憎しみの檻
レリア編・2
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アーテスの王宮に着くなり、フェルナン王子に連れられて、王と他の王子達が待つ広間へと案内された。
広間には王家の男達に、重臣達もいて、それぞれが不躾な目でエリーヌ様に視線を注いだ。
「ただいま戻りました。父上、こちらがネレシアのエリーヌ王女です。侍女が一人ついてきておりますが、王女の幼さに免じてお目零しをお願いします」
フェルナン王子がわたしについての許可を求めたが、王は頷いただけで何も言わなかった。
咎められなかったということは、認めてもらえたのだろう。
「長旅は大変だっただろう、エリーヌ王女。此度の戦は真に残念だった。我が国に侵略の意志はなかったが、情勢が退くことを許さなかった。ご理解くださるな?」
「はい」
エリーヌ様は頷くだけで精一杯のご様子だ。
向けられる多くの視線には、興味本位のものや蔑みが込められたものもあり、王女は身を硬くして萎縮されてしまった。
「さて、エリーヌ王女のお立場なのだが、まだ決めかねていてな」
王は苦笑して、王子達に視線を向けた。
第一王子と第二王子は二十代の大人の男で、僅か八才の少女には何の興味も湧かないのだろう。王と同じく苦笑いして互いの顔を見合わせていた。
「エリーヌ王女には後ろ盾はないが、ネレシアへの牽制の意味もある。お前達が望まねば、余の後宮に迎えることになるが……」
アーテスの王は五十を過ぎた壮年の男だ。
政略結婚では、子供が老人に嫁ぐことも、またその逆も稀にある。
王子達が誰も王女を望まねば、それも仕方のないことだった。
「お待ちください、父上。兄上達が気が進まないとおっしゃるのならば、私が王女を后にします」
声を上げたのはフェルナン王子だった。
エリーヌ様の瞳が期待で輝く。
内心、舌打ちした。
この中ではフェルナン王子の許に嫁ぐことが最善だと思えたが、このタイミングで申し出されては、エリーヌ様の目に王子は救世主のごとく映っただろう。
これ以上、どのような類のものであれ、二人の間に絆が生まれてはいけないのに。
「うむ。フェルナンにはまだ正妃も愛妾もおらぬからな。ちょうど良かろう」
「ありがとうございます」
フェルナン王子に后がいないと知って驚いた。
十八の王族ならば、一人か二人は周囲に勧められて后を持つものだ。
まさか、成熟した女ではなく、幼女を好む性癖の持ち主ではあるまいな。
エリーヌ様が危ない。
まったく危機感を持たずに、王子に信頼を寄せている主君に歯噛みして、わたしは後ろに控えていた。
「だが、良いのか? 王女には持参金も後ろ盾もない。正妃にするには心もとない身の上だ。他に何か理由があるのか? まさかとは思うが、フェルナン。今まで后を娶らなかったことといい、そなたは幼子に興味があるのではないだろうな?」
わたしが問い詰めたい事柄を王が代わりに尋ねてくれた。
この時ばかりは、アーテスの王に感謝してしまった。
「父上、私は成人の女性に興味がないわけではない。ただ頻繁に戦に出る身では妻を持つ気になれないだけです。私は王位に興味はない。この剣で兄上達を補佐して国を守る要となるつもりです。それゆえ、妻の出自などどうでもいいのです。エリーヌ王女に後ろ盾がないのなら尚のこと、保護する者が必要でしょう。決して今の彼女に妻としての役割を期待してのことではありません」
フェルナン王子はエリーヌ様に微笑みかけて、成り行きを見守っていた家臣達へと向き直った。
「エリーヌ王女は今この時より私の婚約者であり、いずれは正妃に迎える。彼女に害を成す者があれば、それは私への敵対行為とみなす。彼女は戦敗国の姫ではなく、私の妃だ。この場にいる者は肝に銘じ、広く伝えよ。王女を傷つけた者は何者であろうとも容赦なく私自らが裁きを下すと」
フェルナン王子は居並ぶ重臣達に向けて高らかに宣言した。
そしてエリーヌ様の手を取り、一礼して王の御前を辞した。
退席する際に盗み見た王と兄王子達は、愉快そうに笑っていた。
