我が愛しの女王陛下

第三章・右将軍ユーグ=バレーヌ・1

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 ガキの頃、オレを包む視線や声は、鋭利な刃物のごとく冷たいものばかりだった。
 物覚えは悪い、やることといえばくだらない悪戯ばかりだったオレは、一族の恥だと罵られて育った。
 オレの上の兄達は、みんな揃って礼儀正しい秀才で、将来は王宮の官僚、さらには大臣となることも夢ではないと誉めそやされていた。
 両親も頼もしい跡継ぎ達がいることで安堵し、早々と出来の悪い末っ子を見限り、視界に入るだけで顔をしかめるほど邪魔者扱いした。
 兄達も両親に倣い、オレを見下して、ことあるごとに虐めたり嫌味を言った。

 家族の中で孤立しているオレの味方は祖母だけだった。
 あの頃は毎日祖母の部屋に逃げ込んでは泣いていた。

「ユーグ、元気を出して。泣いてはだめ。あなたはとても丈夫で強い子よ。勉強ができなくても、偉くなれる道はある」

 祖母は数少ないオレの長所を挙げて慰めた。
 その長所を伸ばすために、剣の家庭教師も探してくれた。
 師となった男は王に仕える騎士で、近隣諸国でも知らぬ者はいないほどの剣の使い手だった。
 彼は祖母に恩義があるらしく、オレの指導も快く引き受けた。
 国一番の騎士にしてみせると豪語して、オレを従卒にし、騎士修行のために家から連れ出してしまった。

 その後すぐに祖母は亡くなった。
 葬式には出たが、それっきり家には帰っていない。
 たまに城で父や兄に会っても無視された。
 ヤツらにとって、オレは生まれ損ないで、息子でも兄弟でもないらしい。
 家とオレを結び付けていた祖母がいなくなったことで、縁は切れたも同然となった。

 師の許で修行に明け暮れる日々の中、彼女と出会った。
 王女リュシエンヌ。
 祖母を失ってささくれていたオレの心に新たな癒しを注ぎ込んでくれた女だ。




 師の供をして登城していたある日、オレは王女に声をかけられた。

「わたしと同い年なのね。お友達になりましょう」

 リュシーはオレに目を留めて、学友にしてくれと王に願い出た。
 オレの父親を始めとする一部の重臣達は反対したそうだが、王は娘を信頼していたのか、それらの声を退けて師を通じてオレに命を告げた。
 王命であれば、逆らうことはできない。
 オレは騎士修行をしながら、王女と一緒に勉強をすることになった。

 オレの頭の悪さは筋金入りで、リュシーと同じ課題は当然できない。
 すぐにお役ご免になるかと思っていたが、教師のロベールは初歩的な読み書きや計算の課題をオレにやらせて基礎学力だけでも身に付けろと言った。
 リュシーが求めたのは、勉強を一緒にする仲間ではなく、話し相手だったようだ。

「二人でいる時は、リュシーと呼び捨てでいいわ。だって、わたし達はお友達だもの」

 リュシーは王族であることに疲れた時の息抜きの相手にオレを選んだ。
 年が同じだったとしても、なぜオレだったのか、理由はわからないままだ。
 もう一人、同じ役割を振られた余計なおまけがついていなければ、オレはその理由を恋愛感情だと誤解していただろう。
 おまけの名は、リュカ=ルサージュ。
 年下のくせに生意気でいけ好かない野郎だ。

「ユーグは友達いないんだ。みんな言ってるよ、バレーヌ家の出来損ないだって」

 初顔合わせの場で、リュシーの目を盗み、リュカの野郎はオレに囁いた。
 家族がオレを疎んじていることは周知の事実で、その影響か、王宮の人間はおろか騎士を目指す同輩にまで敬遠され、オレには仲間なんてものがいない。

「はっ、それがどうした。お前こそ、友達なんぞいねぇだろ。なんせ、親にも疎まれて長年牢獄に放りこまれていた化け物だもんな」

 リュカについての話は王宮でも噂になっていて、オレの耳にも入っていた。
 生まれつき、己でも制御できないほどの魔力を宿して生まれたため、母親や出産に立ち会った産婆に侍従まで殺した曰くつきの王子。
 長年結界が張られた地下牢に幽閉されていたが、母国が戦で滅ぼされた際に外に逃がされ、師となる魔術師に預けられたという経緯の持ち主だ。
 その師である魔術師が仕官でこの国を選んだため、弟子のこいつも恩恵にあずかり、王女の学友に任ぜられたわけだ。

「ボクは化け物なんかじゃない。もう一度言ってみろ、お前を殺す」
「てめぇから吹っかけたケンカだろうが、オレは謝る気も撤回する気もないね。やれるもんならやってみろ」

