狂愛
王の忠実な騎士・1
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わたしが幼い頃、父が騎士に取り立てられた。
若い兵士達の中でも、父の剣の腕前は際立っていて、その強さが将軍の目に留まった。
貴族でなければ騎士となれない世であったから、将軍は平民である父を養子にしてくださり、騎士の位を得るための力添えをしてくださった。
父も期待に応え、部隊長の位を自らの実力で勝ち取った。
だが、父が貴族の養子となっても、わたし達の出自が平民であることに変わりはない。
わたし自身は平民の子として、伸び伸びと育てられた。
父にお弁当を届けるために、わたしは城に出入りしていた。
もちろん、陛下や王太子殿下などの、国家の中核を担う重要人物のおられる王宮にまでは入れなかったけど、騎士達が訓練をしている兵舎や馬屋には自由に入ることが出来た。
用事を済ませた後、城内を探検して帰るのがわたしの楽しみだった。
ある日、偶然見つけた小さな庭園で、彼と出会った。
金の髪と青い目をした、優しい面立ちの綺麗な男の子。
彼は貴族の子供らしく、着衣は上質の素材で仕立てられたものであり、話し方も品が良かった。
「私はクラウスと申します。あなたのお名前は?」
まだ五、六歳ぐらいだろうと見受けられる幼い子供は、大人顔負けの口調で自己紹介してきた。
「わたしはヒルデ……です」
こちらが明らかに年上なのだからと、負けじと丁寧な言葉遣いをしようと頑張ってみたけどだめだった。
語尾にですますをつければ良いってものじゃないのよね。
「では、ヒルデ。せっかくこうして出会えたのです。一緒に遊びませんか?」
「あ、えっと……、うん!」
笑顔で手を差し出されて、わたしも笑顔でその手を握り返した。
ほんの短い間だったけど、わたし達は毎日のようにその小さな庭園で遊んだ。
幸福の時が失われたのは、クラウスが王太子だと知った日だ。
彼の乳母だという女性が庭園にやってきて、わたしと彼を引き離し、父を呼んでわたしに釘を刺した。
「殿下は次代の王となられる大事なお方。あなたのような下賤の者が、気軽に遊び相手になって良いお方ではないのです。子供ゆえに今回は大目にみてあげますが、二度目はありませんよ」
女性が去った後、悲しくて父にすがり付いて泣いた。
彼女がわたしを下賤の者だと貶めたことに打ちのめされたわけではない。
クラウスが手の届かない遠い世界の人であったことが、わたしはとても悲しかった。
それから数年後、今から十年前のことだ。
王太子であったクラウスが、十三歳の若さで即位した。
我がカレーク王国は近隣の強国から常に平穏を脅かされる小さな国だった。
それが現在では、逆に周辺諸国を吸収併合し、支配下に置く、強大な国へと成長を遂げた。
全ては幼くして王となられた現陛下のお力によるものだ。
陛下は自ら軍を指揮して侵略者達を退け、見事な采配によって内政を仕切り、国内を安定し、さらに発展させた。
戦によって支配下となった国にも無体なことはせず、同様に恩恵を与え、それらの国に生きる民も大事にした。
人々はカレークの王を賢王と呼び、敬い、褒め称えた。
わたしは陛下の忠実な臣として、この十年の間、父と共にお仕えしてきた。
父は戦での功績を認められて、最後には将軍の位まで授かっていたが、つい先日、王都より離れた静かな土地に母と共に隠居なされた。
わたし自身は一介の騎士であったが、父の下で戦場を駆け回り、幾人もの名のある騎士を討ち取り、武功を立ててきた。
そのこともあり、父の引退を機にこれまでの働きを認められ、何がしかの役職を賜るのではないかと周囲の人間が噂しているのを耳に挟んだ。
だが、わたしはあまり出世には関心がなかった。
陛下のお傍に行くことも、最近では願わなくなった。
昔はこの手であの方を守りたいと思っていたのに。
功を立てれば、いつか陛下の近衛騎士に取り立てられると父が言っていたから、女の身で戦場に立った。
あの頃のわたしは怖いもの知らずで世間知らずだった。
何も考えることなく、好きな人の傍にいたいと願う、無邪気で愚かな子供はもういない。
わたしは知ってしまった。
あの方に抱く感情がどういう類のものなのか。
それがどれほど大それた望みで、畏れ多く罪深いものであるのか、この十年で理解した。
これ以上、お傍にいてはいけない。
陛下のためにも、わたしのためにも。
周辺諸国を平定し、国内も安定したのだから、もうわたしがここにいる必要はない。
召喚により、陛下の御前に上がるために、新調した礼服に袖を通した。
朱色の生地を基調にあつらえた騎士服の上に、白いマントを着ける。
腰には陛下より賜った剣がある。
