狂愛

10年後 おまけ(クラウス視点)

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 恒例のテルンからの特使は、今年に限って王女がその役に任ぜられ、我が国を訪問した。
 意図的なものは感じたが、彼らの思惑に乗ってやる義理はない。
 いつものようにもてなし、丁重にお帰り願う。
 私は王の役目として、彼らを迎え、送り出す。
 ただ、それだけのはずだった。

 テルンの王女、イザベラ姫は、自信に満ち溢れた、悪く言えば自信過剰な女性であった。
 己の美貌と魅力をしかと認識しており、振りまかれる愛嬌も自然なものではなく、計算高さを感じさせるのは私の思い込みではない。
 彼女が私に国内の案内をしてもらいたいと願い出たために、日中は四六時中行動を共にするハメになってしまった。
 嫌々ではあったが、懇意にしている国の特使を無下に扱うこともできず、仕方なく福祉施設や民衆が集う市場など、国内の各所を案内した。

「カレークは噂通りの素晴らしい国ですわね。いずれ他国に嫁ぐこの身ですが、こちらになら喜んでまいりますのに」
「我が国をそれほど気に入って頂けたとは光栄です。どうぞ、存分に羽根を伸ばして行かれると良い」

 イザベラ姫は言葉の端々に、私を誘う意図を織り込んでくるのだが、やんわりと受け流し続ける。
 面倒なことだ。
 この姫君に付き合っているおかげで、執務の時間がずれていく。
 今宵、後宮に渡る頃には深夜になっているだろう。




 王宮に戻ると、私は急いで書類に手をつけた。
 幾らかは側近に任せておいたが、決裁を仰ぐ書類はそうもいかない。
 報告を聞き、間者に集めさせた情報と照らし合わせて裁定を下し、片付けていく。

 終わった頃にはやはり夜が更けていた。
 女官が王宮に部屋の支度をするべきか尋ねにきたが、後宮に行くと断った。

 ヒルデの顔が見たい。
 いや、見ないと私の生命力が削られる。

 人に言えば、なんと大げさなと笑われるだろうが、私は本気だ。
 私という人間を生かしているのは、ヒルデの存在であると言っても過言ではない。




 後宮は静まり返っていた。
 子供達は寝ているのだろう。

「陛下、足下にお気をつけくださいませ」

 後宮付きの女官が小さな明かりを持って私の足下を照らし、廊下を進んでいく。
 先触れに行こうとする者達を制して、私はこっそり寝所に行くことを指示した。
 子供達を起こしては邪魔……いやいや、かわいそうだ。
 ヒルデをわざわざ起こすのも悪いしな。

 ほどなく妻子が休む寝室に到着した。
 そっと中に入ると、寝台の上で四人の子供が熟睡しているのが見えた。
 ヒルデはその傍らで、微笑みながらあどけない寝顔を見つめている。

 寝台の傍に置いてあった衝立に体が当たり、小さな音を立てた。
 ヒルデがこちらを向く。
 彼女は体を起こしかけたが、私は人さし指を口に当てて笑いかけた。

「静かに。子供達が起きてしまう」

 ヒルデが頷いたのを見てから、そっと寝台に近寄る。
 子供達はヒルデの傍に小さい方から順番に並んでいた。
 私は彼女とは反対側に位置する、長男の隣に寝転がる。
 ああ、ヒルデが遠い。
 仕方ない、私は父だ。一家の大黒柱なのだ。
 子供と張り合い、つまらぬ嫉妬をするような度量の狭いところを見せては、ヒルデに愛想を尽かされてしまう。

 私はヒルデの方を向き、小声で話しかけた。

「すまないな、テルンの特使殿の希望で国内の施設を案内していたら、執務の時間がずれこんでしまった。後数日はこの忙しさが続くが、彼らが帰国すればまた元のように時間が取れる。それまで帰りは遅くなるが、ヒルデも先に寝ていて構わないぞ」
「はい。お気遣い、ありがとうございます。陛下こそ、お疲れではないですか? よく眠れるように別に部屋を用意させましょうか?」

 ヒルデは別室を用意させようと言い出した。
 私を追い出すのか?
 言葉は優しくとも、離れて寝ようと言われれば、そのような被害妄想に苛まれる。

「ヒルデと子供達の存在が私の活力となるのだ。言葉は交わせずとも、共に眠るくらいは許してくれてもいいだろう?」

 恨みがましく呟くと、ヒルデは慌てた様子で弁解してきた。

「そういう意味ではありません。ただ、お疲れになっているのだから、広い寝台でゆっくりお休みになっていただきたくて……」

 彼女の態度から、本心から私を案じての言葉だったことを知る。
 そうとわかれば困らせてはならない。
 場を取り成すために、笑顔を浮かべた。

「悪かった、困らせてしまったな。だが、本当に私はここで眠りたいんだ。本音を言うと、ヒルデの隣を独占したいが、子供達から母を取り上げるようなことはできんから、ここで妥協しているのだぞ」

