狂愛

王妃と将軍・1

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 オレが生まれ育ったカレーク王国は、ほんの十数年前まではいつ近隣の国々に吸収されてもおかしくない小国だった。
 当時、国を治めていた王が病に臥せり、命も危ういと囁かれていた頃のことだ。

 それまで王国が侵略の難を逃れていたのは、王の人望と政治の手腕があったからだろう。
 跡継ぎの王太子クラウス殿下は十になったばかりの子供で、とても代わりが勤まるとは思えなかった。
 政治向きのことは宰相が牛耳り、国王の目が届かないのをいいことに私腹を肥やし、王宮の重臣も自分の一族や配下の者で固めていた。

 国民のほとんどが、王が崩御なされれば国は潰れると悲観していた。
 オレだってそうだった。
 それでも、この国は生まれ育った大切な故郷だ。
 家族や身近な人達を守ろうと、オレは兵士に志願した。

 兵士の養成所で、オレは後に親友となる女と出会った。

「ヒルデ=エルスターだ。よろしく頼む」

 ヒルデと名乗った彼女は、オレに笑いかけた。
 入所式の日、たまたまオレ達は隣に立っていたのだ。

「オレはレギナルト=ブランシュだ。呼ぶ時はレギでいい」

 自己紹介を終えて、その後も何となく行動を共にしているうちに、オレとヒルデは親しくなっていった。

 女だてらに兵士に志願するなんて、どんな気の強い女かと思ったが、意外にも彼女の内面は淑やかだった。
 目立つことを好まず、規律正しく真面目で、融通の利かないところもあったが、情の深い優しさも持っていた。
 特別美人というわけではなかったが、屈託のない明るい笑顔は人を惹きつける魅力があった。

「わたしの夢は近衛騎士になって、クラウス殿下をお守りすることなんだ」

 ヒルデが兵士に志願した動機は、オレにとっては意外なものだった。
 王族に尊敬の念と忠誠心を持つこと自体は珍しくない。
 だが、ヒルデはもっと個人的な強い感情を殿下に抱いていた。
 理由を問おうとしたが、口にすることはできなかった。
 殿下を守りたいと言って、城の方角に目を向けたヒルデは、胸の痛くなるような切ない表情をしていたからだ。
 これ以上は立ち入ってはいけないと悟った。




 オレ達が十六の年に、とうとう王が崩御なされた。
 新王となられたクラウス様は、まだ十三才の少年に過ぎない。
 さらに先王の崩御を好機と狙って、隣国が兵を挙げたことが知れ渡り、兵達の間には不安と動揺が広がった。

「もうこの国は終わりだ」
「宰相様は逃げる準備をしていると聞く、最初から負け戦だとわかっているんだ……」

 末端の兵の中でもそんな囁きが交わされていた。
 オレも内心では、幼い王に不安を抱いていた一人だ。
 即位しても、あの幼さでは宰相の操り人形みたいなものだ。
 戦況がいよいよ不利とわかれば兵を囮にして、王と重臣達は友好国に亡命するのがオチだと諦めていた。
 誰もが悲観的になっている中で、ヒルデだけは大丈夫だと言って、みんなを励ました。

「クラウス様は国民を見捨てて逃げたりはなさらない。陛下を信じて戦おう。我々の手で国と家族を守るんだ」

 ヒルデの言った通り、陛下は鎧を身に着け、自ら馬を駆って戦場に赴かれた。
 闇雲に突撃を命じるわけではなく、軍師と相談して戦略を練り、的確な命令を発し、戦況を有利に導いていく。
 小さな体で懸命に兵を鼓舞して、敵軍の矢面に立つ主君の姿に希望が見えた。
 人心を掴み、心からの忠誠を得るには、血筋に胡坐をかいているだけではだめだ。
 陛下の姿を目にした全ての兵が、この幼い王に尊敬の念を抱き、己の全力を出し切って守り抜こうと立ち上がった。

 オレもヒルデも剣を振るい、夢中で戦場を駆けた。
 多くの血が流れ、命を失った仲間もいた。
 それでもオレ達は勝った。
 侵略軍を退け、故国と王を守りきったのだ。




 初陣から十年、幾度も侵略軍を撃退するうちに、我がカレークは国力を増し、列国最強となっていた。
 国内外の情勢は安定し、大陸に平穏が訪れた。
 幼かった陛下もすでに二十三となり、賢王とあだ名されるほどの名君として、人々に慕われるまでになられた。
 陛下の政治は国民の生活を第一に考えたものであり、戦で一度は荒れた国土も完全に復興し、さらなる発展を遂げようとしていた。
 夢にまで見た平和な世が来たんだ。

 将軍だったヒルデの父は、良い機会だと退役し、妻を伴って田舎に引っ越してしまった。
 オレとヒルデは一介の騎士に過ぎなかったが、功績を認められての昇進の話があり、どちらかが将軍に任ぜられるかもしれないと内密に聞いていた。

 オレはヒルデを誘って酒場に行った。
 彼女は先の戦で受けた傷を癒すために療養中だったが、その傷も治り、職務にも復帰できるほど回復していた。
 テーブルを囲み、平和になった記念に乾杯して、酒を酌み交わす。

「ヒルデは近衛騎士に任ぜられるだろうな。希望は出しておいたんだろう? お前は陛下のお気に入りだし、長年の夢がようやく叶うな」

 陛下がヒルデに向ける眼差しは、信頼と何らかの情を備えた特別なものだ。
 過去にどんな繋がりがあったのかは知らないが、ヒルデが陛下を慕うように、陛下もヒルデに対して温かな気持ちを持っている。
 傍で見てきたから、なんとなくわかるんだ。