わたしの手に合うように、職人に命じて造られた細身の剣だ。
病による、突然の先王の崩御。
あの方が王に即位されてすぐ他国から侵略の軍が差し向けられ、否応なく初陣を迎えた時、わたしも末端の兵の一人として軍に加わった。
出陣前夜、陛下はわたしを密かに呼び出し、この剣を授けてくださった。
「ヒルデ、この剣は君を守るためのものだ。敵を討とうと思わなくていい。どうか無事に帰ってきてくれ。私の願いはそれだけだ」
陛下はまだ十三の少年だった。
光を連想させる見事な金の髪を持ち、臣下の礼を取って跪くわたしを映すのは、幼いながら意志の強い凛とした青い瞳。体は成長過程にあり、まだわたしの方が背も体も大きかった。
三つの年の差があったせいもあり、剣の腕前にしても、あの頃はわたしが全てにおいて上回っていた。
立ちあがって剣を受け取り、胸に抱きしめた。
陛下がわたしの身を案じてくださっている。
それだけで幸福な気持ちに浸り、勇気が湧いてくる。
「陛下、わたしはあなたのためなら命を惜しみません。この剣に誓います。必ずや、あなたと我が国に勝利を。そしてこの国に永遠の平穏と繁栄をもたらしましょう」
わたしの言葉に陛下は眉を顰めた。
首を横に振り、違うと呻くように呟いた。
「そんなつもりで剣を渡したんじゃない。どうしたらわかってくれるんだ。私は君に死んで欲しくない、傷ついて欲しくないんだ」
どこまでも優しいお方。
わたしは微笑んで、陛下の前に再び跪いた。
「我が身をご案じくださる陛下のお言葉を賜り、身に余る光栄です。ですが、わたしは陛下にお仕えする騎士でございます。陛下のために戦うことこそ我が誉れ。たとえ戦場でこの身が朽ちようとも、悲しまれる必要はございません。あなたがこの世界で輝ける王となられることが、この心に抱く唯一の望みでございます」
俯いているわたしには、陛下の表情が見えない。
小さなため息が、彼の人からこぼれた。
「それが君の望みなら、私は王の道を行く。だが、約束してくれ。私の一生をその目で、我が傍で見届けると。決して私から離れてはいけないよ、死ぬことも許さない」
「はい。陛下がお望みならば誓います。わたしは生涯お傍におります」
傍にいると言っても、私の身分では騎士として軍に所属するだけで精一杯だったが、それでも満足だった。
回想を終え、剣から視線を逸らし、前を向く。
今日の謁見が最後となる。
わたしは騎士の位を返上し、修道院に入る。
俗世との関わりを一切絶ち、この国の繁栄と、陛下のご無事を祈りながら一生を過ごすつもりだ。
自宅を出る直前に、見送りに出てきた従卒の一人が不安そうな面持ちで近寄ってきた。
「ヒルデ様、実は先ほど街で妙な噂を聞きました。先日、王宮にて宰相とその一派が謀反を企み処刑されたそうです。ご存知でしたか?」
初めて聞いた。
宰相が謀反を企むなんて、それは国家の一大事ではないか。
なぜ、わたしに何も知らせがこなかったのだ。
「そ、それで陛下は? ご無事なのか?」
「はい、逆に謀反人共を、自らのお手で返り討ちになされたとか。街の者も陛下のご勇姿を想像して感嘆の声を上げていました」
陛下はご無事だ。
ほっと息を吐いた。
「それは良かった。だが、わたしは暢気に屋敷で養生をしている場合ではなかったのだな。御前でお詫びを申し上げねば」
「もしかすると、王宮は未だ緊張状態にあるかもしれません。お気をつけて」
心配する従卒達に安心するように言い渡し、わたしは一人で王宮に向かった。
「ヒルデ=エルスター。よく来た、面を上げよ」
久しぶりに聞いた陛下のお声に従い、顔を上げた。
城内の謁見の間で、わたしは陛下の御前に跪いていた。
「つい先ほど、家人から王宮で謀反人が捕らえられたという話を聞きました。陛下の一大事に駆けつけることができず、まことに申し訳ございませんでした。咎ならば、いかようなものでも謹んでお受けいたします」
「いや、そなたは先の戦で十分な働きをしてくれた。今は体を休め、養生に専念してもらいたくてあえて知らせなかったのだ。私はこの通り無事であるし、気に病むことはない」
陛下はわたしを責めることなく、逆に労わってくださった。
二十三になった陛下は、すっかり逞しい男性となっている。
金の髪は変わらず輝き、精悍さが増した顔つきは年よりも彼を大人びてみせ、瞳に宿る意志の強さも健在で、勇ましき闘争心も感じられた。
愛しさが込み上げてきて、笑みがこぼれた。
陛下も穏やかに微笑み返してくださる。
この笑みをしっかりと瞳に焼き付けておこう。
これからの一生、色褪せることのない唯一の記憶として。
「私が即位して早十年。我が国を覆う脅威は去った。国政は安定し、内乱の恐れもない。そなたの父君はよく働いてくれた。将軍職を辞した後、田舎に隠居したと聞いたのだが、変わりはないか?」