 ううん、何だか急に眠気がきたぞ。
 やはり疲れていたのだな。
 瞼を閉じると同時に、深い眠りに誘われる。

 体にふわりと温かいものがかけられた。

「おやすみなさい、クラウス」

 頬に柔らかいものが触れた。
 聞こえた声が誰のものか、これが夢か現か、寝入りかけた私にはわからない。
 ただ、とても幸せな夢を見た気がした。




 さらに一週間が過ぎたが、イザベラ姫は何だかんだと理由をつけて、滞在を引き伸ばしていた。
 いい加減、私も限界だ。
 何とか姫君が国に帰りたくなるように仕向けねばならぬ。

 ぶつぶつ策を練りながら、廊下を歩いていると、後方からイザベラ姫の高い声が反響して聞こえた。
 誰かと話しているようだ。
 私に対するものと口調が随分違う。
 身分の低い女官にでも文句をつけているのだろうか?
 だとすれば、我が民を助けに行かねば。
 ついでに姫君にお帰り願う、いい機会になるやもしれぬ。

 急いで声のする方角に向かう。
 近づくにつれ、声がはっきり聞こえてきた。

「ねえ、ヒルデ様。私はあなたやお子様達に危害を加えるつもりはありませんのよ。ですが、ここだけの話ですが、陛下は私と私が生む子供達がいれば満足だとおっしゃってくださったのですよ。あなたとお子様達などもう不要だと。悪いことは申しません、すぐにこの城からお子様達を連れて出て行かれた方が、あなた方のためですわよ」

 聞こえてきた内容は、聞き捨てならないものだった。
 しかも、イザベラ姫が難癖をつけている相手はヒルデだ。
 ヒルデがなぜここにいるのかは、この際脇に置いておくが、なんという嘘を私の妻に吹き込もうとしているのだ、この女狐めはっ!

 カッと頭に血が上り、私は彼らの前に踏み込むと剣を抜いた。
 歯向かう騎士達を切り捨て、イザベラ姫にも剣を振り下ろそうとした瞬間、ヒルデが私を止めた。

「おやめください、陛下! 姫君を殺めてはなりません!」

 まさかヒルデがイザベラ姫を庇うとは思わなかった。
 しかし、よくよく話を聞いてみると、どうやら庇った理由は私のためらしい。
 私のためならば、他者にどれほど踏みにじられようと耐えてみせると言ったヒルデのいじらしい心根に触れ、彼女への想いはさらに深まった。
 私にはこの人しかいない。
 これほどまでに私を思い、尽くしてくれる人など、この世のどこを探してもいないのだ。




 人を呼んでイザベラ姫を連れて行かせ、ヒルデに後宮を出てきた理由を尋ねると、私の様子を見にきたと答えが返ってきた。
 私の元気な顔を見て、用事は済んだとばかりに後宮に帰ろうとするヒルデを呼び止め、私は彼女を王宮の一室に連れ込んだ。
 感情に任せて体を求め、甘いひと時を過ごしたものの、事後にヒルデの体を労わっていると罪悪感にかられる。
 愛しい人を伴侶とできた私は幸せだ。
 だが、ヒルデはどうだ?
 選択の余地なく、私に囲われ、強引に体を奪われた。
 自分の意思など一切に聞き入れられずに子供を生まされ、一生を縛り付けられたのだ。
 心の奥底で、彼女は私を恨んでいるのかもしれない。

「すまない、ヒルデ」

 謝罪の言葉を口にしても、それは単なる自己満足だ。
 私にはヒルデを手放す気などない。
 我が身のあまりの情けなさに、自嘲の笑みが漏れた。

「幾ら謝ろうとも、償いにはならぬ。そなたを傍に置くのは私のわがままだ。体だけではなく、心も縛り、少しでも不安を覚えればどこにもやらぬと泣き喚く私は、そなたにとってはさぞ迷惑な存在だろう。このような情けない王に、なぜそなたは仕えてくれるのだ?」

 問いかけると、ヒルデは不思議そうな顔をして、私を見つめた、
 彼女の瞳に、この世で最も愚かで頼りない男の姿が映っている。

「陛下はわたしのただ一人の王であらせられます。なぜと問われましても、お答えするには当たり前すぎて言葉が出てまいりません。それでも、あえて申せとおっしゃるのであれば、初めて出会った時にわたしとあなたの運命は交わり、けっして離れることのない強固な鎖で絡め取られたのでしょう。その鎖がどちらのものなのか、わたしにもわかりません」