 険悪に睨みあうオレ達の間に、リュシーが割り込んできた。

「ケンカしちゃだめよ。二人ともわたしのお友達なの。仲良くしましょう」

 リュシーが仲裁に入り、オレ達は怒りを削がれて黙り込んだ。

「わかったよ。リュシーがそう言うなら我慢する」
「リュカは良い子ね」
「うん」

 へらっとヤツはリュシーに笑顔を向けた。
 リュシーの前でだけ良い子の振りして巨大な猫を被る腹黒魔術師は何年経ってもそのままだ。
 あいつとは一生仲良くなんかなれねぇ。

「ユーグも怒っちゃ嫌よ。わたしはみんなで楽しく過ごしたいの」

 リュシーは瞳に涙をためて、オレに訴えた。
 泣き出されると面倒だという気持ちもあったが、何よりオレはリュシーの涙が苦手だった。
 どうせなら、笑っている顔を見ていたい。

「しょうがねぇな。オレの方が年上だからな、お兄様は寛大な心で許してやる」

 そう言って、リュカを見やると、ヤツはリュシーからは見えない位置に顔を向け、しかめっ面で舌を出していた。

「良かった」

 オレ達の表面上の仲直りを信じ込んだリュシーは、ホッと笑顔になった。
 雲の間から顔を出した太陽みたいな眩しい笑顔だ。
 好きだと思った。
 身分の差など考えもしない子供だったからこそ、オレはリュシーに恋をした。




 王国が滅亡の危機を脱しても、オレの仕事がなくなったわけじゃない。
 右将軍の肩書きをもらったが、軍の指揮は左将軍に任ぜられたラウルが担っている。理由は簡単で、ヤツには人望があり、オレにはない。
 周囲の偏見の目があったことを差し引いても、自分の排他的な性格が原因だとはわかっているが、今さら集団には馴染めないし、受け入れてもらえるとも思っていない。
 軍においてのオレの役目は戦場での切り込み隊長。
 先陣を切って戦場を駆け抜け、主力を撃破し、大将を潰す。
 そうすることで自軍の士気は上がり、戦闘力は飛躍的に増大した。
 一軍を率いて、上から指示を出すなんて性に合わない。
 オレは示された敵を倒すだけ。
 リュシーに害を成す者は全て排除する。

 リュシーの望みを叶えるため。
 彼女が愛した国と民を守るために、この命を投げ出すことも厭わない。
 オレ一人のものには永遠にならない女。
 それでもオレは、リュシエンヌを愛している。
 オレの世界には彼女しかいないし、必要ない。
 あの笑顔を守るためなら、どんな代償を払ってもいいとさえ思うほど、オレはイカレていた。




 全身を覆う鎧を身に着け、槍を持ち、馬に跨り、闘技場の中央へと進む。
 目の前には同じく槍を携えた騎士が一騎。
 観客席にはこの国の王や重臣達が座っていて、どいつもこいつも青白い顔をこちらに向けていた。
 連中の近くにはフィリップの姿も見える。
 何気ない一言で相手の焦りと不安を誘いながら、ヤツはオレを見て片目を閉じて見せた。
 うまくいってるってことだな。
 ここでオレが勝てば、フィリップの言葉はさらに力を発揮する。

 目の前の騎士で十人目。
 前の九人もオレが倒した。
 いずれもこの日のために選ばれた実力のある騎士だったそうだが、オレは槍を交えることなく一撃で馬上から突き落として見せた。

 親善目的の馬上試合だが、これは国の力を示す意味もある。
 フィリップは折に触れて、オレかリュカのどちらかを連れてローフォセリアに対する野心を隠し持つ国々を周り、力を見せ付けて圧力をかけることで牽制している。
 今回も、そのための御前試合だ。

「始め!」

 合図が成され、馬の腹を蹴る。
 相手の騎士も突撃してくる。
 なかなか肝の据わった野郎で、怯むことなく槍を突き出し、オレ目がけて突進してきた。

「うおおりゃあああっ!」

 腹から気勢を上げて、負けじと槍を繰り出した。
 牽制の材料にするためには、時間をかけてはいられない。
 一撃で倒す必要がある。

 迫ってくる槍を避け、胴を狙って突き入れる。
 穂先は頑強な鎧を砕き、騎士を馬上から吹き飛ばした。

「そ、そこまで!」

 最後の試合までもが一瞬で決着してしまい、勝敗を告げる審判役もうろたえている。
 オレが兜を外すと、さらに動揺が広がった。

「これは夢か、あのような若い騎士に我が国最強の騎士達が一撃で敗北するとは……」
「ローフォセリアは、兵にどのような訓練を施しているのだ」

 ざわめきの中から聞こえてくる声で、こちらの思惑通りに進んでいることを確信する。
 すかさずフィリップが王に話しかけた。

「我らの女王陛下は平和を好まれるお方です。ですが、侵略者には容赦はしない、それは先頃のゴルバドレイとの戦でも証明されております。他の国々も和平を望み、我らを支持してくださっています。賢明な王よ、あなたなら正しい判断を下されると信じていますよ」
「う、うむ。余も戦は好まぬ。ローフォセリアとはこれからも良い関係を築いていきたい」