「はい、父も母も陛下のおかげで穏やかな余生を過ごせると、ことあるごとに感謝の言葉を口にしております」
「そうか、息災であればそれでよい。そなたにも今まで苦労をかけたな」
「いいえ、そのようなことはございません。こうして陛下にお仕えできたことは、わたしの誇りでございます」
本当にそう思う。
あなたと出会えたこと。
あなたのために戦えたこと。
二十六年の、人生の半分にもまだ満たない短い時間であったけど、それだけでも十分生きる価値があった。
陛下は頷き、わたしを召された理由であろう、お言葉を口にされた。
「それでだな、これまでの功績を評価し、ヒルデには現在の職を辞して、王宮に来てもらおうと思っているのだ。今までよりも傍にいて、これからも私を支えて欲しい」
ずきんと胸に痛みが走った。
わたしが願い続けた通り、近衛騎士に任ぜられるのだ。
でも、だめだ。
これ以上はお傍に行くことはならない。
「お許しください、陛下。わたしは本日騎士の位を返上し、城を去ります。ご命令を無視した身勝手な願いゆえ、恩賞や報酬なども頂くつもりはありません。どうか、その栄誉あるお役目は、わたしよりも相応しい者にお与えください」
わたしの発した言葉が、場の空気を変えた。
先ほどまでの静寂に緊迫感が付加され、居並ぶ重臣達の顔が蒼白になっていく。
その急激な変化に戸惑いを覚えた。
「……なんだと?」
玉座から陛下が立ち上がられた。
穏やかな表情が一変し、眉が寄せられ、怒りの感情が覗く。
一瞬怯んだものの、御前で口にした以上、取り下げるわけにはいかない。
「ただいま申し上げた通り、わたしは城を去ります。これまでの功績を評価してくださるのなら、わたしの最初で最後のお願いをお聞き届けください」
再度、わたしは城を去る意志を伝えた。
陛下の表情は緩むことはなく、ますます険しくなっていく。
「ならん!」
大声が謁見の間に響いた。
陛下が声を荒げられたことなど記憶にない。
わたしが知っている陛下は感情に任せて怒鳴るような方ではなかった。
何がそれほど陛下を激昂させたのかわからない。
「なぜだ、ヒルデ! そなたは約束したではないか、一生私の傍にいると! あれは嘘だったのか、そなたは私に偽りを申したのか!?」
「違います、わたしは……」
涙を堪えて唇を噛みしめた。
私だって、お傍にいたい。
だけど、これから后を娶って子を生す陛下のお姿を、この目で見ていることなんてできない。
「お許しを、許してください陛下……」
跪き、床に額を擦り付けて謝罪の言葉を繰り返す。
「どうかお怒りをお静めください。わたしの願いが陛下への裏切りだと、どうしても許せないとおっしゃるのなら、この場で自害して果てます。わたしは陛下の忠実な臣です、それだけは真実でございます」
顔を上げて、身を起こし、剣を抜いた。
刃を首に当て、目を閉じる。
両親へ、先立つ不幸を心で詫びて、剣を首に突きたてるべく力を込めた。
鮮血が赤の絨毯の上に落ちていく。
わたしの首は繋がったままだ。
流れる血はわたしのものではなかった。
首に当てていた刃は、別の誰かの手によって掴み取られていた。
「陛下……」
刃を握り締めていたのは、陛下だった。
強い眼光を発してわたしを睨み、力任せに剣を奪って放り投げた。
わたしの剣。
陛下から賜った大事な剣が、無造作に床に投げ捨てられ、転がっていく。
「わたしの……」
無意識に手を伸ばしていた。
伸ばした腕が、血に濡れた手で掴まれる。
「こんなことをさせるために与えた剣ではない。あんなもの、もう何の役にも立たない」
言葉は剣に向けられたものでも、私自身を謗られた気がした。
騎士を辞したわたしは役立たず。
陛下にとって何の価値もない、ただの人間だ。
力が抜ける。
ぺたんと床に尻をつけて座り込む。
陛下はわたしの腕から手を離すと、近くにいた兵士に命を下した。
「ヒルデを地下牢に入れろ。両手足に枷を着け、鎖に繋いで監視するんだ。舌を噛まぬように口も塞いでおけ」
冷たい声で放たれる命令をわたしは呆然と聞いていた。
それほどまでに、陛下の怒りは深いのだ。
左右から兵士に腕をとられ、謁見の間から連れ出された。
入れ替わりに医師が慌ただしく入っていく。
陛下の傷はどうなっただろう。
深くはなかったと思う。
これから牢に入れられるというのに、不思議と陛下に対する感情に負のものは含まれていない。
己の弱さから陛下の御心に背き、離れようとしたわたしが悪いのだ。
陛下が命じられるのであれば、どのような罰でも受け入れよう。
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