るべき流刑地に送られていった。
 その件の事後処理が全て済むと、王都には再び平穏が訪れた。
 通常任務で処理される案件は、軽い窃盗や傷害事件ばかりで、非常事態というほどでもない。

 平和な空気が漂い始めた頃、騎士団の有志が集まり、酒場を借り切っての飲み会が企画された。
 名目上はオスカーの婚約祝いだが、蓋を開ければ単なる無礼講の大騒ぎだ。
 大声で歌い踊り、隠し芸を披露したりと、みんな日頃のストレスをここぞとばかりに発散させていた。

「何が婚約祝いだ。単にてめぇらが騒ぎたかっただけだろうが」

 ダシに使われたオスカーは、呆れ顔で乱痴気騒ぎを眺めて酒を煽った。
 私はカウンター席で彼と並んで座り、同じく宴会を見物していた。

「お祝い事なんてそんなものだろう? みんな祝福する気はあるんだよ、大目に見てやってくれ」

 フォローを入れてみたが、オスカーもわかっているのだろう。
 気分を害している様子はなく、主役の位置から降りても、それなりに楽しんでいるようだ。

 周囲を見回してみると、酔いがまわった者も数名出始めている。
 レオンの隣で赤い顔をしていたキャロルが突然立ち上がり、服に手をかけた。

「暑いー! 脱ぎまーす!」

 泥酔してまともな意識が飛んでいるらしいキャロルは、叫びながら上着を脱いだ。
 下にはまだシャツを着ているのでセーフだが、これ以上脱ぐとまずいぞ。性別がバレてしまう。

「おー、やれやれ! いいぞー!」

 周りの者が面白がって囃し立てるが、レオンがすぐさま彼女を止めた。

「キャロル、やめろ! 暑いなら外に出るぞ! こら、ズボンを脱ぐな!」
「レオン、抱っこー。ちゅーしてー」

 キャロルは衣服を脱ぐのをやめてレオンに抱きつき、甘えた声でキスを迫っている。
 普段の彼女からは想像もできない醜態だ。
 明日になって記憶が残っていたら、羞恥でのた打ち回ることだろう。

「後でちゅーでも何でも好きなだけしてやるから帰るぞ。ほら、しっかりしろ」
「んー、レオン大好きぃ。愛してるぅ……」

 レオンはキャロルの着衣の乱れを直し、抱え上げて店を出て行った。
 キャロルはレオンの首にしがみつき、ふにゃふにゃ笑っている。
 途中で寝そうだな、あれは。




 視線を店内に戻すと、テーブル席に座っていたウォーレス団長が目に涙を浮かべて鼻水を啜りながら管を巻いていた。
 彼の背中を擦って話を聞いているのは、クラウザー団長だ。

「はいはい、泣かないで。彼女には君の良さが伝わらなかっただけさ。運命の人はきっと近くにいるよ」
「だがな、これで何十回目の失恋なのか数えるのも嫌になった。どうしてなんだ。揃いも揃って「他に好きな人ができた」とは何だ! 私に至らぬところがあったならはっきり言えばいいだろう!」

 ウォーレス団長は、テーブルを叩いてやるせない思いを吐き出していた。
 団長の失恋記録がまた更新されたようだ。
 表立っては知られていないが、ウォーレス団長は恋人と長く続いたことがない。
 騎士団長と言う立場から、引く手あまたの、より取り見取りのはずなのだが、交際が始まり、ひと時の蜜月を過ごした後、不思議なことに「他に好きな人ができた」と相手から告げられて去られているのだ。
 原因は団長にあるというより、心変わりした恋人の方にあるようだ。
 そして私は恋人達の心変わりの原因となった人物が誰なのか気づいている。
 今、何食わぬ顔をして、団長に慰めの言葉をかけている御仁だ。
 一緒にそちらを見ていたオスカーがぽつりとこぼした。

「この前、旦那の女に、うちの団長がちょっかいかけてるの見たぜ」
「大きな声では言えないが、私も何度か見たよ。あの人は何がしたいんだ?」

 クラウザー団長は、ウォーレス団長に恋人ができると、その女性に親しげに近寄る。
 あからさまに口説くわけではなく、相手が好意を持たれていると誤解するような態度で接するのだ。
 そして、女性は心変わりをして、別れを告げて去っていく。
 もちろん、その女性とクラウザー団長が付き合うことはない。
 ウォーレス団長は気づいていないが、彼の失恋記録の裏でクラウザー団長が常に暗躍しているのは確かだ。

「クラウザー団長って、ウォーレス団長のこと、実はすごく嫌っているとか?」
「ありえねぇだろ。うちの団長、旦那のことすげぇ気に入ってるし、モーションかけて靡くかどうかで女の品定めしてんじゃねぇの? そう考えると旦那は見る目がねぇよなぁ」

 オスカーの推測の方が正しく感じられた。
 そうかもしれない。
 ウォーレス団長は騙されやすい性格だ。
 クラウザー団長は心配なのだろう。
 一途に彼だけを愛してくれる女性かどうか見極めているのだとすれば、少々お節介ではあるが、厚い友情からの行動と評価もできる。
 ウォーレス団長にしてみれば、大きなお世話だけど。

