狂愛
王妃と将軍・2
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数日後、ヒルデは陛下に呼ばれて王宮に参上した。
オレは彼女の家を訪ねて家人と帰りを待っていたが、いつまで経ってもヒルデは戻ってこなかった。
代わりに陛下の使いだという役人が訪ねて来た。
「ヒルデ殿は陛下の後宮に迎えられることとなった。こちらの屋敷に勤めている者達には十分な給金を支払い、新しい働き口も手配する。ヒルデ殿の父君には王宮から使者が出されたので、じきにこちらにまいられるだろう」
予想もしない話に、屋敷の者も喜びよりも驚きが勝った。
出かける前、ヒルデは騎士を辞めて修道院に入るのだと、皆に言っていたからだ。
それに何かおかしい。
仮に後宮入りを命じられたとしても、準備のために一度は屋敷に戻ってくるはずだ。
なぜ、ヒルデは帰ってこないんだ?
釈然としない気持ちが残り、オレは王宮に出向いてヒルデに面会を求めた。
だが、要求は通らず、会うことは叶わなかった。
ヒルデの父親も同じだ。
何度も面会を願い出るオレ達に対し、ようやく陛下が会ってくださることになった。
オレ達の前に現れた陛下は、常と変わらぬ王者の威厳を放ち、悠然とした態度を取られていたが、どこか不穏な空気も感じられた。
「陛下、我が娘の後宮入り、平民出の我らには身に余る栄誉でございます。陛下が望まれたのであれば、我らに異存はありません。しかしながら、親である私ですら面会が叶わぬとはどういった次第なのか、ご説明いただきたく願います」
豪胆無比で知られたエルスター卿も、陛下の前では緊張気味に言葉を発した。
陛下はその疑問はもっともだと呟いて、微笑を浮かべた。
「私はヒルデを王妃として迎えるつもりだ。先日起きた宰相一派の謀反の件は存じておろう。残党がまだ国内に潜んでいるとの情報もある。ヒルデの身の安全が保障されるまでは、警備の厳重な後宮で匿うことに決めたのだ。このような大事な時期に親子を引き離すのは忍びないがヒルデのためと思って堪えてくれ。婚約の式典を執り行うまでには、必ず会わせると約束する」
ヒルデの命が危ういと聞かされては、それ以上は何も言えず、オレ達は引き下がった。
御前を辞する間際に、ふいに陛下がオレに声をかけられた。
「レギナルト。そなたはなぜここに来た? 家族であるならばともかく、そなたはヒルデとは無関係のはずだが」
「私と彼女は十数年来、死線を共にくぐり抜けてきた親友です。ヒルデの無事がこの目で確かめられないとなれば、身を案ずるのは当然のことでございましょう」
不敬と取られる恐れはあったが挑戦的な言葉と視線を返したオレに、陛下もまた強い眼光を持って相対した。
陛下の瞳には嫉妬と恐れの感情が浮かんでいた。
オレはその時、目の前の人を初めて身近に感じた。
生まれながらの王であると崇めてきた人が、自分と同じく感情に左右される人間だということに遅まきながら気がついたのだ。
「親友か。その言葉に偽りはないな」
「我が剣に賭けて、王妃となられるお方に、邪まな気持ちは一切持ち合わせていないと誓います」
きっぱりと宣言すると、陛下は表情を緩めてオレに告げた。
「ならば良い。時期が来れば、そなたにも面会の機会を与えよう」
陛下がオレに約束した面会が叶ったのは、ヒルデが王妃として国民にお披露目された後だった。
確かに二人っきりでとは言わなかったよな。
面会は叶ったが、ヒルデの隣には陛下の姿がしっかりあった。
王宮の一室で、オレは新婚ほやほやの国王夫妻と向かい合って座っていた。
しかし、居心地が悪い。
斜め前から陛下の突き刺さるような嫉妬の視線が、絶えず我が身を貫く。
ヒルデも何か感じているのか、困った顔で陛下をちらちら見ている。
「あの、陛下……」
「何をしている。話したいことがあれば、遠慮なく言うのだ」
ヒルデが席を外して欲しいと全身で訴えているのに、陛下は気づいていないフリをして、オレ達に会話を促す。
話せねぇよ。
陛下の前で、仮にも王妃様にタメ口きくわけにもいかねぇし。だからといって、ヒルデ相手に敬語を使うのもなんだか気恥ずかしい。
「お願いします、陛下。少しの間だけ、席を外してください」
「私がいると何か不都合なことでもあるのか? そなたは私の妻だ。他の男と顔を合わせるのも許さぬところだが、親友だというから特別に許可したのだ。これ以上の譲歩はない」