 だが、ヒルデは浮かない表情で俯いていた。
 気のせいか、飲む量も普段より多い。

「レギ、わたしは騎士を辞める。陛下のお傍にはいかない」

 驚くオレの前で、苦しそうにヒルデは呟き、酒を一気に飲み込んだ。

「この国は平和になった、戦争も当分起きない。わたしの役目は終わったんだ」
「そんなことないだろう? これからじゃねぇか。陛下にも、この国にとっても、まだまだお前は必要な人間だ」

 宥めるオレの言葉を、ヒルデは首を振って否定した。

「違うんだ、そうじゃない。わたしがつらいんだ。もう限界だ。これ以上、陛下のお傍にいたら、わたしは……」

 ヒルデの瞳から涙が零れ落ちた。
 テーブルに突っ伏してわっと泣き出す。

 酔って感情が剥きだしになっているとはいえ、戦場でどれほどの傷を負っても泣かなかったヤツが、弱音を吐いて泣いたのだ。
 オレはうろたえて、泣き伏すヒルデの頭を撫でて慰めた。

「何があったんだよ、話してみろよ。ここじゃなんだからオレの家に来るか?」

 頭を起こしたヒルデは、泣き顔のまま頷いた。




 オレは親元を離れて一人暮らしをしていた。
 身軽でいいからと、台所と寝室兼居間となる一室しかない小さな家だ。

 ヒルデは酔いがまわっておぼつかない足取りをしていたので、肩を貸して連れて来た。
 家具は最小限しかなく、長椅子なんて上等なものはない。
 腰掛けるなら柔らかい方がいいかと寝台に座らせて、オレは木製の椅子に座った。

「わたしと陛下は小さい頃に素性も知らずに知り合ったんだ……」

 ぐすぐす鼻を啜りながら、ヒルデは語り出した。
 王太子だった頃の陛下との偶然の出会いと、身分の差によって引き離されたことを。

「おかしいだろう? ほんの数日遊んだだけなのに、わたしはあの方に強く惹かれた。その気持ちが何かなんて考えもせずに、騎士になれば、いつかお傍に行けると信じて軍に入ったんだ」
「ヒルデが陛下を慕っているのは知っていた。おかしくないさ、あの方には人を強く惹きつける魅力がある。オレだって、陛下のためなら命を賭けられる」

 ヒルデは微笑み、滲む涙を手で拭った。

「わたしもレギと同じように、陛下をお慕いできれば良かった。でも、違うんだ。わたしは陛下を愛しているんだ」

 一瞬何を言われたのかわからなかった。
 目を丸くするオレに苦笑を見せて、ヒルデはころんと横になった。

「誰にも言うなよ。レギを信頼しているから言ったんだ。叶うはずがないのに身の程知らずな想いを育んで、自分でも愚かだと思う」

 オレに背を向けて、ヒルデは丸くなった。
 肩が微かに揺れている。
 また泣いているんだ。

「陛下の后となる人は後宮にたくさんいる。高貴な家柄の美しい姫が集められているはずだ。陛下の寝所に侍り、体を抱かれて慈しまれる彼女達を、わたしは妬ましく思い、羨ましがっているんだ。なんて醜いんだろう。こんな気持ちで陛下の近衛騎士になんてなれるわけがない」

 叶わない想いを嘆くヒルデは、これまで見たこともないほど弱々しく儚げで、抱きしめたくなった。
 親友に抱くものとは違う愛しさも込み上げてくる。
 オレなら、お前に悲しい想いはさせないのに。
 そんな気持ちは捨てて、オレを選べと叫びたくなった。

「わたしは騎士を辞めて修道院に入るつもりだ。わたしの心は陛下に捧げたのだ。残りの人生はあの方の幸福を祈り、救いの手を必要とする人々のために働く。そうすることで報われない心も少しは慰められる気がする」
「ヒルデ、今のお前にはそうすることが一番いいのかもしれない。だが、一生を決めてしまうのはまだ早い。別の道だってあるはずだ。陛下のお傍にいるのがつらいなら、オレと一緒に国を出よう。オレ達には鍛えた剣の腕がある、どこでだって生きていける」

 世俗を捨てることだけは思い止まらせようと、必死に説得した。
 ヒルデはオレの申し出に驚いて起き上がった。
 こちらを向いた彼女を、真剣に見返す。
 ヒルデは目を伏せて頭を振った。

「ごめん、レギ。わたしのために、お前の人生を台無しにするわけにはいかないよ。気持ちだけ、ありがたくもらっておく。それにな、陛下の傍にはいられずとも、お膝元であるこの地で、あの方だけを愛して生涯を終えることができればわたしは本望だ」

 心情を吐き出して楽になったのか、酒の力もあってヒルデはその呟きを最後にして眠ってしまった。

「あのなぁ、少しは危機感持てよ。襲っちまうぞ」

 警戒心なく眠り込む彼女にため息をついて近寄る。
 上着だけ脱がせて、毛布をかけてやった。

 ヒルデは知らないが、仲間内でも彼女に好意を寄せている者は少なからずいた。
 偶然なのか、その全員が告白をする前に遠方の部隊に配属されてしまったがな。

 この十年、一度もヒルデを女として意識しなかったと言えば嘘になる。
 彼女への恋心を自覚しても、オレは何も言えなかった。
 ヒルデの心がオレに向くことなどないと知っていたからだ。

 さっきだって、一緒に国を出ようだなんて、聡い者なら告白だと気づくだろう。
 なのにヒルデは、オレが単なる友情で言ったんだと思っている。
 何でこんな鈍い女に惚れちまったんだろうな。
 報われないのはお互い様だ。
 それならそれで、この距離を保ったまま、傍にいるのもいいかと思った。
 愛を告げることはできなくても、ヒルデの一番身近にいて、これまでのように支え合う関係でいられるなら、それで良かった。

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