狂愛
蜂蜜姫の憂鬱・王子様の気持ち・1
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我が王家の食卓には、国内外から献上された品が調理されて並ぶことが多い。
それゆえ食事の席には料理長が必ず付き添い、料理に使用した食材と献上してきた国や地方の名を告げる。
今朝も我々は黙々と口を動かしながら、料理長の説明を聞いていた。
「本日のパンにはルフィアから献上された蜂蜜を添えております」
毒見役を通してきたために少々冷えているパンに添えられていたのは、小さな皿に入れられた蜂蜜だ。
透明度の高い黄金色の蜜は、期待を裏切らない甘い香りを漂わせている。
甘いもの好きな弟妹はパッと顔を輝かせた。
「ルフィアの蜂蜜は、甘くて美味しいから大好きです」
「紅茶にも良く入れるんですよ」
パンに蜂蜜をたっぷりつけて食べているエーベル。
ジークリンデも上機嫌で手を伸ばす。
蜂蜜を献上してくる国は他にもあるのだが、甘さ、香り、味において、ルフィアのものに勝る蜂蜜はない。
もちろん口に出しては言えないことだ。
一つの国を贔屓にすると、余計な火種が生まれるからだ。
弟妹は責任が軽い分、好きな物は好きと口にするが、私や父母は黙っている。
それが賢明だ。
だが、私もルフィアの蜂蜜が一番好きだ。
そして、味わう度に一緒に思い出す姫のことも懐かしく思う。
一度しか会ったことのない、ルフィアの小さな姫。
ジークリンデとほぼ同じ年頃だったはずだから、今は十七ぐらいか。結婚していてもおかしくはないな。
自分の結婚が現実のものとして迫ってくるようになったせいか、すぐに思考がそちらに行ってしまう。
今までたくさんの姫君と会ってきたが、印象に残っているのはどういうわけか彼女だけだった。
我がカレークは父の代になるまで、とても小さな国だった。
歴代の王は後宮を持たず、正妃の他に側室を娶っても一人か二人であったらしい。
ところが父の乳母とその夫であった宰相は、戦争によって国が大きくなるにつれて、城の敷地を広げて宮殿を増築し、後宮を造って多くの女達を集めた。
彼らがどれほど権力欲を持ち、それらを誇示することによって喜びを見出していたのかは、質素に整えられても光り輝く宮殿の様子を見ればわかるというものだ。
建造に使われた資材はどれも一級品。柱や壁の飾りには名工の手による彫刻が施されている。
宰相夫妻の欲は止まることを知らず、ついには王の座を奪おうと父の命を狙い、謀反を企んだ。
国内の有力な貴族達を縁者にして政務を牛耳っていた彼らだが、騎士達は父の味方につき、謀反はあっという間に武力で鎮圧されて宰相一派は処刑された。
記録に残っている文書からはこれだけしかわからないが、すでに終わっている事件であるので、関心はそれほどない。
関わりがあるとすれば、彼らが残した、実質宝の持ち腐れになっている後宮の建物のことだ。
だが、大国の王にとっては所有していて当然のものであるらしい。いつかは有効に利用できる時もあると、家臣達はそれを私に期待していた。
私が思春期に入った頃から、彼らは機会があれば結婚について嘆願しにきた。
「フランツ様、お願いでございます! 后にはぜひ他国の王女を娶ってください!」
「お一人といわず、何人でも結構です! 今や我が国は世界一の大国! 世継ぎ候補は多ければ多いほど良いのです!」
「恐れながら、決して王妃様に不満があるのではございません。国と国との結びつきを婚姻で強くすることも政略として大切なことなのです! なにとぞ、ご理解くだされ!」
父が后としたのは、自国の民でもある平民の女性だ。
父母の結婚は完全な恋愛結婚。
国同士の結びつきによる利益はまったくなかったわけだが、人望のある母が王妃となったことで民衆は落ち着いた。ある意味、まったく無益ではなかったと私は考えている。
一応、后候補として後宮に入っていた他国の姫もいたのだが、人質の役目も持っていた彼女達は後宮が解散された時に全員家臣達の許へと降嫁した。
国力が他国を凌駕する現状からいっても、母だけを后にしたいという父のワガママは十分通る。
だが、私まで我を通すわけにはいかないだろう。
幼い頃から王太子としての責任や義務を意識していたせいか、伴侶にしたいと切望する女性がいるわけでもないので、結婚については家臣達の希望を酌むことにした。
その代わり、人任せにはしない。