「ですが、陛下の御前では緊張してレギナルトも普段のように話せません。女官長や陛下の侍女にも同席してもらいます。二人っきりにさえならねばよろしいのでしょう? お願いいたします」
「う、うむ。それならば良い」
ヒルデのお願い攻撃についに折れた陛下は、渋りつつ席を外した。
ホッと息を吐く。
ヒルデも苦笑して、オレに向き直った。
「久しぶりだな。こんなことになって驚いただろう?」
「ああ、騎士を辞めると酔っ払って泣いていたヤツが、城に行ったまま帰ってこないと心配してみれば後宮入り、さらに王妃になるってんだから、半端じゃなく驚いたぜ」
「わたしもまだ信じられないんだ。それに……」
ヒルデは言葉を切って、腹を撫でた。
結婚の報と一緒にもたらされた懐妊の報告。
オレは結婚よりも、そのことが一番気にかかっていた。
「なあ、それは同意の上で……なのか?」
ためらいがちに問いかけた。
オレが何を聞きたいのか、ヒルデもすぐに気づいたようだ。
彼女は俯いて、まだそれほど見かけの変わらない腹部を見つめていた。
もしも、ヒルデが違うと言ったなら、この場から攫って逃げてしまおう。
国も、陛下も知ったことか。
忠誠よりも、オレが大事なのはヒルデだ。
意に添わないことを無理強いする男の傍になど置いておけるか。
生まれてくる子供ごと、オレは彼女を守ろうと決意した。
危険な思考に傾きつつあるオレに、顔を上げたヒルデは笑顔で頷いた。
「ああ、そうだ。わたしはこの腹に宿った命が愛しい。無事にこの世に生み出して、陛下と共に見守り育てたいと思っている。レギ、わたしは幸せ過ぎて信じられないぐらいだ。諦めていた后になれたばかりか、子まで授けていただけたのだからな」
幸せそうに惚気られて、気が抜けた。
経緯はどうであれ、この結果はヒルデの望む通りのものだったじゃないか。
最初からオレはお呼びじゃなかったわけだ。
ヒルデにオレは必要ない。
彼女は幸せを手にしたんだ。
「心配してくれたんだな。レギはわたしの一番の親友だ。お前がいなければ、戦いの中で生き残ることはできなかった。誰にも話せなかったことでも、お前になら言えた。迷惑かもしれないが、これからも友でいて欲しい。王妃となっても、わたしはヒルデの名を持つ、一人の人間でもあるんだ」
満ち足りた笑顔でそんなことを言われたら、オレも諦めるしかない。
泣くのは性に合わないから、笑い飛ばして失恋の痛みを忘れることにする。
「ああ、オレ達は親友だ。戦場で築いた友情は永遠に裏切らないと約束する。お前が王妃となるなら、オレはこの剣に誓いを立てよう。カレークの騎士レギナルト=ブランシュは、この命が尽きる時まで王妃ヒルデに忠誠を誓い、王妃が慈しむ命全てを守りぬく」
「ありがとう、レギ」
微笑むヒルデを見て、オレの心は不思議と落ち着いていた。
喪失感はあったが、それ以上に祝福の気持ちが大きかった。
昔見た、胸の痛くなる切ない表情を、ヒルデがすることは二度とない。
想いが実って良かったな。
オレは穏やかな気持ちで、ヒルデに笑顔を向けた。
……殺気を感じる。
ちらっとドアの方を向くと、扉が少し開いていて覗いている目が見えていた。
陛下だ。
部屋を出て行ったフリをして、扉に張りついて聞き耳を立てていたんだ。
ヒルデも気がついていたのか、ドアの方を気にしながら、オレに小声で囁いた。
「気にしないでくれ。陛下はお寂しいお方なのだ。心を許せる者が長年誰もお傍にいなかったから、わたしを求めて少し行き過ぎたこともなされてしまう。しかし、皆が知っている通り、根は優しく誠実な方だ。今はわたしがいつ離れてしまうのかと不安に思われておかしな行動を取られる時もあるが、そのうち落ち着かれるはずだ」
ヒルデは必死に陛下を庇っていたが、オレには一時のものだとは思えなかった。
例の宰相一派の謀反の件も、本当に謀反だったのか怪しいと噂する声もあるのだ。
ヒルデが後宮に入った後、オレは様々な筋から情報を集めた。
それによると、陛下は前々からヒルデを後宮に迎えようとしていたが、宰相達が渋るので、国を取り巻く情勢を安定させた後に、正妃ではなく妾妃にすることを条件に迎え入れることを約束させていたそうだ。
しかし、その約束は反故にされ、怒った陛下が連中をその手にかけたということだ。
