わたしの黒騎士様

好意の理由・2

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 会話もなく、ボクとマーカス様は街に出た。
 彼がボクを連れてきたのは、植木と芝生で整備された大きな公園。
 人の姿はまばらだが、小さな子供と母親が遊んでいたり、木陰では老人が日向ぼっこをしていたりと、ほのぼのとした雰囲気の平和な空間だった。

「マーカス様、ここで何を?」

 ボクが問うと、マーカス様は手にした皮袋から何かを取り出した。
 木製の丸い板だ。
 これってフリスビーじゃないか?

「これで遊ぶんですか?」

 思わず尋ねると、マーカス様は頷いた。
 ここまでボクを連れてきたってことは、付き合えってことなんだろうな。
 贅沢は言わないけど、誘った以上は何をするか説明ぐらいして欲しかった。
 口がきけないわけじゃないのに、会話をしようとしないのはなぜなんだろう?

 ボクは彼と離れて向かい合い、身構えた。

「いいですよ、投げてください」

 手を振って呼びかける。
 マーカス様が投げたフリスビーはくるくる円を描きながら、右に大きく飛んだ。
 ボクはフリスビーを追いかけてジャンプし、空中でキャッチ。
 体の調子も戻ってる。
 これなら多少激しく動いても大丈夫だな。

 ボクとマーカス様はフリスビーを投げ合って遊んだ。
 マーカス様も素早くて、どんなに横に逸れたって取り逃すことはない。
 あ、もしかして、これって訓練になってる?
 予想のつかない動きをする円盤を追うことで反射神経を鍛えているんだ。
 ようし、ボクも真剣にやろうっと。




 会話はなかったけど、ボクはマーカス様との距離を近くに感じた。
 フリスビーを投げ合っているだけなのに、言葉のキャッチボールも同時にしているみたいだ。
 楽しいって、彼が全身で訴えかけてきているような気がしたのは錯覚?
 ボクも楽しい。
 声を出さなくても、全然苦痛を感じなかった。
 すごく不思議だ。

 夢中になって、時間を忘れかけた頃、フリスビーを手にしたマーカス様がボクに声をかけた。

「これで終わりにする」

 最後に投げられたフリスビーは左斜めに飛んでいく。
 ボクは円盤を追って地を蹴った。
 手にしっかりと掴み、軽やかに着地する。

「一度も落とさなかったぞ、やったぁ!」

 完璧にやり遂げた満足感で胸が一杯になった。
 フリスビーを抱えてマーカス様に駆け寄る。

「マーカス様、はいこれ!」

 笑顔でフリスビーを彼に差し出すと、突然視界が暗くなった。
 背中にまわった彼の腕が、ボクの体をきつく抱きしめている。

 な、な……。

 衝撃でパニックに陥る。
 こ、こんな人目のある場所で……じゃあなくて、ボクにはそんな性癖はないんだぁ!

 悲鳴を上げそうになったボクの耳に、マーカス様の囁きがはっきり聞こえた。

「リリー」

 ボクの名前じゃない?
 愛おしそうに呼ばれた名前は、ボクのものではなく、女の人の名前だった。




 なぜだろう?
 危惧していたことが違うってわかって安心したはずなのに、心をどんよりとした雲が覆っている。
 ボクは夕食を頬張りながら、ため息をついた。

「暗い顔して、どうしたの?」

 キャロルが夕食を乗せたトレイを隣席に置き、話しかけてくる。

「何でもない」
「何でもないって顔じゃないよ。良かったら話してくれない?」

 心配してくれるのはありがたいけど、こんな話をするのもなぁ。
 それにボクはマーカス様に特別な感情を持っているわけじゃないんだし、気にしなくていいんだ。
 でも、気になる……。

「じゃあさ、キャロルに頼みがあるんだけど」
「何? できることなら何でもする」
「レオン様に相談したいことがあるんだ。後で一緒に行ってもいいかな?」
「うん、そのぐらいお安い御用だよ」

 レオン様なら何か知っているかもしれない。
 リリーって人と、マーカス様の関係。




 キャロルと一緒にレオン様の部屋を訪ねた。
 レオン様はボクに一人掛けの椅子を勧めて、キャロルと一緒に長椅子に座った。

「マーカスの恋人?」
「はい、レオン様はリリーという名前の人に心当たりはありませんか?」

 レオン様は首を傾げた。
 眉をしかめて考え込んでいたけど、思い出せなかったのか頭を振った。

「悪い、心当たりはない。それにマーカスに恋人がいたことはないはずだ。オレの知る限りではな」
「そうですか……」

 とすると、家族とか親戚とか、それとも片思いの相手?
 がっかりして肩を落とすと、レオン様が立ち上がった。

「グレンに聞いてみよう。あいつなら記憶力はオレよりいいし、著名人のゴシップ記事を扱った週刊誌の熱烈な読者だからな。その手の話題が好きだから、騎士団員の恋愛沙汰にも通じているはずだ」