 この時の私達は別の可能性を考え付くことはできなかった。
 後日、私は偶然クラウザー団長の真意に気づくことができたが、それは秘密にしておいたほうがいい、衝撃の事実であった。
 どちらにせよ、ウォーレス団長に幸せな春が来るのはまだまだ遠い日のことのように思われた。




「オスカー、おめでとう! 飲んでるー?」

 ケラケラ笑いながら、メイスンがやってきて、オスカーに抱きついた。
 彼もかなり酔っていて、うふふと怪しい声を立てて笑い、酒臭い息を撒き散らした。

「お前、酔っ払ってるだろ?」
「酔ってませーん。ジョッキで七杯ぐらいだよー」
「飲みすぎだ。水でも飲んでろ」

 オスカーは店員に水を頼み、メイスンに押し付けた。
 メイスンは水を飲むと、またオスカーにしがみついた。

「オスカー、結婚しちゃうと寮出るんだよねー、寂しいなー」

 メイスンはオスカーに顔を押しのけられつつも、めげずに甘えている。
 何だかんだ言っても、入団当初から一番親しく付き合ってきた者同士。メイスンが寂しさを感じても仕方がない。

「ああ、寮は出ねぇよ。今のままで暮らす」

 オスカーは平然と答えた。
 私とメイスンはきょとんと彼を見つめた。

「所帯持ちは騎士団の敷地の近くに住むことになってるが、教会と孤児院を移すわけにもいかねぇしな。籍入れるのはケジメだし、生活は今まで通り何も変わらねぇよ。その気になりゃ、いつでも帰れるしな」

 オスカーが寮に残ると言うと、メイスンは大喜びした。

「本当!? 嬉しい!」
「いい加減に放せ! てめぇ、暑苦しいんだよ! 抱きつくな!」
「いいじゃないかー。奥さんと一緒に私も愛してー」
「アホか! オレは野郎に抱かれるのも抱くのも嫌だって、何べん言わせりゃ理解するんだ、てめぇはっ!」

 いや、そういう問題じゃないだろう。
 双方にツッコミを入れたくなったが、酒の席でのことだ、メイスンも翌日には何を言ったか忘れているに違いない。

 あ、オスカーの拳がメイスンの顎に入った。
 綺麗にアッパーカットを喰らったメイスンは、そのまま夢の中に旅立っていった。
 崩れ落ちた彼は、大の字になって床で眠り始める。
 こんなに酒癖が悪いとは思わなかったな。

「おやおや寝ちゃったのか。アーサーはお酒が入るとしつこく絡みだすからね」

 くすくす笑いながらやってきたのは、白騎士団の一級騎士ハワード=マクレガー。
 我々よりは二期上で、今は同僚だが、かつては先輩だった。
 派手さはないが、茶褐色の短髪に涼やかな目元をした男前の美男子だ。
 彼はメイスンの恋人の一人でもある。

 オスカーはハワードに向き直ると、メイスンを指しながら、うんざりした顔をした。

「連れ帰ってくれると助かる。つーか、絡むのがわかってんなら止めろ」
「オスカーは冷たいな。こんなに愛されているんだから、もう少し優しくしてあげてもいいのに。アーサーも報われなくて、かわいそうに」
「報われてどうする。こう見えても友情なら十分返してるぜ。愛情はあんたがたっぷり与えてやりゃあいいだろうが」
「そうしたいのはやまやまだが、彼は君のように本物の恋を知らないんだ。私ではその役目は果たせそうにない。その役ができそうな子が一人だけ傍にいるんだけどね」

 ハワードは視線を動かした。
 その先にいたのはエルマーだ。
 彼女はちらちらとこちらを見ては、俯いたりして、落ち着きのない動きをしている。
 エルマーの不審な挙動を見て微笑すると、ハワードはメイスンの腕を掴んで立たせながら、彼女に声をかけた。

「エルマー、ちょっとこっちに来て。アーサーを運びたいんだ、手伝ってくれるかい」
「は、はいっ」

 エルマーはハワードに遠慮して近寄れなかったらしい。
 呼ばれると飛んできて、運ぶのを手伝い始める。

「寮の部屋まで運んだら、ついててあげてくれないか? 残念ながら私はこの後用事があるんだ」
「ボクなら明日は休みですし、任せてください」

 好きな男を挟んでの恋敵の会話とは思えないほど穏やかだな。
 あの口ぶりだと、ハワードはエルマーにメイスンの恋人の座を明け渡したいのだろうか?
 彼らの関係も非常に興味深い。
 機会があれば、話を聞いてみたいものだ。




 騎士団員達を観察していると様々な恋愛事情が展開されている。
 成就する恋、忍ぶ恋、複雑にこじれる恋。
 レオンとキャロルの関係に興味を持ってつけ始めた観察記録は、予想外の広がりを見せて、私の好奇心を刺激し続けるのであった。


 END

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