最も条件の良い花嫁を自分で選ぼう。
私の二十の誕生日に、各国に向けて花嫁を選ぶ意志を表明した。
長い時間をかけて候補を吟味するつもりだが、長いといっても限度がある。出来る限り早めに決めねばならない。
さもなくば候補の国々に余計な混乱を招いてしまう。
花嫁募集の表明から一月もしないうちに肖像画付きの親書がどっさりと送られてきた。
これは選考のし甲斐があるな。
第一の条件として資源に将来性のある国が好ましかったので、目星をつけておいた国からの書状だけをより分けた。
これで相当な数の候補を落としたが、候補はまだ二十人近く残っている。
間者達を呼び寄せ、候補の姫君達の真の姿を探ってくるようにと命令して各地に派遣した。
彼らには調べる時間として三ヶ月の猶予を与えた。
それだけあれば、我が国の優秀な間諜達は正確な情報を得られるはずだ。
間者を放った後は、念入りに候補の王女達に関する書類に目を通した。
経歴や能力などは多少の誇張はされているだろうが、真実も書かれているはずだ。
候補の姫君は、最低でも一度は面識のある者ばかりだった。
十代の頃、社交の場で引き合わされた同年代の姫はほとんどが花嫁候補らしいと聞かされていたが、本当だったようだ。
全員の国名と名前を確認して、気になる名前を見つけた。
ルフィアのフィリーナ王女。
まさか、彼女が名乗りを挙げてくるとは。
私の十五回目の誕生日を祝いに城を訪れたフィリーナ姫は、慣れない場で緊張し、挨拶一つ満足にできないほど混乱して涙目になっていた。
捨てられた子猫のごとき心細そうな姿を見るに見かねて席を立ち、ダンスに誘った。
彼女はダンスもそれほどうまくはなかったが、私のリードに合わせて一生懸命ステップを踏んだ。真剣そのものの表情は好感が持てて、頑張れと励ましたくなるほど微笑ましかった。
曲が終わり、父母が待つ場所まで導いていくと、別れ際に彼女は緊張を解いて笑ってくれた。
無邪気な笑顔に私の気も緩み、気疲れするだけだった大仰な宴が初めて楽しく思えた。
すぐに次の来客の相手をせねばならず、彼女とはそれっきり言葉を交わす機会はなかったが、このような機会に名を見ることになるとは夢にも思わなかった。
彼女はどんな風に成長したのだろう。
大国の王太子妃になろうというぐらいだから、何らかの野心を持っているのだろうか。
もしも、そうだとしたら残念だ。
私は昔に出会った姫の方が好ましいのだから。
肖像画を見てみると、慎ましやかな姫の姿が描かれている。
記憶に残る少女の面影と重なり、口元が自然に緩む。
推測だが、この絵は忠実に描かれているな。
美女揃いの見合い用の絵の中で、彼女の肖像画は少々華やかさに欠けてはいたが、誠実さの滲み出るフィリーナ王女の絵姿は誰のものよりも好ましかった。
三ヵ月後、各地に放っていた間者達が次々と戻ってきた。
彼らの報告と、書類を照らし合わせて選考作業に入る。
「こちらの肖像画とはほとんど別人でございました。目は絵姿より細く、鼻は低く、体つきは二倍ほどふっくらとされています」
「この姫君は申告されている教養の半分も身につけておられません。どうも臣下が先走って優秀な経歴を捏造した疑いがあります」
「申告書類には記載されておりませんが、この姫君は必要以上に高価な衣装や装身具を作らせ、かなりの浪費をなされております。それに相当我が儘なお方のようで、民の評判も悪く……」
申告書類では完璧な姫君達も、実態を調査させると粗が出てくる。
人間であるから多少の欠点があることはこちらも覚悟しているが、嘘はいけない。
あまりも実像の違う者や評判が悪い姫を候補から除外した。
結果、残ったのは五人。
家臣達は五人全てを娶ってはと進言してきたが、気乗りはしない。
五人もの女性を平等に扱うなど至難の業のような気がするし、その中の一人を気に入ってしまえば、他の妻達は面白くないだろう。
それに家族内にまで、国同士の対立だの駆け引きだのといった面倒ごとは持ち込みたくない。
妻にはやはり癒しを求めたい。
母が守る温かい家庭で育った私は、自分の家庭も同じようにしたいと思っていた。
五人の中にはフィリーナ王女も入っている。
間者の報告によると、彼女の書類には一切の偽りはなかった。
おかげで他の姫君より地味な印象を受けたが、ライバル達の自己申告の虚飾が派手すぎたせいで逆に目立っていた。
彼女は何が何でも選ばれたいというわけではないのかもしれない。