 グレン様ってどういう人なんですか。
 副団長に対する認識を改めつつ、レオン様の後に続き、隣の部屋に移動した。




 グレン様の部屋にはノエルがいた。
 ノエルはグレン様のチェスの相手をしによく訪れている。

 ボクはレオン様にしたのと同じ質問を、グレン様にもした。

「リリー? 王宮に勤める侍女だろうか? 私にも覚えがないな。……いや、あるような気も……」
「お、思い出してください!」

 このままだと奥歯に物が挟まっているような感じがして、落ち着かないんだ。

「ずっと昔に聞いたような気がするんだ。どこでだったかな……」
「そういえば、オレもそんな気がしてきたぞ。マーカスが口にしていた名前だよな……?」

 レオン様も何か思い出してきたみたいだ。
 お二人とも頑張ってください。

「ああ、だめだ。そうだ、エミリア姫に聞いてみようか。マーカスのことなら、あの方に聞くのが一番だ」
「ええ? 姫様に!?」

 グレン様は姫様と個人的に会う約束をしているそうで、その日にボクも一緒に連れていってもらうことになった。
 当日はキャロルとノエル、おまけにレオン様も同行してきて、五人で姫様を訪ねていった。




「どうしたのだ、そなたら。わらわが呼んだのはグレンだけのはずじゃが?」

 訪問者がグレン様だけではなかったことに、エミリア姫は僅かに驚きを見せて言った。
 マーカス様はいなくて、護衛は他の近衛騎士の人だった。
 それと室内には大きな犬が一匹いた。
 ふさふさの茶色い毛皮の犬は、動くことも億劫そうに、目を閉じて床に寝そべっている。

「申し訳ありません。実はこちらにいるトニーが、姫にお尋ねしたいことがございまして」

 グレン様が取り次いで、用件を伝えてくれている。
 ボクは後ろで頭を下げて控えていた。

「よい、たまには大勢で話すのも楽しいからの。して、トニーよ。そなたの聞きたいこととは何じゃ? 申してみよ」

 エミリア姫は朗らかに笑い、ボクを促した。

「はい、あの、マーカス様のことなんですけど」
「ほう」

 マーカス様の名前を聞いた途端、姫様の顔から笑みが消えた。
 言葉の真意を探るような眼差しで、姫様はボクを見つめた。

「姫様はリリーという方に覚えはありませんか。多分、マーカス様の大切な人だと思うんです」

 ボクがそう言うと、姫様はきょとんと瞳を丸くした。
 思いもよらない質問をされたという感じだ。

「なぜ、そんなことを聞く? その者とそなたに何の関係があるのじゃ?」
「マーカス様はボクに親切にしてくださいました。でも、彼はボクを通して誰かを見ているんです。確かにボクには関係ないことかもしれない。だけど、どうしても気になるんです」

 姫様はボクを真剣な顔で見据えた。
 ボクも目を逸らすことなく見つめ返す。
 先に視線を外したのは姫様だった。
 姫様は息を吐き、再び口を開いた。

「興味本位ではないのだな。マーカスはそなたらも知っている通り、感情を顔に出さんし、必要以上のことを話すこともない。そのせいで誤解されることも多いが、あやつは誠実で心根の優しい男だ。似ていたから重ねて見ていたとしても、そなたに寄せた好意に偽りはない。それは信じてやってくれ」
「はい」

 ボクが頷くと姫様は微笑んだ。

「では、答えてやろう。リリーはここにおるぞ。ほれ、あそこで寝ておる」

 姫様が指差したのは、先ほどの大きな犬だ。
 これがリリー?
 え? 犬?

 うろたえるボクを前にして、姫様は鈴を転がすような笑い声を立てた。

「大きくなって、あの通りものぐさになっておるが、子犬の頃は脇目も振らずに走り回るやんちゃ者でな、よくテーブルや椅子に飛び乗って暴れまわっていたのう。騎士団の敷地に迷い込んできたあやつをマーカスが拾ったのじゃが、寮ではペットが飼えぬから、わらわが引き取ったのだ。世話係はつけているのだが、マーカスもよく面倒をみていた。病気の時は徹夜で看病をして、休日は公園に連れて行き、フリスビーで遊んでおったな。トニーを見て、あの頃のリリーを思い出したのじゃろう。よく見れば、そなたは子犬の頃のあやつに似ておるぞ」