話を聞かせてくれた官僚はひどく怯えていて、宰相達を殺したことに陛下は少しも罪悪感を抱かず、それどころか憂いが消えたとにこやかに笑っていたというのだ。
今ここで、オレが偶然にでもヒルデの体に触れたら、陛下は飛び出してきて迷うことなく剣を抜いて首を刎ねるだろう。
人々が崇める賢王の影に潜む狂気に、オレも薄々気づき始めていた。
ヒルデも気づいていないはずはない。
それでも彼女は陛下を受け入れた。
オレの負けだ、認めよう。
何を犠牲にしようとも、ヒルデを求めるあの人は、必ず彼女を幸せにしてくれるはずだ。
さらに十数年の歳月が過ぎたが、ヒルデのおかげか、我らが王は賢王の呼び名を失うことなく、平穏無事に国を治めておられた。
軍の役目も治安維持と、たまに出る賊の討伐程度で済んでいる。
将軍職の傍らで、オレは王子達に剣の指導をする役目を仰せつかった。
一番熱心なのは、第二王子のクリスト様だ。
陛下に似た容貌をした快活な王子は、今日も元気に走ってきた。
「レギ! 今日は何をすればいい? 素振りはもう飽きたぞ!」
「では、私が受けますから、遠慮なく打ちかかってきてください」
修練用の木刀を構えて向かい合う。
クリスト様は真剣な表情で打ちかかってきた。
その表情は、子供の頃のヒルデの面影と重なった。
あいつも訓練の時は常に真剣だった。
「くそ、全然隙が無い」
「年季が違いますからね。将軍なんて呼ばれているからには、こちらもそう簡単には負けられませんよ」
稽古を終えて汗を拭きながら、悔しがるクリスト様を宥める。
頬を膨らませていた王子殿下は急にニヤリと笑うと、小声で耳に囁いてきた。
「侍女達の噂話を聞いたぞ。レギは母上のことが好きなんだろう?」
好奇心旺盛なクリスト様は、他人の噂話が大好きだ。
オレはうろたえることなく、にっこり笑い返した。
「もちろん好きですよ。敬愛する王妃様ですから」
「ごまかすな。そういう意味じゃなくてだな、昔、何かこう……うっとりするようなロマンスがあってだな、それを父上が横から入ってきて母上を強引に奪ったのであろう」
なんて話が出回ってるんだ。
陛下に知られたら、あの人は真偽を確かめることなく、真っ先にオレの首を取りにくる。
「クリスト様、その話が陛下のお耳に入ったら、事実無根の不名誉な噂を流したとして侍女達が罪を問われ、最悪の場合は私を含めた全員が処刑されかねませんよ。うかつなことは口になさらないでください」
危険を感じて厳しく注意すると、クリスト様はしょぼんと肩を落とした。
王子とて、噂を本気にしていたわけではないのだ。
オレをからかうだけのつもりで話題に出されたに違いない。
「王妃様が騎士であられたことはご存知ですね。私は兵士の頃から共に戦った戦友なのです。王妃様はもちろん女性としても魅力的な方でした。ですが、あの方は子供の頃から一途に陛下だけをお慕いし、身分の差ゆえにお傍に侍ることが叶わぬからと、剣を捧げることで尽くそうとなされたのです」
「へえ、では母上の気持ちが通じて、父上は后に迎えられたのだな。私もそれほど思い続けて尽くしてくれる女性なら、平民の娘でも嫁に欲しくなるだろうな」
クリスト様は両親の馴れ初めを聞いて嬉しそうだった。
ヒルデの子供達は、みな優しい心を持ち、父母を慕って真っ直ぐに成長している。
少しでも彼女の幸福に陰りを作らないようにと見守ってきたが、この分だと杞憂に終わりそうだな。
「じゃあ、レギは好きな人いないのか? そろそろ身を固めないと嫁がこなくなるとみんな言っているぞ」
四十を目前にして、オレの周囲もうるさくなってきたのだ。
権力と財力さえあれば、男に適齢期はないとはいえ、良い時期というものはあるのだろう。
だが、オレはまだ結婚する気にはなれなかった。
ヒルデ以上に愛しいと思える相手にはまだ出会えていないからだ。
「好きな人がいれば、すぐにでも結婚したいんですがね」
笑ってごまかすと、クリスト様は気まずい空気を察したのか、慌てて話題を変えた。
「そ、そうだ。母上が午後のお茶を一緒に飲もうと言っていたのだ。レギも来るよな?」
「はい、王妃様のご招待ならば喜んでまいりましょう」
王子に付き従い、歩き出す。
この生活もオレは気に入っている。
愛する人の傍で、幸せな姿を見守り続ける人生ってのもそう悪いもんでもない。
END
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