彼らの表情はまるで子供の成長を見た時の家族のもので、邪気のない温かさを感じた。
彼らが醸し出す平和な空気が妬ましく、苛立ちを増幅させる。
エリーヌ様がフェルナン王子に懐いているのも、わたしの気に障った。
この国には憎むべきものがたくさんある。
我々は多くの大切なものを失った。
王女に全てを背負わせるつもりはなかったが、ただそれでも戦火の中で起きたことを忘れないでいて欲しかった。
広い王城の敷地を移動し、西方の端にある屋敷に到着した。
王子が初陣を迎えた年に与えられたものだということだ。
白い壁と青い屋根。
王達がいた宮殿よりは小さいが、広い庭もあり、しっかりした作りの小奇麗な邸宅だった。
「この屋敷には私に会うために軍の人間がよく出入りするが、奥までは誰も入ってこない。その点だけ気をつけて、後は自由にしてくれればいい。必要なものがあれば家人に言いつけてくれ。よほど高価な買い物でない限りはできる限り揃える」
フェルナン王子が屋敷を案内している最中にも、騎士達は現れた。
指示を仰いですぐに去っていくのだが、やはり気になるのか、エリーヌ様とわたしをちらりと見ていく。
騎士達が身につけている近衛騎士団の制服が、あの男を思い出させて嫌な気持ちになった。
あの男も来るのだろうか。
ネレシアを出てからは、一度も姿を見なかった。
できれば二度と会いたくはなかったが、王子の側近が来ないはずはなく、エントランスまで戻ってみれば、彼は来客用に置かれた長椅子に腰掛けて寛いでいた。
「来ていたのか、アシル」
「そろそろこちらに到着なされる頃かと思い、ご挨拶にね」
アシルはふてぶてしく笑って、エリーヌ様に敬礼した。
「アシル=ロートレックです。お見知りおきください、エリーヌ王女殿下。侍女殿もよろしく」
覚えていないはずはないのに、アシルはわたしにも初対面のごとく振る舞った。
兄を直接殺めた男と、平然と顔を突き合わすことなどできない。次第に顔が引きつっていく。
ふつふつと煮えたぎる怒りを抑えるのに、全神経を集中した。
抑えが成功したのか、王子はまるで気づいていない様子で、わたしに声をかけた。
「レリア、アシルは私の乳兄弟で、全幅の信頼を寄せる男だ。私が不在の時に何か困った事態になれば、彼に頼ると良い。頼むぞ、アシル」
「はい、殿下のご命令とあらば喜んで」
アシルは恭しくお辞儀して、従順な家臣を演じた。
だけど、わたしに向けた顔には不穏な笑みが宿っていて、よからぬ企みを感じさせた。
「では、失礼いたします。これから兵の訓練があるのでね。行軍の後だからこそ、気を抜かないようにびしっと締めておかないと。殿下も落ち着いたら顔を出してください」
「ああ、王女を部屋に案内したらすぐ行くよ」
アシルが立ち去っても、しばらく緊張が解けなかった。
王女にと用意された部屋に入り、少し離れた場所にあるわたしの部屋について聞かされた後、王子が室内から出て行ってようやく息をつけた。
「レリア、どうしたの? 気分でも悪い?」
異様に疲れた顔をしていたのだろう、エリーヌ様がわたしを気遣って椅子に座らせてくれた。
「いえ、少し疲れただけです。故国を出てから長旅で、あまり気の休まる時がありませんでしたからね」
アシルが兄の仇であることは言わないでおいた。
エリーヌ様に余計な不安を抱かせてはいけない。
わたしはこの人を守らなくてはならないのだ。
フェルナン王子は夕食の前に帰ってきた。
エリーヌ様と食卓を囲み、和やかに話している。
わたしは給仕を手伝いながら、注意深く王子が不埒なマネをしないか見張っていた。
今のところ、そのような気配はまったく窺えなかったが、いつ豹変するかわからない。
ここは敵国。
衣服の下には懐剣を忍ばせ、いつでも使えるように準備していた。
「今夜は早めに休むといい。レリアもね。ここでの生活には追々慣れていけばいい。結婚式は三ヵ月後にする。もっと伸ばせればいいんだが、色々とうるさく言う連中がいるんでね。正妃にするなんて考え直せと喚くんだ」
王子はうんざりした顔でぼやいた。
うるさい連中とは、一部の重臣らしい。