大国の庇護を受けて暮らしてきた小さな国にとって、その大国の后の郷という地位を得られれば、今よりもっと安心できる。
この縁談に乗り気なのは周囲だけで、王女の意志が違っていても不思議はない。
この正直な申告内容は、王女のささやかな抵抗なのだろうか。
私の目に留まらぬようにと毎晩神に祈っている姫の姿を想像してしまい、なぜだかひどく落ち込んだ。
残りの四人の候補の肖像画を見る。
自信に満ち溢れた美女達が微笑んでいた。
彼女達に欠点はない。
水準以上の美貌を持ち、大国の后に相応しい教養と気品を備え、機知に富んだ会話もこなせる優秀な姫達だ。
誰を選んでも王太子妃として申し分はなく、家臣は喜んで迎えるだろう。
だが、私は少しも興味が持てなかった。
完璧な姫より、欠点の目立つ素朴な姫がどうしても気になる。
私の迷う姿を見た間者がそっと言い添えた。
「フィリーナ王女はルフィアの国民に愛されています。民が楽しめる小さな祭りを年に数回催し、福祉施設や貧困層が住む地域を訪問して要望を国王に伝えたりと、ご自分にできることを公務とされて民のために働いておいでです。確かに姫としての資質は十分とはいえませんが、それを補って余りある人望をお持ちかと思います」
その言葉が決め手となり、私は后をフィリーナ王女にすると発表した。
すぐに使者を出して花嫁を呼び寄せる手はずを整える。
彼女は私を恨むかもしれないが、後悔はさせない。
私が望む家族のあり方を知ってもらえれば、きっと心を開いてくれる。
六年ぶりに再会したフィリーナ王女は、まったく変わっていなかった。
馬車の扉を開けて出迎えた私を見るなり、顔を赤くして、落ち着きがなくなる。
何度も噛みながら迎えの礼を述べて出てきた彼女の手を取って、馬車から降りるのを手伝った。
彼女の手は震えていて、怖がっているのだろうかと不安になる。
好かれようとできるだけ愛想よく振る舞ったつもりなのだが、逆に胡散臭い印象を与えてしまったのではないだろうな。
人心を掴む術は心得ているつもりだったが、フィリーナに好かれるにはどうすればいいのかわからなかった。
馬車から降ろした彼女を我々の住処となる宮殿に案内した。
フィリーナは宮殿を見て、なにやら悲壮な顔つきになった。
これからの生活を憂いているのだろうか。
もしくは私と寝室を共にすることに恐れを抱いているのでは。
だが、どれほど嫌でも耐えてもらわねばならない。
大丈夫だ、打ち解けることさえできればフィリーナの不安も消えるはずだ。
宮殿に入り、女官達に挨拶するフィリーナを微笑ましく見つめた。
身分の差を知らしめるためにも、下々の者には毅然とした態度を取るべきだと言う者もいるだろうが、威厳とは決して高圧的な態度からは生まれない。
配下の信頼と尊敬を得られてこそ、初めて敬われるのだ。
世話をしてくれる者達への礼儀として挨拶を返した彼女に、女官達は好意を持ったようだ。
「そ、そうですわ、他の方々にもご挨拶をしなければ」
フィリーナは首を動かして、誰かを探している。
彼女が誰を探しているのかわからなくて驚いたが、やがて気がつき、思わず笑ってしまった。
「他の方々って、私の后になる人かい? ここに住むのは君だけだよ。君が正妃だ、フィリーナ」
フィリーナは口を開けて固まってしまった。
私を見上げて呆然としている様子に気づき、再び不安になった。
彼女は妻が複数いるものと思い込み、それなら我慢できると慰めにしていたのでは。
正妃に迎えられて、ショックを受けている?
「笑ってすまない。そんなにショックだったのか? 私の后になるのはやめたい?」
問いかけると、フィリーナは首を横に振った。
「わたし、正妃になります! フランツ様のお役に立てるように精一杯頑張りますから、ここに置いてください!」
気持ちはどうでも、彼女も決意をしてここに来た。
今はそれだけでいい。
愛情はこれから育てていけばいいのだ。
そう心を落ち着けて安堵し、彼女の手を握って甲にキスをする。
「ありがとう、フィリーナ。君を選んで良かった。私も出来る限り力になるつもりだ、頑張ってくれ」
「はい! はい!」
何度も頭を振って頷く姿を可愛らしく思う。
この人が私の妻になる。
現実に手を触れて、初めて得られた実感に喜びを感じた。
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