 しどろもどろに王は答え、フィリップは笑みを深くする。
 容易いもんだ。
 小心者で日和見主義の王は、こちらが隙さえ見せなければ、うまくあしらえそうだ。




 帰国の道中、フィリップが乗る馬車を同行の騎士達で囲んで警護をしながら、オレ達は街道を進んでいた。
 国境を越え、隣の国の領土に入った途端、不穏な気配が辺りを包み込んだ。

「ユーグ、気をつけるんだ。先ほどから後をつけられている」

 馬車の窓を開けて、フィリップが忠告してきた。
 視線を周囲に走らせ、木立ちの合間から漂う殺気を捉える。

「ただの賊じゃないな。刺客か?」
「我々が国境を越えるまで待っていたようだ。もし襲撃に失敗しても、こちらの国に罪を着せるつもりなんだろう。今回は牽制が効き過ぎたらしい。指示したのは王ではないな、側近が独断で刺客を差し向けた可能性が高い」

 フィリップが敵の思惑を推測する。
 応戦のために身構える他の騎士を片手で制して馬を止めた。

「全員、先に行け。ここはオレ一人で十分だ」
「しかし、将軍! お一人では危険です!」

 声を発した騎士を振り返り、剣を抜いた。

「ヤツらは一人残らず斬り捨てて、ローフォセリアに牙を剥いたことを後悔させてやる。オレの戦い方は知ってるな? 戦ってる最中は味方を気にかける余裕はない。お前達は邪魔だ。巻き添えになりたくなかったら、さっさと行け」

 全員ぐっと押し黙り、馬首を進行方向に戻した。
 ラウルならもっとうまい指示を出すんだろうが、これがオレのやり方だ。
 少数でも統率を必要とする戦い方はできない。
 他に指揮官がいない以上、下手に横にいられちゃ、かえって互いの危険が増す。

「ユーグ、無理はするんじゃない。君が死ねば、陛下が悲しまれる」
「心配無用だ。そっちこそ気をつけろ。他にも潜んでやがるかもしれねぇしな」

 フィリップが騎士達を引き連れて遠ざかっていくのを見送った。
 間を置かず、敵の気配が近づいてくる。
 五十、いや百はいるな。
 武器も弓矢などの飛び道具を備えているヤツもいる。
 馬上試合でのオレの戦いぶりから判断しての編成だろう。
 だが、甘いな。
 本気でオレを倒すつもりなら、兵は千を超えても足りないぐらいだ。




 向かってくる敵全てを剣の餌食にして、文字通り血の海に沈めた。
 返り血で全身が赤に染まり、独特の錆び臭い匂いが鼻につく。
 幾人もの血を啜った剣は次第に切れ味が鈍り、使い物にならなくなった。
 剣を捨て、敵から武器を奪い、戦いを続ける。
 恐れも疲れも見せないオレを見て、敵は怯みながらも数を頼みに襲ってくる。

「あ、悪魔め……っ!」
「おのれ! 仲間の仇だ!」

 自分達から仕掛けてきたくせに、勝手なことを言う。
 昔からそうだった。
 オレが何をしたというのだろう。
 期待に応える能力を持たないというだけで罵られ、虐げられた。
 誰も彼もが遠巻きにして、オレを嘲笑う。
 人間は勝手な生き物だ。
 祖母が、リュシーがいなければ、とっくの昔に見限っていた。
 だけど、あの温かい存在がない戦場では、オレの心は闇に支配される。

 全て消したくなる。
 オレを煩わせるもの、オレを虐げるもの全部。

 ――消えてしまえ。




 聞こえる呼吸はオレのものだけ。
 他に動く者はいない。
 オレが乗っていた馬も、敵の矢に射抜かれて倒れている。
 戦いが終わり、人や馬の屍が作り出す血溜まりの中で、ぼんやりと佇んでいた。

「ユーグ!」

 名を呼ばれてそちらを向く。
 一度、この場を離れたはずのフィリップが、多くの兵士を連れて戻ってきた。
 こちらの国の兵士らしい。
 襲撃してきたのが賊だろうが、隣国の兵だろうが、領土内で起こった襲撃事件なのだから、この国の政府に報告するついでに応援を頼んだのだろう。

「無事か?」
「ああ」

 虚ろな目で答えるオレに、フィリップは慎重に気を配りながら近づいてきた。
 他のヤツらは顔を引きつらせて、オレを見ている。
 もう暴れるつもりはないのに、この場にいる誰もがオレを恐れていた。

「この先の村で宿を借りてある、体を清めてしばらく休むといい。その状態で帰れば、リュシエンヌ様がご心配なされる」

 リュシエンヌ。
 その名を聞いた途端、心が息を吹き返す。
 血で汚れ、切れ味のなくなった敵の剣を捨てて、足を動かした。

 狂犬だと、誰かが呟いた。
 女王に忠実な犬。だけど、戦場に放てば血に飢えて狂ったように暴れまわる。
 オレには似合いのあだ名だ。

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