 犬に似てるって言われてもなぁ……。
 脱力して、頭を垂れた。

 同行してきた四人はあ然とした後、口を押さえて俯いた。
 肩を震わせて笑いを堪えているのは彼らだけではない。
 部屋に居た近衛騎士や侍女までが、変な顔をして耐えていた。
 やがて彼らの我慢は限界を超え、爆笑が部屋に響く。
 笑うことないじゃないか。
 みんなひどい。

 あーあ、色々考えすぎて損した気分。
 マーカス様は、ボクに在りし日のリリーの姿を重ねて構いに来ていただけだった。
 そう言われてみると、あの頭の撫で方も納得できる。
 まったく、ボクは犬じゃないぞ。
 今度会ったら抗議しよう。

 むくれているボクに気づいて、姫様が苦笑した。

「そう怒るな。わらわに免じて許してやってくれ。マーカスは身振りや会話で感情を表現することができぬから、とても人付き合いが苦手なのだ。騎士団でも親しい友人といえば、そこにいるレオンとグレンぐらいじゃろう。理解しようとする根気がなければ、あやつとは付き合えぬ。無理に付き合えとは申さぬが、たまには相手になってやってほしい。そなたの屈託のない明るさはマーカスにも良い影響を与えていると思うからな」

 意外なことを言われた。
 マーカス様の無口と無表情って、意識してやってるんじゃないんだ。

 姫様は、そういうマーカス様の事情や心情を知っているみたい。
 親身になって彼を庇い、心配している。
 姫様がマーカス様を傍に置いている理由が少しだけわかったような気がした。
 あの人には理解者が必要なんだ。
 そして、その人が姫様なんだとボクは悟った。




 姫様のお部屋を辞して、宮殿の廊下を歩く。
 みんなはまだ笑いの余韻が消えないのか、思い出し笑いをしていた。
 そろそろ忘れて欲しいのに。

「言われてみて思い出したよ。あれって、まだ我々が正騎士の頃だったかな?」
「始めは寮の部屋で内緒で飼っていたんだが、意外に暴れん坊だったから、上級騎士にバレそうになって姫に預けることになったんだ。オレも何度か餌の調達やらを手伝った覚えがある。名前までは覚えてなかったけどな」

 グレン様とレオン様は懐かしそうにリリーの話をしていた。
 お二人にはマーカス様との思い出がたくさんあるみたい。
 言葉だけじゃなくて、共有した時間と出来事が彼らの間に信頼や友情を育んできたんだな。
 なんかいいな、そういう関係。

 何気なく窓を覗いて、マーカス様が歩いているのを見かけた。
 私服の彼は買い物をしてきたのか紙袋を持っていて、寮へと向かっている。
 彼の姿を見た瞬間、体は動き始めていた。

「すいません、ボク急用ができました。グレン様、今日はありがとうございました!」

 グレン様にお礼を言って駆け出した。
 今すぐに、あの人と話がしたい。
 王宮の廊下をぐるぐる走り、外に出る。

「マーカス様!」

 声を張り上げると、彼は足を止めて振り返った。
 追いつき、息を切らせて呼吸を整える。

「姫様に聞きました。ボクがリリーの子犬の頃に似てるって。だから、構ってたって……」

 マーカス様の表情は変わらなかったけど、空気が動いたのがわかった。
 動揺してる?

「怒っているわけじゃないんです。逆に納得できてすっきりしました。うまく話せないとか、その理由は聞いてないからわかりませんけど、ボクはあなたと遊んで楽しかった。看病してくださった時は、心強くて安心しました。あなたさえ良ければ、また一緒に公園に行きましょう。人から聞いた面白い噂話もいっぱい聞かせてあげます。あなたは一級騎士でボクはただの従騎士だけど、友達になりませんか?」

 口が止まらず一気に言った。
 マーカス様は口を微かに開けて止まっている。
 言葉を探しているのかな。

「……ああ、お前がいいなら」

 やっと彼の口から出た言葉は素っ気無いものだったけど、この一言の裏にはたくさんの感情が含まれているんだ。
 ボクはこの人のことをもっと知りたい。
 数少ない彼の理解者の一人に、ボクもなれればいいな。

「部屋に来るか? 街で買ってきた焼きたてのパンがある」

 マーカス様が紙袋をボクに向けて傾けた。
 香ばしい匂いを放つ丸いパンが、一番上に幾つか納まっていた。

「行きます! とってもおいしそう!」

 ついはしゃいでしまったボクを見て、マーカス様が頭に手を乗せてきた。

 ん?
 これって、待ての合図じゃ……?

「ボク、犬じゃないです」

 ジト目で睨むと、マーカス様は手を離して俯いた。

「……すまん」

 彼は素直に謝ってきたけど、どうしてもボクが子犬に見えてしまうらしい。
 そんなに犬っぽいかなぁ?

 友達になるのは大歓迎だけど、これだけはどうにかしてもらわないとね。


 END

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