兄王子達には、すでに后が何人もいるが、末の王子だけはまだ独身。
王族に取り入りたい貴族達は、娘をフェルナン王子に嫁がせて繋がりを作ろうとしていたそうだ。
「兄上達もだが、そんな理由で幼い頃から出会いには不自由しなかった。だが、王子の花嫁になりたがっている娘達と顔を合わせても、どうしても親の思惑が透けて見えて興味が持てなかったんだ。私が王位を継承する可能性は限りなく低いし、兄上達と争う気もない。私としては別に生涯結婚しなくてもいいかなと思っていたんだ」
エリーヌ様には娘を使っての重臣達の思惑が理解できなかったのか、首を傾げて王子の言葉を聞いておられる。
王女の様子に気づいた王子は、手を振って「忘れてくれ」と苦笑した。
「花嫁となる人の前で話すことではなかったな。エリーヌ王女には選択の余地のない結婚だが、后にする以上は大切にするよ。妻としての役目はもう少し大きくなってからしてもらうことになるが、今は気楽に過ごしてくれ。自由に遊んでもいいが、作法や教養を学ぶことも忘れずにね」
「はい、頑張ります」
真面目に答えたエリーヌ様を見て、王子は口元を押さえて笑った。
エリーヌ様はきょとんと目を丸くしている。
「何か変なことを言いましたか?」
「いいや、模範的な答えだ。君はかわいいね。できることなら、ずっとそのままでいて欲しい」
くすくす笑う王子は、エリーヌ様をからかっているわけではないようだった。
エリーヌ様は照れくさそうに俯き、和やかな空気がさらに広がる。
フェルナン王子がエリーヌ様を大切にしてくれるのならば、それは喜ぶべきことだ。
わたし一人がどう頑張っても味方のいないこの国で、王女を守って暮らすことは困難だとわかっている。
今は黙っておこう。
王子がエリーヌ様をすぐに求めることはないだろう。
その間にエリーヌ様に言い含めておけばいい。
心だけは渡してはいけないと。
王子は憎むべき仇なのだと、よくよく言い聞かせておかなくては。
城が落ちた日、正確には城壁で父と兄の遺体を見た後のことだ。
わたしは悪夢にうなされるようになった。
城壁に晒される家族の屍の前で、わたしは立っていた。
こちらに近づいてくる男がいる。
血の滴る剣を持ち、笑みを浮かべて向かってくるのはアシル=ロートレックだ。
いつの間にか、わたしの手には懐剣が握られ、鞘から抜かれて抜き身となった刃をアシルにかざす。
この後は、わたしが殺される場合もあるし、逆にわたしが彼を突き刺す時もある。
夢の中のわたしは、アシルへの憎悪をむき出しにして、叫び声を上げながら彼に飛び掛っていくのだ。
今夜もまたあの夢を見た。
今回はわたしが彼を殺すもので、奇妙な充実感を覚えながら、狂ったように男の体を引き裂いていた。
飛び起きた瞬間、汗で全身が濡れていることに気がついた。
どちらにしても嫌な夢だ。
現実に戻ったわたしは、夢とはいえ彼を殺したというのに何一つ満足していなかった。
落ち着かなくて、イライラする。
苛立ちをごまかすために髪を掻き毟った。
騎士であるからには、戦場で散ることも覚悟している。
生前の兄が言っていた。
『騎士は主君のために戦うものだ。たとえ、私が戦いの中で死んだとしても、討ち取った相手を恨んではいけない。私を倒すほどの騎士だ。その者も主君のために戦う立派な騎士に違いない』
月日が流れるたびに、わたしの中で憎しみが小さくなっていく。
たまに何かの拍子に烈火のごとく怒りが甦ってくるのだが、長くは続かず、落ち着いてしまう。
日常が穏やか過ぎるからだろうか。
こうして兄の言葉を思い出して、あれは仕方のないことだったのかと諦めの気持ちまで生まれてくる。
だが、最後の部分でどうしても割り切れなかった。
許すことが家族への裏切りに思えてしまい、アシルを見るたびにあの時のことが鮮明に思い起こされた。
自分の心なのに、理解できない感情に支配される。
どうにもできないもどかしさと相まって、わたしの心が晴れることはなかった。
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