 ヒルデの言葉の意味がわからない。
 困惑を顔に出すと、ヒルデの右手が私の頬を撫でた。

「陛下はわたしが不本意にも王妃という立場に囚われているとお思いでしょうか? いいえ、それは違います。確かに、この身には分不相応な栄誉であり、陛下の寵愛を受けることは恐れ多い。しかし、わたしは我が身を不幸だと嘆いたことはありませぬ。陛下のお傍で生涯御仕えできるばかりか、あなたとの間に大切な御子様を四人も授かったのです。わたしの人生において、これほどの喜びがありましょうか。あなたがお望みになられている言葉は口にできずとも、これだけは言えます。わたしは幸せです。幸せなのです、陛下」

 幸せだとヒルデは言った。
 その言葉は私を満たすのに十分だった。
 愛していると告げられるよりも、私が強いた生活の中で彼女が幸福を感じていたことが嬉しかった。
 なによりもその事実が、ヒルデが私を愛してくれている証しとなってくれた。

「幸せだと言ったのか? そなたは私の傍にいて、幸せなのだな?」
「ええ、そうです。わたしは幸せです。この世に二人といない、果報者でございます」

 私は彼女を抱きしめた。
 唇を重ね、味わうように幾度も離しては、また重ねる。
 夢中になりかけた私だが、甘美なキスはヒルデによって遮られた。

「ですが、お忘れくださいますな。このヒルデは陛下の騎士でございます。王妃となっても、この身は陛下の剣であり盾なのです。もしもの時は、身命を賭して陛下をお守りする覚悟をしております。わたしは陛下のもの、剣を頂いた時に、この命はあなたに捧げたのです」

 どこまでも彼女は臣下であろうとする。
 忠誠の影に愛情も備えていたとしても、優先するものは間違えないということだ。
 私が王である限り、ヒルデもまた騎士であり続ける。

「ならば、私の治世では戦など決して起こすまい。他国にも起こさせない。私が主導し、この世を良き方向に導いていく。そなたが戦う必要のない日々を送れるように、私は後世にまで称えられる賢王となろう。遠いあの日、約束したように、輝ける王である私の姿をその目で生涯見守っておくれ」

 君が騎士となる必要のない世界を作ろう。
 私の隣で一人の女性として、幸福な生涯を送れるように。

「陛下、あなたにならばできます。今のお言葉の通り、戦のない平和な世を作りだせるお方だと、わたしは信じております」

 私は彼女を腕に抱いて、今の言葉を実現することを固く誓った。




 翌日、すぐにイザベラ姫をテルンに帰した。
 向こうの王に宛てた親書には、彼女は騎士を使って王妃の暗殺を謀ったが未遂に終わり、こちらは寛大な慈悲を持って表沙汰にはせず、不問に処すと書いておいた。
 折り返し王の使いでやってきた使者は、平身低頭で王女の所業を詫び、さらに莫大な貢物を献上してきた。
 イザベラ姫は濡れ衣だと弁解もしなかったようだ。
 よほど私が怖かったのだろう。国に戻るなり、部屋に引きこもってしまったらしい。

 外交上の問題には発展せず、一安心だ。
 これから他国の使者や特使を迎える時は、用心せねばならぬ。




 夕方には執務にキリがついたので、久々に夕食を家族と共にできることになった。
 浮き浮き胸を躍らせて後宮に足を運ぶと、子供達がわらわら駆け寄ってきた。

「父上、お帰りなさい!」
「父上、だっこーっ」
「私もーっ」
「ちちうえーっ」

 屈んで二人を両肩に担ぐと、背中に一人飛び乗ってきた。
 個々は軽くとも、総重量は大人一人分に相当するだろうが、子供達に父の威厳を見せねばと腹に力を込めて背筋を伸ばす。
 さすがに長男は遠慮してか、背中に乗っている弟が落ちないように、私の背後にまわって支えてくれた。

「何日も顔を会わせていなかったからな、今夜はみなで遊ぼう」
「わーいっ」
「遊ぼうっ」

 子供達を担いで歩いていると、ヒルデが女官を引き連れて出迎えてくれた。
 現金なもので、母が現れると弟妹の方は私から下りてそちらに駆け寄って行く。

「お帰りなさいませ、陛下。入浴のお支度ができております」

 ヒルデの微笑みと、子供達の笑い声が私を癒す。
 この穏やかな時間が末永く続くように、明日も頑張ろう。


 END

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